稲荷編その8
宏一郎はロードスターに戻りながら百合子に電話をかけた。
今から戻るよ、それで朋子に伝えて欲しいんだけれど、今度、山に登らないかって聞いてみてくれよ。キャンプはまた今度にして、ゴールデンウィーク辺りはどうかな?
ちょっと待っててそばにいるから、朋子、お父さんがね、登山しないかって?
朋子か?
気分転換に山に行かないか?九州の英彦山というところだけれど。
朋子は、いいよ、と即答し、来週の休みに装備を調えることになった。
朋子の胸の具合も気になったが、どの程度体力が戻っているのかも知りたかったし英彦山くらいの高さなら大丈夫だろう…
宏一郎はじゃあ、そういうことで、というと車のドアを開けた。
気をつけて帰ってきてね。百合子はそう言って通話を切った。
今年の授業料として取っておいたのがあるわ、それで本格的に揃えようか?
百合子は朋子にそう言って微笑んだ。
宏一郎がロードスターのエンジンをかける頃には、眷属のはやとゆきもロードスターに乗り込んでいた。はやはライダースーツだったが、ゆきは皮の戦闘服のままでいた、警備の仕事が長かったのもあってその方がしっくり来るらしかった。
いよいよ始まったわね、
はやはゆきに言った。しかも英彦山に行けるのよ、はやはうきうきしていた、行ったことのないゆきにはわからないのも当然だけど、英彦山は良いところよ、
そして
我らには特別なところじゃ、と頭上のキラが言った。ゆきも精霊と契約していたが紫色の狐のようであった、名をナジャといい、どこか気品が漂っていた。ナジャは目を閉じていた。
朋子は学校の休学が決まってから、よく寝るようになった。今までは学校のことを考えると眠れない日が続いたこともあって今はストレスもとれて寝過ぎるくらいだった。起きているときはネット仲間と話をしたり買い物をしたりもしたが、総じて部屋にいることが多くなった。
数少ない親友とはよく話もしたが、今は学業のことは考えたくなかった。
父や母が引きこもらないように何かと外に連れ出す気持ちはよくわかったが、まだ自分からやりたい何かのために動くこともなかった。そもそもやりたいことも見つからなかった。
時折手術の後が痛んで、そういうときはベッドでじっとしていた。じっとしていればおさまった。小学校の頃からバドミントンばかりで、休みになると遠征とかで旅行などしたこともなかったからこれを機会に色々やってみたかった、
キャンプをしてバーベキューなどもしたかったけれど、登山と聞いて朋子はちょっとときめいた。
山ガールね!
まずは服装よね、とネットで調べ始めた。何事も形から入る朋子ではあった。
太陽が沈む頃には宏一郎も家に到着した。
はやとゆきが乗るロードスターも別の宏一郎の家に到着した。今日からここで暮らすのよ、と言ってはやはゆきに部屋を案内した。と言っても平行世界でのことだ。
はやたち眷属は自由にワールドを行き来できたが、生身の人間にはわかりようもない。
ところでこのアナザーワールドの宏一郎の家には同居人がふたりいた同居人と言っても同じように眷属として来ていた。一人は英彦山神宮の方から派遣されているようであり、天狗のような出で立ちをしていた。もう一人は四国の石鎚山からきていて、年は若そうだがいつも斧を研いでいた。他にもいるようであったが、どうも船で色々と移動しているらしかった。
このパラレルワールドは外観上はシャボン玉の泡のように複雑に繋がっていた。
そして、その住人というのもいわゆる霊と呼ばれるようなものから、魔と呼ばれる存在、そして、北辰のように神に属するものなど多岐にわたっていた。
当然、勢力争いのようなものもあって、神々と魔に属するものたちが争うこともあった。ゆきたちの戦いぶりもいずれ話すこともあるだろうし、実際いつ争いが起きるか予想もつかなかった。
ゆきは荷物と言っても少量の着替えと当座の365日分のノートと他の年のもののファイルが入ったusbとパソコンなどがあるだけだった。
ゆきは部屋につくと持ってきたノートになにやら書き始めた。
ひとしきり書くと4月7日と書かれたノートを閉じた。
次回、着ていく服が決まらない、に続きます。(©️2022 keizo kawahara眷属物語)