180 幼女、保留される
穂乃香は今日までの自分を鑑みながら、静かに心情を言葉にし続ける。
そばにいるのが、ゆかりでなく、エリーだったからこそ、穂乃香も思い切って語ることができていた。
「私は、皆を信じていたけれど、頼ってなかった。それがいけなかったんじゃないかって、今更ながらに気が付きました」
紡がれる穂乃香の言葉に、エリーは頷きを返しながら、閃いたことについて脳内でレポートをまとめていく。
「それは、我々も同じです、穂乃香お嬢様。ちゃんと言葉を交わすべきなのですね。思い込みで相手の多くを決めてしまうのではなく」
「……はい。そう思います」
穂乃香とエリーの会話は、根本が噛みあってはいないのに、しかし、お互いに新たな考えと道をみつけ、それを確認しあったという実感を二人の胸の内に残した。
「確かに、面白い視点です」
提出されたレポートに目を通してから、ゆかりは深く頷きつつ、それを目の前の机に置いた。
穂乃香の就寝を見守った後に、急ピッチで書き上げたレポートは、エリー自身、胸を張れるものである。
しかし、ゆかりは静かに「でも」と首を振った。
「少なくとも、今、穂乃香お嬢様に教えを乞うのは時期尚早だと思います……せめて、高等部に進学されてからでなくては……」
「……そう……」
エリーが浮かべたのがあまり納得した表情ではないのを見て、ゆかりは自らの見解を言葉にする。
「穂乃香お嬢様の持つ力はとても強大ですが、しかし、対して、穂乃香お嬢様はお優しすぎますし、世の邪悪をあまり理解されておられません」
「では、穂乃香お嬢様に、より今の世を学んでもらってから……ですか?」
エリーの問いかけに、ゆかりは少し困った顔で「旦那様を含め、穂乃香様に悪意が近づくのを阻止してきましたが……少し裏目に出ましたかね」と零した。
「その結果として、穂乃香お嬢様は誰にでも優しく、いつも朗らかに微笑んでおられますよ」
「……そう、ですね」
エリーのフォローに、困り顔を苦笑に改めながら、ゆかりは改めて長い息を吐く。
「まあ、穂乃香お嬢様は早熟ですし、思慮深い方ですから、高等部進学まで待つ必要はないかもしれませんけど……」
穂乃香を評しながら零れるゆかりの言葉の端々には、すっきりと言い切れないもどかしさが混じっていた。
その理由を察して、今度はエリーが困った顔をしてみせる。
「大変聡明な方ですのに、時折考えなしですからね」
「……まあ、そこも大変愛らしいのですけど……何かしてから『あっ』と硬直される穂乃香お嬢様を見続けているせいか、一抹の不安がありますね」
ゆかりの言葉に対して、エリーは深く頷きながら、でも、と確信を込めて、揺るがないであろうコトを口にした。
「私達がしっかりとフォローし、お支えすればいいのですよね」
エリーの言葉に、フッと笑って見せたゆかりは、すぐに真剣な顔を見せる。
「今、穂乃香お嬢様に教えを請えば、我々はお嬢様をより深く理解できるでしょうし、より的確なフォローもできることでしょう……けれど、我々はお嬢様から得た情報を、データとして記録する義務があります」
「ええ」
「もちろん榊原の技術や職員を疑ってはいませんが、しかし、世に万が一はあるものです。穂乃香お嬢様の様な規格外な『力』を誰もが手にするとは思えませんが、それでも、流出した情報で手に入れる者が出たら、そして、それが邪悪な者なら……」
「穂乃香お嬢様は嘆かれますね」
「ええ、そしてきっとたった一人でも立ち向かってしまうでしょう」
穂乃香を誰よりも知るゆかりは、間違いなくそう行動するだろうと断言した。
ゆかりは未だ見ぬ、いや、未来に存在するかもわからない『敵』を想定しながら、エリーに『尚早』と断じた真の理由を言葉にする。
「ですから、我々は切り札を得ておく必要があるのです」
ここにきて、エリーもゆかりの言わんということを察し始めていた。
ゆかりの態度にそれを感じたエリーは、自らの考えの正しさを確信しつつ、自らの内に導き出したものを言葉に変えていく。
「穂乃香お嬢様の『魔法』とは別系統の抑止、あるいは対抗手段の確立」
エリーの言葉に、ゆかりはしっかりとした頷きで肯定した。
「穂乃香お嬢様が社会を学ぶこと、そして、我々の技術、知識の全てを投じての対抗技術の構築、この両者が揃って初めて、進むべきステップだと思います」
「……確かに、尚早ですね」
エリーが零した言葉には、遠大な計画に対する溜息めいたモノが籠っている。
しかし、それはエリーの心を折るモノでは決してなかった。
どちらかと言えば、むしろ、エリーの瞳を輝かせ活気付ける発破材のようなものである。
「では、穂乃香お嬢様が成長されるよりも早く、準備を整えてしまいましょう」
護衛隊と言えど、本分はメイドであるエリー達にとって、その矜持の一つに、主が必要とする前に、そのすべての要望を満たしておくという事前準備という概念があった。
その準備の精度こそが、腕前の見せ場であり、未知の部分が多い、というよりはほぼ未知な部分だけの穂乃香の『魔法』を対象に、対抗手段を整えるという無理難題は、なんと心の躍る事だろうかと、エリーは挑戦的な表情を覗かせる。
そんな同僚であり、仲間であり、部下でもあるエリーの様子に、ゆかりは護衛隊の皆も、いや、榊原の人間なら誰もが、この顔を見せるのだろうと確信して、頼もしさとうすら寒さを感じて苦笑した。
「まあ……私もそちらの人間ですけどね……」
その呟くような一言とともに、榊原の名のもとに集う人間に、妥協も、挫折も存在しないと、ゆかりは笑む。
ただひたすら、すべての難題を撃破し、乗り越えていく貪欲さこそが、榊原グループの真髄なのだと、穂乃香という追いかけるにふさわしい大きな背中を浮かべて、ゆかりとエリーは次の一手に着手した。




