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ポケット小物語

イカよりも弱視な私

作者: 渡 遊歩

イカは目がいい。意外と多くの人よりも。

何が見えているかは別として。

まさか夕飯の買い物途中にけなされるとは私は思っていなかった。

 それも、新鮮な魚たちが並ぶ棚を眺めていたら、その棚の中からけなされるとは、いったい誰が思うだろうか。

「そんなに目を細めないとこの俺が見えないのかい? え? 俺のきれいすぎる肌を見えないなんて、まったく恥ずかしいと思わないのかい」

 私が持ったトレイの中から、イカが、触腕をちょこちょこ動かしながらこちらをからかうように見てきていた。そのトレイを、驚いて落とさなかった私をほめてほしい。

「君のその、顔に付けている硝子は意味を成しているのかね。まったく悲しいことだ、そんなものを頼らないと、世界を確かに見ることもできないなんて」

 驚いて固まっていた私だったが、一方的に言われ続けると段々と冷静になって来て、今度は腹が立ってきた。なので少し言い返してやることにした。

「あなたに馬鹿にされる筋合いはないわ。確かに私は目が悪いけど、あなたのように、これから誰かに買われて食べられるという、お先真っ暗な運命よりかははるかにましよ」

「は、どうだろうね。未来が分かっているということは、つまりは道が明るく照らされているということと同じさ。未知な道などない、ひたすらにスポットライトの当たった道を言えると考えれば、あんたよりかは者が見えているというものさ」

 トレイの中で、イカはくねくねと体をくねらせる。こちらを煽るかのように体の色を変化させている。ムカついたので、私は指でそいつの体をつついてやった。

「おっと、俺の体に触れるのかい? いいさ、特別に許してやる。ほら、どうだ? あんたが触れた瞬間、体の色を一瞬で変えることができる。どうだ、イカしているだろう? 俺たちの世代じゃあトレンドってやつさ」

 イカたちのブームは知らないが、少なくともこいつが新鮮であることは分かった。というか、こんな人を馬鹿にしてくるやつが新鮮でなかったら、世の中のイカは皆腐っている。

「あんたの域の良さは十分わかったわ。なら、あんたの見取りは私が引き受けてあげる。大切に食卓に上げてあげるわ」

「へえ、目の悪いあんたが俺の見取りをするってか。それはきついね、ちゃんと包丁は見つけられるのかい」

 私はトレイをそのまま買い物かごの中に投げ入れてやった。悲鳴が聞こえた気がしたが、構うものか。




 そのまま家に帰り、まな板にイカを出してやった。散々買い物袋の中でゆすられたからか、かなりイカはぐったりしていた。

 私は包丁を握ると、イカに切っ先を向けてやった。

「さて、これからあなたを捌いてあげるわ。命運ここに尽きたってことかしら。辞世の句を詠みなさい、解釈してあげる」

「おいおい、物騒なこった。もう少し淑やかでないと、男には嫌われるぜ?」

 余計なお世話だ。私はイカの真横に包丁を突き立ててやった。

「おお、怖……でもそうさな、なら一つ、あんたに頼みたいことがある」

「あら、何かしら? このまま海へと返してというならごめん被るわ。胃液の海にもう少ししたら連れて行ってあげるから、それまで少し我慢しなさい」

「海へ返してくれるんだったらそいつは良かっただがね、つれないお嬢さんだ……なあに、そうじゃあないさ。俺があんたに頼むことは、別に難しいことじゃない。あんたにとっては簡単なことだ」

「私にとって? 一体何かしら」

「あんたの眼鏡を取ってほしいのさ」

「眼鏡? それがあなたの願いなの? 最後の願いにしては、随分と小さいのね」

「最後だから大それたことをしなくてもいいのさ。自分が満足すれば何をしようと自由だろう? 俺は、どうせなら最後を美人さんに相手してもらいたいと思っただけさ。俺の見立てでは、眼鏡をはずしたあんたは、なかなかいい顔をしているじゃないかと思ってな」

 所詮、相手はイカだ。人間の何が分かるのか疑問だ。でも、褒められて悪く思う人はいない。温情をかけてもらおうという考えで褒めてきたのだとしたら、残念、私はそんなことするはずがないのだけれど、でも、少しでもいい気分にさせてくれた見返りとして、そいつの頼みを聞いてやることにした。

眼鏡をはずし、後ろに置いておく。そしてイカに振り向き直った。眼鏡をはずした裸眼では、まな板の上のイカでさえもぼやけて見えてしまう。

「どう、これで満足した?」

 そう尋ねてみた私だったが、イカは、おそらく私の方を見ながら、うーん、と唸っていた。

「すまん、そう少し顔を近づけてくれるか?」

 イカがそう言うので、私は顔を少しイカに近づけてみる。

「ううん、もう少し頼む」

 さらに近づける。

「もっと」

 近づく。

「あと少し」

 近。

腰を曲げ、イカを覗き込むように顔を近づける。近すぎて、イカの生臭さが鼻を撫でた。

「ねえ、もう満足かしら?」

 腰を曲げ続けているのも疲れるので、イカに終わりを打診してみたが、イカは変わらず唸るだけだ。

 何かを悩んでいるのだろうか。逆に私も気になって来た。いったいどうしたのかと尋ねようとした私だが、その矢先にイカは触腕をぴしゃんと叩いて言った。

「ああ、これは予想外だったなあ」

「予想? 何を予想していたの?」

 私がそう尋ねると、イカは落胆のため息を深くついた。

「はあ、俺は悲しいよ」

「どうしたのよいったい」

「あんた、もう少し頑張れなかったのかい」

「だから、何を」

 イカは、もう一度ため息をついてから言った。

「だってあんた、眼鏡をはずせば美人なのかもと思っていたのに、眼鏡をはずしてみても全然美人にならないじゃなーーああ!」

 全部言い終わる前に、むかついたので包丁でイカを〆てしまった。裸眼で包丁を振り下ろしたのに、うまいこと切ることができた。イカの体は一瞬の硬直の後、まな板の上にクタアッと横たわった。せっかくなので、そのまま刺身にしてあげた。食べてみると、あんなにこちらを馬鹿にしてきたのが証拠になっていたのか、非常に活きのいい、美味しい刺身だった。

 そうこうしていると刺身が無くなった。最後の一切れを口に入れようとした私だったが、口に運ぶ前に、私はイカの刺身を明かりにかざした。

 透き通っている。向こう側まで見える。ほらどうだイカ。あなたが馬鹿にした目で、向こう側をちゃんと見ているよ。最後の一切れを、しょうゆに付けて食べてやろうとした。 

しかし、思いとどまって、口に運ぶのをやめる。そのまま、最後の一切れをゴミ箱の中に入れてやった。

どうだ、これは目の良いあなたにも予想できなかったでしょう。私は勝ち誇った気分になった。


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