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それから私たちは、タクシーで響の家に向かった。
「近いのね」
「そう、だからあの店に通ってる」
「歩いて帰ればよかったのに」
「うんでも、憧子さん寒そうだったから」
憧子さん……
タクシー内の会話で、響が23歳だと知った。
そして私が3つ上だと知ったその男は、名前をさん付けで呼ぶ。
◇
「狭いけど、どうぞっ」
「嫌味?」
「え、なんでっ?」
狭いから私が居座るスペースないよ?って言われてるようで……
けどそうじゃなく、ほんとに狭い1DK。
でもかなりハイセンスで、綺麗に片付けられていた。
ふと、人影を感じて視線を向けると。
「生首……
どんな趣味?」
「あぁそれ、仕事用。
急に閃いた時とかに便利で。
それより怖くなかった?
そのマネキン見て驚かなかったの、憧子さんが初めてだよっ」
怖くなんかない。
怖いという恐怖心は、生への執着から生まれる感情だから。
「仕事用って、美容師?」
「うん、これ名刺」
会話の流れから渡すつもりだったようで、すぐにそれを差し出された。
どおりでそんな髪……
響の髪色は、ワインレッドブラウン。
髪型もオシャレだし、その色もすごく綺麗だけど。
普通の会社勤めじゃ難しい。
「缶ビールでいい?」
その声かけに頷いて、差し出されたそれを受け取ると……
誘導されたソファに、肩を並べて座った。
「それで憧子さんは?何してる人?」
「工場でライン作業してる」
「え、意外。
なんか華やかな仕事してるかと思った」
「地味ってはっきり言えば?」
「まぁ地味だけど、そーゆう仕事が出来るのってすごいよね」
「は?」
「だって単調な作業をひたすら繰り返すんでしょ?
集中力とか忍耐力がなきゃ出来ないよ」
誰にでも出来る仕事だと馬鹿にされた事はあっても、そんなふうに言われたのは初めてだった。
まぁ美容師って仕事がら、相手を褒める話術には長けてるんだろう。
そんな事を思いながら、ビールを何口か喉に流し込んでると……
ふと、見つめられてる事に気付く。
「何?」
「やっ、綺麗だなって」
「それはそっちでしょ」
改めて見ると、響は本当に……
完璧すぎるほど整った正統派な美形。
口元はセクシーだけど、その瞳は力強くて男っぽさも兼ね備えてる。
「え、俺っ?
それはどーも」
照れくさそうに苦笑う。
「あ、そうだ。
さっそく今日からここで暮らす?」
「ううん、いったん帰って必要な荷物まとめて……
明日の昼くらいにまた来るから」
「明日の昼?
じゃあ合鍵渡しとく。
俺、仕事だからさ」
そう立ち上がって、ガサガサ棚を漁り始めた。
あぁそうか、サービス業だから日曜は仕事か……
なんだか今さら悪い気がした。
「別に夜でもいいけど。
てゆーか、そんな簡単に信用していいの?」
「だって色々気にしてたら一緒に住めなくない?
だから、都合いい時に来て適当にくつろいでてよ」
と合鍵を渡される。
「……ありがとう」
「全然いいよっ」
そう向けられた笑顔は、あったかいのに翳って見えて……
心にそっと馴染んだ気がした。
翌日。
「ちょっ、憧子!
なにその荷物っ、どこ行く気なの!?」
こっそり抜け出して事後報告するつもりだったのに、母さんに見つかってしまった。
「友達の家。
しばらくそこで暮らすから」
「は?
何言ってるのっ、何考えてるの!?
あなたまだそんな状態じゃないでしょ!」
「大丈夫だって!私はもう大丈夫っ。
仕事だってちゃんとしてるし、母さんの言う通り立ち直って来たじゃないっ」
「まだ薬に頼ってて何言ってるの!
だいたい友達って誰なの!?成美ちゃんっ?」
「……会社の人」
「だから誰なの!
知らない人にあなたを任せられないわっ。
……まさか。
あなたまさかっ、また竹宮さんの家に押し掛ける気っ?」
竹宮一真、それは亡くなった彼の名前で。
うろ覚えだけど……
私は以前その実家に、居るはずもない彼を探して居座っていたようだ。
「だから会社の人だってば!
いいからもうほっといてっ」
「ほっとける訳ないでしょう!
あなた週末、深夜に徘徊してるでしょうっ?
変な男にも付きまとわれてたみたいだしっ……
ねえっ、あなたがいつまでもそんな調子だと、天国の一真くんは悲しむだけよっ!?」
「いいかげんにしてっ!もう聞き飽きたっ……」
耳を塞いでうずくまる。
そういうのが逆に私を追い詰めてるって解らないのっ?
「とにかく!
いったん部屋に戻って頭を冷やしなさいっ」
「……わかった」
でもごめん、そう見せかけて……
私はその後、母さんがトイレに行った隙を狙って抜け出した。
もう無理……
無理なの!
彼が亡くなった当初の事は、曖昧にしか覚えてない。
信じたくないと受け入れられず、現実逃避の世界に埋もれて……
たぶん、廃人のようだったんじゃないかと思う。
そのうち薬のおかげで、少しずつ落ち着いてはいったけど……
涙と放心を繰り返して、ただ生きてた日々。
それでもどうにか、離脱症状に苦しみながらも減薬して。
延々と延々と、いつまで続くかわからない絶望の日々を……
うんざりするくらい呼吸して。
悲しみにもがきながらも、なんとか社会復帰まで果たして来たのに。
ねえ、これ以上どう立ち直れっていうの!?
引き止めるように携帯電話が鳴り響いてるけど……
着信はだいたい3件で収まる。
しつこくかけると、私が電源を切ってしまうからだ。
だけど響のマンション近くのコインパーキングに着いたところで、新たに予想通りの人から着信が入る。
「な~にやってんだよっ!オ・マ・エ・わっ」
「……あのさ秀人、私も言いたい事があるんだけど」
「わかった、言い分はた~っぷり聞いてやるから!
とりあえず、今どこだ?」
「いつも助けてくれるのはありがたいんだけど。
今まで付きまとって来た男達に、どんな脅しかけて来たの?
私、つつもたせなんて噂が流れてるんだけど」
「つつもたせぇ?
別にそんな脅しかけてねえよっ。
つーか俺の質問はスルーかよ!」
なんて、常にハイテンション気味な年上の友人、秀人は……
彼の親友で。
彼が亡くなってからは、「俺があいつの代わりに守ってやる」と。
自分だって辛かったはずなのに、いつも私を支えてくれてた。
だから逆ナンした男達に付きまとわれたり、なにかトラブルが起きた時には頼りになる。
大工という仕事がら強靭な体だし、高身長だから迫力もあってなおさら。
まぁその屈強な雰囲気のせいで、つつもたせなんて思われたのかもしれないけど……
「じゃあいつもなんて言ってたの?」
「んんっ?まぁ普通に。
今度憧子に近づいたら、てめーの人生喰い潰すぞ。とか?」
「とか?じゃないから。
そんな怖い声でそーゆう事言ってたら、つつもたせだって勘違いされてもおかしくないから」
「おまえが変なヤツ捕まえるからだろ~がっ!
だいたいなァ、そんな寂しいならなァっ……
そのっ、俺の愛をやるよっ」
「やめてよ気持ち悪い」
「きもっ……
おまえっひどくねえかァ!?」
「そうじゃなくて。
私たちは友達なんだし、そーゆうのは違うでしょ」
秀人は気持ち悪いどころか、かなりの男前だし相当にモテる。
だけど私にとっては彼の親友で、彼が生きてた頃からの友人で。
そんな対象にしたくもなければ、今さら見れるわけもない。
「うっせーな……つか話変えんなっ!
とにかく、いつものカラオケに集合な?」
「は?
なんでそーなるワケ?」
「とりあえず、溜まったストレスを歌って吐き出せ!」
歌ってって……
私は歌う気になんかなれるはずもなく、いつも秀人が1人で歌ってるだけなんだけど。
そんなふうに秀人は、いつも私を楽しい場所とか明るい場所に連れ出そうとする。
そしていつもは、いくら断っても家まで迎えに来て強制連行されてたけど……
「私はもう大丈夫だから。
じゃあ切るわね」
「ちょ、待てって!落ち着けっ」
「秀人が落ち着いたら?」
「どっちでもいーけどっ!
とにかく俺にだけは行き先ぐらい教えろよっ。
おばさんには上手く言っとくから。
じゃねぇと、なんかあった時守れねぇだろ」
確かに秀人は、親と私の要求を上手く取り持つ。
だから親からの信頼も厚い。
でもこの予想を裏切らない電話のように、親との綿密な連携プレーにはうんざりする。
「もうその必要はないから。
じゃあね、秀人」
焦って引き止めてる声を耳から遠ざけて、通話終了をタップした。
当分は守ってもらう必要はない。
そもそも、守ってもらわなくてもよかった。
逆ナンのトラブル処理を頼んだのだって、面倒だから助かるのもあったけど。
秀人の誘いをそういう用事で潰すためだったりもした。
後追いコールは、親の時と同じ理由で1度きり。
それを見送ると、足早に響のマンションへ向かった。