024 幼女、芋畑を訪れる
ゴールデンウィークも明けて、再び、日常を取り戻したころ、穂乃香たちの通う『聖アニエス学院幼稚舎』では、初夏の遠足を兼ねた体験学習『秋の芋掘り』に備えての『サツマイモの種芋植え』という行事がある。
郊外の山の麓にある学院の契約農場へと、学園所有の幼稚舎用マイクロバスで向かい、すでに耕し終えた畑へと、種芋を植えるという行事で、外での作業になるため、この日は制服ではなく体操着での通園となっていた。
例年はそう通知していてもうっかりと制服で来てしまう子もいるため、お着替え時間も一応設定してあるのだが、穂乃香と最近では奈菜も仕切るようになったもも組では、それは必要のない措置である。
集合時間にしっかりともも組の帽子をかぶり整列を決めた一行は、同い年であるはずのお隣の白帽子のゆり組とはまるで違っていた。
きょろきょろと周囲に視線を向けたり、しゃがみこんだり、あるいはお話に夢中になったりと落ち着かない雰囲気のゆり組に対して、ビシッと列を乱さず、もも組は穂乃香を先頭にあかね先生の指示を待っている。
その歴然とした差に、もも組の異常さを見聞きしていない先生陣は驚愕していた。
ここで少し鼻を高くしたあかねは、今にもスキップでも始めてしまいそうな軽い足取りで、自らの生徒をバスの中へと誘導していく。
バスの座席もすでに決めてあるので、もめることもなくそれぞれが素早く席に着いた。
クラスで人気を集める穂乃香は、左右二列ずつの座席に挟まれた通路の最奥、唯一5人が並んで座れるようになっている席の真ん中が割り当てられている。
その左右に、副リーダーとして頭角を現し始めた奈菜と、激しいジャンケンによる争奪戦を勝ち抜いた岩崎みどりが陣取った。
奈菜、みどりを挟んでの最後列、穂乃香に話しかけやすい奈菜とみどりの一つ前の席もなかなかの人気で、後部座席のほとんどは女子に占拠され、あかねと副担任が乗る、やや不人気の前方には男子が集中するというわかりやすい座席配置になっている。
こちらの世界の記憶では、自分が暮らす屋敷と学院、そのほかは車の車窓、あるいはテレビの映像でしか外を知らない穂乃香は、正直、この行事に胸躍らせていた。
いつもの五割増しで輝く笑顔を振りまいている上に、とにかく機嫌がいい。
当然、奈菜もみどりも周囲の子たちはそれに当てられて、同じように気持ちを高ぶらせていた。
お陰で、マイクロバスの駐車場から、芋を植える畑までは、例年、脱落者や不満を言う子がいるというのに、常に朗らかに楽しく行進する園児というかなり特殊な光景が繰り広げられることとなる。
「それじゃあ、皆、おいもさんは持ちましたか?」
あかねは自分の手にある芽にあわせてカットされた芋を掲げた。
これを農場を管理している人たちが事前に作ってくれた畝に穴をあけて埋めていくのが、穂乃香たちに課せられた使命である。
綺麗に畝の前にしゃがみ込んだ穂乃香たちから「「「はーい」」」と揃った返事が返ってくると、あかねは自分もしゃがみ込んで「まずは穴をあけます」と最初の指示を出した。
すると、その光景を見た子が、見ていない子へと実演を交えながら伝えあって、あかねがそれ以上の細かな指示を出していないのに、あっというまにもも組全員は目の前に穴をあける。
この光景には、例年携わっている農場側のスタッフが驚いていた。
当然ながら、あかねはこれにも鼻を少しばかり高くして、余韻を噛みしめると次の指示へ移る。
「穴の中に芽が上を向くようにお芋を入れます」
あかねの指示は、またもあっという間に伝播し終えて、最後の指示が下された。
「出来たら、優しく土を掛けてあげてください」
もも組の一同が、あかねの指示に従って土をかけ終えた瞬間、急にみどりがスクッと立ち上がる。
その突然の動きに、トイレかなと首を傾げた穂乃香だったが、すぐにそれが普通ではないことに気付いた。
「あれ?」
思わず表情を硬くした穂乃香の目の前で、みどりはくるりと背を向けると、背後の森の方へと歩き出す。
もっとも、穂乃香が疑問を抱いたのはそのことではなく、その事態にあかねも、副担任も、奈菜たちクラスメイトも誰一人反応を示さなかったからだ。
穂乃香は思わず立ち上がり、みどりを追いかけようと踵を返す。
が、踏み出そうとした瞬間、首を傾げた奈菜に「どうしたの?」と手首を掴まれ、止められてしまった。
「みどりちゃんが森の方に……」
行くから止めないと、と言いかけた時、穂乃香は奈菜の反応に大きな違和感を覚え、背中がゾクリと冷えるのを感じて言葉を失ってしまう。
そして、その嫌な感触は奈菜の言葉でもって、錯覚ではないことを穂乃香に証明してしまった。
「みどりちゃん? 誰の事?」
奈菜がみどりを知らないわけがない。
一緒におしゃべりしながらここまで来たのだ。
それに少し引っ込み思案なだけで、優しくて思いやりのある奈菜は、冗談でも友達を知らないなんて言うわけがない。
つまり、これは異常事態なのだ。
「あかね先生、みどりちゃんが森に入って行っちゃいます」
確認の意味も込めて、大人である担任のあかねに、穂乃香はそう訴える。
だが、残念なことにあかねの反応は、穂乃香の予想通りだった。
「みどりちゃん? 誰の事かな?」
普段から手間のかからない優等生の穂乃香の言葉に、あかねは真剣な表情で向き合おうとしゃがみ込んで視線を合わせてくる。
あかねの態度にふざけている様子が見受けられなかったことで、より事態の深刻さを認識した穂乃香は、立ち上がったままで思考を巡らせた。
そして、一つの言葉が脳裏によみがえる。
『そもそも、穂乃香お嬢様なら、いざという時は、変身しなくても対処できるでしょう?』
穂乃香は、ああ、と思わず胸の内であの日この言葉をくれたゆかりに感謝した。
(つまり、いざという時だから魔法を使って大丈夫ってことよね! 魔女の衣装に着替えてなんて、そんな余裕ないものね! 緊急時は子供でも魔法を使ってもいいと、こっそり教えてくれたんだわ!)
独り大きく頷くと、穂乃香は素早く魔法を発動すべく、魔力を集め始める。
直後、芋畑が白一色に包まれた。




