4 ウチの姉は、恋愛についてとてもポンコツ
季節は変わり、冬の終わり頃から城下は浮き足立っていた。昨年婚約された領主様の結婚式が近づいてきたからだ。それに領民全員に城の庭園で行われる披露宴の招待状が届いたものだから、人々の浮かれようは相当なものだった。
小さな領地だからこそできる催しだったが、それでも市井の人々にとって、庭園とは言え城内に入ることなど一生に一度あるかどうか。一世一代の晴れの場だと、人々は衣装を奮発して着飾ろうと意気込んだ。
城下の衣装屋も宝石商も大繁盛。領外からも多くの商人が集まってきた。宿屋も食堂も人であふれ、町は一気に賑やかになっていく。
特に力の入っているのが若者たちだ。これを機会にと、恋人を探す男女でさらに町は盛り上がる。指定されていたわけではないが、何しろ幸せな結婚披露宴だ。自然と男女ペアで参加するのが当然のような雰囲気になっていった。
「大きな花束を、お願いしますっ!」
「彼女の瞳と同じライムイエローに合わせた花束を」
「素朴な感じで」
「豪華に! 贅沢に!」
「薔薇100本の花束をっ!!」
花屋も連日大賑わい。元々、結婚式や披露宴の飾り付けにと城からかなりの注文が入っていて、町の花屋は手分けして仕入れの準備に取りかかっている。それに加えて、大勢の若い男女がパートナー探しを始めたものだから、エスコートの申し込みをするために花束を買いに来る男たちでひっきりなしだ。
普段の倍以上の売上が続く毎日に、フローラは目を丸くした。こうとわかって領民を招いた庭園披露宴を開くというならば、今の領主様の目論見は大したものだと感心した。
花屋にやってくる男たちは、手に手にとびきりの花束を抱え、意中の娘の元へ向かっていく。友人たちは誰それの誘いを受けたとか、まだ行く相手が見つからないとか、楽しそうに大忙しだ。恋人のいないフローラも、そろそろエスコートの相手を見つけなければならないのだが、まだ相手は決まっていなかった。
*
いよいよ庭園披露宴まであと一ヶ月。
城下町は春本番のうららかな陽気で、明るい日差しに満ちていた。
店を離れられないフローラのために、妹のキャシーがドレスの見本を持って試着を手伝いに来てくれた。来店客の波が途切れたタイミングを見計らい、”昼休み”の看板をかけて急いで試着する。
キャシーと二人で、ああだこうだと賑やかに試着を終え、ドレスも靴も問題ないとホッと一息つく。そしてフローラのエスコート相手がまだ決まってないと知って、キャシーは愕然とした。ちなみにキャシー自身は去年結婚したばかり。もちろん、夫と一緒に行くことになっている。
「お姉ちゃん、さすがにまずいよ……」
「だよねえ、仕事が忙しくて」
フローラは看板を”営業中”に戻しながら、苦笑した。
仕事が忙しいのは本当だが、言い訳にしてることも自分ではわかっている。なにしろ、ありがたいことにエスコートの誘いは何人かから受けたのだ。けれどもその度に、相手が灰色さんだったらな、とつい思ってしまう。そんな気持ちで他の人と行くのは失礼だろうと、断っていたのだ。
灰色さんを誘ってみよう、それでダメなら諦めよう。気持ちを切り替えて、他の人と行けばいい。
と思いつつ、いざ言うとなると断られるのが怖かった。気まずくなって店に来てくれなくなったらどうしようと思うと、いっそ言わない方がいいような気もしてしまう。
第一、もう半年以上も毎週通ってくれている超常連のお客様なのに、相変わらず灰色さんのことは、門衛であるということ以外なにも知らなかった。花を買う以外の話をしたことがない。
だけど相変わらず、灰色さんはフローラにとって特別な人だった。でも、これが恋かと言われれば、そういう名前をつけていいのか、フローラは未だにわからないままだった。
(あんなにステキな人だもの、相手がいない方が不思議なくらい。毎週買っている花だって、その人のためのものかもしれないし。そんな人を誘うなんて、失礼なんじゃないだろうか。まずはそれを確認しなきゃだけど、「結婚してるんですか、恋人はいるんですか」なんて聞けるような気がしない。でも、それすら知らずに誘うなんてやっぱりダメだろうし……)
モゾモゾと口ごもる姉を見て、キャシーは呆れてため息をついた。
恋人なんてすぐにでも見つかりそうな美人で人懐っこい笑顔を見せる姉は、昔っから植物や花屋の仕事ばかりに夢中だった。人当たりは抜群に良いくせに、恋愛ごとに縁遠いことも十分よく知っている。
「相手の人、本当にいないの?」
「えっと……気になってる人がいて……」
「それならその人と行けばいいじゃない。ここのお客さん?」
「……うん」
「なんて人?」
「実は……名前も知らなくて」
「えっ、何やってるの、お姉ちゃん……」
いい年をして名前も知らない人が気になるなんて、どこの恋する乙女かとフローラは自分でもそう思う。キャシーも同じことを思っているのがありありとわかる。面目ないとしょげる姉を見て、キャシーはまたため息をついた。
「珍しく自分からそんなこと言うと思ったら。まあ、応援はするけど。もういい年なんだからしっかりしてよね」
「うーん、領主様みたいに政略結婚とかで相手が決まってたら気が楽だったかなあ」
「いやいや、庶民代表みたいな家で何言ってるのよ。それに、王都からいらっしゃる花嫁のお姫様だって、自らうちの領主様に求婚したって話だから」
「えっ、それはすごいね」
「お姉ちゃんも、頑張りなよ」
「……う、ん」
カラン、と店の入り口の鐘が鳴る。
お客さんかな、とフローラは入り口を見たが、鐘を鳴らした人影は店の軒先に戻ったようだ。狭い店内だ。キャシーが店の中にいるのを見て、先客があると遠慮して外で待っているのかもしれない。キャシーもそのことに気付いて、この後の段取りを軽く確認すると急いで帰り支度をし、店を出ていきながら振り返って念押しのように言った。
「じゃあ、今日はこれで帰るから。でもお姉ちゃん、来週になってもまだ行く相手が決まってなかったら、私が紹介するからね! 絶対だからね!」
わかった、わかったと手を振って見送ると、入れ替わって店に入ってきたのは灰色さんだった。
フローラはあわてて「いらっしゃいませ」と言うと、あわてたことがバレないようにサッと後ろを向いて、棚にあるリボンを片付けるフリをした。
(あれっ、今日月曜だよね? しかも昼間なのに、どうして灰色さんが??)
それに、さっきの会話を聞かれたかも、と少しきまりが悪い。そうっと灰色さんを伺うと、何事もなかったように花を見ていた。
灰色さんはいつものようにパッと華やぐ色の花を選んでいる。仕入れたばかりの一重咲きのガーベラ。シンプルだけど、赤、黄、オレンジ、白、ピンクと色とりどりで、見ているだけで心がウキウキしてくる花たちだ。選んだ花を手にすると、灰色さんはそのまま真っ直ぐカウンターへやってきた。
「これを」と告げて、カラフルなガーベラの束を差し出す。いつもより多く花を選んできている。
「アレンジ、しますか?」
フローラが聞くと、いつもと同じように頷かれる。これは大きめの花束になりそうだな、とフローラはアレンジを始めた。星を散らすようにカスミソウを足して、ガーベラの鮮やかな色を引き立てていく。
手を動かしながら頭の中では、さっきキャシーに言われたことがぐるぐると巡ってくる。
(今日こそ、お誘いしなければ……でも、なんて切り出せばいいだろう。ともかく、何か話をしなければ……よ、よし!)
フローラは勇気を振り絞り、でも何気ない風を装って、灰色さんに話しかけた。
花束を作る手が少し震えてしまいそうだ。