僕と委員長と……後輩
「番羽君、ちょと話があるのだけど」
土日が待ち遠しい金曜日の朝、いつもより早く家を出た僕は、勇太と汐織に気を遣って一人で登校していると、背後からクラスの委員長である杉浦花梨が声を掛けてきた。
「……あぁ、おはよう委員長。いつもこの時間の登校なんだ」
わざと差し当りの無い内容の会話をふって再び歩き始める。彼女との会話はあくまでも冷静に、平穏に対処しなければならない。何故なら……
「ねぇ、内海君と早瀬さんって、付き合ってるの?」
いきなり核心にぶっこんできやがった。
……まぁ予想はしていたけどね。
この半年間で、勇太は二人の女性をフッた。
一人は短期でのバイトで知り合った仕事仲間の女性。
もう一人が、今僕と話しているクラス委員長の杉浦花梨だ。
杉浦花梨。
僕と勇太と汐織のクラスメイトで委員長を勤める才女。成績優秀、人当たりもよく教師からの信頼も厚い真面目な女子学生。面倒見がよくてクラスでも浮いている僕と勇太にも気軽に話しかけてくれる奇特なお方。
男ウケの良いポニーテール、スラッとした体型に女性の平均よりかなり高い身長はまるでモデルのよう。なので男子からもすごくモテる。
そんなリア充で涼風のようにハキハキと良く徹る声の持ち主の委員長が、
「ねぇ、どうなの?二人は付き合ってるの!?」
まるで不機嫌さを凝縮したかのような、ドスのきいた低い声を僕の後頭部にぶん投げてきた。
僕はそのまま歩みを止めること無く、急ぎ足にもならないように注意をはらいながら、
「昨日からかな。二人はめでたく付き合うことになったよ」
テンションを上げすぎず下げすきず、いたって平静に返事をする。まるで「今日は良い天気だね」と答えるように。
「……そう。やっぱり……」
それは人の言葉を発しているが、まるで獣が威嚇するような呻き声に聞こえた。
一瞬足を止めた委員長は、素早く僕の隣に立ち並び共に歩き出す。
正直、隣に並ばないでほしい。勇太達の件で気まずいのもあるけど、170cmに近い身長の委員長が隣にいると頭一個分低い僕がすごくいたたまれない。
「そういえば昨日の宿題でさ、ちょっとわからない問題があってさ。古文の……」
かなり強引に、どうでもいい世間話をあえてふる。そしてこのまま学校に着くまで時間をつぶそう。委員長にはどうかこのまま僕の優しさに乗っかって欲しい。
「内海君が私をフッたのって、アレが原因かな……」
「……助動詞をどこで区切ればいいのかわからなくて」
「あの時、番羽君も一緒に居たから、内海君何か言っていなかった?」
「……活用された形で文章にされると全く意味不明でさ……」
「番羽君、やっぱり私が内海君にフラれたこと知ってたんだ」
僕の話に乗っとけよ!安全運転を心掛ける通学バスみたいに平坦な道を進もうよ!何なのさっきから僕の足下に地雷を撒き散らして!踏み場が無いだろ!ついでに逃げ場も無いよ!
もうニコニコと愛想笑いも続けられないし作る気にもなれないんですけど。
深くタメ息を吐き、イライラした心を落ち着かせる。
「で、話の要点は何?」
「いきなり話し方が変わるのね。目付きも悪くなって。まぁいいわ。あの時の誤解、解いてくれたのよね?」
「誤解って?」
「ラッ!……ラブホテル……の事よ」
「えっ、何だって?」
「聞こえてるでしょ!それにあなたは知っているでしょ!」
「あぁ、委員長が制服姿で一人でラブホから出てきた事かな?」
「ちがっ!……違わないけど……でもそれは人助けで仕方なく……」
「制服姿でラブホから出てきた委員長を偶然通り掛かった僕と勇太が目撃した事だよね」
「だからあれは!道端で踞っていたお婆さんを介護していたら職場に薬があるからとお婆さんの職場まで送っていたらその職場が……ラブホテル……であって流石に中には入れないと思い入り口で別れたらお婆さんがまた踞って、だから仕方なく社員用の出入り口まで送って急いで出ていったら……」
「僕達と鉢合わせしたと」
「そ、そうよ、この前、番羽君に説明したわよね!内海君にも説明してくれたのよね!?私、頼んだよね!」
恥ずかしさと一気に喋り疲れたのか、顔は紅潮し息も荒い委員長。そんな委員長に僕は淡々と答える。
「説明したよ。委員長は優しいなぁって勇太が言ってた。だから……」
「そ、そう……内海君……私のこと……優しいって……」
「だから、委員長……杉浦さんが勇太にフラれたのは、その件とは全く関係ないよ」
パリーンと、厚い堅氷の割れる音が聞こえた気がした。気のせいではなく、少なくとも委員長の満悦の表情には亀裂が入っただろう。
「それは……私が他に落ち度があったからって言ってるの?」
「落ち度って言ってる時点でダメダメなんだよ」
隣から凄く重い、怒気の込められた視線を感じるが、こんなものでは僕の心は折れない。常日頃、汐織の絶対零度の眼差しに慣れている僕には蚊に刺された程度。
「委員長って、勇太のどこに惚れたのさ?」
「え、いきなり何よ」
「いいから教えてよ」
「え……そうね、取り立てて長所も短所もない平凡だけど……」
口を真一文字にして考える委員長。ふと頬を赤く染め、表情は乙女の顔に切り替わる。
「能動的に行動するタイプではないけれど、人一倍責任感が強くてお節介でお人好しで、飾りっけの無い優しさが……好きかな」
おおよそ間違いの無い内海勇太の人物紹介だが、付け加えるなら人一倍鈍感と思い込みが激しくたまに暴走するぐらいか。
「そうだね、勇太は優しいよね。でもそれは万人に優しく別に特定の人にだけ優しいとかじゃないからね」
暗に委員長にだけ優しいわけじゃないぞ!と揶揄した僕にひと睨みを向ける委員長。それはまるで般若のような顔。……だがまだまだ凄みが足りないな。
「あれ、もしかして勇太に優しくされただけで惚れちゃったの?アハハハッ、委員長、それ勘違いだから。誰にでも優しくするから勇太は。委員長だから特別に優しくしたわけではないから」
「べ、別にそんな理由で好きになったんじゃない!私は内海君に……」
「だよねー。委員長はそんなチョロい女じゃないよねー。自分だけが勇太に優しくされてた、自分だけが特別とか思うわけ無いよねー」
「あなたは!!!」
いきなり怒鳴りあげ、怒りでうち震える委員長。その表情から般若の面は外れ、ただの涙目で顔を真っ赤にした小娘に成り下がった。
「その冷たい目…… あなた本当に番羽君?」
自分が今どんな表情かわからないが心はひどく冷静なのはわかる。優等生の委員長は貶され馴れていないのだろう、声をわざと荒げて落ち着こうとしているのか。
それでも僕はまだ叩きつける。委員長のその心を。
「委員長さぁ、僕達を……勇太をストーキングしてたよね。一学期の期末テストが終わって夏休みに入ったけど午前中は補習があって、僕と勇太は昼からバイトがあって。バイトの帰り道になぜかよく会ったよね。『偶然だね』って委員長は言ってたけど、バレバレだったよ」
「あ、あれは本当に偶然で……私は塾の帰りで……」
「塾なんて通ってないでしょ。一週間毎日毎日偶然偶然って。そんな事信じるの誰もいないよ」
勇太は信じてたんだけどね。
「で、ラブホの件から偶然が無くなって。顔を合わせづらかったんだよね。夏休みの補習の時も声を掛けて来なくなったし」
「……だから番羽君に、誤解を解いてもらうために相談して……」
「なんで自分で勇太に言わなかったのさ。考えなかった?僕から聞かされた勇太の気持ち。あぁ、自分は委員長に信用されていないのか……って……」
「えっ!内海君もしかして落ち込んで……」
「落ち込んで無いけどね。全く。これっぽっちも。つまりそれだけの存在だったのさ。勇太にとって杉浦花梨という女性は」
足を止めた委員長は顔は青ざめ震えていた。怒りのせいなのか悲しみのせいなのか僕にはわからないし、わかりたくもない。僕も足を止め委員長に向き直す。
「勇太にとって杉浦花梨はクラスの頼れる委員長と思っている。もうその評価だけで満足しない?」
なるべく穏やかな声で語りかける。
「……私は、内海君は私の事が好きだと思っている。だからまだ諦めていない。だってあんなに私のために委員会の仕事を手伝ってくれて……」
「や・さ・し・い・か・ら・ね、勇太は」
恋する乙女には何を言っても無駄なのだろう。だいいち委員会の仕事って滞ったら困るの僕達だし、しかもその時手伝ったのって勇太だけじゃなくて僕や汐織達も居たけどね。まぁ想い出は都合よく美化されてんだろうな。
「諦めたら?勇太には汐織という彼女がいるんだし。それに……」
意地の悪い表情を意識して作る。
「委員長は勇太に名前さえ憶えてもらえていないんだから」
拳を握りしめ震える委員長の手を見た。顔は下を向き泣き顔を見せないように隠しているのだが、背の低い僕からは涙目で唇を噛み締めているのが丸見えだ。だけど僕はポーカーフェイスを崩すわけにはいかない。
「……番羽君って、気持ち悪いよね」
震える声で呟く委員長。
「いつもいつも内海君にベッタリで。知ってる?『二人は付き合ってるのか』って周りから言われてるの。番羽君のせいで内海君までそんな目で見られてるのよ。
いい加減、内海君に依存……寄生するの止めたら。これ以上迷惑を………………なんで……笑ってるの?」
笑ってる?
僕が?
フフッ、気付かなかった。だって間違いじゃなかったから。委員長はやっぱり勇太に相応しくなかったから。だから安心して……
「だからフラれたんだよ。アンタは」
きっと僕はまだ笑っているのだろう。今は安心して委員長に言葉のナイフを投げらるのだから。
「あからさま過ぎたんだよ。周りがひくくらい勇太にモーションかけるアンタにヘトヘトだったよみんな。依怙贔屓も激しくて事あるごとに内海君、内海君って。相方の男子の委員長なんか無視して好き勝手してたよね、委員長権限を利用して。依存?寄生?その言葉そのままそっくりお返しするよ。
ところで、そろそろ勇太達が追いついてくるよ。その時聞いてみる?委員長のフルネームが言えるか?」
▽▽▽▽▽
「歩先輩、なんであんな言い方したんですか?」
委員長が急ぎ足でその場を走り去った後、背後から残念後輩の栗原由希が声を掛けてきた。えぇ気づいていましたよ。途中から電柱の陰で聞き耳たててた後輩の存在を。
「あんな言い方?」
「あんな言い方じゃあ、歩先輩だけが恨まれるじゃないですか。勿論それが狙いなのはわかっていますけど、でもそれじゃ歩先輩だけが損をしているようで……」
「別に僕が恨まれても問題無い。特に困らないしね」
急いで学校に向かう僕達。そろそろ本当に勇太達が追いついてくるかもしれないから。
「でも、もし逆恨みして歩先輩に危害でも加えようとしたら私……」
真剣な眼差しを向けて心配する後輩に僕は苦笑いをする。先程の委員長との不毛な会話の後だけに心が洗われるようだ。そして……僕は覚悟を決めた。
「大丈夫だよ。もし何かあったらコレを見せるから」
スマホを取り出し、ある写真を後輩に見せる。
「えっ、コレってもしかして……」
「うん、ラブホから制服姿で出てくる委員長の写真」
「先ほどの話で聞いてましたけど……でもよく写真撮れましたね」
「わかってたからね、ラブホから出てくるのが」
「はい!?」
驚いた声をあげる栗原由希に僕は会心の笑みを向けた。
「だってアレは委員長をはめるための策略だったから。いつも待ち伏せしている委員長を狙ってラブホの受付のお婆さんに頼んでひと芝居をうったのさ。勿論お婆さんにはクラスメイトをドッキリで驚かせるためって言ったけどね。だからもし僕が委員長に何かされたら、この写真を見せれば問題無いから」
「……歩先輩」
「元々勇太にバッタリ見てもらうのが狙いだったから。写真はまぁ保険だったんだけど、役にたたないことを祈るよ、委員長の為にもね」
「……」
「元々はさ、夏休みの間に委員長を勇太に近づけないための策略だったんだ。お蔭で夏休みのイベントは全て汐織が持っていったな。一緒にプールとか夏祭りとか花火大会とか。やっぱり夏は恋の勝負がけだな。忙しかった忙しかった」
機嫌よく喋る僕に、押し黙る栗原由希。だけど足を止めた後輩が僕に小さく叫んだ。
「何で……私に……言うんですか……そんな大事な隠し事……」
デジャヴだった。ちょっと前の、顔を下に向け声も体も震わせる委員長の姿と。違うのはその姿を見て思わず僕の心に罪悪感が少し生まれた事。
「汐織先輩もグルなんですよね。なのに歩先輩が一人で仕向けた様に言って……そんなに……そんなに……」
その瞳からは止まること無く涙がただただ流れていて……
「そんなに私に、嫌わ……れ……」
そう言うやいなや、放たれた矢のように走り去った。
そして僕は
ただ黙って見ているだけだった。