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昼頃に着く予定が、母さんに見つかって夕方になったけど。
部屋に響の姿は、当然なくて。
小さな旅行バック2つを傍らに、ひとまずソファに腰を下ろすと。
ほっと胸を撫で下ろしたと同時、罪悪感に襲われる。
こんな事したら、余計心配かけるってわかってる。
秀人が私をあちこち連れ出すのも、元気付ける為だってわかってるけど。
楽しい場所や明るい場所は……
夏の太陽みたいに眩しい世界は……
それを失った私とは違いすぎて、苦しくてやるせなくなる。
そして辛くて涙した時はいつだって、大丈夫だから!と肩を抱いて慰めてくれたけど……
それじゃあ大丈夫になるしかなくて。
でもほんとは全然大丈夫なんかじゃない。
私はまだ悲しくてたまらないのっ。
ずっとずっと苦しくて……
もう無理なの!
なのに……
頑張れ立ち直れとうるさい親。
無理やり元気付けようとする秀人。
何事もなかったように無神経な成美。
そして腫れ物に触るような周りの人達。
全部がもううんざりだった。
じゃあどう接すればいいのかと訊かれれば、私にもわからないけど。
とにかく、彼のいない世界からだけじゃなく。
私を取り囲む、そんな世界からも逃げたかった。
たとえ逃げられなくても、せめてその関わりをシャットダウン出来る場所が欲しかった。
だけど、いざこういった形で逃げ出してしまうと……
今度は罪悪感に苛まれる。
やり切れない気持ちを吐き出したくて、ツイッターを開いたけど……
〈私なにやってるんだろう
でももうどうすればいいのかわからない〉
そう打ち込んで、途方に暮れた。
本当は、生きてさえいたくないのに……
バチッと、ふいに辺りが照らされる。
「ただいま。
玄関で声かけたんだけど、気づかなかった?」
声の先には響の姿。
「あっ、うん、おかえり……」
もうそんな時間かと。
手元の携帯を忘れて、時計を求め視線を巡らす。
「……まだ19時半だよ?
この後予約がなかったから、今日だけ早上がりさせてもらったんだ」
「そう……ありがとう」
外はすっかり暗くて。
久しぶりに2時間以上も放心してた状況に、内心驚く。
「何してたの?考え事?」
カーテンを閉めながら、優しい声で尋ねる響。
「っ、ツイッター」
放心状態を誤魔化したくて、ハッと手元の状態が口に出る。
「ツイッター?
ヘぇ~、憧子さんツイッターしてるんだ?
おもしろい?俺もやってみようかな~」
だから面白くも楽しくもないんだってば!
「それより、家賃っていくら?」
「もしかして払おうとしてる?
だったら気にしなくていいよ」
「私が嫌なの。いくら?」
「そこは俺を立ててよ。
確かに美容師って安月給だし、そのうえ俺は年下だけど、逆に惨めっていうか?
いくら身代わりでも、憧子さんは彼女なんだし……
あっ、憧子さん車は?」と。
結局、お金は駐車場代に充てて欲しいと押し切られ。
代わりに炊事と洗濯を分担する事になった。
「掃除はいいの?」
この綺麗な部屋を保つのは大変そうだけど。
「うん、俺がする。
美意識を高めるために、普段から綺麗にするクセ付けときたいから」
「……仕事熱心ね」
「まぁ、カリスマ美容師だし?」
「え、そーなの?」
「うん、うちのグループの中で」
「……そう」
「ふはっ!
突っ込まれないと逆に切ないねっ」
柔らかく吹き出すその笑顔は、やっぱり少し翳ってて……
どこか落ち着く。
「そうだ、憧子さんの髪もやってあげるよ?
ちょっと手を加えただけで見違えるよ?」
「伸び放題ってはっきり言えば?」
「うん、長いよねっ。
でも長いのすごく似合ってる」
短いのを見てないくせに、何基準で似合ってるんだろう……
「あっ、カタログあるからどんな感じがいいか決めててよ」
「別にいい。
髪とかどーでもいいし」
僅かな沈黙が流れて、熱心な美容師に対して失礼だったとハッとする。
「……ごめん」
「え、なんで?
まぁ気が向いたらいつでも言ってよ。
俺、やる気マンマンだからさ」
それに頷いたものの、たぶん気が向く事はないだろう。
切る時はその辺の大衆カットで構わない。
「ねぇ夕食どうする?
今日から作った方がいい?」
「や、俺料理しないから冷蔵庫なにも入ってなくて。
今から買いに行ってもいいけど、今日は荷物整理とかもするよね?」と。
夕食は市販弁当になった。
まぁ荷物整理といっても、少なくて。
響には驚かれたけど、服とかもどうでもよかった。
そして就寝時。
「ベッド使ってよ」
ソファで横になってた私は、そう交替を促されて。
首を横に振った。
居候の身で響をソファに寝かせるわけにはいかなかったし。
即効性の眠剤を飲んでたから、動くのも面倒だった。
「じゃあ、一応彼女なんだし。
一緒に寝よう?」
するとそう抱きかかえられて。
うつらうつらとする意識の中で、その体温に包まれて瞼を閉じた。
2日後。
「あの、北原さんっ」
出勤するなり、同じ作業フロアの女子社員に声掛けられる。
「昨日の帰りねっ?
作業着を着たカッコイイ人から、北原さんが出勤してたか聞かれて……
してたって答えちゃったんだけど、大丈夫だった?」
ああ、きっと秀人だ。
「大丈夫です。すいません」
職場にまで来るなんて……
そこでふと、電話を切る時に言った言葉が思い浮かぶ。
ー「もうその(守ってもらう)必要はないから。
じゃあね、秀人」ー
もしかすると、それをさよならの言葉に捉えて。
私がとうとう、リアルに殉愛の道を選ぶとでも思ったのだろうか。
だとしたら、どれだけ心配しただろう……
胸がぎゅっと苛まれる。
その夜、秀人への罪悪感を引きずってると。
「なんかあった?」
響に優しく声かけられる。
気付いてくれたんだ……
だけど首を横に振ると。
ぽんぽんと頭を撫でられて、何も言わずに隣で寄り添ってくれた。
なんだか、そんな響の傍は少し落ち着く……
それから幾日か過ぎて。
今日の夕食は何にしよう?
仕事帰り、スーパーで佇む。
ずっと実家暮らしで、あまり料理を作る機会もなく、作れるものは限られてる。
響には炊事を任された時にそう説明したけど、ルー系中心で構わないし適当でいいと言われた。
とはいえ、ずっとそんな訳にはいかなくて……
ふと、母さんの事を思い出した。
私が安定剤を断薬して、その副作用で食べれなかった頃。
毎日毎日、手を替え品を替え。
今日こそはと、ひと口でもと、いつも必死に作ってくれてた。
今となれば……
毎日食事を作るのも、考えるのも、簡単な事じゃない。
それでも響は、大した事ない料理を喜んで食べてくれるけど。
その頃の私はあまり食べれずに、たとえ食べても戻す事が多かった。
そんな日々がどれくらい続いただろう……
どんな思いをしてただろう……
それは罪悪感をいっそう煽って、私の逃げ場を追い責めた。
夕食を終えて、ぼうっと視界に入れてたドラマでは……
育児ノイローゼで子供を捨てた母親が、それを責められてるシーンがあった。
「この母親は最低なのかな……」
隣の響に、独り言のように問いかけた。
「……どうだろね。
いろんなケースがあると思うけど」
その応えにほっとして、続きが零れる。
「もしこの母親が、育児ノイローゼのせいで子供を虐待死させてしまったら……
きっと周りは、そうなるくらいなら育児から逃げてくれた方がマシだったと思うかもしれないのに。
最悪な結果を避けて、いざ逃げたらきっと……
こんなふうに最低な母親だと罵られる。
確かに、他に手段なんていくらでもあるんだろうけど。
それを見つけられない人は、どうすればいいのかなっ……」
思わず気持ちが高ぶって、それを必死に堰き止める。
「……そうだね。
どうすれば、いんだろうね……」
そこで、しんみりさせてしまった空気にハッとして。
「っ私、シャワー浴びてくるね」
切り替えるようにその場をかわした。
だけど洗面所に入ろうとした矢先。
「あ、憧子さんっ。
シャンプー俺にさせて?」
「……は?」
「ちょっと試したいシャンプーがあってさ。
モニタリングさせてよ」
「どうやってする気?」
すると、ベッド下から引きずり出された……
「じゃんっ。
折りたたみリクライニングチェア」
「用意周到……」
「うん。アシスタントの頃はプライベートも練習づくしだったから」
「……ほんとに、仕事熱心ね」
ふと昔の自分を思い出して、悲しくなった。
「憧子さん?
……用意出来たよっ」
「あ……」
断るタイミングを逃してしまった。
まぁいいか、仕事熱心な事には協力したい。
私はもう、頑張れないから……