052 幼女、姉と呼ぶ
「あ、奈菜ちゃん、いらっしゃい」
入り口付近に立つ奈菜に気付いた穂乃香が、早速、声を掛ける。
だが、顔を真っ青にして固まったままで、奈菜は微動だにしなかった。
「奈菜ちゃん?」
驚いたように目を瞬かせ、みどりと由紀恵を残して、奈菜に近づくと、ようやくその小さな唇を震わせながら何事か繰り返していることに穂乃香は気が付く。
「どうしてどうしてどうして……」
繰り返される同じ言葉の連続に、穂乃香は慌てて奈菜の肩を揺すった。
「な、奈菜ちゃん!」
それで我に返ったのか、奈菜は穂乃香を視界に収めると、直後、ボロボロと大粒の涙をこぼし始める。
「だ、大丈夫だよ、順番、順番だから!」
慌てて噛みながらも、穂乃香は奈菜をなだめるように必死に訴えかけた。
そんな必死な穂乃香の態度に、わずかに冷静さを取り戻した奈菜が「順番?」と聞き返す。
「そう、この部屋に来た順番で、これから、奈菜ちゃんにも浴衣を勧めようと思ってたの!」
満面とはいえない程度に、多少引きつってはいるが、それでも笑みを作って穂乃香はそう告げてから、ゆかりに視線を向けた。
できるメイドであるゆかりは、穂乃香とはまるで違う完ぺきな笑みを浮かべて、追従する。
「はい。あちらに奈菜さんの分の浴衣も用意していますよ」
あえて涙には触れることなく、ゆかりは手招きをして、奥の部屋に広げられた浴衣を見るように促した。
それを目にしてようやく落ち着いたのか、奈菜は安堵の表情を見せる。
だが、そこで奈菜はまたも表情を曇らせてしまった。
その表情の変化に、穂乃香の背筋に冷ややかな緊張が走る。
「み、みどりちゃんの、お母さんと、友達……」
少し顔を俯かせて、上目遣いで窺うように言葉を並べる奈菜に、穂乃香はどう答えるべきか迷ったせいで、言葉に詰まった。
そこへ、みどりの母であり、友達発言の当事者である由紀恵がするりと入り込む。
「ごめんなさいね、奈菜ちゃん。私が勝手に言い出したことなの」
奈菜の前にしゃがみ込んで、由紀恵は経緯をゆっくりと言葉にした。
その言葉を受けた奈菜が、視線と意識を自分に向けたことを確認した上で、由紀恵はさらに言葉を続ける。
「私も、穂乃香ちゃんや奈菜ちゃんとお友達になりたかったのよ。だからお願いしたの、お友達っていっぱいいた方が楽しいと思うんだけど、大人はならない方がいいかしら?」
「え……と……」
由紀恵に問われて、奈菜は戸惑った。
そもそも、疎外感を感じただけで、別に嫌だったわけではないので、返答に困ってしまう。
そこへ、絶妙なタイミングで、奈菜の母である竹本加奈子が参入した。
「あら、いいわね。私もお友達にしてもらいたいわ」
「お母様も?」
加奈子の不意打ちのような発言に、奈菜は目を丸くする。
奈菜の知る限り、加奈子は冗談など言うタイプではないので、本当になりたいと言っているのだと悟ると、すぐに大丈夫かどうか確認すべく、視線を穂乃香に向けた。
一連の流れに流され気味ではあるものの、最後を託される形となった穂乃香は、大きく頷いて「大人も子供も関係なし。みんな友達だね」と笑顔で結ぶ。
瞬間、ようやく奈菜の顔に晴れやかな笑顔が戻った。
白地に朝顔の模様の浴衣に、青と水色のグラデーションの男の子寄りのクールな印象の兵児帯を付けた奈菜が加わって、穂乃香たち三人娘はそろって浴衣姿となっていた。
穂乃香を中心として三人で並んで、窓から見える景色をキャイキャイとはしゃぎながら見つめている。
その様子を少し離れた場所で見つめる三人の保護者も、言葉を交わし合っていた。
「ゆかりさん、わざわざうちの子の分までありがとうございました」
由紀恵が最初にそう言って軽く頭を下げると、次いで加奈子が「奈菜も大変喜んでます」と続く。
あまりに嬉しそうに二人が言うので、ゆかりは自然と微笑みながら「いいえ。お気になさらず」と返した。
それから、ゆかりは「急なスケジュールに、無理を言ってご同行願っているのは我が家ですし、なにより穂乃香お嬢様やみどりさん、奈菜さんが可愛らしく着飾るのを厭う人間など我が家にはおりません。そもそも、穂乃香お嬢様の祖父であられる大旦那さまからは、可能な限りおもてなしをするようにと申し付かっておりますので、お気になさらずに」と続ける。
使用人として完璧な受け答えであったが、しかし、由紀恵が不満そうに声を上げた。
「駄目だわ」
「はい?」
目を丸くしたゆかりに、スイっと歩み寄った由紀恵が続ける。
「お立場はわかりますけど、ここではみんなお友達なんですから、ゆかりさんもそういう堅苦しいのは禁止です」
「禁止……ですか?」
戸惑いを見せるゆかりに、加奈子は「そうね」と由紀恵側に回った。
「私たち、穂乃香ちゃんとお友達になったんですから、一人だけお友達じゃないなんておかしいでしょう?」
「そうね。それにお友達として参加は『私達の要望』だから、ゆかりさんは『可能な限り』付き合って下さるでしょう?」
由紀恵、加奈子の順にそう言われて、ゆかりはあいまいに微笑んで誤魔化そうとしたが、ここに一人乱入者が現れる。
「じゃあ、ゆかりさんは私のお母さん……いや、お姉さんってことで!」
急に穂乃香が自らの腕に腕を絡ませてきたことに驚いたゆかりだったが、本当にびっくりするのはその後だった。
「というわけで、エリーさん、ゆかりさんのお着換えをお願いします」
誰もいない部屋の入口に向けて穂乃香がそう声を上げると、数秒ほどでエリー率いる使用人たちが姿を見せる。
「エリー!?」
驚くゆかりをそのままに、エリーは「かしこまりました穂乃香お嬢様」と頭を下げるなり、未だにメイド服姿のゆかりを連れて部屋を後にした。
「まあ、折角なんだから、ゆかりさんにも、仕事を少し忘れて欲しいのよね」
誰に言うでもなく呟いた一言に、由紀恵が「駄目よ」と否定の言葉を口にする。
「ゆかりお姉ちゃんでしょ?」
由紀恵の言葉を継いで、そう言ってウィンクを決めた加奈子に、穂乃香は微笑んだ。
「それは、そうでしたね!」




