064 幼女、湯に浸かる
「ユラヒメノミコト」
穂乃香がその名を繰り返した瞬間だった。
「ふむ、こうなるのか……」
ユラヒメノミコトのつぶやきと共に、穂乃香の視界がまばゆい光に包まれ、白一色に染まる。
「えっ! ちょ……うわぁ~~~」
ものすごい勢いで押し寄せる光の本流の中で、穂乃香はバランスを崩してしりもちをついてしまうが、周囲が白一色なせいで状況を確認できなかった。
「無事かの?」
白の向こう側から聞こえる声に、穂乃香はどうにか「大丈夫」と答える。
それ自体に嘘はないが、体感で分かる範囲でなので少々正確性に欠けた。
ともかくも、視界に頼らないように目を閉じた穂乃香は、手をついて砂の感触を確かめる。
「砂浜は砂浜……で」
言いつつフラフラと手を振った穂乃香の指先が、布状の物に触れた。
反射的に、穂乃香はそれを掴む。
「どうしました、穂乃香様!」
「へっ?」
急に耳に届いたゆかりの声に、穂乃香はすぐさま目を開く。
するとその視界には、自分の伸ばした手が掴む黒いメイド服のスカートと、心配そうな顔で自らに迫るゆかりの姿が入り込んだ。
「お怪我はないですか?」
格好としては、しりもちをついた拍子に、バランスを取ろうとメイド服のスカートを掴んだような形になっているので、ゆかりが心配するのも頷ける状況である。
「だいじょうぶ、ほのかちゃん?」
次いで、ゆかりの横に立つみどりも心配そうに穂乃香に声をかけた。
「あ、うん、大丈夫……だよ?」
砂を払いながらゆかりの介助で立ち上がった穂乃香は、自分を見る二対の目に戸惑いを覚える。
(あれ、えーと、ユラヒメノミコトの件は?)
そう穂乃香が頭の中で考えたところで、不意に出会った時と同じように脳裏に言葉が直接響く。
『うむ。主殿の事情を鑑みて、我の説明は難しいと察し、娘らの記憶に干渉しておいたぞ』
「え、な、主? 干渉!?」
思わず声に出したしまった穂乃香に、みどりが「あるじ?」と首を傾げた。
「穂乃香お嬢様、どうなさったのですか?」
続けて問いかけてきたゆかりの目線が、穂乃香の後頭部へと向かう。
その視線に慌てて穂乃香は首を振った。
「だ、大丈夫、別に頭を打ったとかじゃないから、ともかく、ホテルに戻りましょう。ちょっと寒くなってきた!」
穂乃香は最後に寒くなってきたと付け加えて、うまくゆかりの心配の矛先を誘導する。
「そうですね、お話はあとにしましょう」
ゆかりはすぐさま頷くと、穂乃香とみどりの手を引いてホテルへと戻ることとなった。
「ふぅ~~~」
全身を包み込むように温めてくる温泉の心地よさに、浴槽に背を預けた穂乃香は思わず蕩けていた。
もともとは貯めた雨水をろ過して沸かすタイプの風呂だったが、地熱発電の研究過程で温泉を掘り当てたお蔭で、現在では温泉風呂となっている。
それゆえに普通のお湯よりも身に染みるのか、穂乃香の蕩け具合は屋敷で浸かる風呂以上だった。
「大丈夫ですか、穂乃香お嬢様?」
大きめの石を組み上げて作られた風呂の縁に身を任せる穂乃香に、ゆかりは心配そうに声をかける。
「大丈夫、大丈夫、気持ちがいいだけで、寝てないよぉ~」
パチャパチャと水音を立てながら、水の滴る手を振って穂乃香は微笑んだ。
「なら、いいのですが……」
若干疑わしげな眼を向けるゆかりに、穂乃香は「大丈夫だよ、椅子から降りないし」と付け加える。
穂乃香の背丈では浴槽で座ると沈み込んでしまうので、風呂の中に木製のベンチを沈めてそこに座っていた。
「ともかく、私より、みどりちゃんをお願い」
「はい、お任せください」
ゆかりはそう言って頷くと、みどりの体を洗いながら異常がないかを確認していく。
(それで……どう干渉したの? ユラ)
もう夜も遅いためにうとうととしているみどりの体を支えながら、器用に仕事をこなすゆかりを見つめながら、穂乃香は棚上げにしていたユラヒメノミコトからの事情聴取に着手した。
『ふむ、愛称というのも、こそばゆいものがあるの』
(嫌だった? 名前長いから……)
『いやいや、主殿から貰った愛称を嫌がるワケがあるまいて……むしろ、伝わってないかもしれぬが、天にも昇る思いよ』
(そこまで喜ばれると、こっちが恥ずかしくなるけど、嫌じゃなくてよかったわ)
穂乃香の頬が赤らんだのは温泉の熱気だけではないのは明白だったが、ユラがそこを指摘することはない。
それよりも、と、主の問いに答え始めた。
『まず、先ほどの件は、海に誘われた女の童に主殿が気付き、浜辺で追いついたタイミングで、主殿の不在に気付いた娘も追いついたという筋立てで、我の存在も膿の存在も伏せてあるの』
ユラの言葉に、穂乃香はなるほどと大きく頷く。
みどりが誘われた件に関しては、ゆかりも『森の人』の件を知っているので、魔法使いであることが伝わらなければいいかと、穂乃香はユラの機転に満足だった。
(ともかく、後の話はお風呂から出てからね)
『心得た』
ユラの返事に大仰に頷いた穂乃香は、少し背を丸めて、肩までお湯につける。
が、それを寝落ちと早とちりしたゆかりが、大慌てで立ち上がるも、みどりに引っかかって、大きな水しぶきを上げて湯船に浮かぶことになったが、穂乃香は武士の情けとばかり、目にした全てを自らの胸の内にしまい込んだ。




