021 幼女、牛耳る
登園から着替えが終わり、10時も15分ほど過ぎると、本格的に授業が始まる。
担任であるあかねの指示に従って、穂乃香のサポートを受けながら、教室の中で園児たちが自分の椅子をもってさっと整列し、そのまま着席した。
園児たちの整列具合を確認したあかねは、静かにピアノの前のチェストに腰を下ろす。
この幼稚舎では、小型ながら、すべての教室にピアノが設置されていて、担任がピアノを弾くメロディーやリズムに合わせて挨拶を行うのだ。
一音一音奏でられるピアノの低めの音に、合わせてあかねが起立、気を付け、礼、着席と順番に指示を出していくと、園児たちは見事にそろえてみせる。
とても入園したての子たちには見えない出来栄えだが、これも穂乃香のフォローあってのことだ。
あかねの動きをちゃんと観察している穂乃香は、礼に使うピアノの鍵盤も記憶している。
それを活用して『あかね先生ゴッコ』と称した挨拶の特訓を実行したのだ。
遊びの延長でありながら、しっかりと身についたそれは、結果的に今スムーズに行動をさせることとなり、事情を知らない他のクラスの先生から園長までが褒めるので、より皆が上手くできるようになる好循環を果たしている。
結果、あかねとしてはまたも手が掛からないわけだが、さすがに自分の存在意義を悩み始めていた。
優秀過ぎる生徒というものも困りものなのである。
そんな人に言えない妙な気持ちを抱きながら、あかねは「それじゃあ、次は幼稚園の歌を歌います」と明るい声で告げた。
「「「はーいっ」」」
園児たちの返事を聞くなり、あかねはピアノに向かって指を弾ませる。
聞き慣れた園歌のメロディーが流れ出すと、園児たちは真剣な表情で歌いだしを待った。
やがて、あかねの「行きますよ、はいっ」とタイミングの良い指示出しに、園児達はそろって、楽しそうに、明るく元気よく歌っている。
ただ園歌の方は挨拶と違って、穂乃香と言えどもまだ練習期間が短い為に、サポートしきれておらず、たまに音程のズレた歌声が混じっていた。
あかねは、それにほんの少しだけ安堵を覚えるのだが、特殊な生徒の在籍するクラスを任せられた彼女にとって、それは仕方のない事なのかもしれない。
「今日はお絵描きをします」
あかねの言葉に、園児たちが揃って「「「はーい」」」と同意すると、早速とばかりに動き出した。
皆で協力し合って机といすを並べるのだが、それは本来年長のクラスで行うことで、入園したばかりの年少組では、本来、あかねや副担任が整える。
だが、このクラスでは穂乃香の総指揮のもと、平然と机が動かされ、それぞれが椅子を持って来てそれぞれの席に着くのだ。
あかねも副担任も、穂乃香たちの学年を錯覚してしまいそうな目の前の光景に言葉を失ってしまう。
だが、それを引き戻すのも穂乃香の仕事だ。
「あかね先生、準備が出来ました」
「あ、そうね、じゃあ、お道具を配るわね」
あかねの言葉に穂乃香は笑顔で手を上げた。
「手伝います」
すると、それを起点に奈菜が「あ、私も穂乃香ちゃん手伝う」と手を挙げ、最終的にはクラス全員が立候補している。
この事態にも即座に反応を示すのも、指示を出すのも穂乃香だ。
「それじゃあ、クレヨンは私が配るから、奈菜ちゃんは画用紙をお願い。みんなは順番に席に置いていって」
穂乃香の言葉にそこかしこから「はーい」「わかったー」「任せて」と様々な同意の声が上がる。
用意されていた道具を目にしただけで、穂乃香は瞬時に分担を決めて、的確な指示を出して、あっという間に配り終えてしまった。
その無駄のない分担作業に、あかねたちが呆然とすることしかできなかったのも仕方のない事だろう。
平仮名を模写でほぼ正確に描く穂乃香にかかれば、クレヨンであろうと、作り出される作品は異常なほど高度だった。
教室の窓から見える遊具と園庭、その後ろに続く『聖アニエス学院』の緑で囲まれたキャンパスを、それはもう見事なまでに写実的に書き上げてしまう。
その出来栄えに、あかねら教師陣は固まり、奈菜を始めとする穂乃香大好きの生徒たちは思い浮かぶ限りの褒め言葉を一生懸命口にして、絵画教室に通っていて少しは絵に覚えがある子たちは素直にどうしたら描けるのかを尋ねた。
穂乃香は嫌な顔一つ見せずに、自分がかつて違う体の頃にどう学んだかを参考にコツを伝えていく。
絵の心得のあった子たちは、それを実践することに没頭し、それにつられる子も多数いた。
一方、穂乃香が好きな子たちは指導をおねだりして、別の紙に書き方を実践してもらう。
その中で頭一つ飛びぬけていたのは奈菜だった。
穂乃香の描くスピードが速いのをいいことに、シレッと自分の顔を描いてもらう。
しかも、魔法陣修行の為にも正確な描画技術を習得する一環として、似顔絵を描いていた穂乃香の絵は柔らかく暖かいものだ。
奈菜が感激して自慢してしまったことで、爆発的に希望者が増えてしまい。
ようやく復帰してきたあかねと副担任が大慌てで事を収める大事件へと発展してしまった。
「というわけで、穂乃香ちゃんに絵を描いてもらうのは禁止です」
あかねは溜息まじりにそう告げるとクラス中から文句の声が上がる。
それはそうだ、すでに描いてもらった子がいる以上、ずるいとなるのは当然だ。
だが、本来は園児それぞれが絵をかく時間なのに、穂乃香に似顔絵を描いてもらう時間にされては、作品展に飾る絵が出来上がらないのだから、あかねだって折れることはできない。
そこで、見かねた穂乃香がスッと手を上げた。
「え、えーと、なにかな、穂乃香ちゃん?」
尋ねるあかねの声が若干恐る恐るになってしまったのは、穂乃香が何が飛び出すかわからないビックリ箱のような存在になりつつあることの表れである。
穂乃香はそんなあかねに向かって、こほんと小さく咳払いをすると、クラスの仲間達へと視線を向けた。
「お絵描きを私だけがすると、折角、お父さんやお母さんがみんなが描く絵を楽しみにして、来てくれる時に絵がないよって悲しい気持ちになっちゃうと思うんです」
穂乃香の言葉に、クラスに動揺が起きて、悲しそうに顔を伏せる子が現れる。
だが、それが涙に繋がる前に、穂乃香は「だから、まず皆も絵を描きましょう。そしたら、お父さんもお母さんも喜んでくれると思います」と続けた。
一部の子たちはそれで満足そうにうなずいたが、絵を描いて欲しい勢はそうはいかない。
それぞれの顔に浮かぶ不満げな表情に、穂乃香は更なる提案を付け加えた。
「それで、似顔絵は、みんなのお誕生日ごとに、私がプレゼントします」
その言葉に、ざわッとクラスが波打つ。
「だから、後でお誕生日を教えてください」
にっこりと結ぶ穂乃香の言葉に、歓声が沸き起こった。
これで大丈夫と息を吐いた穂乃香だったが、不意に袖を奈菜が上目遣いで引っ張ってくる。
その態度に言わんとすることを察した穂乃香は、そっと奈菜の耳に口を寄せた。
「奈菜ちゃんには、皆には内緒であげますね」
既に描いてもらってしまった奈菜がその一言に安堵してから、喜びの笑顔を見せる。
その後ろで、あかねたちはただただ呆然とその光景を見ていることしかできなかった。




