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焼き殺せよ、恋心

作者: 村崎羯諦

 少女は恋の病に蝕まれていた。部活の一年先輩。少女は彼にどうしようもなく恋をしていた。


 瞳を閉じれば、彼の精悍な横顔が目蓋の裏に浮かび、耳を両手で塞げば、彼が自分の名前を呼ぶ声が頭の中で再生される。食欲は減退し、体重も落ちた。ふと気が付けば想い人のことが頭によぎり、本業である学問への集中力はめっきりなくなった。


 しかし、少女の恋が成就する可能性は低かった。彼には少女以上に素敵な恋人がいた。その恋人は少女よりも整った顔立ちで、長く艶やかな髪をしている。鈴を鳴らしたような品の良い笑い声で周りを和ませ、誰に対しても優しかった。お似合いのカップル。二人が仲睦まじく並んで歩く光景を見た人は誰しもそのように思うのだった。


 少女は鏡を通して自分の顔を見つめるたびため息をつき、目の前の鏡を割ってしまいたい衝動にかられる。重たい一重目蓋に、右ほおだけにできたそばかす。部活動で褐色に焼けた肌に、人並み以上に太い眉毛。先の丸い鼻先に、薄い唇。日頃念入りに手入れをしている髪の毛も、手に取ってよくよく観察してみると、枝毛がどうしても目についてしまう。自分が彼にふさわしい女性であるかと尋ねられれば、一瞬の間も置かずに、違うと答えるだろう。彼女は悔しさと惨めさのあまり下唇を噛む。そして、そんな他人と比べて卑屈になってしまう自分に気が付き、さらに自己嫌悪を深めてしまうのだった。


 しかし、だからといって、恋心はそんなことなどお構いなしだった。たとえ叶わぬ恋だろうと、そんなものは恋心には何の関係もない。好きな時に好きなだけ騒ぎ、少女の胸のあたりを内側から強く殴打する。少女はじっと胸の痛みに耐え、いつか、恋心が暴れまわることに飽き、寝ている間にでも体内から出ていってくれることを願い続けた。


 それでも、少女の祈りとは裏腹に、恋心はいつまでも少女の胸に居座り続けた。想い人のかすかな残り香と思い出を糧にして、恋心はぶくぶくと金持ちの家の猫のように太っていった。少女の痛みはどんどん大きくなり、次第に耐え切れないものになっていった。そこで、少女は決意した。胸に巣くう恋心を焼き殺すことを。


 家族が寝静まった夜更け。少女は父親のライターで、油をしみこませた綿毛の火をつけた。綿が炎で包まれたことを確認すると、少女は何のためらいもなくそれを飲み込んだ。体が冷えて、火の勢いが弱まらないよう、少女は厚手の毛布で身体を包み、体育座りの恰好でじっと目をつむり、体の中で恋心が燃え尽きていくのを待った。少女は時々咳き込み、そのたびに黒い炭のかけらが口から飛び散った。


 少女は瞳を閉じ、胸のあたりの熱にじっと耐え続けた。そして、その間、彼女の頭に様々な考えや思い出が過ぎては去り、また訪れた。先輩が部活の休憩中、自分のもとに駆け寄ってきてくれ、たわいもないおしゃべりをしたこと。遠くから友達とふざけあい、仲睦まじくはしゃいでいる先輩の様子をちらちらと観察したこと。部活の指導で、先輩の手が私の手をつかんだ時のぬくもり。思い出がよぎるたびに少女の目から涙がこぼれる。涙は身体を冷やしてしまうとわかっていても、少女はそれを止めることができなかった。


 ずっと泣き続けていたからか、少女はいつの間にか眠ってしまっていた。ふと目が覚めると、カーテンの隙間から朝の陽ざしが部屋に差し込んでいるのに気が付く。少女は自分の胸辺りを手で触れてみる。胸のあたりの熱はとっくになくなっていた。


 これでもう私の恋も終わったのだ。そう思うと同時に、切なさともどかしさで枯れ切ったはずの涙がこみ上げ、少女を慰めるように頬をなでながらしたたり落ちる。内側から炎で焼かれたせいか胸焼けがする。少女は先輩の顔を思い浮かべた。思い出の中の先輩は私の方を振り返り、優しい微笑みかけてくれた。


 しかし、その時、少女の頭に疑問が浮かんだ。すでに恋心を焼き殺したはずなのに、どうして涙が流れるんだろうと。


 少女はそこでふと、足首に突き刺すような痛みを感じた。部屋の明かりをつけ、スウェットのズボンをまくり上げて自分の右足を確認した。すると、ちょうど足の付け根とくるぶしの間、そこに胸に住み着いていたはずの恋心がひょっこりと顔をのぞかせていた。


 焼き殺したはずの恋心は、少女が眠っている隙をつき、炎で包まれた胸から少女の右足のくるぶしへと避難していた。もう一度、今度は足をじっくりと燻ぶってあぶり殺そうかと、少女は考えながら、そっと足首を右手でなぞる。恋心に触れると、胸に住み着いていた時ほどではないが、するどく針で突き刺すような痛みがした。しかし、それは耐え切れないほどの痛みではなかった。いや、むしろ自分の存在を確信させてくれるような痛みだった。


 もう少しだけ。


 もう少しだけ、このまま放っておこうか。叶わぬ恋であるとしても、少女はその痛みさえどこか愛しさを感じ始めていた。


 少女はすくっと立ち上がり、ベージュ色のカーテンを思いっきり開いた。空は晴れ渡り、刷毛ではいたような雲が所々に浮かんでいた。それは少女にとって、いつもと変わらない当たり前の風景だった。ただ一つ、少女のくるぶしの痛みだけが、何か新しい変化を示唆していた。

 

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