074 幼女、背筋を凍らせる
「小池さん! 第一秘書の小池さん!!」
穂乃香は普段でも見せないはしゃいだ様子で、その小柄な老婆の名前を繰り返す。
対して陽子は、少し驚いた顔をして「その通りですが……」と普段は見せることのない戸惑いを見せた。
「ゆかりさんから聞きました。あの最高の魔法の杖を作ってくださった方だと!」
杖については、菊一郎にお礼の手紙を出している穂乃香ではあるが、今世で手にした最初にして最高の杖は、陽子の手配であり、個人的には連絡を取れる相手でもないため、一番お礼を伝えたかったのに伝えられずにいた相手である。
ここまでに積み重なった感謝という名の溢れんばかりの穂乃香の思いが熱量を伴って、陽子に向かって解き放たれていた。
それは陽子にとって予想外の過剰さだったが、理由を理解したことで戸惑いから回復して微笑む。
「いいのです、穂乃香お嬢様。それよりも、お気に召していただけたようで、この婆、心より嬉しく思います」
「はい! あんなに手になじむ杖は生まれて初めて手にしました! 本当に感謝しかありません!」
満面の笑顔を向けて、陽子に必死に感謝と尊敬の念を訴える穂乃香だが、久しぶりに生で孫娘に会う爺も面白いわけがなかった。
「小池! ずるいぞ!」
「ずるいって何だい!? 穂乃香お嬢様はあたしの仕事に感謝の言葉を伝えてくださってるだけじゃないか? いい年寄りが嫉妬するんじゃないよ、みっともない」
菊一郎の不満の言葉を返す刀で滅多切りにした陽子は視線すら向けない。
「ぐぬぬぬぬ」
一方で菊一郎は、悔しさに満ちた顔で歯ぎしりを始めた。
そんな剣呑な空気を、みどりの可愛らしい疑問の声が破る。
「ねぇねぇ、おばさんが、ほのかちゃんのまほうのつえをつくったの?」
興味津々という顔で、老人たちの会話に参戦するみどりは全く怖気づく様子もなかった。
一方で、人見知りを発動してしまった奈菜は遠めに加奈子の背に隠れてしまっている。
「あたしが作ったわけじゃないんだよ。あたしは依頼を出しただけだからね」
「いらい?」
「ああ、杖を作れる人にお願いしたんだよ」
「そうなんだー」
未だ恨めしい目で自分を見る菊一郎などそっちのけで、みどりと会話を交わす陽子は実に優しそうだった。
そんな二人に、急に立ち上がった菊一郎が子供のように吠える。
「わ、わしだって、穂乃香に喜んでもらえるものを用意したんじゃからな!」
そう菊一郎に断言されて、穂乃香は目を丸くした。
「私にですか?」
「うむ」
穂乃香に視線を向けられて嬉しそうに菊一郎は頷く。
「今回は後続の船で、穂乃香が好きだと言っていたプリッチのロケ隊を連れて来たぞ!」
自信満々で言い切った菊一郎に、穂乃香は「は?」と間の抜けた声を漏らした。
「ロケ隊って……旦那様!」
菊一郎の爆弾発言に、一番慌てたのはゆかりである。
何しろ、今回の同行者を考えると、それはよろしいとは言えないのだ。
「穂乃香お嬢様はともかく、ここにはお友達のみどりさんや奈菜さんも来ているんですよ?」
強めに言われたものの、その言葉の意図が読み取れず菊一郎は首をかしげる。
「うむ? それがどうかしたかの?」
「彼女たちは幼稚舎に通い始めたばかりの子たちですよ、ロケを見せてしまったら、夢を壊すことになるかもしれないではありませんか!?」
ゆかりの言葉に、菊一郎は数度瞬きをして、油をさしていないブリキ人形の様なぎこちない動きで首を動かしてみどりを見た。
視線を向けられたことに気が付いたみどりは「なあに、お爺ちゃん?」と笑顔で応える。
「お、な……なんでも、ない……ぞ」
「そうなの?」
「う、うむ」
みどりと言葉を交わすたびに、背中が冷たくなっていくのを感じながら、慌てて頼れる第一秘書に助けを求めた。
「小池! 中止、ロケ中止じゃ!」
だが、信頼する第一秘書から返ってきた言葉は実に冷たい。
「今更無理に決まってるだろう。後悔するにはもう遅い」
「しかしじゃな、この子の夢を砕くような真似はわしにはできん!」
素早くみどりの後ろに回り込んだ菊一郎は、軽いタッチでその肩に手を置いて、力強く断言して見せた。
が、その程度で陽子が意見を翻すわけもなければ、その無茶が通る状況でもない。
「機材を含めて輸送してる船が着岸するまでは一時間近くかかる、その間に説明とお詫びを母親にして、どうするか話し合いな」
陽子は正論で押し切ると、くるりと穂乃香たちに背を向け、付き従っていたエリー達に指示を飛ばした。
「エリー、悪いがホテルに部屋を用意しておくれ。ロケ隊の予定は黒田経由で詳細を確認、では各員頼んだよ」
「賜りました」
エリーは陽子の指示にそう答えると、すぐさま他の使用人たちと共に持ち場に散っていく。
「では、旦那様、説明と説得と、場合によっては謝罪の方よろしく頼みますよ」
もう一度菊一郎に振り返った陽子は、ドスの利いた声で依頼というよりは脅しのような言葉を掛けた。
それにビクビクしながら、頷くしかない祖父の姿に、前世の自分を重ね合わせて、穂乃香は身を震わせる。
「さて、海水浴を中断させて申し訳ないですが、少しお付き合いくださいますか?」
急に柔らかな物言いで、穂乃香含め水着姿の六人に呼び掛けた陽子に、否を言うものは一人もいなかった。




