190 幼女、逡巡する
『し、しかし、主殿、それは……』
穂乃香の考えに、ありえないというよりは、それを受け入れたくないという思いで、ユラは否定の意思を示す。
だが、穂乃香は酷く冷静に、思考を進めていた。
(とにかく『源泉』を、前に『澱』の生まれた場所を確認しましょう)
既に、茉莉を自殺直前までに追い込んでいる存在だけに、穂乃香の危機感は酷く強い。
主の思考や記憶と違って、能力を発動せずとも抱いている強い感情を自分のモノのように理解できるユラは、穂乃香の気持ちを汲み取って、青葉、蜜黄、黒華の三人に、スタジオの外側から、徐々に源泉へと向かって距離を詰めつつ状況を確認するよう命を下した。
「どうしたの、穂乃香さま……」
不安げな月奈の視線に、穂乃香は意識が『澱』に向いたままだったと、慌てて取り繕う。
「あ、ちょっと考え事を……」
そう言って無理やり笑みを張り付けた穂乃香だったが、月奈の不安げな表情は晴れなかった。
むしろ、顔をより青くして「なにか、るな、いけないことしたかな……」と不安そうにしてしまう。
「え、あ、違うよ、月奈ちゃんのことで何かあったわけじゃないよ。えと……」
穂乃香としてはうまく場を収めたいと思っているのに、ユラたちに探らせている『源泉』への警戒心が上回って、思ったように立ちまわれなかった。
結果、しどろもどろになって、より月奈の不安感をかき立ててしまうという負のスパイラルに突入しかける。
が、それは静かに参入した一人の少女によって回避されるのだった。
「おー、穂乃香ちゃん、ここだったかー」
茉莉はそう言いながら穂乃香の横に立って、不安げな月奈を見る。
「そちらは、吉川月奈さんだよね。初めまして、サイネリア役の遠藤茉莉です」
プリッチメンバー全員のサインを書いて見せたというクルミ情報を事前に耳に入れている茉莉は、役名ではなく、自身の本名でもある芸名で名乗った。
すると、月奈の不安げな顔に喜色が混じる。
「あー、月奈さんは、今度、私達のコンサートがあるのは知っている?」
茉莉が笑顔を浮かべて切り出した話題は、穂乃香にとって予想外のモノだったが、月奈はすぐに表情を輝かせた。
「は、はい! プリッチフローラル、ハロウィンコンサートですよね! もちろんしってます!!」
先ほどまでの不安顔も吹き飛んで、コンサートのタイトルまでが滑らかに月奈の口から紡ぎ出される。
「さすが、月奈ちゃん、よく知っているね」
茉莉にそう言われて、月奈は頬を赤らめると少し気恥しそうに「えへへ」と笑った。
「で、そのコンサートで、実は穂乃香ちゃんにも出番が決まっててね」
「え!?」
一瞬で、尊敬と驚きが混ざった月奈の輝く瞳が穂乃香に向かう。
「そ、そうなの……」
苦笑気味に月奈の視線を受け止めた穂乃香に次いで、茉莉が更なる説明を付け足した。
「穂乃香ちゃんって、真面目で一生懸命でしょ? だから、失敗しないように考えすぎちゃって、時々さっきみたいな顔をするのよ。だから、月奈ちゃんのせいじゃないよ」
柔らかな口調で茉莉がそうまとめると、月奈は「そっかぁ。穂乃香さま、がんばってね!」と真剣な表情と眼差しで、応援の言葉を穂乃香に送る。
「ありがとう、月奈ちゃん」
月奈に感謝の言葉を返しながら、こともなげに事態を収めてしまった茉莉の手腕に穂乃香は驚かされた。
「で、本当は何があったのかな?」
茉莉が葉月の元に向かった月奈の背を見ながら、小さな声で横に立つ穂乃香に問いかけた。
穂乃香としては、関わりのあった茉莉に伝えない方がいいと思う部分があったのだが、内心では打ち明ける方に天秤の秤は大きく傾いている。
そこには、ユラたち眷属以外に『澱』の復活という魔法にかかわる話題を口にして、頼れる相手が茉莉しかいないという自覚も大きく作用していた。
どうしても自分だけでは考えや判断にミスが出る傾向を自覚した穂乃香は、相談相手を欲しているが、そう簡単に誰にでも情報が開示できるわけではないとも考えている。
すでに、魔法のことを伝えてしまったみどりや奈菜という存在もいるが、相談相手というにはまだまだ彼女たちは幼過ぎた。
ゆかりやエリー達であれば、穂乃香の言葉を受け止めて協力もしてくれるだろうという実感はあるものの、自ら魔法のことを伝えることに、自らも自覚してない精神的な抵抗がある。
結果、情報を共有し、かつ相談もできるただ一人の相手である茉莉は、今の穂乃香にとって、理想的な相談相手であった。
特に先日の学園での一件では、周りに役に立たない人間と思われるのを覚悟で穂乃香のサポート役を務め、今しがたの月奈との会話にも助け船を出してくれている。
本来であれば、すぐに状況を伝え、助言を得ただろうが、しかし、茉莉がトラウマを抱いてるかもしれないという可能性が、穂乃香の口を止めていた。
だが、穂乃香の信頼を寄せた茉莉という少女は、わずかそれだけの逡巡で核心に踏み込んで見せる。
「ああ、この前の『澱』だっけ? あれ絡みでしょ?」
「な、なんで……」
「実はだいぶ、カマかけだったんだけど……そっか、当たりか」
ニカリと笑ってから、真剣な表情を浮かべた茉莉は、穂乃香に静かに自分の意志を伝えた。
「大丈夫、強がりじゃなくて、別に何も感じてないから、ちゃんと相談に乗れるよ」




