049 幼女、上陸する
太平洋の孤島『青海島』は、榊原家所有の島である。
全周4キロほどのそこそこ大きな島であり、かつては遠洋で漁業を行う船の中継拠点が置かれていた島であった。
航海技術や船そのものの性能の向上などにより、その役割を終え、現在では榊原家の別荘が置かれるのみの静かな島である。
実際には、榊原家の独自改造がなされており、風力発電や波力発電、海中あるいは上空の観測機器のテスト、電波が少ないため、電波に関する実験など、特に人の目が多い場所では行いにくいものも含めた榊原グループの技術実験場の側面もあり、常駐の職員がこの別荘の管理も行っていた。
食料に関しても定期便の他に、地下の大規模バイオ農場で、人工光により栽培されている野菜なども活用し、将来的にはこの島一つで生産と消費のサイクルを完結させる実験も行っている。
見た目には風力発電施設だけが自然豊富な森の中ににょきりと顔を出して、違和感を醸し出していたが、実際は自然の森の方がカモフラージュという機械仕掛けの孤島だった。
「よいしょっ」
波によってタラップが揺れ、コンクリートの桟橋にわずかな隙間ができるせいで、最後の一歩をジャンプで締めた穂乃香は、横に立つゆかりにハラハラされながら、ビーチサンダルを履いた足で見事着地を決めた。
「ほ、穂乃香お嬢様、水着ですから気を付けてくださいね!」
クルーザーの上で水着姿になった奈菜とみどりに合わせて水着姿となっていた穂乃香は、上半身はパーカーとその上にライフジャケットを着こんでいたが、下半身は足を完全に露出している。
バランスを崩して転んでしまえば、足に怪我を負ってしまうので、ゆかりの心配は当然ともいえた。
「だ、大丈夫、ちゃんと着地できたでしょ?」
ゆかりに心配されるのは慣れているとはいえ、今日は普段はそばにいないみどりや奈菜、その母親たちも一緒なので、穂乃香としては少し恥ずかしい。
「そうですが……いえ、そうですね、安心しました」
言葉を続けようとして、微妙な穂乃香の反応に何かを察したゆかりは、少し大げさに安心しましたと胸を撫で下ろして見せた。
そんなゆかりにたいして、穂乃香は「心配してくれてありがとう」と何処かぶっきらぼうに礼を告げ、奈菜とみどりの母親たちから暖かな視線を送られる。
穂乃香自身はそんな二人の視線に気づく前に、みどりに手を引かれて、島の方へと移動し始めたので、ゆかりだけが母親たちの表情に気付き、照れのこもった微苦笑を浮かべた。
「ねぇねぇ、ほのかちゃん、べっそーはこっちでいいの?」
ずんずんと自分の手を引いて歩くみどりに、穂乃香は少し困った表情を浮かべる。
「あー、じつは、ここに来るのは私も初めてなの」
「え~? そうなの?」
ピタリと足を止めて振り返ったみどりはコテンと小首を傾げた。
「うん。だから、案内できなくてごめんね?」
穂乃香は申し訳なさそうに眉を下げるが、みどりは気にしないとばかりにブンブンと左右に頭を振ってみせる。
「うんうん。じゃあ、みどりもほのかちゃんも、ななちゃんも、はじめてでいっしょってことだよね!」
「え?」
みどりの返しをまるで想像もしていなかった穂乃香が、言葉を詰まらせると、不意に奈菜が会話に参加してきた。
「良かったねみどりちゃん、三人一緒だね」
「うん。さんにん、おそろいって、うれしいよね!」
後ろから肩に触れながら微笑みながら言う奈菜に、前から手を握ったまま笑顔全開のみどりにはさまれて、穂乃香はじわりと頬を熱くしながら「そうだね。嬉しいな」と柔らかに笑む。
そうして、三人で笑い合った。
穂乃香たちが滞在することになるのは、島で最も高い位置に建てられた木造の洋館風の建物で、内装は様々な補強を含めた改築がなされているが、外見は戦前に建造されたものをそのまま引き継いでいる。
元々は診療所であったため、使われているペンキは、白が主体に、柱部分に緑のペンキが塗られていて、
玄関の曇りガラスには当時の名残として『青海島診療所』の文字が刻まれていた。
「ねえねえ、ほのかちゃん、なんてかいてあるの?」
早速、玄関の磨りガラスに刻まれた文字に気が付いたみどりが、傍らの穂乃香に尋ねる。
「うーん、せいかいじましんりょうじょ……かな?」
スラスラと読みながら『診療所』のところで穂乃香は首をかしげた。
「しんりょうじょ?」
それにつられるようにして、みどりもコテンと首をかしげる。
「あーえーと、あー、そう、確か、昔の病院の言い方だ!」
奈菜が耳にした音から記憶をたどり、正解にたどり着くと、みどりがびっくりした顔で穂乃香を見た。
「え、みどりたち、またびょういんにおとまりなの?」
不安げに目を揺らすみどりに、穂乃香は落ち着かせるように柔らかな表情を見せる。
「大丈夫だよ、ここは昔は『病院』だったかもしれないけど、今は違うんだよ、ね、ゆかりさん?」
最後に視線をすぐ後ろに続いていたゆかりに向けると、みどりもその後を追う様に視線を向けた。
「そうです、こういう古い建物が好きな方のために、外観……みためは昔のままに保っているのですが、中は病院ではなく宿泊施設……『ホテル』になっているんですよ」
ゆかりはところどころ言葉を改めながら、安心を与えるように徐々にしゃがみ込みながら視線を合わせて、説明を締めくくると、最後に微笑み掛ける。
「ホテル? ホテルなら、みどりもしってる。おかあさんとおとまりしたことある!」
そう言って表情を輝かせたみどりに、ゆかりの後ろに佇むみどりの母親が笑顔で頷いた。
「じゃあ、早速入りましょう!」
笑顔溢れる一同の中、そう宣言した穂乃香がドアノブに手を掛ける。
わずかに、キィと軋む音を立てると、ふわりと年を重ねた木材の香りが一同を出迎えた。




