036 幼女、再会する
主治医のお墨付きをもらった穂乃香は約一週間ぶりに、幼稚舎へと登園した。
「ほ、ほのかちゃん!!」
登園してきた穂乃香に真っ先に気が付いたみどりは、すぐさまその手を取って上目遣いで名前を呼ぶ。
その瞳は、不安、喜び、感謝と、様々な感情で彩られ潤んでいた。
穂乃香はそんなみどりに微笑み掛けながら「大丈夫だよ」と優しく声を掛ける。
「あのね、本当は元気だったんだけどね。お医者様がお休みしなさいっていうから、幼稚舎に来れなかったんだよ」
諭すように、それでいて幼い口調で伝えると、みどりは少し頭を傾げてから、何かを思いついた様子で尋ね返してきた。
「お姉ちゃんが……えと、みどりのおとなりのお姉ちゃんがなった、いんふるぅと同じ?」
「いんふるぅ?」
「えとね、おカゼのすごいの」
みどりの説明では、明確に理解できなかった穂乃香だが、それでも彼女の思い付きを否定しないように言葉を選んで答える。
「同じではないけれど、でも、きっとそんな感じ、だよ」
「そっかー……なおってよかったね」
「ありがとう、みどりちゃん」
微笑みあう二人のもとに、もう一人近づいてきたのは、制服姿の奈菜だった。
「ほ、穂乃香ちゃん、もう大丈夫なんですか?」
穂乃香はみどりと手を繋ぎ合っているので、それを邪魔することはなく、奈菜は脇に立って目に浮かべた大粒の涙をボロボロと零し始める。
「わあ、大丈夫、奈菜ちゃん!」
慌てた穂乃香はみどりの手を優しく離してから、通園カバンの中に手を突っ込み、自分の手にはやや大きめなハンドタオルを取り出すと、やや乱暴な手つきで奈菜の顔を拭いた。
「わっふわっほ、ほにょかしゃん」
じたばたともがく奈菜に、穂乃香は今度は慌ててタオルを、奈菜の顔から離す。
そうして、前髪が乱れ、可愛いおでこがむき出しになった奈菜と穂乃香は顔をつき合わせた。
「もう、穂乃香ちゃん、乱暴だよぉ」
「ご、ごめん、泣いてる奈菜ちゃんを見たら慌ててしまって」
「あー、ほのかちゃん、みどりも泣いてたよ?」
「みどりちゃんはまだ涙がこぼれてなかったから、そんなに慌てなかった」
「えー」
三人は最後に放たれたみどりの不満げな声で会話を止めると、一拍挟んで誰からともなく笑い始める。
「ごめんね、みどりちゃん」
「もういいよ。だって、ほのかちゃんは、みどりのおうじさまだし!」
無邪気なみどりの言葉に、ピクリと体を振るわせて反応したのは奈菜だった。
「王子様?」
眉を寄せて、首をかしげる奈菜に、みどりは満面の笑みで頷く。
「あのおイモをうえに行ったときにね、みどり、へんなカイブツにつれていかれたんだけどね、ほのかちゃんがたすけにきてくれたの!」
みどりの説明に、奈菜が「え?」と疑問符の乗った声を漏らし、穂乃香は「あ……」と口止めを忘れていたことに今更ながらに気が付いた。
「すごいんだよ、ほのかちゃん、びゅーーんて、お空もとべ……」
「わーーーわーーー」
我が事のように興奮気味に語りだしたみどりの口を塞いで、大声でごまかす穂乃香だったが、時すでに遅い。
ジーっと穂乃香を見つめる奈菜が、一言、幼稚園児とは思えない低めのドスの利いた声で「どういうことですか、穂乃香ちゃん?」と詰め寄ってきた。
「え、えーと、ここでは……話せないので、放課後にうちに来て下さい」
「え!? いいんですか!? 穂乃香ちゃんの家に行っても!」
「う、うん」
「あ、みどりも、みどりも行きたい!!」
「ゆ、ゆかりさんに言ってくるから待ってね」
穂乃香は言うなり踵を返すと、まだ、幼稚舎脇の駐車場に向かう途中のゆかりに向かって駆け出す。
表情はやらかした自覚でものすごく慌てていたが、それを自覚する余裕など、穂乃香にはなかった。
結局、穂乃香宅を奈菜とみどりが訪れたのは、次の週末だった。
さすがに、思い立って当日というわけにはいかず、奈菜とみどりの家族も、天下に名高い大財閥榊原家にお邪魔するとあって、大騒ぎとなったのだが、当の本人達は知る由もない。
「ここが、穂乃香ちゃんのお部屋?」
「すごーい、ピンクでいっぱいだぁ」
自らの部屋に案内した奈菜とみどりは、それぞれピアノの発表会にでも出そうなドレスに身を包んでいた。
普段着でいいと言ったのに、何か失礼があってはいけないと二人の家族が大いに気を遣った結果である。
「うわ、難しい本もいっぱいある」
「ねぇほのかちゃん、えほんとかないの?」
部屋を縦横無尽に動き回りながら、時に感想を漏らし、時に気になったことを尋ねてくる二人に、穂乃香はたじたじになりながら対応していた。
「漢字とか、外国語の勉強をしてるから、その関係の本だよ。あと、絵本はここにはないかなぁ」
みどりに指摘されて、今更ながらに年相応の品物はないなぁと苦笑する穂乃香は「あっ」と声を漏らす。
「どうしたの、ほのかちゃん?」
急に声を上げた穂乃香を、みどりは不思議そうに見ながら尋ねた。
「あ、えーと、絵本じゃないけど、プリッチの本ならあるよ」
「そうなの?」
「見る?」
「うん」
満面の笑みで頷くみどりの後ろから、恐る恐る奈菜が顔を出す。
「わたしもみたい……かも」
「もちろん、どうぞ」
穂乃香の返事に、奈菜は小さくガッツポーズを作ると「やた」と嬉しそうに跳ねた。
そんな小さな二人の友人を見ながら、穂乃香は何も考えずに、屋敷の秘密でもある地下室へと二人を連れて移動を開始する。
地下室で、二人にだけは秘密を教えようと考え、穂乃香は決心していた。




