第74話 二人の間では存在するシーン
日を跨いでしまうほど遅くなってしまいました。申し訳ありませんでした。
「トーリは機嫌が悪いのですか?」
校門を出たところで酒挽に追いついたキイナが尋ねてくる。
「別に」
言葉ではそう言うが、声のトーン、態度、表情を見れば、明らかに不機嫌だということが見て取れる。
「嘘なのです」
「別に嘘じゃ……」
「だって理香は、トーリの機嫌が悪いのは、自分のせいだと言っていたのです」
酒挽は心の中で嘆息する。
……わかっててやったのかよ。
「理香は本当に何でもお見通しなのです」
「……ホントにな」
お見通しなのではなく、最初から知っているのではないかと疑いたくもなる。実は、『白雪姫』の記憶がないというのも嘘、知らないフリをしているだけで、酒挽の思い出、過去二人で演じた舞台『白雪姫』のキスシーンを再現し、動揺する酒挽を内心笑っているのではないか。
「それで、なぜトーリは不機嫌なのです?」
「理香が、中学の時と同じことをやろうとしたからだよ」
白雪姫のキスシーン。当時は理香の方が身長が高かったために、彼女が王子を、そして酒挽が姫を演じていた。
王子に入り込みすぎた理香は、寸止めをするはずのキスシーンで、酒挽のファーストキスを奪ったのだ。公衆の面前で。
そんなハプニングがあっても、女優酒挽は芝居を続けなければならなかった。
「その時は理香と、キス、したのですか?」
酒挽は目の端でキイナの表情を窺う。少し眉根を曇らせているのが見えた。
好奇心で尋ねてきているわけではないことは、酒挽も分かっていた。だが、答える気にはなれなかった。
その沈黙を、肯定と捉えたのだろう。キイナは次の質問をぶつけてきた。
「じゃあ、本当に今日のトーリは、理香とキスをしたくなかったのですね?」
「……はぁ?」
別に今日に限った話ではない。そもそも、本当も何も、芝居であって、実際にする必要はないものだ。
……あれ?
酒挽は奇妙な違和感を覚える。
「……本当に、って、何?」
「だって、キスの話は、トーリから振った話なのです」
キイナの指摘は正しかった。「森の姫君」にも同じシーンが存在する。しかし、童話裁判の中ではキスシーンは存在しない。
その齟齬はなぜ発生したのか。「森の姫君」を書いた理香なら、何かわかるのではないか、と思って話題を振った。
そして、理香が恥ずかしがっているのを面白がってキスシーンをやらせようとしたのは、酒挽自身だ。
「てっきり『押すなよ、絶対押すなよ』と同じ類の前振りかと思ったのです」
「そんなわけあるかよ……」
思わず額を抑える仕草をしてしまう。
「……ん?」
「どうかしたのです?」
「キイナ……」
「何です?」
「理香は、俺の機嫌が悪いのは自分のせいだって、言ったのか?」
「なのです」
酒挽は首を捻る。
理香には、酒挽を不機嫌にさせた自覚がある。
しかし、理香は「白雪姫」の記憶が欠落しているせいで、中学の時に舞台でキスをしたことを覚えていない。
なら、何を以て理香は酒挽を不機嫌にさせたと判断したのか。
「理香は、トーリとの思い出を取り戻すのに一生懸命なのですよ」
酒挽が、今回の童話裁判で弁護人を引き受けた理由もそこにある。何とか童話「白雪姫」を人間界に復帰させれば、理香から失われた中学時代の舞台の記憶も元に戻るだろうという打算。
「トーリは童話裁判で、白雪姫の弁護人の資格を与えられているのです。理香は、そんなトーリが覚えている『白雪姫』を復元して見せたのです。
理香とトーリが知っている『白雪姫』では存在した王子とのキスが、童話裁判中で存在しないということは、何か意味があると思うのです」
酒挽は最初から覚えている話。
理香は記憶から失われて、なお、書き上げた物語。
その二つが、ほぼ同一。
偶然にしては、できすぎている。
「おそらく理香は、そこを追求したかったのだと思うのです。最初からトーリの気分を悪くするつもりなんてなかったと思うのですよ」
そうかもしれない、と酒挽は思う。
理香とのキスシーンを覚えているのは、酒挽だけ。もしかしたら、酒挽だけが意識していただけなのかもしれない。本当は理香は、もっとギリギリで芝居を打ち切るつもりだったのかもしれない。
ふと、ポケットでスマホが震えていることに気が付く。
理香からのメールだった。
そこには、酒挽に対する、どこかで見たことのあるようなありふれた謝罪文と、理香の部屋への集合時間が書かれていた。
酒挽はそれに、「わかった」とだけ返信した。




