5、魔王①
制服から着替え終え息をついた頃、コンコンと自室の扉を叩く硬質的な音が響く。返事をすると見慣れた長身痩躯が姿を現した。
学友の目を欺くためにと、先程まで着ていた執事服は既に脱いでしまったらしいが、かっちりとした黒ずくめの服装は、彼の隙のない振る舞いに昔から妙に似合っていた。
「お茶をお持ちしましたよ。ついでに、ミヴァが貴女に会いたいと寂しがっていましたので連れてきました」
「ちっ、違います!学園で習ったことで、質問があって――お邪魔でなければアリアネル様にお伺いしたいと思い……!」
ひょこっとゼルカヴィアの後ろから顔を出したのは、ミヴァだ。
アリアネルと同じく、既に学園に通うための制服は着替えてしまったようだが、それ以上に大きく眼を引く変化は、彼女のふさふさした獣耳と、豊かな尻尾だろう。
「ふふ、可愛い。やっぱり、ミヴァはこっちの姿の方が可愛いと思うな。おいで、猫ちゃん」
「っ……!」
アリアネルが愛猫に向けるような蕩けるような笑顔と甘い声で手を伸ばすと、猫ちゃんと呼ばれたミヴァは顔を赤くして息を詰める。ふるっ……と震えた拍子に、ふさふさの毛が小さく揺れて音を立てた。
トッ……と猫科の動物を思わせる軽やかな足取りで床を蹴って、恥じらいながらもアリアネルの元へと駆け寄る。
アリアネルは満足げな微笑みで小柄な半獣の外見をした少女を受け止め、よしよしと頭を撫でた。
「いつもありがとう、ミヴァ。あのクラスはただでさえ聖気が濃い時が多いから、とても助かってる」
「い、いいえっ……ミヴァは、アリアネル様の人間界での活動をお助けするために魔王様に生み出された存在ですから――当たり前のことです!」
ぶんぶん、と頭を振って訴えると、連動してふさふさの耳としっぽが揺れる。
頭を撫でられれば、ゴロゴロと気持ちよさそうに喉を鳴らしかねないほど溶けた顔を晒すミヴァは、彼女の言葉通り、魔王によって造られた魔族の一人だ。
学園では誰にも悟られぬよう懸命に隠しているが、アリアネルが体調を崩すのは、聖気が濃くなった時。幼少期からの魔界生活に慣れ切ってしまったアリアネルは、瘴気の中でこそ心地よく活動が出来る。
ミヴァは、そんな体質のアリアネルが、天使に愛された善性の魂を持つ生徒ばかりの特待クラスに入るために、彼女が編入した十歳の時、周囲を欺くため同じ外見年齢を考慮して造られ、学園内で彼女を助けるよう生み出された。
その能力は、本来人間にしか生み出せない瘴気を、己の魔力を代償に無から生み出せること。
(特殊な能力ではあるけれど、魔族のランクでは、中級程度なのよね……ゼルみたいな上級魔族以外は、魔界では完全な人型を保てないって聞いたけど――これはこれで、すごく可愛い)
魔族は基本的に、歳を取らない。故に、魔王が無から造り上げた時点で大人の外見をしていることが殆どだが、ミヴァは特殊な目的で造られたため、例外的に幼い外見だ。
アリアネルが学園を卒業した後も、生涯をこの外見で過ごさせることは少し不憫に思うものの、愛らしい猫姿と可愛らしい幼女姿との相性が抜群過ぎて、いつも目尻を下げてしまう。
「それより、アリアネル様っ!まだ、あの者たちとつるんでおられるのですか!」
「あの者たち――って、シグルトとマナリーアのこと?」
「そうです!我らが敬愛する魔王様の一人娘たるアリアネル様に、無礼千万っ……ミヴァは、脆弱な人間ごときがアリアネル様に馴れ馴れしく振舞う様を、いつも悔しく思っております……!」
ぐっとミヴァが悔しそうに顔を顰めると、その熟れた葡萄のような赤紫の瞳孔が猫のようにすぅっと細くなる。
フーッと毛を逆立たせて怒りを表す少女に小さく嘆息して、アリアネルは宥めるように口を開いた。
「そう怒らないで、ミヴァ。私が学園に入ったのは、人間界を良く知るため。何度も魔界に攻めてくる勇者たちが、どういう教育を受け、どんな信念のもとで魔界侵攻を企てているのかを知るためなの。そのためには、直に勇者になるシグルトや、勇者パーティー入り確実のマナリーアを知っておいた方が良いでしょう?」
「ではっ……では、アリアネル様は、あの二人を裏切るおつもりなのですね!?さながら魔王様のように、無情に、無慈悲に、まるで生粋の魔族の如く――」
「うぅん……そう言われると心が痛むけれど――」
興奮して尻尾を逆立たせるミヴァに、視線を揺らしながらしゅん……とアリアネルは俯く。
紅茶を用意していたゼルカヴィアが、嘆息して助け舟を出した。
「その辺にしておきなさい、ミヴァ。……アリアネルは、魔界で育てられたものの、その本質は正天使の加護を受けるほどの、混じり気のない”善”なのです。我らのように、混じり気のない”悪”として生み出された魔族と思考を同じくするのは難しいでしょう」
こぽぽぽ……と音を立てながら注がれる紅茶から、香しい匂いが立つ。
「とはいえアリアネルのおかげで、人間界に関して全くと言っていいほど無知だった我々が、知識を得たのは事実です。人間が扱う”魔法”の原理も、人間が信じる”神話”の世界も」
「そっ、それは、そうかもしれませんが――でも、人間が学ぶ”神話”など、全て、徹頭徹尾、出鱈目ではありませんか!」
コト、とテーブルに置かれた紅茶に目もくれず、ミヴァは目を剥いて訴える。
軽く肩をすくめてから、ゼルカヴィアは外見同様中身も幼い魔族に、年長者の余裕を持って言い聞かせた。
「それは、こちら側の主張でしかありません。初代”勇者”が攻めてきた時からずっと、我々は不思議で仕方ありませんでした。魔王様ほどの御方を害するなど、多少天使の力を借りたところで人間ごときには叶いません。身の程を知らぬ虫けら風情が――と何千年も片腹痛く思っていましたが。ここへ来てやっと、彼らがどうしてそんな身に余る考えに至ったかを知ることが出来たのですよ。……まぁ、だからと言って、同情の余地はありませんし、攻めて来るならば今までのように受けて立つまでですが。どうせ彼らはこの魔王城に辿り着くことすら出来ず――魔王様のお姿をひと目見ることすらなく、惨めに死んでいくだけでしょう」
にこり、と陰のある笑みを浮かべるゼルカヴィアは、混じり気のない”悪”と自身が評した通りに、どこまでも非情だった。
「それを疑ってはおりません!ですが――学園で配布される教科書に、第一位階に属する「二大天使」と言う表記があった時は、その場で書籍をビリビリに破いてやりたくなりました!」
「ま、まぁまぁ、ミヴァ……気持ちはわかるけど、落ち着いて」
長い尻尾の毛を逆立たせ、犬歯をむき出しにして激昂する猫娘の頭を苦笑しながら撫でて宥める。
「魔王様の存在が、まるでなかったかのような伝承は、とてもっ……とても、不愉快です!」
「そうね。うんうん。わかるわ。私もゼルから、ずっと第一位階の”三大天使”と教わってきたから、最初はとても戸惑ったもの」
「その通りです!そもそも、正天使も治天使も――それどころか、第二位階以下の全ての天使も、全部っ!全て、かつて魔王様が天界にいらっしゃった時代に、その偉大なる御力によって生み出された存在に過ぎぬではありませんか!己の生みの親たる至高の存在に弓引く、愚かな天使たちはもちろんのこと、彼らの伝えた偽りだらけの伝承を真実のように信奉する人間どもが、愚かで、憎くて――!」
「うんうん。ミヴァはいい子ね。身体は小さくても、心は生粋の魔族だわ」
ヒートアップしていく様を宥めながら、そっとゼルカヴィアが紅茶と一緒に運んでくれた皿からクッキーを一つ摘まみ、檄を飛ばす猫娘の小さな口へと入れてやる。
ビクンッと驚いたように耳を逆立たせた後、ミヴァは少し頬を赤らめて、口の中の菓子をもぐもぐと静かに咀嚼し始めた。
(パパは本当に、すごいなぁ……こういう風に造ってるんだもんね)
愛する父に想いを馳せて、アリアネルは目の前で甘味を口に入れられ嬉しさを堪え切れず尻尾をご機嫌に揺らしているミヴァを優しい瞳で眺めた。
むぐむぐと口を動かす甘党の少女は、愛玩動物のようでもあり、可愛らしい妹のようでもある。
それは――そうあれ、と魔王が命じたからだ。
(パパにとって、”子供”ってこういうイメージなのかな?)
大人型しか造ったことのない魔王が、初めて作った少女型の命。
感情表現が素直でまっすぐ。愛嬌の塊のような仕草を振り撒いて、魔王への妄信的な愛を語り、立派な魔族であるように振舞おうと背伸びをするくせに、甘味を口に入れられればそのご褒美にあっさり屈してしまう子供らしさは決して抜けない。
一体誰を参考にしたのか――と考えれば、自然とたどり着く答えは一つで、む、と口を尖らせる。
「さて、アリアネル。明日は、学園が休みになると言っていましたね。何か予定はありますか?」
「ん……魔法の練習と、体術の訓練をしようかなって思ってた」
「ほう、良い心がけです」
そっと紅茶に口をつけてから、アリアネルはゼルカヴィア――魔王の右腕たる最高位魔族をまっすぐに見つめる。
「卒業まで、すぐだもの。……シグルトはすごく優秀で強いから、きっと卒業後、そんなに時間をかけずに魔界にやってくる。なるべく、そんな未来は来ないで欲しいと思っているけれど――どうしてもの時は、私も、戦わなくちゃ、いけないから」
すぅっと竜胆の瞳に強い光が宿る。
天使と見紛う凛とした美しい横顔は、その覚悟の強さを表していた。
「頼もしい。殊勝な心掛けですね、アリアネル。それでこそ、魔王様の”お戯れ”――人間の身で魔界に生きる、半端者に相応しい」
ニヤリ、と嗤いながら頬を撫でられ、ぎゅっとアリアネルの眉間に皺が寄る。
そう――アリアネルは、半端者だ。
魔族になることも、人間に寄り添うことも出来ない――魔王の”お戯れ”。
それが、この魔族と瘴気が巣食う魔界で、天使のような美貌と心を持ったアリアネルに与えられた称号に違いなかった。




