9 庭園披露宴の前の日に
いよいよ明日は、城の庭園を開放して行われる庭園披露宴。城内は最後の準備でまだまだ大忙しのようだが、手配の終わった花屋にやることはない。
フローラは店の二階でのんびりしながら、明日のために用意したドレスを眺めていた。明るいオレンジのドレスが、きらきらと華やかに輝いている。
(似合うと言ってくれるかな。あんまり言葉に出さない人だから、言わないかもしれないけど。あの柔らかい表情になったら、うれしくて舞い上がってしまそう)
貴族たちのように豪華なドレスではないけれど、フローラにとっては特別も特別だった。毎日変わらぬ日々を送る町娘にとっては、たった一着のドレスでも生涯の宝物になる。明日、このドレスを身につけてオスカーに会うのが楽しみで仕方ない。
(オスカーさんはどんな服で来るのかな。きっとステキだろうな。門衛の制服を着ている時も、とても絵になる人なのだし。ああ、でもフード姿もめちゃくちゃ格好いいのよね……)
明日の朝、オスカーが店まで迎えに来てくれる約束だ。オスカーといられるのは昼過ぎまでだけど、一緒に行けるというだけで十分だった。ご夫妻となった領主様と奥様の挨拶も楽しみだ。夜には妹夫婦と合流する約束で、ライラたちにも会えるだろう。明日のことを考えると、ワクワクする気持ちが止まらない。
明日の準備もすっかり終わってしまった。フローラは手持ち無沙汰に店の看板が”臨時休業”になっていることを確かめに一階へ降りた。結婚式が始まってから、酒場や食堂以外の店の多くは”臨時休業”の看板を出している。町全体は賑やかだが、フローラの店のある通りは休業中の店ばかりで、喧騒から切り離されたように静かだ。
庭園披露宴の会場は、フローラの店とはちょうど反対側の敷地だった。店から領主の城は見えているが、庭園披露宴に行くにはぐるりと城壁を半周しなければならず、到着するには案外時間がかかる。それはそれで、オスカーとふたりきりで長く一緒に歩けるのだから、これは良かったとフローラは思っていた。
突然。
「フローラ!!」
切羽詰まった声が通りの向こうから響く。驚いてそちらを見ると、馴染みの苗屋の男が走ってくるところだった。
「どうしたの?」
「花っ、店に、残ってる花、どれだけある!?」
初老にさしかかりそうな体で全力疾走してきた苗屋は、ゼエゼエと息を切らしてフローラに尋ねた。
「落ち着いて、今、水を……」
「いや、いい。とにかく花が足りない」
「どうしたの? 何があったの?」
「花を、運んでいた荷馬車が襲撃されて、使う予定の花が全部ダメになった」
「えっ?? 花を運んでたのってガーデン・ホラスのご主人じゃない? ご無事なの?」
ガーデン・ホラスは町の反対側にある大きな老舗の花屋で、町の花屋のまとめ役的な存在だ。フローラの小さな店にもいくつか仕事を回してもらったりと、開店当初からお世話になっている先でもある。そのご主人は、今日、最後の集荷と納品に自ら荷馬車を出すと言っていたはずだ。
丸々とした体を揺らしながら、奥さんや子供たちと一緒に大店を切り盛りするホラスのご主人の笑顔が浮かぶ。
「ああ、ホラスの旦那は無事だ。見回り中だった警備隊に助けてもらったと聞いている」
「よかった……だけど一体どうして、花屋の荷馬車を襲撃なんか……」
「詳しいことはわからない。ただ、積んでいた花が全部ダメになってしまって、このままじゃ明日の庭園披露宴の花が足りない。なんとか町中の花をかき集めてるところだ。手伝ってくれ」
ホラスのご主人が無事と分かって、フローラは肩に入っていた力を抜く。それから、気持ちを切り替えた。
「わかった。店の花は全部使えるわ。急いで運び出しましょう」
フローラの丁寧な手入れによって店内の花は全て使える状態だが、数は足りそうにない。
それからフローラたちは町中を駆け回ったが、事はなかなかうまく運ばなかった。
まず、いつも全体を仕切ってくれるホラスのご主人がいないのが痛かった。見た目にケガはなかったものの、念のためにと領主の城で医者の診察を受け、さらに騎士団に当時の状況の聴取も受けているらしく、まだ戻ってこれないという。奥さんもご主人のところへ駆けつけている。
さらに、もう一件ある花屋の店主・ヒルダ姉さんは、なんと祝い酒で随分酔っ払ってしまっていた。
ヒルダ姉さんは、フローラの母親と同じくらいの年齢で姉御肌の大らかな女性だ。そして彼女はお酒が大好きだった。花屋の会合でも、最近はすっかり弱くなっちまって、と笑いながらワインの瓶を一人で空けているのを何度も見ている。今日の様子も、容易に想像できた。
なんとか店の花を出すところまではできたものの、あとはぐっすり幸せそうに寝入ってしまう。
「ダメだっ……これは、明日まで起きそうにない」
苗屋の主人は早々に諦めた。
苗屋、植木屋たちとも協力し、花農家へ荷馬車を走らせて使える分を集めたり、隣町から取り寄せたり、城下町から少し離れた野草の群生地に花を摘みに行ったり。
集まった花でなんとか装飾を進めていくも、予定していた数にはまだ足りなかった。夜になって必死な顔をした城の装飾師たちに、なんとか一輪でも多く花を集めて欲しいと懇願される。
フローラは夜道を苗屋の主人に荷馬車を走らせてもらい、ザスティックの草原まで花をもらえないかと頼みに行った。真夜中に訪ねてきたフローラたちに老園芸師は憤慨していたが、事情を聞くと仕方ないと了承してくれた。
「こんな乱暴な注文は二度と受けぬぞ。だが今回だけは特別だ。あれだけ想いを込めた使い方をされるなら、まあ、多少は融通してもよかろうて。丁寧に作った花を使う意味はある」
パレードのブーケのことだ、とフローラは思った。そう聞いてみると、老園芸師は「ああ」と頷き、満足そうな顔をした。
「夜中に花は摘めんが、そろそろ夜明けだ。夏に近くてよかったな。太陽に感謝するといい」
老園芸師は、空が白み始めると同時に恐ろしい速さと丁寧さで花を摘み、あっという間に美しい花を馬車いっぱいに用意してくれた。フローラと苗屋は顔を見合わせて喜び、何度も御礼を言ってから、昇ってくる朝日の中を町に向かって馬車を走らせた。
城についてからも大忙しだった。待機していた装飾師たちは大急ぎで予定していた意匠を変更し、届いた花が一番魅力的で華やかに見えるよう、庭園の緑も活かした初夏らしい爽やかな演出で工夫を凝らす。祝福の心を精一杯込めた装いを、花一輪ごとに込めていく。開場ギリギリまで作業が続き、フローラも夢中になって手伝い続けた。