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3 こんばんは、ジル奥様

 外はもう夕暮れも終わりかけの色。店の中は一息ついて、スッと空気が落ち着いていく。入れ替わるように、上品な老婆が一人、カランと鐘を鳴らして店に入ってきた。


「こんばんは、ジル奥様」

「こんばんは、フローラ。季節の花をいくつか頼むわね。いつもと同じ金額でお願い」

「かしこまりました」


 フローラが「どうぞ」と椅子をすすめると、ジル奥様はゆったりと腰掛けた。


「コスモスがちょうどいい季節になってきましたよ。珍しいアプリコットピンクのコスモスも入ったんです。ほら、少し淡くて落ち着いた色でしょう。他の色のコスモスと組み合わせれば、お好きな雰囲気にできますよ」


 何本かコスモスの花を手に取り、色を合わせるために手元で見せる。ジル奥様はじっくり眺めて頷いた。


「いいわね。柔らかい雰囲気に仕上げてちょうだい」

「わかりました。お任せください」


 ジル奥様は、昨年ご主人を亡くされて一人暮らし。いつも自分のために、可愛い花を買っていく。ご主人がいた頃は、随分苦労も多かったと聞くが、今は落ち着いた暮らしに身を置いているようだ。「今までしたくてできなかったことを、一つずつやるの。遅い時間に買い物するのもその一つよ」そんなことをジル奥様は、まるで少女のようにイタズラっぽく笑って言っていた。


「冬になる前にね、玄関の鉢植えを作りたいの」

「いいですね。ご一緒に作りましょうか」

「そうしていただけるかしら」

「使いたい鉢はありますか?」

「いいえ、特にこれといったものはないわね」

「じゃあ、来週までにいくつか候補を用意しておきます。鉢を選ぶのも楽しいんですよ。ご予算お伺いしておきますね」


 東通りの陶器屋に、相談しに行こう。鉢の配達もしてくれるから、ジル奥様のところへ納品するときにも依頼すればちょうどいい。花はこれからの寒さにも強いクリサンセマムはどうかしら。白をメインに、ピンクも合わせて植えればきっと可愛い。奥様の雰囲気にもぴったりだ。もっと色んな花を足してみてもいい。鉢植えは自分の世界を作り上げていくみたいでとても楽しいから、きっとジル奥様も気に入るはずだ。

 

「あらまあ、もう外はこんなに暗いのね」

「秋の日はフォル湖の琥珀落とし、ですから」

「ふふ、お若いのに古い言い回しをご存じだこと」

「お帰りの灯りをお貸ししますよ」


 店にはいくつかランプ草を備えている。夜になるとオレンジ色の灯りを灯してくれる、暮らしに欠かせない便利な花だ。植物ではあるものの専門のランプ草屋との取り決めがあり、花屋では基本的に販売はしていない。けれど、遅くにきたお客様が夜道でも安心して帰れるように、といつも数本は用意している。雨の日に傘を貸すようなものだ。


「ありがとう。でも、ほらこれ、見てくださらない?」


 そう言ってジル奥様は、懐から手のひらサイズの円柱状の筒を取り出した。小さなボタンをかちりと押すと、ポワッと暖かなオレンジの光が広がる。ランプ草と同じやさしい色合いだ。


「わあっ、新しくできた懐中ランプ! 実物初めて見ました。鉱石からできてるって聞いてましたけど、光はランプ草とそっくりですね」

「ええ、ランプ草から抽出したオイルも使っているんですって」

「どおりで光がやさしい色をしてますね」

「ええ、それにとっても便利よ。ステキなものが増えるから、長生きはしてみるものね」

「領主様が新しい技術や商いを奨励されていますから」

「いいことね」


 ジル奥様は慣れた手つきで懐中ランプを腰に結びつける。年を取っても新しいものを気負うことなく手の中に収められる軽やかさを、フローラはステキだなと思った。


「そうそう、来年は領主様の結婚式もあるのよねえ。お生まれになったのがついこの間のことみたい」

「王族の姫君をお迎えになるそうで、驚きました」

「ええ、本当にこんな辺境の町にねえ。国王陛下の姪御さんだなんて、一体どんなお話でそうなったのかしら」


 ひとしきり世間話をすると、ジル奥様は出来上がったコスモスの花束を満足そうに抱え、オレンジの灯りを携えて、夕闇の町を帰っていった。



 そろそろ閉店の時間。


 営業中は開けっぱなしにしている店の扉を閉め、片付けを終えると住居にしている二階へ上がる。今日の売上もまずまずだ。


 軽い夕食を取り、食後に温かい薬草茶を入れる。雑貨商が見本にとくれた茶葉は、すっきりした甘い香りで飲みやすい。リラックス効果があると言っていた。試しに少し仕入れてみようかな。花とセットで売ってみてもいい。この茶葉の花は黄色と白のかわいい花だから、ちょっとしたプレゼントにもよさそうだ。


 お茶を飲みながら、苗屋からもらった商品帳をパラパラめくっていく。魔法のインクで描かれた草花は、紙の上で種から花が咲くまでを早送りのように何度も見せてくれる。いくらでも眺めていられそうだ。


 明日の午前中は、仕入れ先の花農家をいくつか回ってこよう。新しい品種がそろそろ咲くと言っていたはず。


 壁にかけたカレンダーを見ると、来週の列に赤い丸。そうだ、花屋の会合があるんだった。来年の春に領主様の結婚式がある。そこでの飾り花の注文をどう分担するか、花農家も含めてそろそろ話し合うのだろう。


 花屋にもギルドのような集まりがある。だけどこの町の花屋は、フローラの店を入れてもたった三軒だ。ギルドなんて大層なものではなく、一緒に仕事をしている気心の知れた仲間のようなものだった。老舗の大店が一軒あり、大口の仕事などはそこが差配をしてくれている。


 仕事は忙しいが、とても楽しい。人と話をするのも好きだが、こうやって一人で過ごす時間もフローラは好きだった。そうでなければ、一人で店をやろうなどと思わない。どちらも自分にとっては大事な時間だ。


 フローラは明日に備えて早めに寝ることにした。家の外では、まだ人の声がする。少し遠くの居酒屋の賑わいが、風に乗って聞こえてくる。こんな時フローラは、自分が町の一部になったみたいで、とても満たされた。今日は灰色さんにも会えたし、満足な一日だ。



 夜は秋風が冷たくなってきた。

 あと少しすれば、冬の気配が強くなるだろう。


 明日は、新しい花を見に行って。

 夜には、ライラと温浴場。

 週末には、ザスティックの大草原。

 冬になる前には、ジル奥様と鉢植え作り。

 次の春には、領主様の結婚式。


 水曜日には、灰色さん。


 小さいけれど楽しみな日々が続いている。

 

 フローラの毎日は、そんな風に穏やかに過ぎていく。


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