5 いいんですか!?
「あの、すみません、さっき外でお待ちいただいてましたよね」
「構いません。花を選んでいましたから。いらしていたのは妹さんでしたか」
(あっ、これは会話になりそう……!)
フローラはもうそれだけで満足してしまいそうになる。だけど、今日は言わなきゃいけないことがある。そうだ、このまま庭園披露宴の話につなげよう。
「ええ。庭園披露宴のドレスの試着を手伝ってくれていて」
「ご主人も行かれるのですか」
(え……ゴシュジン? ご主人?? 私の……???)
フローラの頭にはてなマークが浮かぶ。
普段ならなんてことのない会話なのに、緊張しているフローラは咄嗟に頭が回らない。
「あの、私、結婚はしておりませんが……」
「失礼。店のご主人という意味で。あなたのことです」
「あっ、そういう意味……勘違いしちゃってすみません。あまり言われ慣れないものですから……」
「町の花屋へもかなりの注文が入ってると聞きました。当日の仕事もあるのかと」
「ええ、ありがたいことにお仕事もいただいています。でも、ウチは準備の方だけなので。当日は参加させていただきます」
「そうですか」
灰色さんの声は、本当に落ち着いて耳に心地いい。決して愛想がいいわけではないけれど、安定した声をずっと聞いていたくなる。やっぱりもっと話したい。
「今日、珍しいですね。いつも水曜日にいらっしゃるから、少し驚きました」
「婚礼警護の準備がありまして。今週は水曜の門衛に立たないのです」
「そうでしたか」
(水曜日来ないんだ……残念)
と、これは声には出さなかった。
(あれ、じゃあ、もしかして灰色さんをお誘いするには今日がラストチャンス……ってこと?)
会話が途切れる。
ちょっと唐突な気もするが、お誘いするタイミングは今しかないような気がした。というか、灰色さんを誘うのは本当に今日しかない。
そう気付くと一気に緊張してきた。
(なるべくサラッと誘ってみよう。ダメでも、気まずくならないようにしなきゃ。何でもないように、軽く言おう。あっ、でも先に決まった相手がいるかどうか聞いた方がいいんだっけ。いや、そんな重い感じじゃない方がいい? いやいや、でもやっぱり聞かなきゃ相手に失礼だ。とりあえず、庭園披露宴には参加されるんですか?、って聞けばいいよね。さっき私も聞かれたから、おかしくないよね。それで、どなたかとご一緒に? って、普通に聞く! これはいつもの世間話、世間話。よし!)
フローラは作業の手を止めて、思い切って顔を上げる。
だけど、目の前の灰色さんを見てしまうと、考えていたことは全部飛んでしまった。
「あのっ、庭園披露宴、私と一緒に行っていただけませんか」
言ってしまってから、フローラは自分の言った言葉に心臓が飛び出るかと思った。
顔がブワッと赤くなる。
もっと会話をしてから遠回しな言い方で、軽い感じで、なんて全然無理だった。いざとなると頭が真っ白になってしまい、思わず一番直接的な言い方をしてしまった。
どうしよう、と思わず俯きかけたとき。
灰色さんは即答に近い早さで、「いいですよ」といつもと同じ調子の声で返事をくれた。
「いっ、いいんですか!?」
「はい」
「ええと、あの、今更ですけど、他に約束された方とかいらっしゃらないですか? 大丈夫ですか?? 奥様とか、恋人とか……ほんと、聞く順番めちゃくちゃですみません……すごく緊張しちゃって」
「いたら承諾しません」
灰色さんはフードを降ろし、フローラと目を合わせた。
いつも遠くで見ている、門衛に立つ時と同じ無愛想な表情。少し長めの黒い髪は、かぶっていたフードのせいか、少しくしゃっと乱れている。
「オスカーと言います。あなたのお名前もお伺いしてよろしいですか?」
「フローラ、です」
「フローラさん。当日は夕方から警護の仕事がありますので、昼過ぎまでしかご一緒できません。それでも構いませんか?」
「は、はい。大丈夫です」
「では、ご一緒しましょう。朝、迎えにきます」
あたふたしているフローラとは対照的に、オスカーの表情はいつもと全く変わらない。
「あ、ありがとうございますっ」
「いえ、お代を」
フローラが言ったお礼は花屋としてのお礼じゃなかったけれど、オスカーは花束の代金を払おうと硬貨を入れた革袋を取り出している。というか、なんのお礼を言ったのか、自分でもよくわからなくなった。
「あっ、は、はい。あ、ちょっと待ってください、まだ仕上がってなくて」
「急かしたようですみません。ゆっくりで構いませんよ」
さっきの緊張が今になって再びどっと押し寄せてきた。今度こそ手が震えてしまって、うまく花を束ねられない。早くしなきゃと焦るほどに、手の震えは止まらなかった。
(どうしよう。もう子供でもないのに、こんなに動揺しちゃって恥ずかしい)
そっとオスカーを伺ってみると、カウンターから離れて店内の花を見て回っている。見られているわけじゃないとわかって、フローラは少し落ち着きを取り戻した。手の震えも徐々に収まっていき、フローラはようやく花束を完成させた。
「お待たせしました」
金額を告げると、オスカーは革袋から硬貨を取り出した。
いつもの丁寧な仕草。カチリとカウンターに銅貨を置く音が店内に小さく響く。
色とりどりのガーベラをまとめた大きな花束を手にすると、オスカーはフローラを真っすぐに見た。
「来週の水曜はいつもと同じに来ます。よければその後、食事に行きませんか?」
(えっ、えっ、ほんとに? うわ、どうしよう)
「はいっ」
うれしさのあまり思わず元気よく返事をしてしまって、フローラはまた顔を赤くした。なんでこんなにスマートにできないんだろう……。オスカーはそんなフローラを見て、ほんの少し表情を緩めた。
(わ、この顔、すごく好き……)
フローラがぼうっと見惚れていると、オスカーは手にした花束を差し出した。
「順序が逆ですみません。花を、贈らせていただけますか?」
「えっ、私にですか?」
「花屋のあなたに贈るのは変でしょうか」
「いいえっ、とてもうれしいです……ありがとうございます」
フローラは、大きな花束を受け取った。色とりどりのガーベラは鮮やかで美しく、見ているだけで楽しくなる。顔を近づけるとほのかに香る花の香り、ひんやりとした花弁の感触。うっかりすると泣きそうだ。
(花をもらうのって、こんなにうれしいことなんだ。どうしよう、ありがとうじゃお礼を言い足りない。すごくうれしい……あっ、でも、これじゃオスカーさんが持って帰る花がなくなってしまう)
そうだ、と思いついてフローラはオスカーに尋ねた。
「このガーベラの花束、オスカーさんも気に入っていただけましたか?」
「俺が、ですか?」
「ええ」
「もちろんです」
「じゃあ、私からも同じ花束を贈らせてください」
「いや、そんなつもりでは」
「なんというか、その、私の我儘だと思ってください。今日、あなたの部屋に飾る花がないのはさみしくて……」
それに、帰ってからも私のことを思い出してほしい。だから同じ花を渡したい。
さすがにそこまでは言えなかったけど、フローラはそう願った。
「それは確かにそうですね」
オスカーはそう言って、また少し表情を緩める。
(ああ、これはもう、さすがにわかる。私は恋をしてしまったんだ)
フローラは目をパチパチと瞬かせながら、少しでも長く一緒にいられるように、ゆっくりと花束を作った。