023 幼女、幼き友を尊敬する
鬼ごっこの時間を二人きりで、タッチを穂乃香がただ避けるだけという謎の戦いに費やした反動は大きかった。
思わず見とれて口を挟めなかった副担任の報告により、園長からあかねは厳重注意を受ける羽目となり、穂乃香は穂乃香で、奈菜をはじめとする大好き派からは、一緒に遊びたかったと涙の請願を受け、ライバル派から尊敬派に転向する子が数人現れ、尊敬派ではやんややんやの大騒ぎとなる。
そもそものきっかけが、穂乃香の悪戯心なので、涙の一緒に遊びたかった攻撃はなかなかに心のダメージが大きかったし、ライバル組の燃え上がる対抗心や尊敬組の褒め言葉の嵐は、嬉しくもあり、微笑ましくもあり、恥ずかしくもあって、きっかけがきっかけだけに自己嫌悪を催した。
もっとも、長く生きた経験を有する穂乃香は、過ぎ去ったことは大して気にしない。
過ぎたことは今更どうしようもないので、素直に大好き派の明日はちゃんと一緒にという言葉に頷いて、私も戦いたいというライバル組ともタッチ勝負を約束し、穂乃香は事を収めるのだった。
こうして、なんだかわからないうちに過ぎていった運動の時間が終わると、いよいよ下校の時刻となる。
園内着であるスモックではなく、制服へと着替えるので、穂乃香はしっかりとゆかりに教わった通り、最初にタオルで体を拭くことを実践し、同時に周囲を見渡してはフォローして、時に拭いてあげたりもしながら、皆の着替えが終わる頃にはへとへとになっていた。
一緒に遊べなかった大好き組の奈菜が、自分で拭けないと甘えだし、うかつにも「仕方ないなー」といいながら拭いてあげたモノだから、他の大好きチームの子たちや、尊敬派やライバル組までもが、穂乃香の前に列を作り、これに応える羽目になったのである。
さすがに、男子は女の子である穂乃香に拭いてもらうのを遠慮したのか、どの派閥の子も行列に加わることはなく、あかねと副担任の補助を受けつつさっさと着替えてしまった。
だが、これが新たな火種となる。
着替えを済ませた男子はいつでも帰りのホームルームをむかえられるのだが、女子は穂乃香を待っていたせいで、まだ着替え終えていない子が幾人もいて、足を引っ張ることとなった。
その事態に、勝気な男子が「遅い」と文句を言い、言われた女子は「羨ましいくせに」と返したことで、喧嘩が勃発する事態になり、そこでも穂乃香はついつい仲裁に入ってしまう。
結果、また無駄に時間を費やし、順番待ちの子の対応もし、最後に自分も着替えてと、手間取った穂乃香は自分の席で机に突っ伏すこととなった。
「大丈夫、穂乃香ちゃん?」
「うん、大丈夫だよ」
心配そうな周囲の声に、慌てて体を起こした穂乃香は、柔らかい笑みを浮かべて答える。
大の字になるまで繰り広げたあかねとの謎バトルの影響もあって、本当はだいぶ疲労がたまっていて、若干眠いものの、それでも穂乃香は笑みを崩さない。
「そうか、よかったー」
当然、穂乃香のつくろった笑みに気付くものはなく、周囲が安堵の声を漏らしたところで、奈菜が口を挟んだ。
「ウソ、穂乃香ちゃん、疲れてる」
奈菜のまっすぐな目に射抜かれて、また、その言葉が事実だったせいで、穂乃香は言葉を失くしてしまう。
同時に、そうだったのと、不安な表情が周りに浮かび始めた。
収拾をつけなきゃと、穂乃香がもう一度、大丈夫だよと言う前に奈菜がガタンと椅子から音を立てて立ち上がる。
視線を一気に奪われて、穂乃香は発言のタイミングを失ってしまった。
「穂乃香ちゃん、ごめんなさい」
急に頭を下げた奈菜の行動に、周りの目が驚きで丸くなる。
「穂乃香ちゃんはお姉さんじゃないけど、お姉さんみたいだから、一杯甘えちゃった」
「い、いや、そんなこと……」
穂乃香が曖昧な言葉しか口にできなかったのは、ひとえに彼女が驚きの中にいたからだ。
かつて生きた記憶を覚醒させた自分が、色々考えつくのも、配慮できるのも、行動を起こせるのも、それは肉体はともかく精神の面では大人だからに違いない。
そして、とてつもない猫を被っていない限り、奈菜は正真正銘の3歳児なのだ。
そんな幼女が、自分の疲れを見抜き、甘えたことを謝罪したのだから、衝撃でないはずがない。
だからこそ穂乃香は、遊んでくれなかったからタオルで拭いてと甘えた少女が、わずか一瞬の間に、穂乃香の疲れを見抜き、自分が原因だと推測し、詫びるという何歩も先へと成長した事実を、とても眩しく感じた。
「すごいね、奈菜ちゃんは」
ウソ偽りのない賞賛の言葉は、たとえ幼い少女であっても理解できる強いメッセージ性を持った響きを含んでいる。
奈菜が言われた言葉を理解して頬を染めるころには、周りの子たちに、奈菜に対する尊敬の様子が現れだしていた。
穂乃香に褒められる奈菜はすごい。
それはとても単純な構図だったからこそ、クラスのほぼ全員が奈菜に一目置くこととなった。
結果、奈菜の甘え体質がものすごい勢いで改善され、そのとばっちりで母親が少し寂しい思いをすることになるのだが、この場の穂乃香にも、奈菜でさえ、知り得ぬ未来の出来事である。
今はただ、穂乃香が奈菜を尊敬したことがすべてであって、奈菜にはそれがとても誇らしい勲章だった。




