014 幼女、地下室を訪れる
ゆかりに付き従って、これまで踏み入れたことのない屋敷の奥へと案内された穂乃香は、地下に伸びる階段を前に立っていた。
「これから、地下室を案内しますが……忘れ物はないですか?」
そう言って何も持っていない手で、まるで指揮者がタクトを振るように、ゆかりは右手だけを素早く動かせて見せた。
穂乃香はその動きを見て、一瞬で変身シーンで見る凛華のステッキの振り方だと気付く。
「あ、えっと、そう……地下は怖いかもしれないので、悪い奴がいたらゆかりを守らないといけないと思うので……魔女さんを呼んできます!」
咄嗟の状況下で、必死に組み上げたストーリを穂乃香が口にすると、ゆかりは「そうですか」と言って微笑む。
「穂乃香お嬢様に守っていただけるなんて、光栄です」
「ち、ちがうわ、私じゃなくて、魔女さんが、守ってくれるのよ」
「ああ、そうでした、勘違いをしていました」
「と、いうわけで、ちょっと行ってくるわね」
トテトテと軽い足音が遠ざかっていく。
そんな小さな背中を見送りながら、エリーの言っていた言葉を思い出したゆかりはポソリと独り言を零した。
「子供を産んでなくても、案外わかるようですよ、エリー」
魔法でではなく、ゆかりが用意した魔女の衣装に着替えた穂乃香は、ステッキを手にワクワクとしながらゆかりの後を歩いていた。
自然の光が入り込むことのない屋敷の廊下は、照明をつけねば全くの暗闇に没してしまう。
そんな通路を照らす光はやや弱めで、淡く赤味がかった色をしていた。
穂乃香が年相応の精神の少女だったら、早晩に悲鳴を上げるか、震えてゆかりに抱き付いていたかもしれないが、本人はいたって上機嫌である。
ゆかりは、その様子にほんの少し物足りなさを感じながら、もともとは護衛達の戦闘訓練用の道場、現在は穂乃香専用の魔法練習場となった部屋へと案内した。
「さあ、ここが穂乃香お嬢様の為に、旦那様が用意してくれたお部屋ですよ」
入り口の扉の横、大人には少し低い位置に設置されたカードリーダーに、ポケットから取り出したカードキーを触れさせると、ピッという電子音が響いた後で、ゆっくりと入り口をふさぐ二枚の扉が左右へと動き出した。
「うわーーー」
扉が開かれ出現したのは、元は道場だけあってかなり広い部屋だった。
床は手前から、板張り、畳、カーペットとなっていて、板張りのエリアには、壁一面にバレエ教室としても使えそうな手すり付きの鏡が設置されている。
畳のエリアに敷かれているのは、柔道などで用いられる縁飾りのない畳で、その気になれば受け身の練習でも柔道の試合でもできるだろう。
最期のカーペットのエリアには、そのほかにソファやクッション、ウォーターベットなどリラックスして過ごせるような道具も設置されていた。
「ここは穂乃香お嬢様が、バレエや武道、興味を持たれたことができるように、安全と強度に配慮して設計し直されています」
ゆかりは言いながら板張りの床を歩き、畳との境の壁のこれまた低めの位置にあるボタンを押すと、今度は電子音声がアナウンスを始めた。
『仕切りを展開します。動作に巻き込まれないようお気を付けください』
アナウンスが流れ始めると、自動でぱっくり開いた畳と板の間の間の壁からゆっくりと天井まである壁がスライドしてきて、床の間だけに区切られてしまう。
同時に、鏡と手すりは壁側に引き込まれて、かわりに板の間と畳の間の間に出たのと同じ壁が移動してきた。
アナウンスから1分もしないうちに区切られ、踏み入れた部屋は全面板張りの部屋へと変貌を遂げた。
「こうしてしまえば、中で球技を行っても問題ありませんよ」
珍しく驚いている穂乃香に、ゆかりはそう言って微笑み掛けた。
「それでは、御用がありましたらお呼びください。お昼寝の時間には戻ってまいります」
「はい」
廊下から部屋に向かって頭を下げるゆかりに、満面の笑みで頷いた穂乃香は、小さく手を振って見せる。
それを笑みで受け取ると、ゆかりは言葉通り部屋を後にした。
プシュッと空気の漏れる音がした後で、ゆっくりと入り口のドアがスライドして、穂乃香の目の前でピタリと隙間なく締まる。
そうして、一人になった穂乃香は、早速とばかりに、ステッキを振り上げた。
が、視界の端に、自分の姿を見て自然とそちらへ向き直る。
「やはり、こういうモノは、恰好から入らねば」
そんなことを言いながら振り上げの角度を計算しながら、自分の姿を幾度も鏡で確認する。
かつては姿見などは高級品だった世界の住人であったせいで、まずいたるところに鏡があるのに穂乃香は衝撃を受けていた。
初めは自分の家だけがものすごい貴族かお金持ちなのかと思っていたのに、幼稚舎にもふんだんに使われ、通園路の車中でも鏡張りのビルを見て、ものすごく文明の進んだ社会なのだと痛感させられた。
それはプリッチでも確認済みだし、主人公のお姉さんやお母さんが鏡を前にお化粧をするシーンなども描かれているため、ただの日用品なのだと悟る。
と、同時に、自らの容姿を磨くのは専用の使用人ではなく、自分自身なのだとも学習していた。
結果、穂乃香は鏡を前にポーズをあれこれと変えながら、プリッチの完全コピーを目指しての特訓が始まってしまう。
手の角度がとか、スカートの揺れ方がとか、足の開き具合がと、根が真面目で研究熱心な学者肌の穂乃香は、つい熱を入れ過ぎて、予定していた魔法の練習を一切することなく、ゆかりのお迎えまで鏡の前で悪戦苦闘していた。
あまりの時間を忘れた没頭ぶりに、自分でも「しまった」と声を漏らした穂乃香だったが、満足いくポージングの修得に表情は満足げだった。
何しろ、時間はあるのだ。
明日から頑張ればいいと切り替えて、穂乃香はお昼寝の為に、ゆかりとともに自分の部屋へと帰っていった。




