101 幼女、夏休みを終える
「今日からまた頑張りましょう」
幼稚舎の制服に身を包んだ穂乃香に、メイド服ではなく送迎用のスカートスーツに身を包んだゆかりが笑い掛ける。
「そうだね」
返す穂乃香も笑顔で、身に纏うのは夏服だった。
聖アニエス学院では幼稚舎から高校までの全ての学校が、10月第2週を境に一斉に冬服へ衣替えとなるため、夏休みが終わったばかりのこの時期は夏服である。
小学校から高校に掛けては、中間服と呼ばれる夏服と同じセーラー服で袖が半袖でなく長袖のモノが設定されているが、幼稚舎には夏と冬の二種類しかなかった。
というのも、幼稚舎の夏服は、ノースリーブのジャンパースカートタイプで、下にシャツを着るのを前提にしている為、温度調整は下に着るものですることになっている。
ちなみに男子は、スカートがなく、お腹までのノースリーブの上着に、半ズボンの組み合わせだ。
セーラー襟や胴部部分からスカートやズボンまですべてが藤色で、白いラインの冬服とは違い、夏服のラインの色は黒である。
これに夏服では冬服と同じ、男女ともに全周につばのあるメトロハットタイプの通学帽を被るのだが、メインの季節が夏なのもあって、生地がやや薄くなり、色も日差しを反射するように白となっていた。
「作り直しにならなくて良かったよ」
ボソリと本音を零した穂乃香に、ゆかりが少し困り顔で告げる。
「穂乃香お嬢様のモノを大事にする気持ちは大変すばらしいと思うのですが、成長が見られないというのは、多少なりとも、心配になるところです」
ゆかりに『成長がない』ときっぱりと言われてしまって、穂乃香は思わず反論に出た。
「ちゃ、ちゃんと成長はしてるよ!」
そう言って穂乃香は自分の膝を指さす。
「前は膝の下だったスカートが、今は膝のう……え?」
聖アニエス学院の夏制服はジャンパースカートなので、腰スカートと違って、履き方によってスカートの裾が上下することがないのだ。
スカートの裾の位置が変わるということは、純粋に背が伸びたことのアピールとなり、穂乃香はその目で実際に裾の位置が上がったのを認識している。
だからこそ、得意げに指摘しようとして、穂乃香はスカートの裾が膝下になっていることに言葉を失った。
「あれ?」
顔を少し青くして、自分へと縋るような視線を向ける穂乃香に、ゆかりは苦笑する。
「穂乃香お嬢様、その制服で前かがみになれば、その分スカートは下に下がりますから……」
「あ……」
言われて、指さすために前傾姿勢を取ったことに気が付いた穂乃香は、慌てて歩き出した。
「お、遅れたら大変だから、もう行くよ!!!」
スタスタと送迎用の車に向けて歩き出す穂乃香の後姿は、恥ずかしさを霧散させようといつにもなく上下している。
その姿に今度は小さく噴き出してから、ゆかりは穂乃香を追いかけた。
「お待ちください、穂乃香お嬢様~」
「おはようございます、あかね先生」
にっこりと微笑みかけられて、担任であるあかねは正直戸惑っていた。
夏休みの真っただ中、姉あおいからの一方的な電話の後、撮影に突入した為に音信不通となり追加の情報が得られていなかったあかねの最新情報は『穂乃香ちゃんヤバイ』である。
学園側に報告することも、榊原家に問い合わせることも、問題になりそうで、一人悶々と悩んでいたあかねとしては、夏休み前と変わらない穂乃香の姿に安堵したのだが、そうなると何がヤバイのかが気になって仕方なかった。
内務規定の一環として、生徒の家庭環境や休暇中の行動など、プライベート領域への踏み込んだ質問は、注意して行う様にとされている。
ましてや、判断力の乏しい園児相手では禁止に近い扱いなのだが、あかねはつい踏み込んでしまった。
「穂乃香ちゃんは……お姉ちゃん……あおいちゃんに会ったの?」
あかねの問いかけに、穂乃香はスルーして歩き出す。
無視されたことに驚いたあかねだが、穂乃香はトットッとサイドにステップを踏むとしゃがみ込んでいたあかねの耳に口を寄せる。
「隣のクラスの先生が見てましたよ」
穂乃香にそう囁かれて、あかねはハッと、自分と同じく今日のお出迎え当番を務める同僚に視線を向けた。
見上げた同僚の視線は、次の子を迎えるために門の方へと向かっていて、自分たちから意識を外したのだと見て取って、あかねは安堵のため息を零す。
そこへ、ニヤリと口の端をわずかに上げた穂乃香が悪戯っぽい笑顔で再度囁いた。
「撮って貰っちゃいました」
「へ?」
驚いて声の主をみれば、既に穂乃香は背を向けて遠ざかっている。
会ったらしいのは確認できたのに、それ以上に混迷をもたらす意味深なセリフを残されて、あかねは頭を抱えた。
そこへ同僚のそこはかとなく憐みの籠った声が掛かる。
「あかねさん。大丈夫?」
「まるで、大丈夫じゃないです……気になって、仕方ない……です……」
「気持ちはわかるけど、榊原家のことに首を突っ込んだら、何がどうなるかわからないわよ」
超が付くほど正論な同僚の言葉に、あかねはただ項垂れるしかなかった。
「あぅ~」
「あの家は考えても無駄よ」
既に夏休みの間までに、芋畑での騒動を始め、いくつか首を突っ込んできた榊原の案件があるが、すべてアンタッチャブルになっている。
考えたり聞いたところで、何も変わらないのだから、やることは決まってくると、あかねの同僚は割り切っていた。
「さ、次の子が来るから、立って、笑顔で、お迎えして!」
そう促されて立ち上がったあかねは、すぐさま笑顔をつくる。
これまでも謎行動をとるあおいに振り回されてきたあかねにとって『考えても無駄』はよく理解していることなので、切り替えるのは割と簡単にできた。
とはいえ、気になることは変わらないので、好奇心と内務規則と理不尽に悩まさせられる夜は続きそうである。
あかねはそれでも元気に登園してきた子たちを見れば、胸が弾み、声も明るくなるのだ。
天性の気質を全開に、あかねは頭に居座る余計なものを振り払って、目の前の大事な生徒たちに笑顔と挨拶を振りまく。
わずかな時間でのあかねの変化に、同僚は「さすが有名監督の妹さん」と苦笑いを浮かべた。




