116 幼女、笑む
並び立つ仲間たちを見て、アネモネは普段と様子が違うことに、不安そうに眉を寄せた。
だが、心の内では拒否を示しても、精霊の姫の誘惑の力に抗い切れてはいない。
そんな葛藤をわずかな表情、体の震え、彷徨う視線で見る者に強制的に理解させてしまう程の圧倒的な演技の説得力に、自然とみるものすべてが釘付けになっていた。
『ちが……あぅ……』
フルフルと首を左右に振りながら、それでも後退ることも許されないアネモネに、妖艶な笑みを浮かべた精霊の姫が迫る。
幼女とは思えないほど低く響く声が、囁かれたのはアネモネだというのに、見ている皆が自分に囁かれたのではないかと錯覚するほど、じわりと耳から体の内側へと忍び込み染み込んできた。
『違わないのよ……わかるでしょう?』
思わず耳を抑えてしまう者、頷いてしまう者、呆然とする者、様々な反応を示す傍観者をさらりと置き去りにして、精霊の姫は抑揚のない声でアネモネの心を刈り取りに掛かる。
『あなたの大切な仲間たちを……みんなを否定するの?』
くすくすという嘲るような笑い声を聞いたような錯覚さえ抱かせる精霊の姫の言葉に、アネモネは『えっ……』と言葉を詰まらせ、そうしてどうにか『ちがっ』と否定の言葉をひねり出した。
完全に形勢は敗北濃厚でありながら、それでも折れないアネモネに、精霊の姫は心の底から嬉しそうに、だがそれにしては黒い笑みを見せる。
『うふふ。強情ね。凛華お姉ちゃん』
跳ねるような軽い足取りで、アネモネから離れた精霊の姫は、そのまま、すっと視線を彩花演じる沙百合へと向けた。
先のシーンの台本をベースにしているとはいえ、掛け合いは即興のアドリブシーンに、だが、彩花はぴたりと演技のプランを重ねてみせる。
時間にして、1秒に満たないほどの刹那の見つめ合いの後で、精霊の姫は目を細めて見せた。
『じゃあ、沙百合』
精霊の姫に呼ばれて歩み出した沙百合の動きが変わっている。
直前のぎこちなさがすべて消え去り、普段の劇中で見せる美しい所作で沙百合は、アネモネである凛華へと歩み寄った。
その動きの変化に、気が付いたアネモネの驚愕は大きい。
普段と違う、それだけが拒絶の手掛かりだったのに、今やそれ自体が鳴りを潜めてしまっていた。
それどころか、それはまごうことなき親友の所作そのものなのである。
大きな衝撃とともに、知らず口を小さく開けて固まるアネモネに、沙百合が悲しげな表情を見せた。
『凛ちゃん……たまにはね、お休みしてもいいと思うの。凛ちゃんは、頑張りすぎだよ』
それはこれまでも何度も沙百合が凛華に対して口にしてきたセリフである。
一瞬一瞬のやり取りではなく、積み重ねたお話の上に成り立つセリフに、圧倒的な説得力が生まれていた。
深くプリッチを見ていれば見ているほど引き込まれるセリフ回し、同時に直前に偽物であると暗示されていた沙百合のここに来ての一致は、視聴するものにも大きな波紋を抱かせる。
そして、その戸惑いと否定と肯定とが入り混じった複雑な感情を、アネモネがたった一つの名前で代弁して見せた。
『さゆ……』
戸惑いながらも、親友を感じ、思わず愛称を口にしてしまったアネモネは、間違いなく混乱の極致にある。
あと少し冷静であれば、いつもを取り戻していたなら、状況は変わるかもしれないが、しかし、精霊の姫は形勢を譲るつもりはないとばかりに、畳みかけてきた。
『桜花!』
精霊の姫が名前を読んだ直後、凛とした声が響く。
『何してるのよ!』
それは、窮地に陥った仲間たちを助けに駆け付けた桜花が必ず敵に叩きつけるセリフだった。
これまでとは違うまとわりつく様なそれでいて苦しさのない精霊の姫の誘惑の終わりを感じさせるほど、強く爽快感のあるセリフに、シーンの終わりを感じる。
が、その爽快感を直後の桜花のセリフが、不安に落とし込んでしまった。
『沙百合に心配かけるなんてらしくないわよ? 気を抜くときはちゃんと抜かなきゃだめよ?』
それ自体は心優しい桜花らしい、強い言い回しの中に気遣いの滲むセリフだし、実によく馴染んでいる。
だが、精霊の姫に向けられたと思われた起死回生の一言が、アネモネである凛華に向けた言葉なのだと宣言するセリフであったことで、精霊の姫の呪縛の恐ろしさが強調されていた。
桜花のキャラがぶれないからこそ生み出されたそれは、視聴者に影を落とす。
一方で、怒られる格好になったアネモネは、ほぼ日常と変わらぬ反応を示していた。
『ご、ごめんね、桜花さん』
心底申し訳なさそうに肩を落とすアネモネは、暴走を沙百合に心配され、桜花にたしなめられた時に見せる、いわゆるお約束な反応である。
そして、それに対して、桜花はアネモネの肩を優しくポンポンと叩いて笑いかけた。
『気付ければそれでいいんだ、だから、それ以上は気にすんな。そういう日もある』
いつも通り優しい親友同士の会話、それなのに、事前に落ちた裏切られた展開が、黒い影が見る者の中に不安の影を落とす。
それを意図してか、あるいは偶然にか、産み落とした幼き天才少女は画面の中で薄く微笑んでいた。




