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着衣のまま川でおぼれるという経験をしたタロウこと桃田太郎ですが、現在着衣のまま入浴しております。
「それだけ濡れてるならそのまま浴槽の中に入れてください。えー、タロウ。タロウとお呼びしても?…結構。ではタロウ、そのままよく温まったら浴槽内で脱いで、脱いだものはこちらの洗い桶の中に入れてください。そのままにしておいて結構です。その後、水草やら浮いているそのお湯は捨てて新しくはりなおしてください。こちらの蓋をして…いいですか?必ずこの蓋をしてからですよ?蓋をしてからこのつまみをこちらに、その後逆側に倒します。一連の動作は必ず蓋をしたまま行ってください。それで清潔なお湯に入れ替わりますので、それを用いてこちらのトイレタリー用品で洗髪、洗身を済ませてから再度温まると良いでしょう。治療が必要な箇所がないか確認しておいていただけると助かります。どんな小さい怪我であっても大丈夫と勝手に判断しないで必ず医者の診断を待つように。それからこれは右から…ああ、あなたから見たら左ですね。失礼。こちらからシャンプー、トリートメント、コンディショナーの順です。こちらは洗顔用石鹸。こちらがボディ石鹸。ああ、もし外傷がみつかった場合ですが…………………………その後………………そうしたら…………」
口をはさむ暇なく流れるように続くキイチ先生の説明。お風呂の中のこと、お風呂を出た後のこと聞いているだけでもうずいぶん体は温まっているのだが、まだ続くのだろうか?42度くらいのお湯がなみなみ張られた浴槽にジャージのまま沈められて5分以上。長湯派ではないからのぼせそうだ。そしてみんな気にしていないが僕にはどうしても気になることがあるのだが、どう切り出せばいいのか何度も口を開いては閉じてしまう。
そんな僕に気づいたのか浴槽を愛でていたシャルがついっと顔を寄せてくる。彼の癖なのだろうか?内緒話する距離で笑いかけられる。
「キイチ先生は人の話を聞く耳がないんだ。自分が話してるときに話しかけても黙殺してそのまま話し続けるよ。質問や意見があるなら挙手すると良いよ。そうするとすぐ気づくんだ」
変だよね?と可笑しそうにくすくすと笑いながら教えてくれる。
試しに挙手をしてみる
「なんですか、タロウ?わからないことでも?」
本当にすぐ気づいて説明を切り上げる先生にシャルが大ウケしてるが
そういうのは目に入らないのか気にも留めていないキイチ先生におそるおそる気になっていたことを言ってみた
「あの、ヌイさんも僕を助けるために全身ずぶぬれなんですが……いいんですか?」
僕を浴槽に入れた後は洗い場の壁に腕を組みながら寄りかかり、事の顛末を見守っていたヌイさんに視線が集中する。
水を向けられたヌイさん自身が何を言われたのかわからないように?を浮かべていたが
「……ああ、そうですね」
キイチ先生は合点がいったというようにひとつ頷くと桶を手に取り浴槽のお湯をひとすくいし、そのまま頭から掛けた。
え?
ざばぁっとヌイさんの顔を滴り落ち排水溝へと流れる汚れたお湯
「廊下も綺麗にしてこなくてはいけませんね。タロウ、わからないことがあれば呼んでください。では失礼」
そう言い残して三人とも浴室から出て行った。お湯をひとかけしただけで温まりもせず。
一人残された僕だけが
「なぜわからないのかがわからない」
常識の違いに呆然としながらつぶやいた。
なにはともあれ一人きりの空間を手に入れたので切り替えて自分の身の振り方を考えよう。
シャンプーとか石鹸とか用語はどの国の言葉というわけでもなく通じている。今までわからない固有名称がでたことはない
でもお風呂はファンタジーだ。キイチ先生には当たり前だけどシャルは驚いていた。
単純に貧富の差かな?お医者さんなんてどの世界でも収入良しの上流階級だろうし。
シャルのお風呂エピソードは蛇口なしお湯を沸かすのは薪っぽいし。こっちが一般的なのかも。
ヌイさんはどうだろう…さっきの雑な扱いに文句ひとつないのなら風呂?水かぶればいいでしょ的な生活かもしれない…
生活レベルがばらばらで僕はどうしたら生き延びられるのか…水の中に潜ったら自分の世界に戻れないかなぁ
ぶくぶくと頭まで沈んでみるが何の変化も見られない。
あまり一人でいるのも悪い想像に押しつぶされそうでよくない。
この瞬間彼らが僕についてどんな会話をしているのか恐ろしくなって早々にでようと決意する。
お風呂場を照らすこの灯は電気にしか見えないけれど、お風呂の窓から見える外は街灯の存在が感じられない完全に闇だ
わからないのは恐ろしい…なら知っていけば怖くなくなるだろうか?
最初に比べるとヌイさんへの恐怖感も薄れてる。何しろあの扱いにも怒ってはいなかったのだ。穏やかな性格なのかもしれない。
話が長いと辟易していたけど、全部先回りして教えてくれてたからむしろ至れり尽くせりだったんだなぁ
もともと着ていた自分の服はお言葉に甘えてそのまま洗い桶に入れたままにして新品の下着と清潔な患者衣を身に着ける
それだけで気分がすっきりしてネガティブな気分が消えていってしまった。
お風呂から上がり、キイチ先生の指示を完遂し髪まで乾かし教えられた部屋まで向かう。
話し声が聞こえるドアをガチャリと開け、お礼を言いながら中へと入る。
「お風呂、ありがとうございました」
「タロウ!!パンツは自分で守りなよ!!」
「人聞きの悪いこと言わないでください!!浴室は私のプライベートな空間ですよ!?私のルールで家事を行うのが筋でしょう!!」
は?パンツ?
「はア?患者のパンツ洗う医者って何!?ただの変態だろ!!」
「ですから!あそこは私のプライベート空間!そもそも診療時間を過ぎているうえ早急な治療が必要なわけでもなく、善意で風呂を提供しただけで医者と患者の関係は適用されない!自宅ででた洗濯物を洗濯して何が悪いんですか!下着は別にして手洗いするのが常識でしょう!!」
言い争う二人を無視してヌイさんが飲み物を差し出してきた。
「温めた方が良かったか?」
ヌイさんもあの全身ドライヤーチェアを使用したのだろうか。着替えていないが、髪も服も水気は感じられない。
「あ、いえ、助かります。暑かったので。ありがとうございます」
この部屋はダイニングにあたるのだろうか?生活家電のようなものもある。
冷えた水をいただきながら早口でまくしたてるキイチ先生とシャルに目を向ける。
ぐいっ
見ちゃいけませんっとばかりにヌイさんが僕の頬に手をやり自分の方に向けさせる。首が痛い。
「怪我は?」
「特にありませんでした。ちょっとおなかが赤くなってたくらいですかね」
「あるじゃないですか!何を言ってるんですか、あなたは!」
舌戦を繰り広げていたキイチ先生が慌てて椅子に掛けていた白衣を羽織り、医者モードで近づいてくる。
目の前に立つとキイチ先生も体つきがしっかりしてることがわかる。見上げる角度が友人と同じくらいだから185かな。みんなでっかい。
身長差に話しにくいと思ったのか、目の前に膝をつき真摯に僕の目をみてくる先生。
赤い瞳に映る僕の姿はどこか不安気で…
「いいですか?医者は患者を救うのが仕事であり、そこに私情は持ち込みません。ですから恥ずかしがったりせず、患部を診せてください」
ええ?恥ずかしがって怪我を隠したと思われてる?
いや、たぶん肩に担がれたときに圧迫されたりしたからだろうし、そもそもそんなひどくないやつだったから…明日には消えてるんじゃないかな
「えっと…でもこんなもんですよ?」
患者衣の紐をほどき前を開く。浴衣タイプだから楽だね。こういうアイテムが日本っぽいんだよなぁ。
この程度でも治療が必要なのかと先生の反応を伺うと
ガバッ
「…………医者は患者を救うのが仕事でありそこに私情はモチコミマセン」
患者衣の前を掻き合わせるように掴み隠した先生はうつむきながら早口で先ほども聞いた科白を吐いた。
大事なことなので二回言ったんですね、わかります