016 幼女、裏魔法をお試しする
「いいですか、穂乃香お嬢様?」
「なに、ゆかり」
「先日、地下室で火事が起きて、人が亡くなるという悲しい事故があったそうです」
「う、うん」
「お嬢様も地下室で過ごされることも多くなりましたし、気を付けてください。お呼びいただければ、すぐに対処します。まあ、火をつけるモノはないとは思いますが……」
ゆかりの真剣な言葉に、穂乃香もまた真剣な表情で頷く。
心中では『火や炎の魔法は、地下室では使用禁止なのね』と新たなアドバイスに心から感謝していた。
「確かに、地下洞窟で火を焚いて、爆発したとか、意識を失って死亡したとかっていう話はよく聞くからのぅ」
ポツリと呟いた穂乃香に「いえ、現代ではあまり聞かない話ですが?」と即座に否定する。
すると、穂乃香は「という話があったと、何かの本で読んだの!」と慌てて修正を加えるのだ。
本人はうまくごまかしているつもりで、その偽装は完全にバレているが、ゆかりはそれを指摘せずに「そうだったのですね。穂乃香お嬢様は勉強熱心ですね」と相槌を打つので、穂乃香自身はその事実に気付かない。
こうして巧みにツッコミとスルーを繰り返しながら、穂乃香に常識と注意事項を擦り込むという高難度の離れ業をゆかりは実践していた。
「ローズは、火の魔法が得意だから真似るのは、危ないよね。ゆかりも言ってたし……」
いつものように地下の練習場で独り言をつぶやく魔女アネモネ姿の穂乃香は腕を組んで思案に耽っていた。
一方で、その様子を監視している中央指令室では、火魔法を使わない方向へと誘導できたことに全員が胸を撫で下ろしていた。
今期放送中の『プリティーウィッチ・フローラル』は穂乃香護衛隊では必ず見るべき映像資料となっているので、誰もがそれなりの知識を有している。
なので、アネモネが光、リリーが氷、ローズが炎、サイネリアが風、マーガレットが大地と、それぞれの魔女の得意分野も、その魔法も研究済みだった。
その中で問題視されたのがローズの火魔法である。
地面から壁を生やすマーガレットも地下室という点なども考えれば問題であるのだが、それよりも何よりも、地下室で炎の魔法など使えば一気に酸素を消費して、穂乃香が酸欠になる可能性が一番問題視されたのだ。
何しろ、ウィルス等の侵入を防ぐために、気密の高い設備となっており、換気システムを全力運転させたとして、穂乃香の魔法の燃焼速度に対抗できるか、あるいは建材が耐え得る熱量なのかなど未知の部分が多く、せめて屋外でデータを取得してからというのが、護衛隊内での結論であった。
とはいえ、火魔法を屋内で使うなと言えば、菊一郎からの『知らせずに』という無理難題に抵触してしまうので、どうにか考え抜いた誘導の作戦が、先ほどの事故報告だったのだ。
「うーん、これは裏魔法の練習をするのがいいかな?」
モニター越しの穂乃香の発言に、中央指令室にざわめきが巻き起こる。
「裏魔法というのは、やはり、裏属性に関する魔法ですか?」
「そうじゃないかしら……」
真剣な表情で穂乃香の言葉を吟味する隊員たちを振り返ることなく、ゆかりとエリーは真剣な眼差しでモニターの中央に映るアネモネ姿の穂乃香を見つめていた。
裏魔法。
『プリティーウィッチ・フローラル』の魔女たちは得意魔法が設定されているのだが、そのほかにも得意な魔法がある。
例えば、アネモネは香りに関する魔法で、動物を誘い出すのに使ったり、感情的になっている人を落ち着かせる香りを操るのだ。
これは具体的に誰がどういう属性の魔法を扱うかの設定は公開されておらず、ファンの間でも議論になっている部分でもあった。
ただ、この護衛隊の分析能力は伊達ではない。
裏魔法を使っていないメンバーがいるにもかかわらず一つの仮説を立てていた。
現在判明しているのはアネモネの香りに関する魔法に、怪我で感覚がマヒしてしまった子に感覚を取り戻させたリリーの感覚に関する魔法、声を拡大したり消し去るサイネリアは音の魔法、さらに不確定ではあるものの残像を残して敵を惑わせるローズの幻覚の魔法である。
そこで、それらの魔法から護衛隊の推論した裏魔法のテーマは『五感』だった。
実際にマーガレットに変身する菊乃は、料理好きな子で味に関する魔法が使えるというのもあながち的外れとは言えない。
しかし、問題はそこではない。
穂乃香がその魔法を使おうとしていることが問題なのだ。
香りや幻覚はともかく、音は音量によっては地下施設や下手をすれば穂乃香自身に影響が及ぶこともありうる。
感触、触覚に係わる魔法などはどういう後遺症が出るのか想像もつかない。
さすがに穂乃香も無茶な魔法は使わないだろうが、それはあくまで推測であって確証がないのだ。
否応なしに監視している護衛隊の緊張は高まる。
直後、轟音と共に穂乃香のいる部屋の空調システムが全力稼働を始めた。
「わああああ」
アネモネの衣装のまま、彼女の裏魔法である香りの魔法を唱えた瞬間、ものすごい空気の流れが発生して、穂乃香は思わずしりもちをついていた。
パチパチと目を瞬かせる穂乃香はしばし呆然としていたが、ややあって突入してきたゆかりと目を合わせると呆然としたまま「香りの魔法を使ったら、急にゴーーってなった!」と知らず大声を張り上げた。
その言葉にゆかりは「香りの魔法ですか?」と鸚鵡返しに尋ねる。
穂乃香はゆかりの言葉に、ビクッと肩を震わすと、しどろもどろになりながらも、どうにか言い訳を繰り出した。
何しろ、穂乃香は魔法なんて使わないのだから……。
「え、えーと、急にね、そう、急に、お花の香りがしたのよ、そしたらね、ゴーーーって」
必死に訴える穂乃香に、ゆかりは落ち着いた口調で言葉を返す。
「ああ、それでは空気清浄機が稼働したのでしょうね」
「空気清浄機?」
「ええ、強い香りを感知すると、作動するようになっている機械で、空気を綺麗にするんです」
「空気を綺麗に?」
「はい。ですから、今はその花の匂いはしないのではないですか?」
言われて、目を閉じた穂乃香はくんくんと鼻を鳴らした。
「あー、確かに、しないかも」
「穂乃香お嬢様、これは機械が正常に動作しただけなので安心してください」
「そうなのね!」
パッとにこやかな笑みを浮かべた穂乃香に、ゆかりはなぜか悪戯心を刺激されて、つい余計な一言を添える。
「しかし、なぜ、急に花の香りが?」
小首を傾げるゆかりの目の前で、顔全体からブワっと汗を噴き出した穂乃香は震える声で「け、見当もつかないわね」と、香水の瓶でも倒したかしらと余計深みにはまり込んでいく。
さすがに、これ以上はとゆかりは「その心配はなさそうですが、お掃除のときに確認してみますね」と言い残して地下室を後にした。
この後、エリーに穂乃香をからかったことを散々怒られたのは、ゆかりの自業自得だろう。




