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7 シチューがとてもおいしくって泣きそう

 週末、温浴場前で見かけたオスカーは、フローラに気付くことはなかった。


 フローラは体が固まってしまったみたいに動けなくて、声をかけることなんてできなかった。身をかがめるようにして、連れの女性に何かを話しかけながら雑踏の中へ消えていくオスカーを、ただ見ているだけだった。


 頭の中がぐちゃぐちゃになって、考えがまとまらない。


(いやいや、多分、きっと妹とか家族とか。そういうオチだ。そうに違いない、そう思いたい。だって、オスカーさんは結婚もしていないし、恋人もいないと言った。あの人の言葉が嘘だとは思えない。でも、あんなに距離の近い話し方って……)


 不安な気持ちのまま、何度も自己解決を試みようとフローラはぐるぐると考えていたが全くダメだった。





 次の水曜日はあっという間にやってくる。

 オスカーはいつも通り、灰色のフードを被って花を買いに来てくれて、そのあと約束通り食事に出かけた。


 向かい合って食事をしながらも、あの日見た女性のことが頭から離れなくて、フローラは上の空だった。


「具合でも悪いですか?」

「いいえっ、全然大丈夫です」


 オスカーは心配そうにフローラを見ている。表情はあまり変わらないとはいえ、よく見ていれば割と感情を出す人だとフローラにはわかってきた。


(ああ、心配かけてしまってる。せっかく初めて一緒に食事をしてるっていうのに。このまま一人で考えていたら、なんだか私、ダメになりそうだ)


 フローラはぐっと気持ちに力を入れて、直接尋ねてみることにした。


「あの、ちょっとお伺いしたいことがあって」


 オスカーは、何? と言うように次の言葉を待っている。


「この前の週末、温浴場に行ったんです」


 オスカーは相槌のように小さく頷く。


「それで、その時、多分オスカーさんを見かけたような気が、して」


 すると、オスカーは食事の手をぴたりと止めて、フローラを見た。

 今は、表情が読めない。

 フローラの心臓が、どくんと嫌な音を立てる。


「えっと、女性の方とご一緒だったように見えて。その、どなただったのかなって……庭園披露宴に行くの、本当に私とでいいのかなって……」


 やけに真剣な顔をしたままのオスカーから、思わず目を逸らしてしまう。後半は言わなくていいことまで言ってしまった。尋ねた言葉の最後は、なんだか答えを聞くのが怖くなって小さく消えてしまう。


 オスカーは黙ったまま。


 いつもこの人の沈黙は心地よいのに今は怖くてたまらない。

 騒がしい食堂のざわめきが、やけに耳に入ってくる。


 あれは家族ですよと、妹ですよ今度紹介しますと、笑い飛ばしてほしい。いや、オスカーさんはこんな時に笑ったりはしないだろうけど、サラッと教えてほしい。早く、何か言って。


 オスカーの答えは、予想していたどれとも違った。


「見なかったことにしてください」

「えっ」

「理由は今は言えませんが、いずれ」


 オスカーの声はいつもより低く、少し緊張している気配がした。フローラの不安そうな表情を見たからか、オスカーは少し言葉を足した。


「庭園披露宴に一緒に行くような関係ではありません」

「は、はい。それなら、よかった? です」


(え、じゃあ、どういう関係なんだろう。余計にわからなくなった。恋人や結婚相手ってことじゃなさそうだけど、とても特別な感じがする……家族や友達ならこんな言い方しないだろうし……もしかしたらあの人、オスカーさんの好きな人なんじゃないかな。でも叶わない恋とか、好きになっちゃいけない人とか、そういう……)


 フローラはもう一度オスカーを見た。

 嘘は感じないが、これ以上聞くことを拒むような雰囲気があった。


(オスカーさんのこと、何でも信じるなんてほど、私はこの人のことを知ってるわけじゃない。でも、変に誤魔化そうともしなかった。だって今、妹だったと嘘でもそう答えれば私は簡単に信じたもの。だけど、そうじゃなかった)


 変わらない表情に、短い言葉。


(それなら全部、言葉通りに信じてみよう。”いずれ”と言うなら待ってみよう。少なくとも、私は”庭園披露宴に一緒に行く関係”なんだもの。もしも、猫の毛一本分くらいのもしもだけど、オスカーさんが本当は悪い人で私が騙されちゃってたっていうのなら、ライラにやけ酒おごってもらおうかな)


「歯切れが悪く、申し訳ありません」

「いえっ、あの、いずれとおっしゃっていただけるなら、はい、それで……」


 ちょっと微妙な間が空きそうになったその瞬間、


「はい、おまちどうさま! 二人分ね!」


 威勢のいい店主の声と同時に、ドンっと大きなボウルに入った料理がテーブルに置かれた。


 ホカホカと美味しそうな湯気を立てているのは、この食堂名物のレンズ豆とカブのシチュー。入っている肉は日替わりで、今日は獲れたての兎肉入りだと厨房から料理人が何度もオススメの声を飛ばしていた。


 それぞれの小さなシチュー皿に、オスカーがシチューをよそってくれる。何をしてもこの人の所作はきれいだな、とフローラはぼんやりとその手を見ていた。


「どうぞ」


 コトリと置かれたシチュー皿から、スプーンで一口すくって口に入れると、あたたかくて優しいミルクの風味と野菜の滋味、それに兎のぎゅっと詰まった肉汁の旨味が口いっぱいに広がった。


「おいしいっ」

「うまい」


 同時に言葉が重なり、思わず二人で顔を見合わせる。


 フローラが思わずふふっと笑ってしまうと、オスカーはホッとしたように表情を少し緩めた。その顔を見て、フローラはなんだか胸がぎゅっと締め付けられるような、切ないような、嬉しいような気持ちになった。


 フローラは、よし! と決めて、どうせならオスカーとの時間を楽しもうと思った。せっかく一緒にいられる時間を不安で潰してしまうなんてもったいない。


 そう吹っ切ると、フローラの胸のもやもやは幾分か軽くなった。解決はしなかったけど、聞かずにもやもやしたままよりはずっといいと思った。




 その後、フローラは緊張と浮かれる気持ちで自分ばかり話をしてしまったように思うのだが、オスカーはずっと興味深そうに話を聞いてくれた。店で会う時と同じく、落ち着いていて静かな人だった。


「私ばかり話しちゃってすみません」

「構いません。俺の方こそ話すのが苦手で。退屈じゃありませんか?」

「そんな! とっても楽しいです! というか、なんか花とか植物の話ばかりになっちゃって……」

「あなたの話を聞くのは楽しいですよ」


 そう言って、彼は少しだけ表情を緩める。ほんのたまに見せるこの顔が、フローラはとても好きだった。いつか、門の前で子供に手を振った時みたいに微笑まれたりしたら、きっと今度こそ自分の心臓は飛んで行ってしまうかもしれない。


「庭園披露宴の日、待ち合わせはうちの花屋でいいのでしたっけ?」

「ええ。朝一番にお伺いします」

「はい。お待ちしていますね」

「この前も言いましたが、俺は夕方からの警護に入るので、庭園披露宴にご一緒できるのは朝から昼過ぎまでです。一日ご一緒できなくて申し訳ない」

「いえいえ、それは前にも伺ってましたから構いませんよ。夜は妹夫婦と一緒に過ごす約束をしてますし。警護のお仕事も、お怪我のないように気をつけてくださいね」


 オスカーは出された料理をとてもきれいに食べる。やっぱり花屋でお代をいただく時と同じように、とても丁寧な仕草だと、フローラは度々見惚れてしまう。


「本来は警護にあたる人間が、庭園披露宴に参加するのはどうかと思うのですが」

「えっ、ダメなんですか」

「いえ、むしろ領主様からのご命令です。全員が一度に任を離れるわけにはいきませんが、順に参加するよう言われています」

「まあ、領主様が」

「主役のお二人がとても楽しみにされていますから」

「ふふ、ステキですね。それに、庭園披露宴のおかげで町がすごく活気付きました。私の店だってすごく繁盛してるでしょう。店をやってる知り合いは、みんな領主様様だって言ってます。領主様って結構抜け目ないって言うか、商売上手というか……あら、この言い方は不敬かしら。きっと、頭がいいお方なんでしょうね」


 オスカーは、ただ黙って頷いてくれる。

 この人に頷いてもらえると、なんだかすべてが肯定される気持ちになる。


「それに、王都からのお客様もとても多くて。あんまり大きな声で言うことでもないですが、正直、たくさんお金を使ってくださるのでありがたいんです。町がすごく潤っていて。王都から花嫁に来られる姫君も、この町を気に入ってくださるといいなって。みんな、首を長くして楽しみに待ってます」


 オスカーはまた少し表情を柔らかくして頷いて、フローラはうれしくなった。


 食事前のザワザワした気持ちはまだ残っている。でも、オスカーと過ごす時間はとても楽しかった。それに、自分の気持ちと頑張ってみようと思った心持ちが何だか大切に思えて、もうあまり不安ではなかった。


(私は、私の好きだって気持ちを大事にしたい。せっかくそう思えたんだもの。オスカーさんの気持ちはわからないけれど、私のこと好きになってもらえるように、頑張るくらいはしてみよう)


「庭園披露宴、楽しみですね」と言って、フローラは心からの笑顔を見せた。


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