はじまりのおわり
「俺、汐織と付き合う事になったんだ」
週末へのカウントダウンが始まった木曜日の朝、いつも通り高校に向かう最中にクラスメイトで親友の勇太からの爆弾発言が飛び出した。
「……おめでとう。その、よかったね」
「いきなりビックリさせて悪かったな。で、でもな、最初に歩に報告したかったんだ。お、俺達は親友だろ。だから歩に一番に言いたくて……悪い、登校中にいきなりこんな話なんか……」
「落ち着きなよ勇太。その、ありがとう。僕に一番に報告してくれて素直に嬉しいよ」
「でも驚いたろ。だって俺とあの汐織が付き合うって聞いて。昔からずっと一緒にいた幼馴染の俺達がさ!」
「うん驚いたよ。ずっと一緒にいて全然気付かなかったよ」
嘘です。
気付いていました。
何なら昨日の夜から知っていました。
だって汐織から連絡があったから。
それはもう狂喜乱舞してたよ。
やっと勇太から告白してくれたよって。
勇太が私を選んでくれたよって。
私は勝ったって。
あのビッチどもから勇太を取り戻したって。
「昨日のさ、三人で一緒に買い物したろ。そのあと歩と別れてから近所の公園でさ、汐織に告白したんだよ。スゲー緊張したけどOKしてもらえて……そんで二人で話してさ、一番最初に歩に報告しようって朝一番に……だって歩は俺達の一番の親友で幼馴染だから……」
うん、汐織がフライングしちゃったんだな。
きっと我慢出来なかったんだよね。
正直、まだ僕の耳元には昨日の電話での汐織の高笑いがいまだに残っているよ。
普段はクールなキャラなのによっぽど嬉しかったんだろう。
「その……歩は俺達の事喜んでくれるか?いや、もしかしたらなんだけど、歩はその……汐織の事が……だって汐織と歩って仲良かったからさ。それに汐織はかなりの美人だろ。性格も真面目でおとなしくて他の男子にも人気があって……」
猫被っているからね!……とは言えない。
そんな事言ったらコロされるからね。
僕が汐織に。
いやマジで。
「僕と汐織は幼馴染で遠い親戚だけど異性の目で見たことはないよ、兄妹みたいな関係だから。だから勇太と汐織が付き合うって知って本当に嬉しいかぎりだよ」
心底、勇太には感謝してるし悪いとも思っているんだよ。あんな女と付き合ってくれるんだから。
そしてそういう風に仕向けてしまった事に罪悪感をおぼえてしまうのだから。
でも贅沢を言えばもっと早く付き合って欲しかったよ。この半年間どれだけ僕と汐織が苦労したか……
そう、半年前いきなりモテ期に入った勇太。
僕と同じ陰キャラでほぼボッチだった勇太がいきなりモテだした。
それは血の繋がらない義理の妹からクラスメイトの学級委員長に生徒会の先輩に義妹の親友で後輩にアルバイトの仲間まで。
そして焦りに焦りまくった汐織に半ば強制的に手伝わされて勇太に言い寄る羽虫達を駆除してきた。
本当に辛く悲しい激動の半年間だった。
でもとうとう報われる日がきたのだ。勇太と汐織が付き合ったのだから。
もうあんな非人道的な事も犯罪まがいな事もしなくていいのだ!
今日から僕は自由なんだ!
アイムフリー!アイムハッピー……
「おはよう二人とも」
声を聞いた途端に冷や汗が背中を通り抜け僕の頭を冷静にさせた。
声の主は早瀬汐織。
流れるような長い黒髪に黒曜石のような瞳が特徴の美少女。
僕達の幼馴染にて親友で、僕の親戚で元依頼人にて共犯者、そして昨日から念願の勇太の恋人になった勝利者。
汐織の元に駆け寄る勇太は照れた表情で「おはよう汐織。俺のほうから歩に伝えちゃったけどよかったよな?」と確認をとっていた。
「ええ全然構わないわ。歩、聞いての通り私達付き合う事になったの。祝福してくれるわよね?」
頬を染めながら質問してくる汐織に何を今さらと思う。
昨日の夜、歓喜の舞を踊りながら雄叫びをあげて電話で散々自慢してたくせに……と言える訳もなく「勿論だよ、改めておめでとう二人とも」 とある意味本心を述べた。
「それでさ、その……これからの登下校なんだけど、俺達いつも一緒だったろ。だからその……」
言い淀んでいる勇太の言葉に僕はすぐに察した。
「ああ、そうだね、今までみたいに三人一緒にって訳には行かないよね。わかったよ、今後は僕が時間をずらして行くから心配しないで」
『馬に蹴られて』とか『汐織に刺されて』とかは嫌だからね。
どちらも大ケガしてしまうから。
「違うって!今までどおり3人で一緒に学校に行こうぜ!だって今更だし、それに俺達の事でこの関係を壊したくないんだ。歩は大切な親友なんだから」
かなり恥ずかしいセリフを吐いてくる勇太の顔は真っ赤だが、きっと僕の顔も同じように真っ赤に染まっているのだろう。茹で蛸のようにカッカとなっているのが自覚出来るぐらい暑くて汗が止まらない。
「そうよ、勇太の言うとおりよ。遠慮なんてしなくていいのよ、私達は今までどおりの関係でいましょ。ねぇ歩」
はい頭が冷めました。
ついでに汗も止まりました。
だってニッコリと微笑んでいる汐織の瞳の奥から『空気、読んでよね?』てアイコンタクトが見えたから聞こえたから感じたから。
だから僕もニッコリと微笑み返して『了解です』とアイコンタクトを送る。
「ありがとう二人とも。これからも三人で登校しようか。でも折角だから今日ぐらいは二人で登校しなよ。ほら、付き合って初めての二人で登校ってなんか甘酸っぱくていいよね」
勇太の意見を尊重し、かつ汐織の欲望に逆らわない方向で話を進める。
モタモタしている勇太を後押ししながら「五分後に僕も登校するから」と言って二人を送り出した。
今までも二人で何度も登校したこともあるのに、それでも今日の二人はどこかぎこちないぐらい緊張しているというか初々しいというか見てて微笑ましい。
途中、汐織が僕の方に小さく振り向き頬を染めながら、照れたように笑いながら『ありがとう』とアイコンタクトを送ってきた。
僕は手を小さく振りながら二人の姿が見えなくなるまで静かに時間が過ぎるのを待った。
▽▽▽▽▽
(そろそろ10分ぐらいは経ったかな)
スマホのネットニュースを読みながら時間を潰した僕はゆっくりと歩きだした。
このくらいの時間ならまだ余裕で学校に間に合うことを確認して。
「おはようございます歩先輩!今日は珍しく独りなんですね。寝坊でもしたんですか?」
ギクリ!という擬音が僕の頭の中に響いた。
何故なら今もっとも会いたくない人の声が聞こえたから。
だけど無視する訳にもいかない。
「……おはよう栗原さん。今日は……独りなんだね。真理ちゃんは一緒じゃないの?」
彼女の名前は栗原由希。
僕と同じ高校に通う一年下の高校一年生。
見た目麗しく整った顔立ちに肩まで届く亜麻色の髪が特徴の美少女。
コミュ力が高く、明るい元気っ子……という評判だ。
……あくまでも世間一般の評価は。
ついでに真理ちゃんとは、内海真理。僕の幼馴染で親友の内海勇太の義理の妹で栗原さんの親友でもある。
そしてこの二人は勇太に惚れていた……いや、もしかしたら現在進行形かもしれない。
かつての汐織のライバルだったのだ。
「真理ちゃんは今日は日直で先に学校に行きました。で、歩先輩はどうして独りなんですか?いつも一緒の勇太先輩と汐織先輩はどうしたんですか?」
ゴクリと喉を鳴らす音が聞こえた。
嘘をついて誤魔化すことも出来る。
だけどいつかは知ってしまうのだ。二人が付き合っていることを。
僕は覚悟を決めた。
「勇太と汐織はね、付き合っているんだよ。二人は恋人同士になったんだよ!」
勇太に想いを寄せる恋する乙女に残酷な事実を告げた。
思わず立ち止まって栗原さんの反応を伺う僕。
そして栗原さんは、
「へぇ、あの二人やっと付き合ったんですね。歩先輩お疲れ様でした」
「えっ、それだけ?」
栗原さんの薄い反応に拍子抜ける。
もっと驚いていいと思うけど。
「それだけって?……あ、真理ちゃんはその事知っているんですかね?真理ちゃんは勇太先輩にガチで惚れてるからこの事を知ったら発狂するんじゃ……」
「やめて!それはあえて考えたくなかった案件だから!」
ツンデレでヤンデレの属性持ちの真理ちゃんが暴走してしまったら!メンヘラの権現の汐織との衝突は確定!……辺り一帯に血のゲリラ豪雨が降り注ぐ事に……
そんな不吉な未来予想図を思い浮かべてガクガクと震える僕を見て一笑する栗原さん。
「大丈夫ですよ。真理ちゃんはそこまで錯乱しないと思いますよ。だって今までいろいろと裏工作してきたじゃないですか、歩先輩と汐織先輩が二人で一緒に」
僕の震えは止まる。
そして思考も止まってしまう。
栗原さんは何を言って……え、もしかしてバレてる?
「だから『お疲れ様でした』って言ったんですよ、歩先輩。フフフ」
それは例えて言うなら雪解けのなかに降り注ぐ春の木漏れ日のような暖かく柔らかい微笑み。
少なくとも僕の心の寒波は解けて消えた。
そんな心の平穏を無事取り戻した僕は栗原さんと学校へと歩きだした。
季節はもうすぐ秋となる。残暑は影を潜み心地よい優しい風が僕の肌を撫でる。
いや、心地よいのは風だけではないだろう。
きっと栗原さんの優しさが、労りが僕の心を癒してくれたのだから。
「歩先輩、喉渇きませんか。そこに自販機がありますよ」
頬を少し薄紅色に染めながらの上目遣いで甘えた口調、それでいて少しの遠慮も忘れない言い方が、まるで照れ隠しのように見える。
だけどそんなあざとい後輩に僕は弱いのだろう。
先程の慰労の恩返し代わりに僕は自販機に向かいお金を入れスポーツドリンクを購入し可愛い後輩にゆっくりと投げた。
ペットボトルの蓋を開け小さな口に注ぎ込むその姿はまだ少し強い陽射しが相まってキラキラと輝いていた。
これが計算された演出なら僕にどんなセリフを言わせたいのだろう。
頭の中には定番の言葉しか思い浮かばないのに。
「ご馳走さまです歩先輩。……先輩?」
見惚れていた僕は栗原さんの言葉に我を取り戻す。
「あれ、もしかして私に見惚れてました?フフッ先輩は本当に可愛いですね。それよりも先輩……」
瞳の奥に情火を宿した艶やかな視線と、甘く潤いのある声に、僕は思わず立ち止まる……
……事もなく急ぎ足でこの場を離れようと駆け出そうとして……
「自販機って……なぜかエロいですよね。お金を入れてジュースが出てきて……入れて……出て来て……入れて……ジュースが……フフフ……」
……駆け出そうとして盛大に転けた。
「先輩大丈夫ですか?手を貸しますから早く立って下さい。手を……貸し……早く……立って……手で……立って……フフフ……」
「なんで自販機に欲情するかな!?どこにエロワードがあったの!?」
差し出された栗原さんの手をパシッと払い思わず叫んでしまう。
「どうしてくれんのさ!今日一日自販機を見ては栗原さんのセリフを思い出しちゃうだろ!」
「……由希」
「はい!?」
「由希って名前で呼んで下さい。歩先輩に栗原って呼ばれるだけでどうしても連想しちゃうんです。その……クリと……」
「言わせないよ!!!何なの朝っぱらから!!!謝れ!!!全国の栗なんとかさん達に土下座して謝れ!!!」
「……歩先輩……私にそんな羞恥プレイを望むんですか……歩先輩の……き・ち・く……」
「もう黙ってくれ!喋るな!!静かにしてくれよ!!!」
「……それって……周りにバレないように声を押し殺して……サイレントプレイ……」
「なんだよそんなプレイは知らない!!!」
先程まで栗原さんに見惚れてた自分をぶん殴ってやりたい!
そんな荒々しいにまでに僕の心は春の静かな木漏れ日から一気に台風が上陸して暴風域に達した。
これが、残念後輩の栗原由希さんなのだ。
普段は先述したように明るく元気で人懐っこいコミュ力の高い女子高生。
だが、なんかのスイッチが入った途端に、その可愛い口から卑猥なセリフが飛び出してくる。
そしてこんな彼女の変態的な人格を知っているのは……おそらく僕だけなのだ。
半年前に、勇太を狙う女子達の情報を調べるために栗原さんに近づいた僕は、彼女と二人で話していると突如彼女は壊れた。
いや、別人格が誕生したかのように……突然下ネタ製造人間となった。
そして困った事に、彼女はその事を憶えているのだ。
そう、忘れているのではなく憶えているのが困った事になっている。
元の人格に戻り己が吐いた数々の恥ずかしいエロワードのセリフを思い出しては羞恥心に溺れ塞ぎこむ……事もなくただ自然と受けとめている彼女に僕は戦慄を覚えた。
「恥ずかしくないの?」と尋ねた僕に栗原さんは「ちょっと恥ずかしいですけど、でもこの事を知っているのは歩先輩だけですから。だから歩先輩が誰にも言わなければ問題ないですから、はい」と訳のわからない解釈で納得していた。
冷静な彼女にいやいやちょっと待ってよと詰め寄る。
「もし僕が他の誰かに喋ったらどうするの!?」とか「だいたいどんな理由で下ネタ人格になるのかわからないのに他の人の前で現れたらどうするの!?」と。
栗原さんの返答は「歩先輩は絶対に喋りませんから」と「人格が変わる理由は特定してますから」と謎の信頼と自信に満ち溢れていた。
取り敢えず誰にも喋らないと約束した僕。人格の変わる理由は何故か彼女は教えてくれなかった。
それこそ顔を真っ赤にして。よっぽど知られたくない恥ずかしい理由なのだろう。
ならば一番の問題はどうやって元の人格に戻すか、だったけどこれは簡単にわかった。
パターンは今のところ二つある。
一つはこのまま延々と彼女の下ネタを聞くこと。
時間的に約三十分。
短いようで結構長い。
しかも戻りかたが急に顔を真っ赤にして涙目になりながら元の人格に戻っているパターン。
もう一つは第三者、つまり僕と栗原さん以外の人を間に入れる。
このパターンには別に人数制限はない。
要は僕と栗原さんの二人っきりでなければ彼女はすぐに元の人格に戻るのだ。
要するに僕と栗原さんの二人っきりでなければ、あの下ネタ人格は出てこないのだ。今のところは……
だから今、この卑猥な下ネタが雨あられのように降り注がれる状況を脱するために僕がとる行動は!
僕は栗原さんの手を掴み走り出した。
今この通学路には閑静な住宅街の人通りが偶然にも人が見えない状況なのだから、人が溢れている大通りに出ればいいだけ。
「きゃあ、歩先輩って大胆ですね……私をどこに連れ込む気なのですか?」
「連れ込むって言うな人聞きの悪い!ハァハァ、学校に向かって走ってんだよ!ハァハァ、そしたらすぐに一目について……元の……ハァハァ、人格に……」
「……歩先輩……そんなに息を荒げて……学校に……学校って言ったら……エロワードの宝庫……教壇の下に……誰もいない屋上……掃除用具をしまうロッカーに……理科室のビーカー……歩先輩は一体私にどんなプレイをさせる気なんですか……」
耳を塞ぎたいがあいにく僕の右手は栗原さんの左手を掴み、右手は学生カバンを持っている。
なので聞きたくなくても戯言のような下ネタが耳に届き、そして反応してしまうのだ!僕のツッコミ感性が!
「学校をエロで汚すな!それに学校にエロワードは存在しない!エロワードの宝庫はお前の頭の中だけだから!」
「……先輩のツッコミって……長くて……声が大きい……長くて……大きい……フフフ……」
「もうお前ホント黙れ!!!」
なんかすいませんでした。