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未来編


 無機質な白で塗り固められた一室。ここは『人類永久化計画』の最上階にある「第一実験室」。私の管理担当部隊の隊長である嵯峨山玄徳に連れて来られた私は、謎の装置が接続されている椅子に手足を拘束具で固定され、触らされていた。


「まったく、どれだけ私が苦労して見つけ出したと思っているのですか? 逃げ隠れの得意な男ですね、彼は」


 目の前にいる、眼鏡を掛けた男が芝居じみた仕草で肩を竦める。彼とは、恐らく「U」の事だろう。


「……まさか彼に何かした、なんて事は無いよね?」


 私の質問を聞くと、目の前の眼鏡を掛けたスーツ男はおかしそうに肩を揺らして笑った。


「まずはあなたの心配をした方が良いかと。何をそんなに彼の事を気にしているんです?」


「彼は私にとって大切な友達なの! こんな風になっても、私を昔のように親友だって言ってくれたんだ!……もし彼に酷い事したら、私許さないから」


「分かっていますよ。別に彼をどうこうしようというつもりはありません。あくまで私の目的はあなたですから。あなたさえ手に入れば何でもいいです」


 スーツ男は私の頬を撫でてくる。なんて不快な感じ。コイツに触れられるだけで全身に鳥肌が立つ。しかし、コイツの手を振り払う事は愚か、身動き一つ取れはしない。今、私は拘束具付きの椅子に座らされ、手首と足首をガチガチに固定されているからだ。


「あなたにはちゃんと役割を果たしてもらわないと。ホルモンを出してもらいますよ、しっかりと。そしてタンパク質をもっと増やしなさい」


「何度も言ってるけど、私は自分の意思ではタンパク質なんて出せないんだよ。不定期だし滞在期間は極めて短い。君達が唸ってるのは良く知ってる。諦めた方がいいんじゃない?」


 私は余裕のある態度でスーツ男を挑発する。しかし、今日は私の挑発に乗る事無く、寧ろ余裕のある態度だ。音痴な鼻歌を歌いながら、下手くそなスキップで離れていく。


「ふっ、甘いですね。あなたが呑気にしている間、我々まで呑気にしてたとでも?」


 長谷川は何かの機械の前に立つと、そこから出たレバーに手を掛ける。


「あなたはそこに座っていれば良いのです」


 そのレバーを下ろすと、次の瞬間、身体に強い衝撃が走った。


「きゃあぁぁぁああぁぁぁ!」


 凄まじい痛みが全身を巡る。耐え難い痛みに、暴れ回るが、しっかり手足を固定されている所為で逃げられない。


 しばらく経つと、衝撃は収まった。


「……うぐっ! うぅ、ぁ……はぁ……はぁ……」


「おやおや、随分大人しくなってしまいましたね? さっきの威勢はどうしたのですか?」


「……な、何を、したの……?」


 上手く舌が回らない。頭がガンガンする。心臓の鼓動が速すぎてはち切れそうだ。


「分かりませんか? あなたの身体に特殊な電気を流してホルモンの分泌を促進させてんだってよ。これで好きな時に好きなだけあなたからタンパク質質を摂取出来るという魂胆ですよ。……天才的でしょう?」


「こ、こん……な、事……何のた、めに」


「決まっているでしょう? 我々の計画を実行するにあたり、あなたの持つ特殊なタンパク質は必要不可欠な物です。母体を増やして出生率を上げる為です」


「ふ、ざけな……いで。犠牲……者を、出さない……方法、を……」


「そんなものがあれば我々『人類永久化計画』は必要ありません」


 スーツ男は垂れ下がる私の顎を掴んで、自分の顔に引き寄せる。


「あなたも貢献しなさい、人口増加に。勿論あなたの身体で。あなたは今女性の身体なのですから、妊娠くらい出来るでしょう?」


 男の言葉を聞いた瞬間、私の中である感情が湧き上がった。冗談でも言ってはならない事を口にしたのだ、コイツは。


「お前、ふざけるなよ! この身体は僕のものじゃない! 音音のものだ! お前や僕がどうこう出来るものじゃないんだぞ! さっきだって、この身体に電気流しただろ! もっと丁寧に扱えよ、クズ!」


「そんなに騒がないでください。頭に血が昇りすぎて口調が戻ってますよ。まだあなたに投与した『強制母体化薬』が完全に作用し切っていないようですね。……ですが、中々悪くない、あなたのその怒りで満ちた顔。綺麗なものを見ると無性に歪ませたくなってしまいます」


「……変態が。大体何だあの薬は。何だか僕が僕じゃなくなった気分になる」


「あれはあなたの身体から採取したタンパク質を使って開発した『強制母体化薬』です。男に投与すれば身体の遺伝情報は書き換えられ、女性の身体つきに変化する。女性には効果がありませんが、思考傾向が男性、則ち性同一性障害である女性患者に打てば、中身も男から女に変わります。なのであなたも徐々に思考が女性のようになっていきますよ。まぁまだ投与してそこまで時間は経っていませんから、完全には効いていないようですが」


 スーツ男は入り口に向かって歩いていく。


「1時間後に研究員連れて戻って来ます。そうしたら先程のようにタンパク質を摂らせますから、覚悟しておいてください」


 そう言い残すと、スーツ男は部屋を出て行った。


 奴の姿が無くなったと確認すると、途端に涙が込み上げてくる。ごめん、音々。私、結局あなたも皆も救えなかった。ごめん、本当にごめん。


「ごめん、音音……!」



 時刻は深夜1時に差し掛かる頃。僕と「U」はとある施設の広い敷地内に侵入していた。その真ん中に佇む異様な存在感を放った建物を見上げて唸る。


「デカ……」


 流石は黒幕の基地。僕の通っていた学校の二〜三倍くらいの大きさだ。勿論、そんな場所には見張りもいる。


「入り口に2人いるな。……いや、あれは警備用ロボットだ」


 警備はロボットなのか。それはちょっと怖いな。どれだけ攻撃しても、怯む事なく無尽蔵に襲いかかってくる無機質な敵。これほど怖い敵はいない。


「まずは入らなければ、何も出来ないな」


「うん。まずは様子を伺って、隙を突いてから――」


「じゃあ行くか」


「そうだね。……は?」


 隠れていた物陰から飛び出した「U」を、呆然と眺める事しか出来なかった。何が起きたのか分からない。


「どけどけどけぇ!」


 あっという間に2体の警備ロボットに接近すると、例の電気棒で殴った。ロボットは両方とも崩れ落ちた。


「ふぅ、危なかったな」


「どこが危ないんじゃぁぁぁぁ!」


 ふざけた事を抜かす「U」に、叫びながら走り寄った。


「全然危なくなかったじゃん! アンタが勝手に飛び出しただけだろ!? 危なくしたの自分!」


「まぁそうはしゃぐなって。ここには社会見学に来た訳じゃないんだからな? 落ち着いて行動しろよ」


「それはこっちの台詞(せりふ)だ! 落ち着かないのそっちだろ!」


 騒いでいても拉致が開かない。相手には、僕達の存在はもう知られてしまっただろう。こうなれば、後は前に進むしかない。


「たぁ!」


 「U」が電気棒を振りかぶると、扉のロックを開ける為の操作パネルを叩く。間も無くして扉が開いた。それと同時に警戒用のサイレンが鳴り響いた。僕達はそれに急かされるように走り出した。


「広すぎでしょ! こんな所からどうやって抗体なんか見つけ出すの?」


「任せろ」


 「U」に訊ねると、腕時計型デバイスとやらを弄りだした。流石は天才発明家(自称)。事前に対策しているのか。


 彼のデバイスの画面に矢印が現れた。これで位置を教えてくれるのか。


「ルーレット、スタートッ!」


 謎の掛け声と共に画面をタッチすると、ピロピロピロという電子的な音を出しながら矢印が回り出した。暫くすると、矢印は速度を緩め、やがて左を向いて止まった。


「よし、左だ」


「ねぇ、今『ルーレット』って言った?」


「……来るぞ!」


「言ったよね?」


 そんな事をしていると、後ろから警備ロボットが五体程追いかけてきていた。ロボットというだけあって、動く速度が速い。これではすぐに追いつかれてしまう。外にいたのとは違って、人とは違う形をしていた。腕には機関銃のような物と、頑丈そうなアームがあり、移動はタイヤのようだ。完全に僕達を殺しに掛かってきている。


「前からも来るぞ!」


「えぇ!?」


 後ろに気を取られていたが、前からも数体迫ってきていた。まずい、侵入して1分足らずで囲まれてしまう。


「こっちだ!」


 「U」に手を引かれる。曲がり角を曲がったんだ。曲がり角で曲がり切れず、お互いに衝突しあって身動きを取れなくなったロボット達。助かった。


 しかし、曲がった先でもロボットが2体待機していた。完全に位置を把握されてしまっている。


「喰らえぇ!」


 「U」は進む速度を緩める事なく、ロボットに向かって突っ込む。そのままロボット達に電気棒で殴りかかる。攻撃がヒットした2体は動きを止めた。


 凄い。これなら戦える。そう油断した時、横切った十字路の横側の道にロボットがいた。しまったと思った時には、ロボットが発砲した。


 弾丸を避ける事など出来るはずもなく、僕の身体に強い衝撃が走り、身体が軽く飛んだ。


「ぐあぁ! う、撃たれたぁ! うぐ、うぐぐぅ……」


 ダメだ、死ぬ。誰も救えないまま、死んでしまう。それは、ダメだ。


 ごめん、ネオ。僕、約束果たせなかった……。


「いつまでも寝てんな!」


「ぐわは!」


 「U」に蹴り飛ばされた。


「おい! ちょっとは負傷者を労われよ! こっちは銃で撃たれて――」


 そこまで叫んで気が付いた。どこも痛くない。腹部を直撃したはずなのに、コートには穴どころか、汚れ一つ付いていなかった。


「そのコートは防弾仕様だ! 防弾チョッキの技術を応用して作った完全防弾コート! そんじょそこらの弾丸なんかじゃ傷一つ付けられねぇ!」


 凄い。天才というのは(あなが)ち間違っていないのかも知れないと初めて思った。


「音々!」


「はぁぁぁぁ!」


 僕は腰に巻かれた武装品を収納したベルトの左側に携えられた電気棒を引き抜くと、スイッチを入れてロボットに殴り掛かる。


 棒が直撃したロボットはなす術なく倒れ伏した。


「やりゃ出来んじゃねぇか」


 そう言う「U」は、嬉しそうに笑っている。


「行こう。止まる訳にはいかない」


 僕達は走る。全てを終わらせる為には走るしかない。進んで進んで、未来を作っていくのだ。それを妨害してくる奴は、二度と邪魔出来ないように倒すだけだ。


「また来るぞ!」


 「U」が叫ぶ。


 前から六体程、こちらに向かってくるロボット達。「U」は拳銃型スタンガンを腰から引き抜くと、トリガーを引いて牽制する。銃口から飛び出した電気の塊は3発。その内二発がロボット二体にそれぞれ命中。僕はその隙を突いて走り込む。ロボットの懐に入り込むと、電気棒を右上に振り上げて胴体部分を切り上げるように叩く。続けて2体連続で叩き、再起不能にする。


「伏せろ!」


「!?」


 咄嗟に屈むと、頭上を何かが掠めた。その直後、奥にいた残りの1体が倒れた。「U」の撃ったスタンガンにやられたようだ。


「髪の毛焦げたんだけど!」


「頭焦げなかったなら大丈夫だ」


 いや、まず焦がすな。


「でも、このまま適当に走ってたって拉致が開かないよ! いずれ消耗し切って全滅するのがオチだ」


 僕が言うと、「U」は「うーん……」と唸った。場所が分からない以上、抗体を手に入れる事が出来ず、未来を変える事は不可能となってしまう。


「やっべ! また来やがったぞ!」


 後ろからロボット達の走行音が聞こえてきた。その音量は先程の数の比ではない事を示していた。


「流石に数が多すぎる。さっきお前のコートが弾いた球を拾ってみたが、こいつはゴム弾だ。訓練用に使用する弾で、人を殺すには至らない物だな。しかし当たれば痛いし痣が出来る。俺は防弾コート着てないから極力戦闘は避けたいな」


「えぇ、着てないの!? 何で作ってないのさ!」


「作るのに必要な材料が高すぎるんだよ! それに元々は俺1人で乗り込むつもりだったからな。どっちにしても無い!」


 だったら戦闘面では僕が頑張らなくてはいけないという事か。


「取り敢えず上行くぞ! あそこに階段がある!」


 「U」にしたがって上の階に向かう。しかし、階段を上り切った先で待っていたのは、大量のロボット達。


「うわっ! 挟まれた!」


「くそっ!」


 でも、止まればいよいよ逃げ場が無くなる。何か無いかと探ってみると、コートのポケットにある物が入っていた。


 ……これをここで使うなんて、思わなかった。


「即席エアバッグ!」


 それを取り出して、後ろに投げつける。階段にくっ付いたと思ったら、ピッピという電子音が数回鳴った後に一瞬で大きく膨らんだ。その大きさは、階段と階段の天井の間をガッチリと覆ってしまう程だった。エアバッグが階段を塞いだ事で、後ろから追ってきていたロボット達は足止めを喰らった。


「おぉ、そんな使い方があったとは」


「感心してないで前!」


「分かってんよ! 俺の発明品はまだあるぜ!」


 「U」が取り出したのは、完全にグレネードだ。


「ちょっ!」


「いくぞ! ジャミングレネード!」


 ピンを抜いて起動させたそれを、ロボット群のど真ん中に投げつける。間も無くして凄まじい電流が迸る。それをまともに喰らったロボット達は、次々と倒れていった。


「スゲェだろ俺の発明は! ジャミングレネード、ネーミングセンスが映えるな!」


「……驚かせないでよ」


 転がっている鉄の塊を避けながら先に進む。


「やっぱ最上階に行ってみるかな」


「そうなるよね」


 大体こういう時は一番上の階に行くのが無難だ。行く宛が無い以上、上に行って関係者を問い詰めるしかない。


 僕達はひたすら上を目指した。警備用ロボット達の妨害を回避しながら進んでいく。やがて最上階に通ずる階段の前まで辿り着いた。


 ……そこにいたのは。


「よぉ、テメェら。随分好き勝手してくれてるらしいな」


 いかにも筋肉野郎という感じの大男。防弾チョッキを着ていて、完全に武装部隊の一員って感じだ。


「誰だ……!」


「俺は嵯峨山玄徳(さがやまげんとく)。『人類永久化計画 特別作戦武装部隊 被験体番号50-781管理部 部隊長』っていう長ったらしい役職やってんだ。侵入者が出たってんでロボットどもに排除させようとしたんだがな、鉄屑(てつくず)どもは役に立たねぇな」


 やれやれといった感じに肩を竦め首を振る玄徳。何だろう。コイツの行動、言動、思考……全てが大嫌いだ。初対面のはずなのに、こいつだけは許せないと感じた。


「そうだ、お前らに良いもん見せてやるよ」


 ニヤニヤしながら玄徳が何か端末を操作する。その画面に映し出されたのは、何処かの部屋。その中央に、何かが見える。遠くて見にくいが、その姿には見覚えがあった。


 その瞬間、僕の頭に血が昇った。一気に呼吸が荒くなる。


「そう、ここにいるのはお前らが探してた実験体だ。こいつを連れ戻しに来たんだろうが、それは叶わない話だな」


 画面越しに見えるネオは、椅子に拘束されているようだ。すると、誰もいなかった部屋に、白衣を着た人間が3人程度入ってきた。3人は少し話をしたかと思うと、その内の1人が近くにあった機械のような物を弄る。そいつがレバーを下ろした瞬間、玄徳の持っている端末から痛々しい悲鳴が聞こえてきた。


『きゃああぁぁぁああぁぁあぁぁ!』


 音割れしていて聞き取りづらいが、これは聞き間違いようのない声だった。この声は、僕の大好きなネオの声だ。明るくて可憐なネオの声。そして、僕が恋をした音音の声。甘くて優しい音音の声。


 ……それを、こんな形で聞く事になるなんて!


「……おい」


「あぁ? 何だって?」


「何してんだよ、これ」


「見て分かんねぇか? タンパク質取る為にホルモン分泌を促進させて――」


「そんな馬鹿みたいな話は聞いて無いんだよ!」


 僕は怒りに任せて怒鳴り散らした。これまでの人生で、これ程までに大きな声で叫んだ事があっただろうか。いや、そもそも大声なんて殆ど出した事が無い。

しかし、今叫ばずして、今後いつ叫ぶと言うのだろうか。僕の恋人を、僕が好きな僕をこんな扱いにする奴らが許せなかった。


「少子高齢化を解決する? 国を救う? 寝言は寝て言え!」


「……何だと?」


「いいか!? 頭の悪そうなお前に教えてやる! 国中の人を救う事が出来るのは1人の命を大切に出来る人間だ! お前達はネオを道具としてしか見てない!

1人の命すら守れないお前達に救えるものなんてあるもんか! そんな事も分からないくせに、何が国を救うだ!」


「……テメェ、何調子乗って――」


「もう一度言ってやる! お前達は馬鹿だ! 馬鹿がどれだけ知恵を絞ったところで何も出来やしない! せいぜい指を咥えて見てろ!」


 暴言など吐いた事が無い僕が、スラスラと言ってしまった。それはきっと、本心から叫んだ事だからこそ、思った事をそのまま言ったからこそ言えたのだと思う。


「言ってくれるじゃねぇか、雑魚が……!」


 怒りを隠そうともせず、プルプルと震えながら腰のホルスターから拳銃を取り出す玄徳。しかし、今の僕に弾丸は通じない。玄徳が油断した隙に電気棒で――


「悪いな、音々」


 そう考えていると、僕の後頭部に何かが押し当てられた。


「……どう言うつもり? 『U』!」


 「U」が僕の頭にスタンガンを当てているのだ。すると、玄徳がガハハと下品な大笑いをした。


「知らなかったのか? そいつは元々この『人類永久化計画』の科学者の1人だよ!」


「嘘……だよ、ね?」


 「U」の返答は、


「そうだ。この計画を考えたのは俺だからな」


 とだけ、端的に答えた。


「そんな……!?」


「俺は信じてたぜ!?お前が帰ってきてくれるのをな! ……だが、まさかこんなチビ引き連れてくるとは思わなかったが。なぁ、敵の奴を味方だと勘違いしてのこのこと踊らされてたって気分はどうだ? お前の愚かさには笑いが堪えられねぇな!」


 先程僕が散々罵った事に相当腹を立てていたのか、「ざまぁみろ」といった感じに言ってくる玄徳。


「まさか……信じてたのに……」


 とんでもない事実を突きつけられ、絶望によって奈落の底に引きずり下ろされたような感覚に陥り、膝から崩れ落ちる。


 そんな僕には目もくれず、「U」は玄徳と今後の計画の打ち合わせを始める。


「玄徳、例の抗体は何処に保管されてる? アレの存在は既に露見している可能性がある。こいつ以外にもそれを狙ってる奴がいる。俺が警備のフォローに就く」


「そうか、そいつはありがてぇ。お前なら安心出来るからな。それならこの階にある『保管庫』の580番の金庫の中だ。鍵はお前に渡しとく。頼むぞ」


 そう言って何かの鍵を渡す玄徳。


「そんじゃそっちは任せたぞ。俺はこいつを始末する。……よくもさっきは調子に乗ってくれたな。たっぷり可愛がって――」


「……ふっ、ふふっ、ふ」


 堪える事が出来ず、遂に笑い声を漏らしてしまった。急に笑い出した僕に対して、不愉快だと主張しているのか、玄徳は眉間にシワを寄せ睨みつけてきた。


「……何がおかしい?」


 僕はゆっくり立ち上がり、未だに込み上げてくる笑いを堪えながら玄徳を見据え、問われた事に対し答える。


「いや、大した意味は無いよ。ただ、お前の愚かさには笑いが堪えられなくってさ」


 そっくりそのまま、先程玄徳に言われた事を言い返す。言われた本人はよく分かっていないのか、依然として余裕のある態度で振る舞う。


「何強がってんだよ、みっともねぇ。Dr.Uも何とか言って――」


 ガシャンッ! ガシャンッ!


「……おい、何の真似だ? Dr.U」


「見ての通りだ。……もしかして見て分からないのか?」


「分かるわボケッ! そういう事言ってんじゃねぇんだよ! 何故俺の手足に(かせ)を嵌めたのかって訊いてんだよ!」


 怒鳴り散らしながら「U」に詰め寄る玄徳。しかし、いくら屈強な筋肉ダルマでも、手足がガッチリ固定されていては、鍛え上げた体幹など意味を成さない。詰め寄った勢いでうつ伏せに倒れる玄徳。


「ヒッ!」


 慌てて避ける「U」。それくらいでビビるなよ……。


 実は、全て作戦だった。「U」が寝返ったのも、僕が落ち込むのも、全てが演技。これを考え出したのは「U」だ。バイクで向かっている途中に聞いた。「人類永久化計画」の基礎を作った事も。


 初めは驚いた。でも、僕と音音を融合させてネオを作ったり、関係ない人達を実験台にするなんて事はする気が無かったんだとすぐに分かった。


 「U」の事は何も知らない。頼りにならないし、抜けた所があるし、変な奴ではあるけど、一緒にいると何故だか凄く安心する、不思議な奴だからだ。悪い奴じゃないのだけは分かる。


 玄徳が出てくる事は分かっていた。だったら後は上手く抗体がある場所を聞き出すだけだ。その時の「U」は、誰よりも頼りになる男だと感じた。


 のだが……。


「テメェまさか、裏切ったのか!?」


「いや、その……」


「どうなっても知らねぇからな! 俺はお前をぜってぇ許さねぇぞ!」


「あっと、えっと……」


 手足を固定されてモゾモゾと動きながら怒鳴り散らす玄徳に、しどろもどろになりながら曖昧な返事をする「U」。今の彼には威厳というものは存在しない。


「自分が何をしたのか考えろ!」


 しかし玄徳にそう言われた瞬間、今まで拘束されて身動きが取れない相手に対してビクビクしていた「U」の表情が変わった。


「おい。……今、なんつった?」


「あ? だから――」


「なんつったって訊いてんだよ! 答えろやコラ!」


「は、はぁ!? 今答えようとしてたじゃねぇか!」


「知らんわそんな事! どうせ覚えて無いだろうから俺が教えてやるよ! 『自分で何やったか考えろ』だと? ふざけた事も休み休み言えや!」


「ふざけてんのそっちだろ!? 意味分かんねぇよ!」


 理不尽な事ばかり言う「U」に、困惑気味の玄徳。それはそうだ。僕だって混乱する。


「お前らが何かもの言える立場かよ! こんだけ人巻き込んどいて、邪魔が入れば正義の味方気取りかコラ! お前なんかどう見たって悪者じゃねぇか! 筋肉ばっかつけやがって! そんなもん誰が喜ぶんだよ! むさ苦しいだけだわ! 髭も剃れ! え、何もしかしてダンディーでちょいムキな男に憧れてたの?

阿保か! お前はダンディーじゃなくて無精髭なだけだわ! ちょいじゃなくてガチムキなんだよ! 男ってより漢なんだよ!」


「もう何言ってんだよお前!」


 ごめん、僕にも分かんない。


「とにかくな、俺は怒ってんだよ! お前らが音々を好き勝手にした事を! 俺が計画したのはそんなものじゃない! 誰が犠牲を出せだなんて言ったんだ! お前が俺を許さないなら、俺はお前を一生呪う!」


 人差し指を、転がっている玄徳に突きつけ断言する「U」。途中何が言いたかったのか分からなかったけど、彼の言い分を聞いてカッコいいと思った。そこまでネオの事を……僕の事を大切に思ってくれているんだって知ったから。


「お前が馬鹿で助かったよ、玄徳。お陰で目当ての物が見つかりそうだ」


 「U」が鍵をチラつかせながらドヤ顔で言う。それを見ながら悔しそうに歯軋りをする玄徳。


「行くぞ、音々!」


「うん!」


 玄徳を避けながら先を急ぐ。早くしないと、これ以上ネオに辛い思いをさせない為に。僕はネオを助ける為に来たんだ。絶対に止まらない。彼女の望み通り、僕のタンパク質を無くしたら、彼女は救われる。でも……。


 彼女の望みを叶える、彼女を救うという事は、


 ()()()()()()()()()()()()事になる。


 ……本当に、それしか方法は無いのだろうか。彼女を消すしか……。


 ドオォォォォォン!


 突然の地響きが襲い掛かる。足元がグラつき、転びそうになった。


「うわぁぁぁぁ!」


「た、助けてぇ!」


 堪らず手をつき何とか凌ぐ。四つん這いにならなければとても立ってなどいられない。揺れは暫くの間続き、やがてピタリと止んだ。


「な、なんだったんだ?」


「まさか……!」


 「U」がハッとして立ち上がる。何か思い当たる節があるようだ。僕も続いて立ち上がる。


「知ってるの? 今の揺れの原因」


「あぁ、恐らく今の揺れは『人命救助システム:プロトQ』の引き起こした揺れだ」


「何それ」


「多分外を見れば分かる」


 僕は近くにあった窓から覗く。外は暗くてよく見えなかったが、所々に設置されている証明で照らされた辺りに、何かが動いているのが見えた。ギラギラと光る鋼の胴体、重量を感じさせるキャタピラの走行音、特に目立つのは各部に見られる重機の装備。ドリルやショベル、ドーザーなどが合体したような格好だ。何よりその大きさ。2階建ての建物位の高さがあり、横幅は大型トラック3台分に相当するだろう。丸々一戸の家のようだ。


「あれが、その何とかQって奴?」


「あぁそうだ。あれは俺が設計した物で、災害などによる救助活動が行える万能大型重機だ。しかし、開発までには至らなかった。あれを動かす為に必要な馬力がエグかったからな。……だが、まさか完成していたなんて」


 「U」は僕の肩をガシッと掴むと、頼み事をしてきた。


「奴らはアレを使って俺達もろともここを完全に潰す気だ。抗体もまとめてな。恐らく部下に救出された玄徳が、俺達の目的を告発したんだ。俺はアレを止めに行く。音々は、NEOと抗体を頼む」


「止まるって……どうやってだよ! あんな化け物止めれる訳ないだろ!?」


 とんでもない事を言い出した「U」。あまりにも無謀な作戦に、僕は反対する。しかし、「U」は一歩も譲ってはくれない。


「任せろ、俺はアレの設計者だぞ? 誰よりもアレの事は知ってる。だから大丈夫だ。NEOの事は任せたぞ。アイツの事を誰よりも知ってるのは、お前だ!」


 真剣な面持ちで言う「U」。その顔には、「絶対に成功させろ」という信念が表れていた。それしか無いと言うのなら、僕にはそうする他無いじゃないか。


「……分かった、約束する。ネオは絶対助け出す。だから、「U」も無事に戻ってくるって約束して?」


「あぁ、任せろ!」


 僕らは堅い握手をする。絶対に離れ離れにならないように、しっかりと。


「じゃあな」


「うん」


 互いに逆方向に走り出す。「U」は過去と向き合いに。そして僕は、未来を創り出す為に。



 来た道を引き返す。早くしないと、アレがこの建物全てを破壊し尽くしかねない。早くしなければ。


「しっかし、良くこんだけのロボットを倒し切ったよな。流石音々、やれば出来る奴だな」


 またロボット達に妨害されるのではないかと思っていたが、もうロボット達が出てくる気配は無い。まぁ、どうせ建物ごとスクラップしてしまうなら、わざわざロボットを使う必要もないかと思い直し、先を急ぐ。


 最初に侵入した入り口から外に出る。すると、中から聞こえていた音は、より鮮明に、そしてガサツで荒々しく鳴り響いていた。


 音を立てている主に目をやる。目の前にいたのは、完全に化け物だった。身体は戦車のように重厚で頑丈そうな鋼で覆われていて、前面にはブルドーザーのドーザー部分がくっ付いており、その上側の身体からはショベルアームが伸びていて、右側からはドリルアーム、左側からはクレーンが伸びている。そんな超重量級な本体を支えているキャタピラは、とてもどっしりとしていて、仁王立ちをしているように見える。


「はぁー、でっけぇ……」


 そんな言葉しか出てこなかった。これを前にして、それ以外語る事など出来はしないだろう。何せ、設計者である俺でさえも語彙力が皆無になってしまうくらいなのだ。初めて見る人間は全員、きっとその堂々たる佇まいに畏怖してしまうのが精々だろう。


『キャヒャヒャヒャヒャヒャ! やはり天才技術者である貴方でさえも、これを前にしては口を開けて固まる事しか出来ませんか!?』


 ……出来れば二度と会いたくは無かったのに、やっぱり出てきたか。


 大体予想はしていたが、いざその声を聞くと引き返したくなってしまう。


 これを設計したのは俺だ。南海トラフ巨大地震に備え、どんな状況下でも人命救助を可能とする、自立思考型人工知能を搭載した万能重機。自分で最善の判断をして行動する夢のマシン。その設計図を目にした技術者は、どんな奴でも固唾を飲む程の物であった。つまり、誰も俺の設計に文句を付けられないくらい完璧な物だったのだ。


 だが、「自律機動型人命救助システム」は、開発の段階で断念された。設計には問題点など無かった。問題があったのは実用性の方だ。そもそも、力仕事担当の重機にとって命なのは馬力だ。重たい岩などを持ち上げられる程のショベルやクレーンに、どれだけ固い岩であろうと砕く事の出来る高威力のドリル、大量の瓦礫を退かす事の出来る圧倒的なパワーのドーザーとキャタピラ。何より、自重で大破しないような頑丈な装甲。設計の段階では、理論上は可能だとされた事は問題無かった。だが、それをいざ実用化に向けて開発するとなると、非常に難しい事だった。


 そもそも、そんな巨体を動かせる程の馬力を生み出せる技術など、現時点では存在しない。いや、動かすことは出来る。だが、1分稼働させるのに必要なエネルギーは膨大なものだった。あれを人命救助のメインとして使用するとなると、地球に残っている資源をどれだけ消費してしまう事になるか。


 それに、あれを大量生産するのは無理だ。1台作るのに掛かる費用はおよそ戦車20台分。それに、燃料費を加えれば、1台使えるかどうかと言ったところだ。しかし、あれ1台で全ての救助活動を担うのは現実的じゃ無い。移動速度は最高時速35キロ。どうしても救助が必要な順序や優先が考えられる。そうなれば、被災した各地で「プロトQ」の優先権を獲得しようととてつも無い競争が起こってしまう。それがエスカレートしてしまえば、一体どんな混乱が起こり得るか分かったもんじゃ無い。


 それらを議論した結果、「プロトQ」の実用化は現実的では無いと判断し、計画は破棄された。


 俺が作ろうとしていたのは人々を救えるマシンであり、それを巡って人々が傷付け合うのは支離滅裂だ。だから、設計者である俺が責任を持って設計データを消去した。


 ……だが、甘かった。もし開発する前に戻れたら、俺は昔の俺に「『プロトQ』は絶対に作るな」と伝えたい。俺は油断していた。削除してしまえば、誰も再現出来るはずがないと。


 ……1人だけいた。たった1人、それを可能とする天才発明家が。俺の元同僚、ライバルとして競い合った唯一の人物。


「やっぱりお前か……。城所(きどころ)……(たくみ)!」


 俺が奴の名前を大声で叫ぶ。それに答える形で向こうも話しかけてきた。姿は見えないが、アナウンス用の音声拡大器を使用している所から、恐らく「プロトQ」に搭乗しているのだろう。


『キャヒャヒャヒャヒャ! 驚いたでしょう!? 自分が開発を断念し、設計データを消去したガラクタが、この天才技術者である私の手によって素晴らしい物に改良を施され生まれ変わったのですから!』


 奴の耳障りな高笑いが音声拡大器によって音割れし、キンキンとさらに不愉快さを増幅させる。だが、不愉快なのはそこだけじゃ無い。それよりも遥かに、気分を害する物がある。


「テメェ……それは俺の設計図から造った物だろ? だったらなんだその大砲と機関銃は。俺はそんな物付けた覚えはねぇぞ……!」


 奴の乗っている「プロトQ」は、俺が設計した物とはかけ離れた物だった。まず天井部分から一対の戦車の大砲が伸びている。それに加えて、いくつかの機関銃が至る所から顔を出している。


『何です? 私の改良ですよ。折角これだけの素晴らしい設計がされているのに、肝心な物を付け忘れていたので、替わりに私が付け足しておきました』


「ふざけるな……!」


『……え、今なんか喋りましたか? すみません、それだけ離れていると小声じゃ拾いきれなくて……。もうちょっと大きい声で話してもらえませんかね?』


「お前が大きい声でとか言ってんじゃねぇよ! 普段隅っこの方でビクビク怯えてやがったくせに、自分が有利な立場の時だけ偉そうに! テメェの事棚に上げて人に口聞いてんじゃねぇぞ! 俺は人命救助用の重機を造ろうとしたんだ! 誰がそんな戦車造るだなんて言ったんだ!」


『……あぁ、そんな事ですか。そんなもん、結局兵器と何ら変わりませんよ。要は扱い方ですよ。包丁は野菜や果物などを切る物だ。しかし、人に向ければ凶器となる。……見てくださいこの鋭いドリル! こんな物で人を攻撃したらどうなると思いますか? 殺戮兵器に早変わりです』


 悪びれる様子もなく淡々と言ってくるあたり、何とも奴らしい。


『しかし、まさかここに戻ってくるとは思いませんでしたよ。あなたは「人類永久化計画」の基礎を考案した人物だと言うのに、我々の計画が気に入らないと言って出て行ってしまうのだから、そりゃあもう呆れました! ……あなたが言い出したのですよ? 熱田音々を助けたいと。事故に遭ってしまった不運な彼を救いたいと心から思っていたのはあなた自身でしょうに、何故助けてあげたのに文句ばかり言われなくてはならないのです?』


 こいつらは本当に人間なのだろうか。自分達さえ良ければその他の事はお構い無し。心が荒んでいるのがよく分かる。


 確かに、音々が事故に遭った当時の俺は、あいつを助けたい一心だった。ただそれだけを考えて生きていたと言ってもいいだろう。だが、所詮俺はただの高校生に過ぎなかった。俺のような凡人に出来る事など無かったのだ。()()()()()()()()()俺は、音々に何もしてやれなかった。


 そんな時、俺にある組織から声が掛かった。「熱田音々には、今後の人類を救う事が出来る力が宿っている。もし助けたいのであれば、我々と来い」とか言われた気がする。初めは馬鹿だと思った。親友が死んで悲しんでいるというのに、ふざけた事を言ってくる連中が許せなかった。だが、奴らはあらゆる手を尽くして証明してみせた。音々に特別な力があるという事を。


 それから俺は、奴らの元で活動を始めた。様々なボランティア活動や募金集め。その他多くの社会貢献活動を行なっていった。奴らは本気で社会の事を考えて活動しているのだと、当時の俺は感心していた。親友を救うという約束で俺を誘って人材を増やす、WIN-WINによって上手く俺を巻き込んだ。当時の俺は知らなかった。凄い力を持つ親友を持つだけの1人の少年は、自分が信用していた組織が行なっていた社会貢献活動が表向きでしか無いという事を、組織の中でも最高幹部という地位に着くまで知らなかった。


『しかし、ここに戻って来たという事は、我々に用があっての事だろう? 用とは何だね? また我々の力になってくれるのかな? あるいは……』


 城所の発した言葉で俺の回想は消しとんだ。現実に引き戻された俺は、頭をブンブンと左右に激しく振ると、余計な考えを払拭する。今は目の前の敵に集中しなくては。


「決まってんだろ!」


 俺は電気棒を腰から引き抜くと、巨大なメカ怪獣に突き立てる。


「俺はお前らを潰す! 元々お前らの計画の基礎を考え出したのは俺だ! 俺の犯した過ちは、俺が償う!」


『……ふ、ふふふ。そうか、そうだな。貴様はあくまで変わり果てた親友の望みを叶えてやる訳か。……良かろう。我々に牙を剥く反逆者は抹殺だ! 勿論、かつて共に高め合い、協力し合った貴様もだDr.U! ……いや、荻野(おぎの)貴方(ゆう)!』


 自身の名前を聞いて、口角が自然と持ち上がる。音々、俺が貴方って事知ったらどんな反応するかね。驚くか、知ってたよってドヤ顔するか……。どちらにしたって、変わらない。


 あいつともう一度会えたと言う事が、とてつもなく嬉しいのだという気持ちは。


「……さぁ、勝負だ。テメェの殺戮マシンと俺の夢の発明品。どっちが正しいか決着つけてやるよ!」



 息が上がる。こんなに走ったのはいつぶりだろう。……いや、そう言えばつい最近体育の授業で長距離走やり始めたな。あっちの方が断然キツイ。そう思うと楽に感じる。


 いや、楽とか言ってる場合じゃなかった。僕は今、世界の命運を背負って走っているのだから、もっと危機感を持たないと。


 そうこうしているうちに、何やら重々しい雰囲気を漂わせた扉を見つけた。とても頑丈そうな扉だ。ちょっとやそっとでは動きそうに無い。扉の上には、第一実験室というプレートがある。何かの実験を行う場所なのだろうか。


「入ってみれば分かるか」


 取り敢えず、重たそうな扉の取手に手を掛けて手前に引いてみる。予想はしていたが、びくともしない。引いて駄目なら押してみる。しかし、全く動かない。


「やっぱり鍵が掛かってるのか……。参ったな」


 ……なんてね。こっちにはこの電気棒がある。


「てや!」


 ガキンッ!


 近くに設置されていたパネルを破壊する。これで中に入れるはず。扉を開けて、中に……。扉を……。


「開け……て……! な、かに……!」


 押しても引いても開かない。どういう事だ。鍵は壊したはずなのに。あの適当な「U」の事だ。やはり、これもポンコツだったに違いない。


「何なんだ!」


 僕はガラクタを扉に向かって投げつける。当然、鉄の塊に敵うはずもなく、電気棒はカランカランと音を立てて転がった。


プシューッ! ウィーン……。


「……」


 扉が開いた。右にスライドして。どうやら扉の開閉は、扉に付いているボタンで行うようだ。


 じゃあ何だったんだよあの取手は。


 気を取り直して中に入る。しかし、中は電気が付いておらず、真っ暗だ。これでは中を覗くどころか、この部屋が広いのか狭いのかすら分からない。残念ながら懐中電灯のような物は持ち合わせていない。


 どうしたものかと困っていると、急に部屋の明かりが付いた。眩しくて堪らず目を細める。すると、視界に映ったのは、見た事のある光景。ここは――


「ネオ!」


 部屋の奥には、椅子に固定されぐったりしているネオの姿があった。僕はネオに引き寄せられるかのように飛び出した。しかし、それを阻む巨大な壁が突如眼前に現れ、慌てて立ち止まる。壁だと思ったそれは、最も会いたくない人物だった。


「もう抜け出したのか……」


「よぉ、ガキ。殺しに来たぜ」


 殺気をこれでもかという具合に込めた目をギラつかせて僕を睨みつける大男。嵯峨山玄徳だ。部下に枷を外させたのだろう。ここで僕を待ち伏せしていたのだろうか。


「ネオを返してもらう」


「黙れ」


 余程腹を立てているのか、会話をする気は無いようだ。


「こいつは利用価値がある。殺しゃしねぇから安心しろや。……まずはテメェの心配しろ、ガキ」


「やっぱり頭悪いな。僕を殺せばどうなるか、知らないのか?」


「何だと?」


「僕を殺せば彼女も消える。お前らの野望はそもそも無かった事になる」


 僕の言葉を冗談だと捉えたのか、玄徳は鼻をふんと鳴らすと肩やら首やらの至る所の関節をボキボキと鳴らして威嚇する。


「ハッタリなんざ通じねぇぜ。助けてもらおうったってそうはいかねぇ。テメェを殺しゃ全部解決だ」


 全く話を聞こうとしない玄徳に、僕は肩を竦めて大仰にため息を吐く。


「世の中がそんなに簡単にいくんなら、お前達『人類永久化計画』なんて必要ないよ。日本が抱えてる問題なんて、僕とネオの関係に比べれば簡単なものだよ。それくらい複雑なんだよ、僕とネオは」


 僕はとにかく葛藤した。一番苦手な「選択する」という行為をいくつも重ねて悩み抜いた。ネオは未来から来た存在であり、近いように見えて、遠く触れられない……いや、そもそも同じ次元には存在しない人物だった。だから、そんな不可能な恋に溺れてしまった自分を、どうしようもなく救いようの無い奴だと嘆いた。


 だけどネオとの距離は、思った以上に近かった。手の届かない所だと思っていたのに、手を伸ばすまでもなかったのだ。


 ネオは未来の僕で、僕は過去のネオ。一言でまとめてしまうと簡単に思えるけれど、その全てを言い表すにはそんなものじゃ到底足りない。僕の抱いたネオへの恋は、この世の中で一番の不可解なものなんだ。


 だけど、結局は普通の恋と変わりはしない。単純に僕はネオが好きだ。心の底から愛していると言える。自分であって自分ではない彼女を好きな僕は、ナルシストなのだと思われてしまうだろうか。


 いいや、そんな事はない。自分が好きだと断言できる人は少ないかもしれない。でも、それ以上に、自分が嫌いだと言い切れる人はもっと少ないと思う。そう考えると、自分に恋をするのはおかしくないのかもしれないと思えてくる。


 僕は音音に恋をしていた。だが、それよりも前に現れたネオによって、その感情は薄くなる他無かったのだ。それはそうだ。他人より自分が好きなのは仕方がない。第三者に抱く恋には疑いが纏わり付く。だって所詮恋をするのは他人に対してだから、相手がどんな人物なのか完璧に把握出来る人なんてきっといないだろう。でも自分なら自分が良く知っている。自分に対しての好きならば、どんなものにも勝るのだ。


 僕は自分の恋を叶えたい。僕の代わりの犠牲となってしまった音音を取り戻し、そして、ネオの望みを叶えて。


「下らねぇ。関係がどうのこうのうるせぇんだよ、マセガキが。お前は俺の仕返しされりゃあいいんだよ。大人しくこっち来やがれ」


 吐き捨てるように言い放つ玄徳。正直、僕のようなインドア男子が敵う相手ではないだろう。奴の手足が届く範囲に入った途端秒殺される未来は目に見えている。


 それは分かっている。頭では。でも、


「悪いけど、僕はどうしてもお前を倒さないと気が済まないらしい。身体が言う事聞いてくれなくて」


 震える右腕を左手で抑える。怯えているのだろうか。敵うはずもない相手が、身体を突き刺さんばかりの殺気を込めた視線で僕を見据えている事に。いや、きっと違うだろう。気分は悪くない。これは……高揚、だろうか。


 僕はゆっくりと腰から電気棒を引き抜くと、玄徳に向かって突きつける。


「お前は僕が倒す。ネオの願いを叶える為に。僕の願いを実現する為に!」



 ドカーン! バコーン! ズドーン!


 今の平和な世の中とは思えない爆音が辺り一面を破壊し尽くさんばかりに鳴り響く。それに遅れて漂ってくる火薬の匂い。頭がおかしくなりそうだ。いや、もう既におかしくなっている奴に襲われているところなのだが。


『ははははは! どうですこの高速徹甲弾の凄まじい威力は! 綺麗に舗装されたアスファルトの地面がいとも簡単に弾け飛んでますよ!』


 こんな状況でも嬉しそうに笑っていられるのは、この広い世界の中でもあのマッドサイエンティストしかいないだろう。俺は必死に走って逃げ回っているというのに、奴は呑気に「プロトQ」のコックピットでその様子を眺めながら適当にボタン押してるだけだろう。


 AIの自動操縦があるというのに、わざわざ自身が操縦しているところから、やはり奴らしさを感じる。


「弾け飛んでんのはテメェの頭だろうが! 人間相手に馬鹿でかい砲弾使う奴が何処にいるってんだ!? 降りて来いコラ! 正々堂々勝負しやがれ!」


『いやぁたまりませんねぇ、この砲弾が着弾するたびに響き渡る重低音! まるでドラムのバスドラムのようです! ……では、ここら辺で一曲演奏といきましょうか。タイトルは……『天才VSダサイ〜どうしてこれまで生きてこられたのか不思議な貴方(あなた)に』です」


「おまっ、いい加減にしろ! 誰がダサイじゃコラ!

上手い事言ったとか思ってんじゃねぇぞ!」


 アイツ調子に乗ってやがるな。いつも競い合っていた時は俺の前にひれ伏すしか無かったから、その恨みだろうか。そもそもあの「プロトQ」だって俺の設計じゃないか。ちょっと戦車砲と機関銃付け足したくらいで自分の物だと思い込みやがって。


『行きますよっ! まずはハイハット! ガトリングで綺麗に一六ビートを奏でます!』


 そう告げられると、今までただのお飾りだった機関銃達が、一斉に俺の方に向く。まずい、あんな物一発でも浴びたら即終了。俺は音々に渡したコートを着ていないから、ちょっとの弾丸でも簡単に死んでしまう。まぁ仮に来ていたとしても、流石にあのゴツい口径の弾を何発も喰らい続ければ、流石に耐えられないだろうが。


 隠れる場所を必死に探している間に、


『発射!』


 という声が聞こえた。


「やっば……!」


 俺は急いで腰のホルスターから発煙弾を取り出すと、起動させて地面に投げる。足下に転がったそれは瞬間的に煙を撒き散らし、俺の姿を隠す。


『無駄ですよ! 場所が分からなくとも、そこら辺を適当に打ってりゃ当たります!』


 キンキンと喧しい声に続いて、バラバラバラッ!と無数の弾丸が発射される音が聞こえてきた。俺の周りの地面が削り取られていく。飛んできた弾がそこかしこで跳弾し、踊り狂っている。弾け飛んだアスファルトの破片がピチピチと当たってちょっと痛い。これでは()()がしづらいではないか。


 暫くすると、煩く責め立てていた弾丸の乱射が収まった。どうやら第一波は乗り切ったようだ。


『どうですか? いきなりのこの猛攻、手も足も出ないでしょう。……おや、返事がありませんね。もしかしてもう死んでしまいましたか? あなたを簡単に倒したいとは思っていましたが、こうも呆気なく終わってしまうのも張り合いがありませんね』


 何か独り言を言っている城所(きどころ)。実はかまって欲しいのだろうか。


『どうせあなたの事です、何事もなかったかなように平然と立っているのでしょう? さぁ、早く姿を――」


 俺の撒いた発煙弾から噴出された煙と、機関銃の猛攻による土煙が晴れる。城所の前に再び姿を現した俺は、城所の度肝を引き抜いたに違いない。


『……い、生きてる!? な、ななな、何故に!? アレは厚さ1cmの鉄板を貫通する威力なのですよ!?

人間が生きていられるはずがありません!』


 驚きふためいている城所の声に、気分が爽快なのを感じる。これだよこれ。不可能を可能にして見せた時に上がる驚愕の声を聞くのは堪らないな。


「俺を誰だと思ってんだ! 天才発明家だぞ! そんなもん対策してるに決まってんだろ! これを見ろ!」


 俺は自分の身を無数の弾丸から守ってくれた、俺の自慢の発明品を見せびらかす。


『な、何ですかその設置型の大型シールドは!? そんな物持っていなかったはずです!』


「持ってたさ、コンパクトに収納された状態でな。これを展開して身を隠したんだよ。確かお前のご自慢の機関銃から発射される弾は、厚さ1cmの鉄板を貫通するんだよな? この『展開式軽量型装甲板:盾鐡(じゅんてつ)』は、軽くて丈夫、そしてチタンよりも安く手に入る特殊性のアルミニウム合金製でな。こいつと同じ強度を目指すなら、お前の言う鉄板十枚は必要かも知れないな」


『ば、ばばば馬鹿ぬぁ! そんな薄っぺらでこの乱れ打ちを凌いだとでも!? あり得ない、そんな事は!』


 悔しそうに嘆き喚く城所。やけになったのか、先程までの余裕は完全に消滅し、無茶苦茶な事をやりだす。


『もういいです! あなたは目障りだ! ここで終わりにしましょう。……このドリルなら、あなたの作った盾など蹴散らして、あなたもろとも砕き去りますよ!』


 すると、ドリルアームが動き出した。先端のドリルが高速で回転。あんなものを生身で喰らえば、エグい事になる。


『喰らいなさい!』


 だが、俺は避ける事なく、逆にドリルを真正面から受けに行く。


 ギュイィィィィィィン!


 両掌でドリルを受け止める。脚に力を込めて何とか踏ん張る。


『手が持ってかれるだけですよ! 馬鹿ですね、そんな事意味な――』


 お喋りな城所の声がピタリと止む。それはそうだ。俺は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだから。


『は、はぁぁぁぁぁ!? 何でだよ! おかしいだろ!』


 困惑しすぎてなのか、最早丁寧な喋り口調も忘れて叫ぶ城所。


「俺の作った盾に気を取られすぎたのか? こんなにも目立つ格好してるのにな」


 そう。俺は盾鐡で弾丸をやり過ごしている間に、もう一つの傑作を装着していた。「携帯装着型筋力増強万力機:鉄靭(てつじん)」。これは謂わばアイ○ンマンのスーツ的な奴だ。元々は、足腰の悪い老人用に開発していたパワードスーツを、もしものために改良しておいたものだ。こいつの力なら、ドリルアームの一本など……容易くではないが、頑張ればやり過ごせる。


『何でもありかよ! ふざけるな!』


 投げやり気味に無茶苦茶な攻撃をしてくる城所。クレーンやショベル、ドリルによる激しい攻撃を(かわ)す。すると、砲身から爆発音が鳴り響いた。砲弾だ。あれは喰らえば流石に爆散だ。俺は足元にあった「盾鐡」を拾って投げつける。「盾鐡」にぶつかった砲弾は爆裂し、「盾鐡」は爆風で飛んでいった。よく見ると凹んでいる。あれに当たったら俺もそうなってしまうのか。


 ……帰りたい。


「でも……もう引けねぇんだよ!」


 俺は電気棒を取り出すとスイッチを押して起動する。それを、「鉄靭」によって強化された怪力で投げつける。高速で飛んでいった電気棒は、「プロトQ」の無防備なボディに直撃する。


 ……が。


『はっはっは! そんなもん聞くわけないだろ! こいつからしてみれば、そんな玩具、爪楊枝と変わらないんだよーだ! こんな棒切れこうだ!』


 ミニアームを展開させると、城所は電気棒を摘むように拾い上げ、ポイッと投げ捨てた。それが、先程音々と共に襲撃していた建物の最上階の窓を叩き割った。


『なーっはっはっは! どうだ!?』


「そんなもん知るか!」


 俺は「鉄靭」の右腕に電流を発生させると、強化された脚力で一気に駆け出し、油断している城所の隙を突いて懐に潜り込む。


「喰らえやぁぁぁ!」


 力を込めた渾身の拳を叩き込む。凄まじい電撃が「プロトQ」を襲う。アームの関節部の駆動系が悲鳴を上げる。


『ギャァァァ! メインカメラが! メインカメラがショートした! あ、アクセルが効かない! アームが動かん!』


 パニック気味の城所の声が聞こえてきた。これで勝負はついたか。


『ふん! だがまだ重火器が残っている!』


 油断していると、機関銃がこちらに照準を合わせ始めた。しまった、そっちはまだ動くのか!


「やっば!」


 急いで離脱する。このスーツは防弾仕様ではない。弾丸を喰らえば簡単に貫通する。


『逃すか!』


 その声が聞こえたと思ったら、急に脚が動かなくなった。いや、引っ張られている。後ろから、何十倍にも強化されているはずの怪力でも振り切れないほどの強い力で。


 背後を振り向くと、俺の背中から何かが伸びて、「プロトQ」に繋がっていた。あれは、アンカー!? しまった、小型のアンカーを搭載しているのを忘れていた! 捕まってしまったのか!


『そら、こっちに来い!』


 今度はもの凄い力で引っ張られる。踏ん張っても耐えられない。ズルズルと徐々に後ろに引きずられていく。遂に限界を迎え、思いっきり引き寄せられる。転んでしまってそのまま勢いよく引きずられる。なす術なく「プロトQ」の場所に逆戻り。「プロトQ」は下に付いているジャッキによって車体を持ち上げている。


 ……まさか。


『このまま踏み潰してくれる!』


 やっぱり!


 どうにかしなければ。しかし、これじゃ無理だ。こんな格好では踏ん張れない。あぁ、これがアイアン○ンスーツだったら、手と足からバーッとエネルギー出て空飛べるのになぁ……。


 そうな事を考えているうちに、「プロトQ」の下に引きずり込まれてしまった。ジャッキが徐々に下がっていく。立ち上がろうにも、高さが足りずそのまま押しつぶされそうになる。


 やがて真ん中のキャタピラが眼前まで迫ってきた。何とか持ち上げようと押し上げようとするが、当然何百トンもの超重量級の大型重機を支えられるはずもない。ミシッミシッとスーツが音を立てている。


「ぐあぁぁぁぁぁ! つ、潰されるぅぅぅ!」


『はっはっは! せいぜい貴様のご自慢の傑作とやらと共に消え失せろ!』


 やばい! スーツがいよいよ壊されそうだ! これが壊れれば俺は1秒と保たずスクラップだ!


 た、助けてぇ!



「はぁぁぁ!」


 電気棒で嵯峨山に襲いかかる。しかし、当然素人の攻撃など喰らうはずもなく、嵯峨山はヒョイッと躱すと、体勢を崩した僕の背中を蹴り飛ばす。


「ぐはっ!」


 勢いよく前に倒れ込む。


「おいおい、そんなもんかよ。俺はあんま動いてねぇんだぞ? もっと来いよ、ほら」


「くっ、この……。調子に乗るな!」


 次は立ち上がり座間に横になぎ払う。しかし、それも躱される。続けて攻撃を喰らわせようとするが、全て躱されるか捌かれてしまう。


「つまんねぇな。だったらこっちから行くぞ!」


 すると、今度は向こうから仕掛けてきた。右拳を引いて殴るモーション。これなら右を気をつけていれば……。


「ぐふっ!?」


 ひ、左!? くそ、右は気を引く為の陽動だったのか!


「おらおらどうした! そんなもんかよ!」


 怯んだ間に続け様に殴ってくる。とても避ける事など出来ず、されるがままに殴られる事しか出来ないでいた。立て続けの連続パンチからの蹴り、そしてトドメのアッパーカット。


「ぐがっ! ……あが、ごほっごほっ!」


 激しい痛みに咳き込む。僕の一七年間の人生に於いて、こんなにも殴られた事があっただろうか。いや、そもそも殴られた事自体ない気がする。身体のそこかしこが痛む。痛みで上手く立ち上がれない。


「音々さん!」


 ネオが悲鳴じみた声を上げる。


「あんだけ偉そうに吠えてた割には、大した事ねぇな。口だけなら赤子だって動かせるぜ。出来る人間ってのはなぁ、口だけじゃなく身体も動かすもんなんだよ!」


 寝転がって縮こまっている僕の腹部に蹴りを入れてくる。それが横腹に減り込んで、更なる痛みを生み出す。それが何度も何度も繰り返される。


「ぐっ! くふっ! がっはぁ、ぐわっ!」


「や、やめて! 音々さんは関係ないでしょ!? あなた達の目的は私のタンパク質なら、好きなだけ取ればいい! だから音々さんは解放して!」


「だ、ダメだ……ネオ……」


「散々調子に乗ってくれたなこのガキが! 自分の無力さでも噛みしめてろ!」


 強烈な一撃がクリーンヒット。口が裂けんばかりに開くが、声が出る事はなく、代わりに空気が漏れ出る。


「はぁ……はぁ……。ふ、これが何だか分かるか?」


 意識が朦朧としている中で、霞む視界に何かが映る。嵯峨山が何かを持っているのが見える。目をそばめてそれを見ると、試験官のようだった。


「これはな、お前が欲しがってた奴だよ。あそこにグッタリしてやがる女の持つ特殊なタンパク質を分泌させるホルモンを消滅させる抗体だとよ。どうせこれをあいつに打って用済みにさせようって魂胆だろう? そんな事させねぇよ。テメェは何も出来ないって事が分かってねぇようだからな。教えてやるよ、俺が。お前がどれだけ無力でつまらない人間なのかをな!」


「や、やめ……ろ!」


 試験管に手を伸ばす。届け! あれが無いと、ここまで来た意味が無くなってしまう! 伸ばせ、手を!


「おらよ!」


 嵯峨山が試験管を握っている腕を思い切り振り下ろす。手から零れ落ちたそれは、かなりの速度を持って無機質な白い床に叩きつけられ、砕け散った。飛び散る硝子の破片は、ダイヤモンドのような美しい輝きを放ちながら、儚く散っていく。


「あ、あぁ……あぁぁぁ」


 中に入っていた液体は床に広がる。もう使い物にならないと僕に思い知らせるかのように。僕の努力は、全て砕けた。希望も、望みも、恋も、全てを砕かれたのだ。


「はははははは! 堪んねぇな、その顔! 自分の力の無さを突きつけられたその顔だよ! 所詮はお前なんぞただのガキ。力の無い奴はそうやって地べたに這いつくばってりゃいいんだよ!」


 上機嫌に笑う嵯峨山。


「おい、研究員ども! もう休憩時間は十分与えただろ? そろそろ採取の時間だ、取り掛かれ!」


 嵯峨山の声を聞いたのか、扉から三人程の白衣の男達が入ってくる。男達は、奥にいるネオに向かって真っ直ぐ歩いていく。すると、その内の一人が機械を操作する。レバーを倒すと同時に、


「あぁぁぁああぁぁぁあ!」


 ネオが苦痛に苦しんでいるように悲鳴を上げる。あれは確か、タンパク質の分泌を促す特殊な電流を流していると言っていた。あんなものが続けられれば、ネオの身体、音音の身体はボロボロになってしまう。


「や、やめろ……! 苦しんで、るだろ! タンパク質は……自然に出るんだ、ろ……!?」


「そんな不定期なもの待ってられるか。こっちはもっと多く必要なんだよ。効率を考えろ」


 何でも無い事のように淡々と言ってのける嵯峨山。僕は許さない。こんな、こんな奴らに、ネオを渡せない。


「……やめろ、よ」


「……何だよ、まだやる気か?」


 僕は痛みに悲鳴を上げている身体を無理やり動かして立ち上がる。力を込めると、その分痛みを感じるが、そんなもの気にならない。今は目の前の敵に集中しなくては。


「おいおい、やめとけよ。万全の状態でボコられてる奴が、そんなひでぇ格好で俺に勝てるわけないだろ?

どうせあれだろ? お前あの女が好きなんだろ? 格好つけたいだけなんだったらこれ以上はやんない方が――」


「黙れ」


 僕は一言で小うるさい嵯峨山を黙らせる。


「はっ! 強がんなよ、ガキ。そんなん威嚇になってねぇぞ」


 僕の態度の急変に若干戸惑いながらも、すぐに調子を戻す。


「黙れと言ったのが聞こえなかったのか」


「聞こえたに決まってんだろうが。だからわざわざ黙らなかったんだろ」


「じゃあいい」


 僕は下に転がっていた電気棒を拾い上げると、起動して嵯峨山を睨みつけ、言い放つ。


()()()()()()()()()()に変えるぞ?」


「……はぁ?」


 心底馬鹿馬鹿しいといった感じに肩を竦める嵯峨山。


「俺が……何だって? そんなんどうやって――」


「出来るんだよ」


 僕の言葉に、返す言葉が無いのか黙り込む嵯峨山。僕の雰囲気から本気で言っていると分かっているのだろうか。


「僕は過去から来たんだ。未来の僕を救う為に。未来の恋人を助ける為に。人がどれだけ進化しようと、お前がどれだけ筋トレをしようと、時間の流れに逆らう事は出来ない。例え時速300キロで走る新幹線を止められるぐらい強い人間でも、ゆっくり流れる時間を止める事は不可能だ。人はいつだって時間に支配されてるんだよ。お前だって、僕よりは強いかもしれない。でも、時間の流れには勝てやしない。過去でお前の親が出会わなければ、お前はそもそも存在しないものだったんだ」


「な、何を言って――」


「僕はネオに恋をした。それはどんな恋よりも複雑で、叶うものでは無かった。互いに想い合っているのに結ばれないのは何故だか分かるか? 時間に支配されてるからだ。まだ僕のいる時間に存在していないネオと、ネオのいる時間ではとっくに消えている僕は決して結ばれない。そもそも、同一人物が恋をするなんて聞いた事無い話だし」


 嵯峨山は焦ったような表情で言ってくる。


「お、お前何言ってんだよ! 同一人物? 時間? お前一体何者だ!」


「僕は熱田音々。お前達『人類永久化計画』の狙う特殊なタンパク質を持つ唯一の人間だ! 調べたかったら僕のDNA鑑定でも何でも好きなようにやればいい!」


 僕の名前を聞いて、途端に嵯峨山が青ざめる。


「熱田……音々だと!? 何言ってやがるお前! そんな訳あるか! お前が言ったんだぞ、時間に逆らえないって! 何でタイムスリップ出来てんだよ! おかしいだろ!?」


「僕のやったタイムスリップは時間に逆らっている訳じゃない。それを可能にしたのは、僕の信用する自称天才発明家だ! あいつは頼りにならないし抜けてるし、心配になるけど。それでも、あいつは僕に協力してくれた……小さい頃から一緒だった親友だ!」


 あいつは僕に「U」だなんて言ってたけど、安直だな。そんなんで僕を誤魔化す事なんて出来る訳無いじゃないか。どれだけ一緒にいたと思ってるんだよ、貴方(ゆう)


「お前に僕の恋を語る資格なんて無い! お前は僕に倒されるんだ! 僕は決めたから。未来を変える、恋を叶えるって選択を!」


 電気棒を握りしめ、嵯峨山に向かって言い放つ。


 僕は選択した。嵯峨山と戦うと。未来を変える事を選んだのだ。もう変更なんてしない。成功するまで何度でもやってやる。


 嵯峨山は苛々した様子で後頭部を掻き毟る。


「ごちゃごちゃ、ごちゃごちゃ吠えやがって。もういい、加減してやってたが我慢ならん! 二度と口聞けねぇようにしてやんよ!」


 嵯峨山からこちらに向かって駆け出した。あの巨体が凄い勢いで迫ってくる様子は、まさに生きる戦車だ。しかし、こっちも引くわけにはいかない。電気棒を構えて迎え撃つ準備をする。


「喰らえやぁぁぁぁぁ!」


 嵯峨山が眼前まで迫ってきたその時、


 バァンッ!


 凄い音が左側からした。窓が割れたのだ。その直後、僕と嵯峨山の間に介入してきた物体が。いきなりの出来事に、嵯峨山は慌てて飛び退く。


 しかし、すぐに体勢を整えると、僕の左頬に拳を叩き込んできた。その勢いで僕は右に軽く飛んでいく。床を転がり、壁に当たり止まる。鈍い打撲特有の痛みが頬を覆っている。痛みに耐えながら立ち上がろうと床に手をついた時、何かが手に当たった。


 それを拾い上げると、紛れもない電気棒だった。だが、僕は自分の電気棒を手に握っている。という事は、この電気棒は貴方の物だ。


「ふん、何だそんなもん。鉄パイプが2本になったところで何も変わんねぇよ。とっとと来いや!」


 嵯峨山が騒ぐ。僕は電気棒を両手で持ち、両方の電源を付ける。


「貴方が助けてくれたんだな。ありがとう、お前の力、借りるぞ!」



「あぁぁぁぁ! 割れる割れる割れる割れる!」


 俺は今まさに万能重機「プロトQ」に押しつぶされそうになっている。こんな化け物に潰されたら堪らない。痛くてしょうがないのだろう。俺の天才的な脳みそが流れ出てしまう。想像しただけで吐き気がする。


『潰れろ潰れろ! 目障りなんだよあなたは! さっさとスクラップです!』


 やばい、あいつは本気だ。城所の今の俺への敵意の約八割は完全なる個人的な恨みだろう。いつも一歩のところで俺に越される事に腹を立てていたのだ。情けない。


 そもそも今奴が優勢なのは俺の設計した「プロトQ」のおかげだろうに、皮肉なものだな。


 それより今はこの状況から抜け出す方法を考えなくては。このままだとあと30秒もしない内にスーツごとグシャッ!っとなってしまう。


 だが、こいつの装甲はとてもじゃないが突破出来る物ではない。俺の今持ち合わせている装備では無理がある。


 こいつの動きを止める方法は、コックピットに乗り込んで城所を直接叩くか、動力源を破壊して機能を停止させるかのどちらかしか無い。しかし、1つ目は現実的では無いな。コックピットに入るには、「プロトQ」の一番上に登ってハッチを開かなければならない。あんな完全武装の重機の背中に乗るなど至難の業。それに、もし登れたとしてもしても、そもそもハッチはロックされていて開かないだろう。


 となると、残された方法は動力源の破壊……。


「こいつの動力源はキャタピラのすぐ上辺りなんだよなぁ。ちょうど車体の下に潜り込めてるのはいいが、ここで起爆すれば間違いなく俺もおじゃんだし……」


 だが、俺が抜けてしまえば、折角持ち上がっている車体が再び地に足を着けてしまう。そうなったら破壊は不可能。どうにかして車体を持ち上げ、腹を出さないと……。


「そんなパワーある物なんて無いしな……」


 一応手探りで持ち物を確認する。すると、何かがポケットから落ちてしまった。


「何だこれ? ……って、ただの『携帯型緊急用クッションか」


 これはロボットに追われていた時に音々が使った巨大なエアバッグだ。本当は高い所から飛び降りる用のクッションなのだが。


……ん?


「いや、待てよ? ……俺天才かも」


 俺はある突破口を導き出してしまった。どうやら今回も俺が城所の一歩先を行くことになりそうだ。


 いくぞ!


「緊急脱出!」


 俺は「鉄靭」から緊急脱出するボタンを押す。すると、高速で俺がスーツから射出される。勢い良く「プロトQ」の下から飛び出した俺を見て、城所の驚いたような声がする。


『な、何ぃぃぃぃ!? 脱出したのか!? どうやって!?』


「ばぁか! 発明家は常に全ての緊急事態など想定してるんだよ! 脱出用の機能だって造ってあるわ!」


 そう城所に叫ぶと、スーツが噛んで僅かに空いた車体下の隙間に、「携帯型緊急用クッション」を投げ込む。地面に設置されたそれは、急速に膨張し、巨大な重機を下から持ち上げていく。空気の力は偉大だな。


『な、なななんだ!? 車体が! 車体が、かかか傾いている!? どうなっているんだ!』


 焦った城所の声が丸聞こえだ。こりゃあいい。


「こいつでデケェ花火上げてやろうじゃねぇか! 喰らえ!」


 俺は、膨らんで「プロトQ」を持ち上げているクッションに、スイッチによる遠隔操作型の小型起爆装置をポンポンと付けていく。五つ程付け終えたところで、被害に遭わない範囲まで逃げる。


『こ、こら! 何処に行く!? 待て!』


 俺に静止するよう呼び掛けてくる城所。そんな言葉など聞き入れるはずもない事は分かっているのだろうが、そう言わずにはいられないのだろう。


 爆破による影響が出ないであろう位置まで離れると、振り返って城所に向かって叫ぶ。


「たーまやー!」


ポチッ……。 ドカァァァァァァァン!


 起爆スイッチを押すと同時、「プロトQ」が大爆発。


 下側に搭載されている動力源が破壊されたのか、今まで元気に動き回っていた砲身も機関銃も、各種アームも項垂れ、やがて動かなくなった。どうやら勝負は着いたようだ。


「まだだぁ!」


 大声で叫ぶ声が聞こえた。振り返ると、炎に包まれた「プロトQ」を背に立つ一人の影。まだ諦めていないらしい。


「貴様だけは……許さん!」


 そう言って拳銃を構える影。


「それはこっちの台詞だ! 俺はお前らを決して許さない!」


 俺は拳銃型スタンガンを構えて狙いを定める。


「ふん、そんな玩具で何が出来る!」


「さっきもおんなじ事言ってボコボコにされてただろうが! 相手を見くびり過ぎなんだよ」


 その瞬間、燃え盛る鉄屑が再び爆発を起こした。それを合図に引き金を引く。


 ……前に撃たれた。乾いた破裂音がしたと思ったら、胴体に衝撃が走った。


「なはははははは! 犠牲を出さずに何かを救おうだなどと、何と欲深き事か! 貴様の敗因はその強欲さにある! 犠牲無くして理想は築けん!」


 完全に自身の勝利を確信している城所を見ていると、どこまでも哀れな奴だと思えてくる。学習能力の無い奴は周りに抜かされ、やがて追いつけなくなってしまうのが何故分からない。


「甘いなぁ、城所」


「……何?」


 俺は白衣の下の服をまくり上げる。


「な、なな、き、貴様……それは……!」


「生身でこんな場所乗り込む訳ないだろ。……防弾チョッキぐらい着てるわ、馬鹿野郎」


 スタンガンの引き金を引く。発射された弾は真っ直ぐ城所の首目掛けて飛んで行く。もう逃れる事など出来はしない。


「痺れろ」


「や、やめろぉぉぉぉぉぉぉ!」


 城所に命中した弾は高圧の電気を流し、着弾した者を容赦なく気絶へと追い込む。やがて城所は動かなくなり、倒れ込んだ。もう、一晩は起きられないだろう。これで俺の戦いは終わった。過去との因縁には決着がつけられたのだ。


「後は頼んだぞ、音々……!」



 当たらない。全く当たらない。最早電気棒が奴に当たらないように躱しているのではないかと思えてくる程当たらない。


「は! その程度かテメェの覚悟は! そんな当たりもしない大振り、意味ねぇんだよ!」


 攻撃を仕掛ける度に躱され、カウンターを受ける。だんだんと、なけなしの体力が削り取られていく。このままじゃ拉致が開かない。


「はぁ……はぁ……」


「お? 何だもう終わりか。最後までつまらん奴だ。ちっとはマシになるかと思えば。暇つぶしにもならねぇ」


 限界だ。体力も無いし、殴られた所がズキズキと痛む。もうやめてくれと僕に訴えかけているみたいだ。これ以上は勝機なんてほぼ無いに等しいと言える状況だ。


 しかし、


「そんなんで諦められたら、何も出来ない……な」


 電気棒を、まだ少しだけ残っている力で握りしめ、再び立ち上がる。


「くそ、往生際の悪りぃガキだな。そんな当たらない棒振り回してたって意味ねぇよ」


 確かに、当たらない攻撃を続けてたって何の意味も無い。


 責めて嵯峨山をスルーしてネオを拘束しているあの装置が破壊出来ればいいのだけれど、とてもじゃないけど嵯峨山をやり過ごすなんて出来やしない。装置を破壊するどころか、ネオに近づく事すら不可能だ。


 そもそもこの電気棒は、電子ロックを破る為の道具だ。攻撃用じゃない。どうせ作るなら対人用のが欲しかったとここに来て思う。自動で敵に攻撃できるようなセンサーとか装置とか付けてくれれば良かったのに。何だよ電極が変えられるとか。要らないよそんな無駄な機能。何の為に付けたんだそれ。理科の実験用かよ。


「まったく呆れるな、貴方の馬鹿さには――」


 そこまで言ってはたと気付く。今僕が持っている電気棒は二本。そのどちらも電極の操作と出力の調整が可能。もし成功すれば、僕はここから動く事なく奴を倒す事が出来るかもしれない。


「俺もつくづくそう思うぜ。Dr.Uは馬鹿だ。俺達裏切るなんてよ」


「貴方を馬鹿にするな! あいつは天才だ!」


「どっちなんだよ! さっき『馬鹿さに呆れる』って言ったばっかじゃねぇか! お前ら揃いも揃って俺を舐めてんのか!」


 なんて事だ。やっぱり僕の親友は天才だった。「U」が貴方だと気付いた時は正直間違いだと思った。特に発明家とか興味なんて皆無だと思っていたからだ。だが、一緒に行動して分かった。あいつは間違いなく貴方だ。それに気付くのに一晩も要らない。だって僕はあいつの親友なのだから。


 だからこそ、貴方も俺に起きた異常事態を何とかする為、技術者という道を選んだのだろう。まったく、進路は周りに流されちゃダメだって散々言われていたはずなのに、しょうがない奴だ。


「むふっ、ふふ……ふふ」


「な、何がおかしい!? 気持ち悪いんだよお前のその企んだような笑い方はよぉ!」


「いや、やっぱり僕の親友は天才だと思ってね」


 僕は着ていた防弾コートを脱いで動きやすい格好になる。拳銃を持っていない相手に着ていても意味が無い。


 僕は電気棒の電極を操作する。両方の電気を+にし、出力をどちらも最大にする。電気量が先程と比べ物にならないくらい増幅している。片方を思いっきり上に投げる。そしてもう片方を両手でしっかりと握り、構える。僕の可愛い妹がお世話になっている彼氏に教わったように。


『いいですか? まずはしっかりと腰を落としてください。足腰をガッチリ固定して踏ん張れる体勢をつくります』


 腰を落として構える。


『そしたら、バットを握る手を後ろで構える。しっかり腰を捻ってください。腰を捻らないとちゃんと打てませんから』


 腰を捻って電気棒を構える。


『後は、落ちてきたボールをしっかりと感じてください。ただ目で追うだけでは視覚的なものに囚われ過ぎちゃうので、どこにどう落ちてくるか予測します』


 落ちてくる電気棒に目をやる。そこからどこに来るかを感じる。


『そして、「ここだ!」と思ったら思いっきり振ってください。当てにいくと意識しなくても大丈夫です。さっき予測した場所目掛けて、持てる力の全てを出し切って振るんです』


 予測は出来てる。腰を最大限まで捻って力を蓄える。まだだ……まだ、足りない。もう少し、もう少し……。


『ボールを感じた自分を信じて!』


「ここだ!」


 バキィンッ!


 捻った腰を逆に捻り、渾身の力を溜め込んだ一撃を落ちてきた電気棒に加える。同じ極同士の電気は反発し合い、強力な力を含んで飛んでいく。僕が打った電気棒は高速で回転しながら目に見えない程のスピードで嵯峨山の方に飛んで行く。


「な、何だ!? ま、待っ――」


 驚いて仰反る嵯峨山の頬を掠めて、電気棒は奴の背後の方に飛んで行った。


「……あ、危ねぇ……。何だ今のは……。あんな速さで打つなんて不可能だろ……」


「電気の力だ。もうお前には負けない」


「はっ、強がんなよ。お前は外したんだぜ? 正直に悔しがれよ!」


 再び立ち上がって襲い掛かって来そうになった嵯峨山を静止させるかのように、背後で爆発音が鳴り響く。


「なんだ!?」


 嵯峨山が驚いた顔をして振り返る。見ると、先程までネオの周りで作業をしていた研究員らしき男達は、爆発に驚き逃げていた。そして、ネオに電気を流し込んでいた装置の制御をする機械には、先程僕が打った電気棒が刺さっていた。それによって装置が機能を停止し、ネオが解放される。


「テメェ……、俺じゃなくあっちを狙ったのか……!」


「そういう事だ。ネオはこれ以上傷つけさせない!」


 悔しそうな表情で僕を睨む嵯峨山。怒りに任せた様子で僕に突進してきた。


「もう許さねぇ! ぶち殺してやる!」


「その前にお前を倒す!」


 僕も負けじと向かって行く。嵯峨山の拳が届く前に、電気棒を叩き込んでやる!


 全力で電気棒を振り下ろし、嵯峨山の頭を狙う。しかし、すんでのところでグリップを掴まれた。力を込めて押し付けようとしても、びくともしない。


「へなったれた攻撃なんざ受けねぇよ! とっととくたばりやがれ!」


 空いている方の拳で殴ろうとする嵯峨山。そんな彼に僕は一言。


「お前がな」


 握っている電気棒の極をーに切り替える。当然反対の極同士は引き寄せられる。質量が軽い方が重い方に飛んでくるのだから、飛んでいった方が引き寄せられ、戻ってくる。こちらの電機棒に引き寄せられた電気棒は、ある程度の速度を持って飛んでくる。それが嵯峨山を背後から襲撃した。


「アガガガガガガッ!?」


「痺れろ」


 暫く電気を流す。そして電気棒の電源を切ると、嵯峨山を痺れさせていた電気棒は地面に転がった。電気から解放された嵯峨山は白目を向いて倒れ伏した。


「少しはネオの苦しみが分かったか?」


 僕はそれだけ言うと、ネオの元に向かった。


「大丈夫か!? ネオ!」


 倒れているネオを抱き上げる。音音の感触を直に感じる。とても弱々しい華奢な身体。守らないといけなかったのに……。


「ネオ、ネオ! 頼む、目を開けてくれ!」


「……ね、音々、さん……」


「ネオ!」


 ネオが目を開けてくれた。その目からは涙が溢れる。


「ごめん……なさい。私は、あなたに……辛い事を」


「何言ってるんだよ! ネオは頑張ったじゃないか!

ネオの望みは僕の望みだ。姿や性別が変わっても本質は変わらないんだろ? 音音に対する気持ちだって変わらないはずだ! 君が音音が好きだったように、僕も音音に恋をした! それだけだよ!」


 音音の柔らかい手が僕の頬に添えられる。彼女の温度を感じる。とても温かくて、安心する温度。


「良く……頑張ったね」


 あぁ、ダメだ。堪えられない。何故だろう。僕は泣きやすい性格じゃないはずなんだけどなぁ……。


「……あぁ、頑張ったよ。すごい頑張ったんだよ! 好きになった初恋の相手が急に訳分かんない事だけ言い残してどっか行っちゃうし! 僕が本当に好きだった子は一人だけ事故に遭っちゃったし! その子が好きだったんだって気付けたのはその後で……もう、どうすればいいのか分かんなかったんだよ!」


 本当に辛かったのはネオの方なのに、僕は堪えきれずに泣き喚いた。どうしようもないんだ。


「確信もないまま未来に来ちゃった時、いきなり知らない男に襲われるし、変な基地に乗り込んで、ボコボコにされて、苦しかったんだ!」


「うん……頑張った、君は凄く頑張った」


「でも……一番苦しかったのはネオだから、助けたかった。だからここまで来れたんだよ。あと……貴方のお陰」


 優しく宥めるようなネオの表情。その顔からは、事故で失われる前、ネオとの急な別れに戸惑い、落ち込んでいた僕を慰めてくれた音音が蘇る。


「ありがとう、ネオ」


「ありがとう、音々さん……」


 互いに決して交わる事のないはずの二つの滴が、無機質な白い床に重なり合い、温かみのある透明色に光る。


 ――そんな感動を打ち破る新たな敵が。


「おやおや、困るのですがね。人の家に勝手に殴り込んで来たかと思えば、好き放題物を壊してくれるとは……。教育がなっていないのでは?」


「だ、誰だ!?」


 いきなり聞き覚えの無い声が介入してきた事に驚き、声がした入り口の方を振り返る。そこにいたのはスーツの眼鏡を掛けた男。その隣には、同じくスーツに身を包んだ女性。見た感じ、男の秘書のようだ。という事は……。


「お前が『人類永久化計画』のボスか!」


「ご明察。私こそが、崇高なる『人類永久化計画』の最高責任者、長谷川永之と申します」


 そう言って仰々しくお辞儀をする長谷川と名乗った男。何だろう、初対面なのに凄く嫌な感じがする。僕の本能のようなものなのだろうか。この男の全てを、僕の中の何かが全力で拒否している。それ程の何かを、この男から感じる。


「おやおや、何だか嫌われてしまっているようですね。その嫌悪に満ちた顔、本当に過去の『50-781』なのですね……実に興味深い」


「ご、50……何?」


「あぁ、失礼。確か彼女にはコードネームがあったんですね。確か……『NEO』、でしたか?」


 長谷川の言葉に、途端に僕の沸点は頂点を超えた。お腹の辺りが焼けるようだ。今、僕の胃液はマグマの如く煮えたぎっている事だろう。


「お前、ネオを番号で呼んだのか……?」


「えぇ、そうですが……。それが何か?」


「人を番号で呼ぶな! 彼女には貴方(ゆう)がつけてくれた名前があるんだよ!」


「人? 何か勘違いしていませんか?」


 呆れた顔で首を左右に振る長谷川。


()()は被検体番号50-781、『強制母体化薬製造機』です。ただ、姿形が人間と同じだけの」


「ふざけるな!」


 そうか。何故、何も知らない長谷川の事を見ただけで、あんなにも奴に対する拒否反応が起きたのか。その理由が分かった。


 奴の見る目に人が映っていなかったからだ。奴はネオを抱える僕の方を見ていた。その瞳は人に向けるものではなかった。ネオを道具としか見ていない。そんな違和感を何となく感じたのだろう。


「人と姿が同じだけだって……? ただの道具が感情を持ってる訳無いだろ! ネオはな、笑うんだよ! 今まで数えきれない程多くの人の色んな笑顔を見てきた。その中でも一番輝いて見えたんだ! あんなにも柔らかい笑顔を見せてくれるネオが人間じゃないだと? そんな考え方しか出来ないお前の方が、よっぽど人間らしくない!」


「馬鹿馬鹿しい。例えそれを人間だと思ったところで、何が変わると言うのです? ただ我々が求めているのは、それが作り出す特殊なタンパク質だけです。そいつの脳が無ければ作る事が出来ない代物だ。……それもあなたも、その『身体』にこだわっているだけでしょう? 我々が必要としているのは、あなたの脳なんですよ。代りになる身体など、そこら中にウロウロしている」


「お前、音音まで道具扱いするのか!」


「自我を失い肉塊と化した人間はただの人形も同然ですよ。あなたはこの計画を台無しにしようと企んでいる。だから我々の基地に乗り込み、抗体を狙った。そもそものタンパク質製造源そのものを抗体でなくしてしまえば、この計画は生まれなかった事になる」


「……何でお前が僕の事を知ってる?」


 こいつは、まるで僕の今までを見てきたような口ぶりだ。さっきも僕の事を過去のネオだと言っていた。僕の正体に気付いているのか?


「えぇ、あり得ない話ではありませんからね。Dr.Uならタイムスリップだって可能に出来る」


「知ってるなら話が早い。……抗体の作り方を教えろ」


 長谷川を鋭く睨みつける。長谷川は怯む事なく、飄々とした様子で僕を舐めつけるように見ている。


「残念ですが、それは承知しかねます。我々がどれ程苦労してこの計画を進めてきたとお思いなのですか?」


「苦労しているのはネオの方だ! お前達のやり方は間違ってる!」


「では他にどうしろと? 人類を救えるのは同じく人類のみ。同族を救う犠牲になれるのだから、光栄に思っていただきたい」


「ならあんたがその犠牲になればいいだろ」


「世界は私を必要としている。故に、私は犠牲になる事は出来ないのです……」


 わざとらしく残念そうに肩を落とす長谷川。


「お前が必要か決めるのは世界じゃない、人々だ!」


 僕が言った言葉を聞いて、嬉しそうに顔を輝かせると、パンと手を打った。


「ではこうしましょう。あなたの言う人々に、『これから大規模な少子高齢化が始まります。それを防げる一人の少女が皆さんの為の犠牲となるのに、賛成するか、反対するか』と」


「何が言いたい……」


「おやおや、本当は分かっているでしょう? そんな選択誰もが『賛成だ』と答え、そして少子高齢化問題が解決すると喜ぶ姿が!」


「ふざけるな!」


 僕は狂った長谷川に異議を唱える。


「大体、犠牲はネオだけじゃない! 無理やり性別を変えられた上に望んでもいない妊娠を教養される人々はどうなる!? その人達だって犠牲者になるんだぞ! そんなの聞いて誰が納得するんだ!」


「おっと、勘違いしないで頂きたい。母体化させるのは、犯罪、つまりこの世の秩序を乱した者から選出するのですよ? 彼らの犠牲を慰る人間がどこにいると?」


「……狂ってる」


 ダメだ、奴には何を言っても通じない。奴にとって、自分以外のモノは全て物でしかない。そんな奴の情に訴えたところで、何の意味もなさない。だって、奴には情なんてものが存在しないのだから。


「それより困りましたね。50-781管理部長、あなたには侵入者の殲滅を命じたはずですが、よりにもよって子供相手に負かされ、地べたに転がってしまっている。屈辱ではないのですか? 何とか言ったらどうです?」


 するといきなり気絶している嵯峨山を蹴り飛ばした。連続で蹴りを入れる。


「な、何してんだよ!」


「何、とはどういう事です? まったく、頭の悪いものは使い物になりませんね。もういいです。立てないのであれば、一生寝てなさい。……やれ」


「はっ!」


 長谷川は、秘書と思しき女性に一言命令を下す。やれと言う事は、まさか……!?


「やめろ!」


 嵯峨山に向けて拳銃を構えた秘書に向かって電気棒を投げつける。だが、ボロボロの身体で遠い的に当てられるはずもなく、転がっている嵯峨山の近くに落ちた。しかし、それにより秘書の注意がこちらに向いてくれた。


「あの子供、始末しますか?」


「いや、彼は過去の50-781だ。彼を殺してしまったら計画が台無しだ」


「御意」


 危ない。今のは完全に殺される流れだった。


「どうしたというのですか? こいつはあなたをそんなになるまで攻撃してきた敵でしょう?」


「でも、僕は死んでない。なら、そいつだって死ぬべきじゃないだろ」


「どこまでもおかしな考えだ。……こいつもおかしな男だった。ただの実験用モルモットと何ら変わらない50-781に構って世話をよくしていたのだから。50-781が命令に背いた時の再教育なんかをさせた時、暴力による強制をしていたが、その後は決まって誤っていたな。その様は実に滑稽だったよ」


 そう言ってクスクスと肩を小さく揺らして嘲笑う長谷川。


 どういう事だ? 嵯峨山が、世話? 強制後に謝罪?


「自信が可愛がっていたモルモットを誰かに横取りされるのは気に食わないだろうと思って、侵入者の排除を命じたのに、子供に気絶させられるとはな……。どこまでも救いようのない男だ」


 心底呆れている様子で嵯峨山を上から見下す長谷川。可愛がっていただって? 誰が、誰を?


「ん? あぁ、なるほど……。あなたは知らないのでしたね。この男は、戦闘に特化した武装部隊、50-781の管理部隊長なのですが、どうも監視対象に情が芽生えたらしく、えらく気に入ったようで……」


 長谷川は困った様子でポリポリと後頭部を掻く。


「私の命令は絶対なので、逆らえば今後の生活の保証はしかねるという決まりなのですが、この男は50-781に苦痛が伴うような命令が下ると、終わった後に決まって謝罪するのですよ。それも何度も。見ていて気味が悪く……」


 嵯峨山が、ネオに対して情が芽生えた? まさかそんな……。


「そいつはネオにさっき酷い事したばっかだぞ? 研究員達にタンパク質の採取を命令してたし……」


「まぁ、それは私の命令ですから、実行しない訳にはいかないでしょう?」


 馬鹿な……。もし、長谷川が言っている事が本当なのだったら、ネオに酷い事してたのは自分の意思じゃない、寧ろ謝り倒す程申し訳ないと思っている。そして身の回りの世話も自ら進んでやっていた……と。あれだけ必死に、僕のネオ奪還作戦を妨害してきたのは、ネオを得体の知れない奴から守る為だったのだとしたら……。


「マジかよ……」


 こいつ、僕の事好きになったのか? いやいやいや! まだ恋とは決まってない! ただのlikeの方かも知れないし! えぇー、でもあんまし変わらない……。


「……うっ、うーん」


 嵯峨山が目を覚ました。


「おや、良く眠れましたかね?」


「は、はぁ……。……ぼ、ボス!? 何故ここに……! いえ、申し訳ありません! すぐに侵入者を始末して――」


「もういいです。あなたは任務を遂行出来なかった。それだけです」


「ま、待ってください!」


 まずいぞ。もしこのまま嵯峨山が許してもらえなければ、あいつは間違いなく殺される。それだけは嫌なのだろう。必死に謝罪を重ねる。


「次こそは必ず始末します! ですからどうか――」


「次? もう遅いのですよ。私はしっかり伝えたはずです。失敗は許されないと。一度で始末しなさいと。……仕方ありませんね。では、これで――」


「待ってください!」


 手を挙げて秘書に合図を送ろうとしていた長谷川を、嵯峨山が遮る。すると、何と土下座を始めた。それぐらい、どんな人間でも死ぬのは嫌だと言う事だ。


「俺の失敗は俺の責任です! 誰の所為でもありません! 処分されるのは俺だけで十分だ! だから、()()()()()()()()ください!」


 ……ん? ネオ?


「……いいでしょう。あなたがそこまで言うのなら、50-781の処分は検討しましょう。では……」


 パァンッ!


 そう言った瞬間、控えていた秘書が、長谷川の合図で嵯峨山の胴体に弾丸を撃ち込んだ。ついさっきまで、僕を殺さんとばかりに動き回っていた筋肉の塊が、鉛玉一粒で崩れ落ちる。白い床が紅く染められていく。


「……なぁんて。最初から50-871の処分なんて考えていませんよ」


「そ、それは……どういう……?」


「あんなのはあなたを命令に従わせる為の単なる脅しですよ。あなたは自身の命など顧みない性格なので、あなたが溺愛している50-781を処分すると言ったまでです」


「そんな……」


 ショックを受けた嵯峨山が力尽きて頭を垂れる。


 嵯峨山が土下座をして頼んでいたのは、自分の命が惜しかったからじゃない。ネオを人質に取られていたからだったのか。それであんなに必死になって……。


 悪い奴だと思っていた。ネオを道具としてしか見ていない奴だと思っていた。だからこそ、命が燃え尽きるこの瞬間に、とてつもない後悔が僕の頭の中を埋め尽くしていく。


 もっとお互いを知ろうとしていれば、あるいは協力する事だって出来ただろうに。僕はまた、選択を間違えてしまったのだろうか……。


「……いや、違うな」


「何です?」


 僕の独り言に、長谷川が不思議そうに首を傾げる。その顔は少しだけ怪訝そうだ。自分に理解出来ない事が起こると不愉快になるタチらしい。


「いや、悪い。少し思い違いをしてただけだ」


「ほう?」


「僕の選択は、決して好ましいものじゃなかった。嵯峨山を敵だと決めつけ、もっといい未来があったかもしれないのに、それを台無しにしてしまった」


「つまり何が言いたいのですか?」


 少し苛立ったような口調の長谷川に質問する。


「お前は今までの人生で、後悔したことはあるか? 選択肢を間違えて、『ああすれば良かった』って」


 質問された長谷川は、僕を小馬鹿にしたようにフンと鼻で笑うと、顎を突き出し見下すような態度で自信満々に言ってくる。


「選択肢を間違える? 私が? あり得ませんね。そもそも、正解を選ぶのは私ではありません。私が選んだ選択が正解になるのですよ!」


「そうか、もういい」


 僕が端的に告げると、長谷川は心底不快だと、眉を潜めて訴えてくる。僕の言いたい事が未だに分からないらしい。


「教えてやるよ、何も分かってないお前に。お前は既に負けているって」


 少しの間ポカンと口を開けていた長谷川は、やがて腹を抱えて大笑いした。そんな態度が取れるという事は、まだ自分の計画が失敗している事にも気付けていないのだろう。


「何故私が負けた事になっているのですか? あははははは! あーおかしい!」


「おかしい事なんて何一つ無い。お前は負けている」


 僕の一言で、愉快そうに笑っていた長谷川の顔がスッと真顔に戻ると、今度は鋭く僕を睨みつけてきた。不愉快で仕方が無いといった感じだ。


「……何故そう思うのです?」


「お前は自分が選んだ選択肢が正解になると言ったな? つまりお前は選択を誤っている事にすら気付けていない訳だ」


「誤り? 馬鹿な。私の導き出した答えは絶対です。間違いなど――」


「あるんだよ」


 僕の指摘に、苛々が増したのか足をトントンと鳴らして表情が険しくなる。先程までの余裕のある態度から一変、予測不可能な僕の発言に困惑し、それを理解出来ない自分に対して怒りを感じているような雰囲気だ。


「お前は間違えた。『人類永久化計画』なんてものを立ち上げた事を。貴方を野放しにしていた事を。僕を見下していた事を。そして――」


 僕は隣で横たわっているネオを横目で見る。その痛々しい姿を見ると、


「ネオに酷い事をして、僕を怒らせた事だ!」


 対する長谷川は、やはり僕を見下すような態度で言い張る。


「くだらない! それの何が間違いだと? 私の選択は正解となる! あなたが決める事ではない!」


「いいや違う! 誰しも間違いはあるし、それにいずれ気付くことになる。だがな、本当に大切なのは選択を間違えないようにする事じゃない。間違いをどうやって成功に繋がるかが重要なんだ!」


 以前の僕なら、絶対にそんな事は言えなかっただろう。いつも失敗ばかりで成長しない自分に嫌気がさしていた。もうどうにも出来ないと思い込んでいた。だって未来は誰にも分からないから。正解出来るのは、運の良い人達だけだと思っていたのだ。


 でも、それは違った。人生に於いて成功を重ねている人達に共通して言える事。それは間違いを成功に繋げていた事だ。例え間違った選択をしてしまっても、工夫次第で成功に、あるいは正解を選んだ場合以上の成功に繋がる可能性だってある。


 それに気付かせてくれたのは、貴方やネオ、清川に音音。色んな人が僕に教えてくれたんだ。だから変われた。選択という無限の可能性に囚われていた僕を、成功へと繋がる一筋の道標を指し示してくれたから。


 長谷川は、今までで最も顔を歪めて激しい歯軋りをし、頭をガシガシと掻き毟っていた。


「そんな事……どうだっていい」


 そう呟くと、次の瞬間驚きの行動に出た。秘書から拳銃を奪い去ると、僕に銃口を向けてきたのだ。


「なっ……!?」


「ふ、ふふ……。油断していましたね? 私が未来のあなたを必要としているから、過去のあなたは殺されないと。甘いですね、甘いんですよ! 詰めが甘いから油断をする! 間違えたのはあなたのほうです。私を怒らせた事が!」


 いつ撃ってもおかしくない勢いだ。何故? 奴はネオが必要なはずなのに、僕を殺したら元も子もない。


「あなたはDr.Uの作り出したタイムマシンで来たのでしょう? あれの仕組みはご存知ですか? 過去や未来に飛んであるべき歴史を改変した場合、その記録は全てタイムマシンに内蔵されているディスクに保存されます。歴史改変を分かりやすく表現するならば、通常丸い形をしている輪ゴムを、伸ばしたり折ったり捻ったりして、本来の姿を変えるようなもの。そして、それは固定しなくては元に戻ってしまう。だから、それを押さえ付けて仮止めする必要がある。その仮止めのデータをタイムマシンに保存する事で、改変は成立する」


 何だか難しい話だ。どういう事だろうか。


「では、もしタイムマシンに保存されている仮止めのデータを消去するとどうなると思いますか? 無理やり形を変えている輪ゴムを固定している手を離すとどうなりますか?」


 輪ゴムの形を変える? 伸ばした状態とか? それを持っている手を離すと……。


「元に戻る?」


「その通り」


 まさか……!


「あなたが使用したタイムマシンに保存された改変後のデータを消去すれば、あなたがこの時代に飛んできて無茶苦茶やったという事も……いや、そのもっと前。50-781が過去に飛んであなたと接触したという事実さえも無かった事になる。そうすれば、あなたが過去を改変するという誤った歴史は生まれない。50-781が動き出す前に捕らえてしまえば全ては元通り」


 じゃあ、それが可能なら、僕はここで殺されても、奴がタイムマシンのデータを消去してしまえば、僕が殺される事も無かった事になって、またつまらない僕に逆戻りという事か?


「そんな……」


「やっと分かりましたか! あなたは邪魔だ。一度消えてもらう。安心してください。どうせあなたはまた会えるのですから、その50-781に。……正しい歴史が流れる、一五年後に」


 ダメだ、撃たれる! 防弾コートは身につけていない。とても避けられない!


「アディオス」


 乾いた炸裂音とほぼ同時に視界が暗くなる。あぁ、ダメだ。もう目が見えなくなったのか。最後に……ネオの顔が、見たかった……。


 そう思った矢先、今度は視界が明るくなった。天国にでも着いたのだろうかと思ったが、違う。晴れた視界の先には、驚いた表情の長谷川がいた。しかしその姿は、直後に赤いカーテンで遮られた。いや、これは……。


 嵯峨山の時と同じ、紅い血潮だ。白い空間を赤く照らす。僕の血ではない。服を赤く滲ませたネオが目の前で力なく倒れる。


「……ネオ? おい、ネオ……ネオ!」


 今まで倒れていたはずのネオが、僕を庇ったのだ。きっと目を覚ましてすぐだっただろう。目を開けたら銃口を向けられ硬直している僕を見て、反射的に飛び出したのだ。


「くっ、邪魔をするな!」


 再び銃口をこちらに向ける長谷川。とにかく撃たれまいと、項垂れるネオを抱えて物陰に隠れる。あまり意味は無いが、ネオの無事を確認したかった。僕はネオに必死に呼びかける。


「ネオ、ネオ! 頼む、起きてくれ!」


「……ね、おん」


「ネオ!」


 薄らと目を開けるネオ。大丈夫、まだ意識はある。絶対に助けられる。焦るな、パニックになっちゃダメだ。落ち着け、落ち着け……!


 しかし、そう思っている僕とは反対に、ネオは穏やかな表情で微笑みかけてきた。


「もう、いいん……だよ」


「……何がだよ」


「私は、結局……消える、から。あなたは、あなたの……やるべき、事……を――」


「嫌だ!」


 大粒の涙が僕の頬を伝って滴り落ち、ネオの頬に溢れる。


「消える? ネオが? 嫌だそんなの! ネオは僕を助けてくれたんだ! だから僕だってネオを助けたい! だって僕ら一緒じゃないか! 中身は熱田音々だ! 僕らは二人でいなきゃダメだ!」


「ううん……ダメなの」


「何で――」


 その時、


 ドカーンッ!


 遠くから激しい爆発音が響いてきた。何事だろう。


「世界が……壊れてるの」


「どうして……!?」


「私達が、二人……いるから。私達は、本来……同じ時間に、同時に存在しては……いけないの。同じ人間が、同時に存在する……。それは、世界のルールを……破っている」


 そうか。元々世界に僕は一人だけ。全く同じ人間がいてはならない。でも、僕が無理やり身体ごとこの時間に来たから、いるはずのない僕の出現によって世界が混乱してるんだ。謂わば、僕はこの時間にとってのバグ。


「このままだと、世界が……全てが終わる」


「じゃあ、どうすれば……?」


 もう、終わりなのだろうか。結局ネオの言った通り、僕とネオが恋に落ちたら、世界が崩壊するのだろうか。何で、初恋の相手に会いに行っただけで世界が壊れなくちゃいけないんだ? どうして僕の恋は全て叶わないんだ? どうして? どうして……!


「怖がら……ない、で?」


 混乱で体温が上がった事によって熱くなった頬に、優しい冷涼な手が添えられる。困ったような顔をして僕を宥めるネオ。


「大、丈夫……。あなたの恋は……きっと、叶う」


「でも、どうすれば……!」


「タイムマシンを、壊して」


 そうか。さっき長谷川は、改変した歴史の記録はタイムマシンに保存されていると言った。なら、それを壊せば全てが無かった事になる。僕がここに来る事も、音音が事故に遭う事も、世界が崩壊する事も。


 でも、


「それじゃあネオは? 僕とネオの出会いはどうなるの!? 僕は君がいたから変われたんだ! 僕は君に恋をしたんだ!」


 過去改変のデータを消去すれば、元の歴史に戻る。もちろん、ネオと僕が出会う事のない、正しい歴史に。


 僕の訴えに対して返ってきた答えは、


「恋は、叶うよ……」


 だった。


「何言ってるのさ、だってネオは――」


「あなたが恋をしたのは、私じゃない……」


「それって、どういう……」


「本当は、気付き始めてる……んじゃない? あなたが恋をしたのは、私じゃない……」


 ネオは自分の、音音の身体の胸の辺りに手を置いて言った。


「あなたが、恋をしたのは……『音音』、でしょ?」


 言葉に詰まった僕を、ネオは優しく撫でる。


「あなたが私に抱いた気持ちは、恋じゃ……ない。それは、自分が好きだったから……。恋と勘違いしただけだよ」


「僕は……」


「あなたは音音に対しても、同じような気持ちになった。でも、より好きだったのは『ネオ』の方だった。それは仕方が無い事。だって、他人より自分が好きなのは……当たり前の事、だから」


 そうだ。僕は音音と会う度に、今まで感じた事がない感情を抱いた。それが恋だったんだと、今になって分かった。でも、彼女に恋をする前に、僕は未来の僕に会ってしまった。ネオといると、謎の安心感があった。だから、音音といる時よりもよりネオの事が気になった。


 でもそれは恋じゃない。自分に対して好きだというだけだったのだ。音音に対する気持ちは、ネオに対しての感情によって霞み、恋をしている事に気が付かなかったんだ。


「何で……分かったの?」


「分かるよ。だって…….」


 ネオが何かを言おうとしたその時、すぐ横で爆発が起きた。世界の混乱による影響だろうか。窓のすぐそばにいたのは間違いだった。窓ガラスが全て弾き飛び、凄まじい爆風が押し寄せた。


 飛ばされないように踏ん張る。しかし、ネオを掴んでいた手が引き剥がされる。ネオが爆風によって飛ばされてしまった。そしてその身体が飛んで行ったのは、飛び散ってポッカリと空いてしまった窓枠。


 しまった……!


「ネオ!?」


 ネオが窓から落ちてしまう。反射的に走り出す。しかし、とても間に合わない。どれだけ全力で走っても間に合わないだろう。何とか窓まで近づけた。だが、もうネオは完全に外に放り出されてしまった。手は決して届かない。


 結局、僕はネオに手を差し伸べる事など出来なかった。ネオが急に未来に戻ってしまった時も、掴み取る事が出来なかった。ネオの手を掴む事は、出来ない……。


『私はあなたの事が、大好きです』


 いいや、掴める! だってもうネオはすぐ目の前じゃないか! あの時とは違う、今のネオはしっかり身体がある! 透けたりしない。

 

だったら……!


「掴めよ、馬鹿野郎!」


 僕は自分を叱咤し、ネオが放り出された窓から外に跳ぶ。空に向かって伸ばしているネオの手を、僕はしっかりと掴んだ。もう絶対に離さない。何があっても!


「絶対助ける。絶対に!」


 ネオを抱き寄せると、宙に浮かんでいた僕達は重力に引き摺り下ろされる。ダメだ、落ちる……!


「馬鹿……野郎……!」


 声が聞こえたと思ったら、脚を掴まれた。お陰で落ちずに済んだ。しかし、一体誰が……?


「オメェは……馬鹿だ……!」


 この声は……!?


「嵯峨山!?」



「な、何でお前が……!?」


「勘違い、すんな。俺は、ネオに……まだ、礼を言ってねぇんだよ……。だからな、礼を言うまで、ネオは死なせねぇ……!」


 驚いたような声を上げるガキ。こいつが来たから、全てが狂っちまった。


「どうでもいいから……ネオ、離すなよ。もし離せば、お前も落とす……!」


「分かった……」


 くそ、寝そべった状態で手伸ばしてる所為で上手く力が入らねぇ……。それに、撃たれた所が凄ぇ痛む。


「な、何をしている貴様は!? そいつらを離せ、馬鹿者が!」

 

パァンッ、パァンッ!


「うっ!? ぐっ……!」


背中に弾丸を二つも貰っちまった。くそ、このままじゃ……。


「嵯峨山!? おい、大丈夫か!?」


「……るっせぇ、暴れんな……!」


「す、すまない……」


 何なんだこいつは。俺はテメェを助けた訳じゃねぇっつってんだろ。何で俺を心配する? 訳が分かんなさねぇ。


 まぁ、それはネオもそうだったな。


 初めてネオを預けられた時、俺は非常に追い詰められていた。愛していた嫁が若くして亡くなったのだ。俺の運転していた車が落石に遭ってしまったのだ。岩が転がってきた方と反対側に座っていた俺は軽い怪我で済んだ。が、嫁が座っていた助手席は直撃だった。


 優しい女だった。いつもはおっとりしていて、偶に危なっかしく感じる時もあるけれど、こんな俺を否定せず、側に寄り添ってくれていたのだ。


 俺はいつも彼女に救われていた。しかし、それが当たり前だと思い込んでしまっていた俺は、彼女に何か特別な事など何もしてやれていなかった。照れ臭かったのかも知れない。俺は常に筋トレに励んでいるような奴だ。そんな俺にとって、日頃の感謝を口にする事がどれ程難しい事か、分かる奴にしか分からない。


 だが、彼女を失った今、俺は心の底から「ありがとう」と言える。何度も、何度でも言える。言ってやりたい。


 だが失ったものは決して帰っては来てくれない。


 だから俺は悲しみに暮れていた。そこにつけ込まれ、長谷川に「人類永久化計画」に勧誘された。長谷川の甘い言葉に踊らされていたのだ。


 そんな中、俺に管理を頼みたいと連れて来たのがネオだった。最初は乗り気ではなかった。自分の感情のコントロールすらままならないというのに、手の掛かる年頃の小娘の管理など、出来るはずがなかった。


 しかし、実際は違った。俺が苦しんでいるのを簡単に見破っちまったんだ。俺はその時カッとなった。「お前のような子供に何が分かる!」って、ネオを殴った。だが、ネオは気にしてないように微笑んで、「頑張ったね」なんて、何の飾りも無い単純な言葉を俺に掛けた。


 そんな言葉が俺に深く刺さった。俺は、子供に慰められるなど、プライドが許さないと、ネオの言葉に耳を傾けないように心掛けていた。だが、次第にネオに縋るようになってしまった。何なら泣きついた。筋肉しかないデカイだけの男が、色んな実験をされて苦しんでいるはずの幼い少女に慰められて、挙げ句の果てに涙と鼻水垂らしながら泣きつく。絵面を想像しただけで相当ヤバイ。


 だが、ネオはそんな事気にする事なく、俺に寄り添ってくれた。温かかった。まるで、亡くした嫁のようだった。だから、縋ってしまったのだ。


 そんな俺にネオは優しく接してくれた。「頑張ったね」、「お疲れ様」、「ありがとう」。色々な言葉を掛けてくれた。何気ない一言が、その全てが、俺を支えてくれていた。


 俺は、同じ過ちを繰り返さないようにと誓った。だから、俺はネオに感謝の気持ちを伝えた。毎日は言えなくても、言いたい時、言うべき時に感謝を述べた。


 ネオは俺にとって恩人だ。壊れかけていた俺を直してくれたのだ。そんな彼女に何も返す事が出来ずに終わりになるなんて御免だ。


 既に世界が崩壊しかけているらしい。そこかしこで混乱が広がっている。暗い外は燃え盛る炎があちこちで起こっていて、照らされている。静かだった夜は、怒号だの慟哭だので騒がしい。建物は崩れ去り、無かった道が現れ、あったはずの道が消滅する。きっとこの世界に終焉が訪れたという事だろう。


「いいか……。テメェは、ネオや……俺が、幸せになれる……未来、を……作れ」


 俺の腕に脚を掴まれ、無様にも風に揺られている情けないガキに言う。俺の願いを叶えられるのは、悔しいが目の前のガキしかいない。


「早く離せ!」


 長谷川に踏みつけられる。激しい痛みが背中に走る。だが、この手は死ぬまで緩めはしない。これが、俺に出来るネオの為の最期の使命だ。このガキは絶対に死なせねぇ!


「頼んだぞ……音々!」


 全身に持てる力の全てを振り絞り、音々を引き上げると、後方に投げ飛ばした。反動で窓から落ちる。投げ飛ばされた音々は、俺の方を振り返り、信じられない物でも見るような、驚いた顔をしていた。


 頼りねぇなぁ……。でも、あいつしか未来は変えられない。そうさなぁ……。次の世界(過去)では、嫁さんと夫婦円満な生活してぇな。


「今、そっちに行く。次はちゃんとお礼を言うから……。待っててくれ、(すず)



「嵯峨山……」


 ……託されちゃったな。あいつから。


「ネオ……」


 目を瞑り、安らかな表情をしているネオを抱きかかえる。ネオからも、沢山の事を託された。それを全部解決しなければ、終われない。


「大丈夫。次の未来は、きっと君を助けるから」


 抗体は破壊された。作り方も分からない。タイムマシンを破壊して、改変した歴史のデータが壊れれば、僕の記憶、ネオと出会ってからの記憶は無くなるだろう。でも、きっと大丈夫。次の世界では、全部を成功させるから。


「ふん! 世界は壊れる! もう何をしたところで変わりはしない! もう世界は終わりだ! ならばこの計画も全て意味を無くす! 少子高齢化問題はこれで解決されるのだ!」


 こんな状況下でも、元気にはしゃいでいられるのは何故だろうか。長谷川という男の事は最後まで分からなかった。


「もう世界は終わるのだ。貴様は何をするつもりだ?

どうせ終わりなのだ。それの願いなどどうでもいいではないか」


「どうでもいいわけないだろう!」


 僕は勢いに任せて長谷川に向かって駆け出す。そのまま右拳を、奴の頬に叩き込む。勢いに乗った渾身のパンチがクリーンヒットした長谷川は、思いっきり飛ばされ、尻餅を突いた。


「ネオの願いは僕の願いだ! 嵯峨山の希望も、僕が受け継いだ! だから僕は未来を変える!」


「……好きにすればいい」


 急に熱が冷めたように言い放つ長谷川。僕は構う事なく、崩壊寸前の実験室を後にした。


 その直後、実験室の天井が崩落した。激しい土埃が立ち込める。それが晴れると、瓦礫だらけの実験室が現れた。中にいた長谷川やその秘書、そしてネオが見当たらない。恐らく崩落した天井の下敷きになったのだろう。


 しかし、足を止めるわけにはいかない。僕は来た道を引き返した。途中、動かなくなったロボット達がそこかしこに転がっているのを見た。うんともすんとも言わなくなった鉄屑は、物寂しげに冷たくなっていた。


 出口を見つけて、動かしている脚を更に速める。外に出ると、世界の崩壊が既に進行していた。まるで夢の中にいると勘違いしてしまうほど、状況は混沌としていた。


 ビルから別のビルがあり得ない方向に生えていたり、大きな橋が直角に立って、渦を巻くように捻れていたり、空から車が降ってきていたり……。最早ここは僕の知っている世界じゃない。僕がネオと出会った世界では無いのだ。


 この世界は、僕という在るべきではないバグの発生によって混乱し、崩壊しようとしている。自然の摂理も、物理法則も、世界の定義も、全ての決まり事が、この世界では意味を為さない。これ以上、僕の所為で僕とネオが共に存在したこの世界を壊したくない。


 だから、この世界……《ネオという存在》が生まれたこの世界を僕の手で全て消し去る。そんな事をすれば、ネオという存在は無かった事になる。もちろん、無い者との思い出なんてものも無くなる。それは、彼女を愛した僕だって例外ではない。彼女が僕であっても、僕が彼女であっても、僕達は共に存在する事が出来ないのだから。


「音々!」


 呼ばれた。振り返ると、煤だらけになっている貴方がいた。彼も決着を着けたのだ。自分との過去と。


「終わったのか? 全部……」


「いや、まだだよ。まだ大切な事が残ってる」


「何が……?」


「タイムマシンに内蔵されてるディスクに保存された記録、ネオが僕に会いに来たという歴史を消去する」


「何だと!?」


 貴方は僕の両肩を鷲掴みにして揺さぶる。


「お前、そんな事したら……!」


「もちろん、最初からやり直しだ。ネオに会う事も忘れる」


「それが分かってんなら――」


「でも!」


 僕は戸惑いを隠せない様子で焦りを滲ませている貴方に告げる。


「次は絶対に成功させる! もうネオなんて悲しい一人の人間を生ませないように……! リセット後の世界で、きっと僕はもう一度ネオに会うと思う。また、ネオと出会うところからやり直しなんだ。だけど、次は全て成功させる! 抗体を手に入れて、僕の中にあるタンパク質を消滅させるんだ。だから、頼む!」


 僕は貴方に頭を下げる。


「もう一度チャンスをくれ! この世界になる前までリセットして、やり直す。リセットしたら、この記憶も無い状態になる。どんな風に変化するのかなんて分からない。何も分かってない状態でまたチャレンジする事になる。それでも、僕は約束したんだ」


 ネオが窓から落とされる前に言おうとした言葉。ネオが、僕が音音に対して恋をしていた事に気が付いた理由。それは……、


「『僕は僕だ。僕の事は僕が一番分かっている。だから、僕の望みを……願いをきっと叶えて』って、ネオが言ったんだ。だから、僕がネオの願いを叶えないと」


「ネオの……願い?」


「そう、僕の願い」


「それは……何だ?」


「ネオという存在を抹消する事だ」



 世界が終わっている。改めて辺りを見渡しながら、そう実感する。


 バイクで走って来た道を引き返し、貴方のアジト、タイムマシンがある場所へと向かっていた。貴方が運転するバイクの後ろに乗って。その途中の道は、来た時の面影を残してはいなかった。ヒビが入っていたりしている。風景もまるで違う。


「ありがとう」


「何故急に礼を言う?」


 僕の唐突に述べた感謝の言葉に、若干戸惑い気味の貴方が訊ねてくる。


「僕の親友でいてくれた事」


「そうか……。って、おまっ、いつから気付いてた!?」


「ちょ、危ない! そんなに暴れるなよ!」


 驚いたようすで振り返り言ってくる貴方に注意する。前を見ろ前を。こんな所で事故したら笑えないぞ。


「途中から。何か初対面って感じじゃないなって思ってたんだけど、貴方だって確信したのは二手に別れた辺りから」


「何だよ、分かってたのか……」


 少し残念そうに項垂れる貴方。だから前見ろって。


「本当はバレたく無かったんだけどな」


「どうして?」


「俺が技術者になってるってお前に知られたら、過去にどんな影響が出るか分からないからだよ。まぁ、結局リセットしてやり直すんなら関係無いけどな」


「そっか……」


 貴方は僕の為に発明家になってくれたんだ。僕の身に異変が起きたから、少しでも側で支えられるように。感謝しても仕切れない。このお礼は過去の貴方にしないとな。……まぁリセットしたら覚えてないと思うけど。


「あと五キロ……。もうすぐだな」


「うん」


 もう少しでタイムマシンのあるアジトに着くと言うその時。バタバタバタというヘリコプターのプロペラの音がした。テレビ局か何かが、世界に起きた異変を取材でもしているのだろうか。そんな事を思っていると、急に上空から声が聞こえた。


『そこのバイク、止まりなさい!』


 女性の声だ。バイクとは、僕達の事だろうか。マイクのようなもので声を拡大している。という事は、話しかけてきているのは、あのヘリコプターから?


『お前達の好きにはさせない! 我々『人類永久化計画』は終わらない! 我々の計画を踏みにじり、反逆したお前達だけは絶対に許さない!』


「この声……あの女!」


「だ、誰?」


 貴方がこの声の主を知っているような口ぶりで、悔しそうに唸る。


「『人類永久化計画』の最高責任者、長谷川永之の秘書だ。くそ、あのヘリ使って俺らを木っ端微塵にするつもりだぞ!」


「な、何だって!?」


 あの秘書の女の人、崩落した天井の下敷きになったと思ったのに、生存していたのか。しかし参った。最高責任者が折れたから、完全に油断していた。まさか秘書の人が追いかけてくるとは。執念深いのだろうか。


「あいつ、合コンでゲットした男が早々に別の良い女見つけた所為でフラれたんだよ。でもあいつ相当諦め悪くてな。最早ストーカー予備軍だと認定されかね無い行為に及んでたんだ……!」


 あぁ、なるほど。それは執念深そうだわ。


『お前達はこの手で消し去ってやる!』


 そんな発言の後、バシュッと音がした。振り返ると、ミサイルがこちらに向かって真っ直ぐ飛んできていた。まずい、攻撃されてる!?


「ちょ、ヤバイヤバイ! ミサイル飛んで来てるって!」


「はぁ!? そんなもん避けられるか! あいつ頭狂ってんのか!?」


 ミサイルがすぐそこまで迫ってきた時に、貴方がアクセルを全開にして急加速する。それによって目標までの計算が狂い、ミサイルが地面に着弾。凄まじい爆発が背後で起こった。あ、危ない……。


『ちょこまかと! 逃げるな!』


「無茶言うなよ!」


 間を開けずに次のミサイルが放たれた。これも何とか躱す。でも、これもいつまで避けられるか分からない。この調子で来られたら流石に逃げ切れないだろう。


『これで終わりだ!』


 もう決めに来ているのか、三発同時に発射された。まずい、流石に避けきれない! 当たる……!


 そう思った瞬間。何かが介入してきた事によってミサイルはそれに衝突し爆発した。爆風でバイクが転倒。僕と貴方が投げ出される。背中を強く打った。痛みで立てないまま、顔だけをそちらに向けて状況を確認する。


 何が起こったのか分からなかったが、異様に存在感のある物が佇んでいた。あれは確か……、


「ぷ、『プロトQ』!?」


 貴方が驚いた声を上げる。そうだ。貴方が人命救助用に設計した巨大な重機だ。何故これがここに?


『まったく、何をやっているのですかDr.U。天才だと言うのなら、ミサイルを防ぐくらいの対策はしておきなさい』


 『プロトQ』から知らない男の人の声がした。


「な、何だと!? 誰が予測出来るんだよ、ミサイル飛んでくる事なんか!」


 貴方がその男の人に向かって怒鳴る。知り合いだろうか。


『「天才イケメン発明家は常に全ての緊急事態を想定してるんだよ、ボケカスが!」と豪語していたのは誰です?』


「お、おい! 何か余計な言葉入ってるぞ! お前俺を冷やかしに来たのか!? 何がしたいんだお前は!」


『私がやりたい事? そんなもの決まっています。この世に存在していないものを作り出す事。それが私のやりたかった事ですよ』


 「プロトQ」からの声を聞いた貴方は口を噤んだ。


『私は、ただ、創りたかった。誰も見た事がない、誰もが驚くような画期的なものを。それが叶えられるのなら、どこでも良かった。……例え、人類を脅かそうと企む組織に入ったとしても』


「城所……お前」


『だが、結局は無理だった。あなたは私を常に超えてきた。きっとあなたには、私にとっては素晴らしいものであっても、普遍的でつまらないものに見えているのでしょう。でなければ、私を超える事など出来ません』


 少し寂しそうな声で、城所と呼ばれた男が言う。あなたのライバル的な人物だろうか。


「……いや、お前は凄ぇよ」


 貴方が立ち上がる。


「城所! お前は俺に為し得なかった事をやり遂げてるぞ! こいつは俺の想定ではバイクなんかにとても追いつけやしない馬力だ。だがお前の改良で解決してるじゃないか! だから今こうして動力を復活させたお前が、俺達を助けにきてくれた。そうだろ!」


『……あなたは、馬鹿だ。本当に……』


「馬鹿じゃなきゃ、発明家なんてやってらんねぇだろ」


 貴方が親指を突き上げてサムズアップをする。


『き、城所!? お前まで裏切るのか!』


 ヘリコプターから嚇怒した声が響いた。それはそうだろう。城所も、嵯峨山同様、組織に対して反逆行為を行っているのだから。


『裏切る? いいえ、違います。私はあなた方と連んでいた覚えはありません。私はただ作っていただけだ。私が創りたいと思ったものを!』


『おのれ!』


 ヘリコプターから容赦無くミサイルの雨が降り注ぐ。僕達を庇うように「プロトQ」が立ち塞がり、ミサイルを受ける。


「城所!?」


『行きなさい! 長くは保ちません! あなた達がここで死んだら、誰が世界を変えるのですか!』


 城所に言われ、歯を食いしばる貴方。やがて覚悟を決めたのか、バイクを起こしに行く。


「行くぞ、音々。俺達は止まれない」


「……分かった」


 バイクに跨ると、貴方が発進させる。


「悪い奴じゃ、無かったんだけどな……」


 貴方の吐いた白い吐息が、群青色の夜空に吸い込まれていった。


「……分かるよ。僕も、嵯峨山に助けられた。本人は僕を助けるつもりじゃ無かったかも知れないけど、もしかしたら、分かり合えたのかなって……」


「……難しいな、そういうの」


「うん……」


 お互いに思い残しがあるが、僕達が何を思おうが、どうしようが、世界の崩壊は収まりはしない。決して止まらないのだ。


 暫く走っていると、バイクが急に速度を緩め始めた。


「な、何っ!?」


 貴方が喫驚した声を出す。何か緊急事態が起きたのだろうか。


「が、ガソリンが無い……」


「えぇ!?」


 そう言っている間にもバイクは徐々に速度を減少させる。やがて完全に止まってしまった。


「くそ、あと2キロ……! 走って行くしか――」


『見つけたぞ、反逆者ども!』


 トラブルに見舞われていると、もうあの声が聞こえてきた。どうやら追いついてきたようだ。バイクは動かない。周りには身を隠せる場所など無い。もうお仕舞いだ……!


「ちっ、仕方ないか」


「ど、どうする気?」


「決まってんだろ」


 バイクから降りた貴方は、何処からかショットガンのような物を取り出した。それを上空で停止しているヘリコプターに向けて突きつける。


「あれは俺が食い止める。お前は走ってアジトまで行け」


「そんな無茶な!」


「無茶しねぇで世界が救えるか!」


 こちらを振り返る事なく貴方が叫ぶ。


「これはお前がネオと約束した事だろう! だったらお前が片をつけろ! お前が世界を変えろ!」


 貴方がショットガン型の武器を構えて、ヘリに向かって発射した。ボディに直撃した電磁波はヘリのコントロールを奪う。


『ぐっ!? くそ、操縦が効かん!』


 ヘリの高度が徐々に下がっていく。


「行け、音々!」


 貴方に背中を押される。それを合図に僕は飛び出した。全力で駆ける。地面が湾曲している。世界の崩壊の影響か。


いや、違う。


「ダメだなぁ、僕。泣いてる場合じゃないよ……」


 涙で視界が滲む。未来に来てから、お別れしかしていない。まだ出会うはずの無い人達と出会って、そして別れる。それの繰り返しだ。沢山の人に助けてもらった。嵯峨山には、落ちそうになっていた所を、城所には、ミサイルによる攻撃から助けてもらった。そして何より、貴方は僕をずっと助け続けてくれた。未来だけじゃない、僕と共に過ごしてきた、僕と同じ時間にいる貴方にも支えられた。


 だから今度は僕が皆を救う番だ。僕に残された選択肢はその一つだけ。なぁんだ。選択肢が多ければ多い程面倒だと思っていたのに……。


「選択する余地が無い人生は、つまらないな」


 次は、もっと楽しい人生にしよう。安全な選択肢ばかり模索するような僕じゃなく、色々な可能性を考えて、無限にある選択肢を選び続けられる。そんな人生にする。


 その為に、僕は走る。ネオを僕のいた時間に連れて来た、僕をネオのいる時間に導いた、僕とネオを繋いだ時間を移動する一本の道標に向かって。


 そして、僕は叶える。ネオの願い。僕の願い。音音への恋を。


 やがてアジトが見えた。ゴールは目前だ。あそこに、タイムマシンがある。あと少し、あと少しで……!


 バキンッ! バリバリバリ、ズゴォン!


 もの凄い轟音と共に地面がひび割れる。瞬く間に裂け目は広がり、僕の足を支えていた地面を簡単に切り裂いた。しまった!


「落ちる!」


 ダメだ、落ちてはダメだ。ここで落ちたら全てが終わる。未来だけじゃない。この世界の歪みはいずれ僕の時間にも影響を与える。いや、もう既に与えているかも知れない。絶対にダメだ、落ちるわけには……!


「……ふん!」


 ギリギリのところで手を伸ばして裂けた道路にしがみつく。この手を離せば真っ逆さまだ。


「落ちれないだろ、こんな所で……!」


 あと少しなんだ。あと少しで全てリセットされる。完全に世界が壊れる前に、全ての記録を消去する。


 掴まっている道路の裂け目に、眩しい光が差し込んだ。夜明けだ。長い夜が終わろうとしている。世界が崩壊したって、朝は訪れる。だったら、僕にだって希望の朝は来るはずだ……!


「はは、太陽が二つある……か。世界はぶっ飛んだ壊れ方するな」


 何とかよじ登って這い上がると、僕を出迎えたのは、二つに分裂した太陽だった。世界はいよいよ終わりのようだ。


 僕はアジトへと向かう足を速める。近づけば近づく程、走る速度が上がる。アジトの入り口を開けて中に入る。


 ……だが、アジトの入り口の反対側にあったはずの転送用ポッドは、崩壊したアジトの壁の残骸に埋まってしまっていた。あれを退けなければ、タイムマシンのデータを消去出来ない。


「早くしないと――」


「止まれぇ!」


 背後から声がした。まさか、こんな所まで追ってくるなんて……!


「長谷川の秘書……!」


「動くと撃つぞ!」


「……どうせ動かなくたって撃つだろ?」


「分かっているなら話が早い」


「世界が崩壊してるのが分からないのか?」


「知るか。お前は反逆者で、我々の計画を崩壊させた。それだけで十分だ」


「それだけの事で……あれだけの人を傷つけたのか!」


「あの計画は人類の生存に関わる重要な計画だったのだ! 我々の崇高なる計画を滅茶苦茶にしたお前は死を以って償う義務がある!」


 ダメだ、話が通じない。こんな事をしている時間は無いのに! せめてタイムマシンを覆っている瓦礫がどうにかなれば、電気棒でデータを破壊出来るのに。瓦礫の所為ですぐに破壊する事は出来ない。タイムマシンの方に走った瞬間、あの秘書は僕を撃つだろう。どうすれば……!


 ごめん、貴方。僕、約束守れない……!


 銃口が向けられる。もうダメだ……!


《行け、音々!》


 諦めかけたその時、僕の背中を押した貴方の言葉が蘇った。貴方は僕を信じてくれていた。その想いを無駄になど出来る訳が無い。


 どうにかしてこの状況を切り抜けられないか。辺りを見回すと、床に小さな黒いキューブが落ちていた。あれは確か、貴方の発明品だ。起動させると強い衝撃波を発生させて、周りの物を吹き飛ばすという奴だ。必要無いと思ってここに置いていったのだ。

 

これならいける!


「頼む、貴方……。僕に力を貸してくれ!」


 僕はキューブを拾い上げ、スイッチを押して地面に投げつけた。その直後、もの凄い衝撃波が発生し、僕と秘書、そしてタイムマシンを覆っていた瓦礫を全て吹き飛ばした。


 飛ばされた僕は、そのままタイムマシンに向かって飛んでいく。素早く腰から電気棒を引き抜くと、電源を入れて出力を最大にする。タイムマシン目掛けて電気棒を振りかざす。


「音音ぇぇぇ! 大好きだぁぁぁぁ!」


 叫びながら、電気棒による渾身の一撃をタイムマシンに叩き込む。激しい電流によって、タイムマシンが破壊される。それを確認した直後、空間が捻じ曲がった。


 どうやら世界がリセットされるようだ。これで僕の役目は終わった。この世界では、だが。だから、待ってて。この世界が消えて、もう一度やり直しになったら、


「次はきっと助けるよ」



 長い夢を見ていた気がする。内容は覚えていない。まぁ、夢なんだからそんなものだ。覚えていたって意味が無い。でも、何だろう。思い出したくてしょうがない。普段は「思い出すだけ時間の無駄だ」と思って、夢の内容など気にしないはずなのに、今の夢は思い出したい。


「……ん。おい、音々」


「……ん? あぁ、おはよ」


「はぁ? 何言ってんだお前。おはよって、寝てねぇじゃん」


 貴方が僕の顔を覗き込みながら言ってくる。


「何言ってるのさ。僕今まで夢見てたんだよ?」


「お前こそ何言ってんだ。今俺と喋ってただろ」


 辺りを見渡すと、僕は夕方の教室にいた。もう皆部活に行ったり、もしくは帰ったりしていて、教室には僕と貴方以外誰もいない。


「あれ? そうだったっけ? ていうか、僕さっきまでどこにいたっけ?」


 何故かつい先程までの事が思い出せない。知らない場所にいたはずだが、気のせいだろうか。


「お前、やばいんじゃないの?」


「ダメだ、寝ぼけてる……」


 夢が混在してしまっている。疲れているのだろうか。


「それよりどうすんだよ?」


「何が?」


「進路だよ進路」


 あぁ、そうか。進路についての話を先生から聞いたんだった。面倒だな。


「僕は……小説家?」


「へぇ、知らなかった。お前にそんな夢があったとは」


 あれ? 誰にも言う気がなく、本気で思っていた訳でもないのに、スルッと自然に口にしてしまった。だが、そんなあまり現実味の無い夢を聞いても、貴方は気にしなかった。


「俺どうしようかなぁ……。まだ想像出来ないんだけど」


「いや、貴方は発明家になるんでしょ?」


「はぁ? そんな事いつ言ったんだよ?」


「あれ?」


 違ったか。おかしいな。貴方は発明家だと思ってたのだけど。というか何で貴方の将来の夢を発明家などと思ったのだろう?


「まぁいいや。取り敢えず帰ろうぜ?」


「うん」


 貴方とオレンジに染まった教室を出る。まぁ、何でもいいや。今日は何だかおかしな気分だ。帰って早く寝よう。


 貴方と二人で学校から帰り、途中で別れる。季節はもう冬になるというだけあり、辺りはすっかり暗くなっていた。


「さ、寒っ……。あったかいもの食べたいな」


 急に思い立って、近くのコンビニを探す。すると、普段は通らない道の先にコンビニがあるのを見つけた。まぁ、ここから帰れない事もない。僕はそのコンビニに入った。


 店内に入ると、暖房が効いていて暖かかった。レジの所にはおでんや肉まんが豊富にあった。


「すみません、肉まん一つください」


「はい、肉まんですね。少々お待ちください」


 大学生くらいのバイトの人が肉まんを取りに行く。名札を何となく見てみると、「嵯峨山」と書いてある。珍しい苗字だな。


 肉まんを手に入れた僕はコンビニを出ると帰路に着く。買った肉まんを食べようとしていると、声が聞こえてきた。


「や、やめてください……。困ります……!」


 女の子の声だ。ただならぬ雰囲気を感じて、声がした方を探す。すると、コンビニの横の路地裏に数人の影が見えた。目を凝らして見ると、三人程の男達が、制服を着た女子に絡んでいた。


「いいじゃねぇか。ちょっとだけだからよ」


「俺達金あるからさ、遊んでかない?」


 ナンパか。それも数人で寄ってたかって。本人はとても嫌そうにしている。


 助けた方がいいのだろうか。いや、でも僕みたいなのが行ったところで何も出来ない事は分かっている。選択を誤ってはいけない。ここは確実な方向で事を進めなければ。取り敢えず、大人の人を呼んでこれば……。


「いいから来いよ」


「い、嫌!」


 手を掴んだ男を、女子高生が軽く突き飛ばした時、彼女の顔が見えた。その瞬間、僕は衝動に駆られ、勢いに任せて駆け出すと、群がる男達を押し除けて彼女の手を掴む。そのまま彼女の手を引っ張って走る。


「え、ちょっ、ちょっと!?」


「おい、誰だその子! 待ってくれ!」


 背後の方で男達の声がするが、気にせず真っ直ぐ走っていく。そのまま走ってから曲がり角を曲がった。身を隠す場所を探すが、ポリバケツがちょこんと置かれているだけで、何も無い。角から顔を覗かせて後ろを確認する。男達が追ってくる気配は無い。


「はぁ……はぁ……はぁ」


 急に走った所為で息切れが激しい。何故急に彼女を連れて来たのか、自分でも詳しくは分からない。それでも、彼女の顔を見た時、伝えなくちゃいけない気がした。


「はぁ……、き、君に……はぁ、伝えたい事が……あるんだ」


 息も絶え絶えだが、呼吸を整える時間さえ惜しい。僕は今すぐにでも伝えたい。ずっと、長い間伝えたかった事が、僕の中に確かにある。


「何……?」


 急に引っ張って来られた彼女は、特に戸惑う様子も無く、訊いてくる。


「僕は……、君が好きだ」


 僕は彼女と出会った事がない。先程の一瞬でしか彼女の顔を見ていない。だけど、この気持ちはずっと前から僕の中で待ち続けていたんだ。今、この時のこの瞬間、彼女に想いを伝える事を。


 急に告白された彼女は、


「私も……」


 涙を零しながら告げた。


「何でか分からない……けど、ずっと待ってた気がする。君に、そうやって言ってもらう時を……」


 彼女はにっこり微笑んだ。あぁ、何だろう。この笑顔が、僕の中で生き続けてきたのだなと、そう思う。初めて見るのに、僕の記憶の奥底で、ぼんやりとした優しさが蘇っている。


「助けてくれて……ありがとう……!」


 太陽が地平線の向こうに沈み、チョコレートケーキに粉砂糖を振りかけたような、甘く暗い星空の下、ずっと想い続けていた名前も知らない少女と、唇を重ね合わせる。遠く感じていた彼女と、ようやく同じ場所に存在出来ている事が、何よりも嬉しかった。


 僕の中に巣食っていた何かが、彼女と重なった事で霧散した気がした。



「こちら潜入調査部、No.34より報告。標的である『強制母体化タンパク質分泌ホルモン』所持者、熱田音々の血液を採取、検査した結果、例のタンパク質が完全に消失している事が判明。恐らく、例のタンパク質の機能やホルモン分泌を抑制する抗体の働きをする西原音音と接触、接吻したと思われます」


 『人類永久化計画』遂行に必要なタンパク質を持つ熱田音々を調査していた時、奴の血液を入手し、調査してみたら、驚いた事に、そのタンパク質は何処にも存在していなかった。


 想定外だった。まさか、よりにもよってタンパク質の作用を抑制、消滅させる抗体を持った西原音音と接吻をするだなんて。どんな確率だ。あり得ない。


 しかし、終わってしまったものはどうしようもない。タンパク質の源である熱田音々に抗体が作用すれば、当然タンパク質は消滅する。


 その事実を、ボスに報告したところだ。


『……なるほど。では、もう熱田音々からのタンパク質入手は不可能となった訳ですか。非常に残念です。わざわざあなたをスパイとして過去に送り込んだのですが。ねぇ、No.34? ……いや、今のあなたは()()という名前で活動しているのでしたね?』


「えぇ」


 どうやら俺は、時間の変化、つまり過去や未来の改変やリセットなどに影響を受けない「特異点」と呼ばれる存在なのだとか。だから、未来から熱田音々の監視及び検査を命じられてスパイとして過去に飛んだ未来人だ。今は熱田音々の妹、錫の彼氏として奴の事を探っている。


『ですが、そんな悪いニュースを報告する為だけに私を呼び出した訳では無いでしょう?』


「勿論」


 俺は自信あり気にボスに報告する。


「熱田音々の妹、熱田錫も同じタンパク質を作り出す事が可能となるホルモンを分泌している事が判明いたしました」


 すると、通信機からボスの歓喜の声がする。


『素晴らしい! まだまだ望みはあるという事ですか! では、早速計画の準備を始めましょう。フェイズ2へ移行です。あなたも来るべき時に備えなさい、No.34』


「了解」


 次の標的は熱田錫……。


「我々『人類永久化計画』は、永久に不滅だ!」


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