6 温浴場でガールズトーク
週末の夜、仕事を終えたフローラは温浴場へ出かけた。
この町の温浴場は、魔法のガラスで水と空気を温めて作られている。これは現領主が数年前から始めた事業のひとつで、あっという間に大人気となった施設だ。使われているのは、辺境の領地では珍しい王都発祥の先端技術。王都へ視察に行った領主が、他領に先駆けて導入を始めたらしい。
以前は大量の木を燃やしてお湯を作っていて、時間もかかるし高価だし、温浴場は滅多に利用できない贅沢な施設で、貴族専用みたいになっていた。けれど、魔法のガラスは一度作動させれば安価で使えて扱いも容易く、今では領民の誰もが使えるくらいの料金で開放されている。
領主様の新しい物好きも役に立つものだなあと、領民たちは大いに歓迎した。
もちろんフローラも温浴場が大好きだ。大きな湯船に体を浸し、ゆったりと目を閉じた。一週間の疲れが、ゆっくりお湯に溶けていく。
湯船のあちこちから、小さなざわめきが聞こえてくる。
たくさんの人の噂話。間近に迫った領主様の結婚式と、庭園披露宴が話題の中心だ。領外から来ている人もかなり増えている。脱衣所には普段見かけない人も多くいたし、浴場もいつもより混んでいる。
褐色の肌のすらりとした女性は、海辺の民だろうか。市場にはサンゴ売りも多くきていた。金色の髪の女性は、王都から来たのだろうか。この町ではほとんど見ない髪色だけど、王都では多いらしい。見慣れない親子連れは商人の家族だろうか。
「フローラ」
声をかけられ目を開けると、仲良しの糸職人・ライラが来ていた。
「ライラ、仕事帰り?」
「うん、そして明日は休みだー」
いつものメガネを外し、湯気の中でニコニコ笑っている。
二人はぬるま湯に移り、のんびりおしゃべりを楽しむことにした。仕事の話に、次の劇場での演目の話、庭園披露宴の話。話題は尽きることがない。
フローラがオスカーを誘った時の話を聞いて、ライラはキャアキャアと興奮した。
「まさかフローラから誘うなんて、ほんっと意外だった。ねえ、もうお付き合いって感じなの?」
「そっ、そんなんじゃないよ。庭園披露宴に一緒に行くだけだから」
「でも何とも思わない人と行くなんて、そういう感じの人じゃないんでしょ。向こうも気があると思うけどー?」
ニヤニヤと笑いながら、ライラはからかうように尋ねてくる。
「分かんない……そうだったらいいな、とは思うけど」
「やだ、フローラ、その顔は反則じゃない? 恋する乙女すぎてかわいすぎる……」
一体自分はどんな顔をしてると言うんだろう。
自覚がない分、フローラは慣れないことに戸惑った。けど。
「ライラ、眼鏡してないけど、見えてるの?」
「いやー、眼鏡してなくてもこの距離なら一応見えてるからね」
そう言ってライラがぐいっと顔を近づけるので、フローラは笑ってしまった。
「はーあ、トキメキいいなあ。私は推しにトキメキもらってるからいいけどさ」
「あら、婚約者様のことはどうなの?」
「うっ、アレックスとはもう長く一緒にいすぎて……トキメキとかそう言うんじゃないっていうか……推しも公認だし……」
「庭園披露宴は一緒に行くんでしょ」
「そりゃあね」
「ドレス、気合い入れてたじゃない」
「ううっ、私のことはいいのよぅ……」
口ではこんなことを言っていても、ライラが婚約者一筋なのはよく知っている。婚約相手のアレックスとも友人だ。優しく穏やかなアレックスは、ライラのことを大事にしているとすぐにわかる。とてもステキな似合いの二人だ。そんなライラがどうして俳優推しになったのかは、ちょっと謎のままだけど。
モジモジしているライラは、以前の引っ込み思案なところをまだ残しているようでフローラは懐かしくなった。
外から人が入ってきて、一瞬湯気がサッと晴れた。浴場にはフローラたち以外にものんびりしている人が数人腰掛けている。思い思いにおしゃべりしたり、まどろんでいたり、ガラス玉を使った遊戯を楽しんでいたり。湯気の奥には、チラリと金色の髪の人も見えた。
「今日、人多いねえ」とライラがつぶやく。
「王都からの従者たちが、もう町に前乗り始めてるんだって。うちにも宿から飾り花の注文が結構入ってきてる」
「商売繁盛でいいじゃない。まあ、おかげさまでこっちの糸工房も増産に次ぐ増産、ハッピー残業祭りってわけだけど」
ライラはそう言って肩をすくめた。ライラは腕のいい糸職人だけど、推しの舞台を見るために基本残業をしない方針を掲げている。そんなライラでさえ、このところは残業を逃れられないとぼやいていた。
「ま、お給金が増えるのはありがたいね。劇場でまたお土産も買えるし」
「そうだライラ、南広場に臨時の市ができてるの行った?」
「行った行った! 珍しいものいっぱいあったし、新しいアクセサリーも欲しいのたくさんあったなあ」
「私も見てきた。南国の花もあったし、北方の香り花の種も仕入れられたんだ。まだ全部見切れなくて、明日もう一度行くつもり」
そうだ。市場に来ていた陶器商人から、王都では苔を使った鉢植えが流行りだと話を聞いた。もしかしたら、実物が出品されているかもしれない。明日は朝一番から行ってみよう。
「うわあ、それ仕事じゃん。そこは、髪飾りとか見るんじゃないの? てか、見ようよ?」
「もちろん見たわよ。なんとウルシのかんざしもあったのよ。ウルシって東方の国だけに生える樹木なんだけど樹液をね……」
「やっぱ、植物の話だったか……」
「でもすっごく高かったから、買えなかった」
あはは、と二人で笑い合う。
一息ついたところで、ライラがふと漏らす。
「人が多いのは活気があっていいけどさ、知らない人がたくさん増えるとちょっと怖いよね」
えっ、と言う顔を向けるとライラはあわてて言い足した。
「あ、別に今来てる人たちが何ってわけじゃないんだけど。でも、なんて言うのかな。この城下町って、小さいながらも平和じゃない? 小さいからこそっていうか。発展するのはいいことなんだろうけど、私はちょっと不安だな。あんまり急に変わると、ついていけるかなって。私は、今の町が好きだからさ」
ライラの言うことは、わかる気がした。
知らない人が増えて、少し居心地の変わった町。
新しい仕事が舞い込んで、慌ただしい日々。
このまま何も変わらずに、気心知れた人たちと同じような日々を過ごしたいとも思うけど。
たくさんの知らない人たち。その中にいた、好きになった人。
「うん、そうだね」
と、フローラは返事をする。そして明るい口調で言い添えた。
「でも、ライラだって昔と比べれば、ずいぶん変わったじゃない。だけど、全部が違うわけじゃないし。昔も今も、私はライラが好きよ。そういう風になったらいいなと思うわ」
ライラが顔を赤くしたのは、のぼせたせいだと言い張ったので、フローラは追求しなかった。
「そろそろあがろっか」
「うん」
湯上がりに冷たい果実酒を買い、温浴場前でライラと別れる。
夜でも町は明るく、人の往来はまだ多い。ランプ草から抽出したオイルを使った街灯が、あちこちに設置されている。これも最近増えてきた設備だ。領主の結婚を機に、町の姿はまた少しずつ変わっている。
フローラは温浴場前の広場のベンチに腰かけて、道ゆく人を眺めながら果実酒をゆっくり飲んだ。お風呂上がりには、決まってここでのんびりするのがフローラの楽しみの一つだ。
次の水曜は、オスカーとの食事の日。何を着て行こうかな、なんてフローラはウキウキと考えていた。
だから、ふと目に入った灰色フードの人がオスカーだってすぐに気づいてしまった。
同じ灰色のフードを被った女性に寄り添うようにして歩いているオスカーを、すぐに見つけてしまったのだ。