067 幼女、浜辺の件を考察する
「おはよう、みどりちゃん!」
「ぉは……やぁ~」
元気いっぱいに声を掛けた穂乃香に対して、みどりはひどく眠そうだった。
同じ年齢の体とはいえ、すでに夜更かし経験の多い穂乃香との差は大きい。
「奈菜ちゃんもおはよう~」
次いで、穂乃香は階段を下りてきた奈菜に向かって手を上げた。
「お、おはよう、ほ、穂乃香ちゃん」
いつもよりテンション増し増しの穂乃香に、一瞬戸惑った奈菜だったが、直後に頬を染めて少し恥ずかしそうに返事を返す。
『ほれ、わかったであろう?』
(う、うーーん)
脳裏で響くユラの言葉に、穂乃香は若干表情を引きつらせた。
事の発端は昨晩の深夜まで布団の中で繰り広げられた情報のすり合わせである。
「なんで、みどりちゃんなのかしら?」
穂乃香が口にしたのは、純粋な疑問だった。
もちろん当事者である『膿』自体は、穂乃香自身が滅してしまっているので、明確な情報は得られないだろう。
けれど、多少なりとはかかわりのありそうなユラがいるので、ダメもとで言葉にしてみたのだ。
『おそらく大した理由ではないだろうの』
ユラの言葉は実に単調で、特別なことを答えてる風は無い。
『要は目が付いたとか、反応が良かったとか、その程度の事であろうよ』
穂乃香の期待したところとは少し違うが、ユラの言うことはもっともだと言わざるを得なかった。
人間の視点で考えれば、選ばれるには選ばれる理由があるが、野生動物が人間を襲う場合はそうではない。
実際に視界に入ったからとか、この獲物は狩れると判断したからとか、単純明快な理由しか存在する余地はないのだ。
同様に『膿』も『森の人』も、同じような判断基準だとしたら、みどりが狙われたことにさして意味はない。
だが、いかに筋の通った推測をユラが提示してくれても、穂乃香の中にある『自分が原因かもしれない』という懸念を払拭するには足りなかった。
『ふふ』
そんなことを考えていると、不意にユラが笑う。
「なに?」
思わず出た声が少し不機嫌に聞こえて、穂乃香は少し頬を赤らめた。
対して、ユラは動じた様子もなく理由を語り出す。
『なぁに、主殿は優しいのだなと思ったのよ。すると、ヒトだったことなどとうの昔なのにの、自然と笑みをこぼしてしまったのよ。嘲る気持ちは無いゆえ、許されよ』
「何でもかんでも正直というのも、なんだか落ち着かないわね」
『ふむ。とはいえ、主に虚言は言えぬのでな。しかも、自分語りというのも、これはこれで心地よいゆえの』
悪びれた様子もなく愉快そうに内心を語るユラに毒気を抜かれて、穂乃香は大きめの溜息をついた。
そこへユラがトーンを低く変えて『しかしの』と、言葉を発する。
「どうかした?」
急な態度の変化に、穂乃香も表情を引き締めて、ユラに言葉の続きを促した。
『主殿の記憶にある『森の人』とやらが、いかような存在かはわかりかねるが、ヒトあらざるものに二度も招かれたとなると、主殿の考える通り、みどりという女の童について考えた方がいいかもしれぬの』
「そうね」
穂乃香としては大迂回してたどり着いた話題だが、そもそもは一番語りたかったことでもあるので、あえて簡素な言葉で同意する。
多くの知識と経験を抱え込んだ穂乃香自身、いくつかの想像や予測を立てることは当然できるが、それはあくまで想像に過ぎなかった。
前世から数えれば長い時を生きる穂乃香だが、あいにくと人外になった経験はないので、その分の視点はどうしても足らない。
ましてや、その経験を積んだ世界とはまるで違う現代では、想像も推測も空想の域を出ないのも事実なのだ。
『浜辺で『膿』に種を植えられたのは間違いなかろうの。あの時、主殿以外にかかっていた『時止めの秘術』を解いたが、その前に何かしておったのであろうの』
ユラの言葉に、穂乃香はみんなが一斉に動きを止めてしまった場面を思い出して、ブルリと体を震わせる。
「そうか、あの時はユラが助けてくれたのね……ありがとう」
キュッと目を閉じて礼を口にした穂乃香に、ユラは『アレは我が権能を勝手に使われ、力の主として解除したにすぎぬゆえ、主殿に礼を言われることではないの』と返した。
実際に、ユラにとっては当たり前で、そもそも穂乃香とつながりを持つ前の事なので、主を助けようなどと思うわけがない。
だが、穂乃香は目を閉じたままで「でも、ありがとう」と感謝の言葉を繰り返した。
そして、心を見るユラはその瞬間に、自らの小さな主がどれほどに不安を抱いたのかを知る。
『…………ふむ、惜しいことをしたの』
「え?」
『主殿に恩を一つ返すチャンスであった』
口惜しそうに言うユラにつられて、穂乃香が噴き出した。
『む、主殿、我らの様な存在にとっての貸し借りは、笑いごとでなく、重要なのだぞ?』
不本意だと言わんばかりのユラの言葉に直接言葉を返さずに、穂乃香は今一度「ありがとう、ユラ」と感謝の言葉を口にする。
『まったく、察しの良い主殿だの』
そう言って、先ほど変わらなぬ笑い声をユラは上げてから、また改まった声で一つの仮説を口にした。
『思うに、みどり殿は純粋なのだろうの』




