091 幼女、思い出す
あの瞬間は確かに全力だった。
それは胸を張れることだし、役割を果たした自負は穂乃香の中にもちゃんとある。
だが、ユラの力を借りて成し遂げた羞恥心のリミッター解除は、その効力を失えば、羞恥心が舞い戻ってくるということに他ならなかった。
ゆえに、穂乃香はベッドの上でのたうち回りながら、お姉ちゃんを連呼し、誘惑して、甘えて、あの手この手で千穂を籠絡した自分の所業に身悶えている。
その上、自分の所業を思い返して羞恥に身もだえるだけでは済まない問題も生み出してしまっていた。
穂乃香のやらかしの被害者である千穂の状態である。
千穂の無駄に熱のこもった視線、密着度を増した過剰なスキンシップ、劇中のセリフに自分のセリフを忘れて従順に頷いてしまった事実などなど、かつての人生の中でそういう経験が多かったわけではないが、それでも確信を持てる結論が『恋』だ。
羞恥心のリミッターを解除し、どこまでも役に入り込んだだけで、穂乃香としてはまるで意図しなかった副次効果が、よりにもよって『恋』なのだから、罪悪感があっという間に膨れ上がっていく。
自らの内に生まれた罪悪感の大きさに、ゴロゴロとベッドの上で右に左に転がりながら羞恥心と戦っていた体をピタリと止めると、穂乃香は枕に顔を押し付けたままで「あ~~~~」と意味をなしていない声を漏らす。
その上で、将来有望な少女に道を踏み外させたかもしれないという事実に、穂乃香は心の底から溜息を零した。
『大丈夫かの、主殿?』
ゆかりもいない部屋の中で、ユラが沈み込んでしまった主人を心配して声を掛ける。
穂乃香はユラの呼びかけに気付いて、ゆっくりと顔を上げた。
「どうしよう……」
眉を寄せて不安そうな表情を見せる穂乃香に、羞恥心に身悶えて騒いでいた時の無駄な元気さはない。
むしろ、顔を青くして、夏だというのに震えだしそうなほど顔色が悪かった。
ユラはその極端な変化に、深刻さが滲まないように、あえて軽めの口調で返す。
『どうもこうも、成り行きを見守る他ないと思うがの?』
正論と言っていいユラの言葉だが、穂乃香の求めているのは即効性の高い解決策、あるいは罪悪感を覆せるだけの免罪符だ。
ゆえに、ユラに対する言葉も、どこか縋るようなものになる。
「で、でも、原因は明らかに、私だよ?」
ガバリと体を起こし、穂乃香は宙に浮かんでいるユラに訴えかけた。
必死な様子の主に、ユラは少し困ったような表情で事実を元に言葉を返す。
そもそも主に嘘は言えないユラには、ただ事実を並べる以外に手はなかった。
『とはいえ、あの小娘も主殿も女子同士、どうにもならんと思うがの』
だが、ユラの返しは、穂乃香の光明になる。
なぜ忘れてたのかと言わんばかりに、穂乃香は左の掌の上に右の拳を落とした。
すっきりと忘れていた大事なことを思い出した穂乃香は、コクコクと一人納得しながら独り言を口にする。
「あ、そうか、私、女の子だ!」
穂乃香は一気に顔色を良くして声を弾ませると「なんだ、そうかー」と安堵の表情を浮かべた。
「女の子同士だし、別に心配することはなかった!」
直前の自分への追い込みの反動か、穂乃香はベッドから跳ねるように飛び降りると、鼻歌でも歌いだしそうな軽い足取りで、部屋の入口へと向かう。
そうして、機嫌よくドアを開けたところで、満面の笑顔に出迎えられた。
「あ、待ってたよ、穂乃香ちゃん!」
「ち、千穂ちゃん……」
「じゃあ、ご飯行こう!」
明るく弾む声で、穂乃香の手を握った千穂は、そのまま引っ張るようにして駆け出す。
穂乃香はされるがままになりながら、若干浮かれていた気持ちが霧散していくのを感じていた。
「はい、穂乃香ちゃん」
嬉しそうにフォークに突き刺したニンジンを、千穂は穂乃香の口元に運ぶ。
食堂はテーブルと椅子の洋風の食卓で、まだまだ座高の足りない幼女組には椅子の上に置いて座高を上げるための補助いすが用意されているが、穂乃香は千穂の膝の上に乗せられていた。
これは千穂が言い出したことである。
なお、その要望に対して、菊一郎、ゆかり、奈菜とみどりといった面々が、そうはさせじ、あるいはあわよくば自分が代わりにと争い合ったのだが、ここでのひと時しか共に過ごせないとわずかに涙を滲ませて訴える千穂に、全員屈してしまった。
穂乃香には絶対の執着を見せる奈菜も、唯一の肉親であり孫バカの菊一郎ですら、千穂が可哀想と同情を誘ったそれが、千穂の表現力によって底上げされたのは間違いない。
少なくとも、親友であり好敵手でもある茉莉は表情を引き締めたし、彩花は一部始終を脳裏に記録するかのようにじっと目で追っていたし、クルミとアリサは呆れの混じった苦笑いを浮かべた。
そして、全員の同情と理解の元、穂乃香を勝ち取った千穂は、自分の膝の上に載せて絶賛世話焼き中なのである。
「はい、次はお肉だよ~」
一度は納得したはずの面々の嫉妬の籠った羨望のまなざしを受けながら、千穂は楽しそうに穂乃香の口元へ細かく切り分けたハンバーグの一切れを運んだ。
「あ、りが……とう」
どうにもぎこちない言葉遣いで礼を言いながら、穂乃香はそれを食む。
どうしてこうなったのか、理解も納得もうまくできないまま咀嚼する穂乃香の目から徐々に光が失われていることを気付くものは、羨ましそうに見つめる面々の中にはいなかった。




