出会い、そして食物連鎖
命依がいる。
生きて、俺の前に立っている。
この上ない驚きに、言葉を紡ごうとする唇が引きつっていた。
「め、めい…? めい?」
大木の正面に立った命依は、黙ったまま俺を見上げていた。
大きな黒い瞳で口を半開きにして、こっちを不思議そうに見つめている。
「なんでっ…命依、なんでお前までここにいるんだよ?!」
動揺を抑えようと努力しつつ問いかける一方で、俺は何か妙な雰囲気を感じていた。
目の前にいる命依は、なぜか肌が浅黒かった。
俺の記憶する限り、命依は純粋な日本人だし、日に焼けるのも好きじゃなかったはずだ。
よく見れば服や髪もおかしかった。
私服でも学校の制服でもなく、突っ立って俺を見上げる命依は、どういうわけか汚れたボロ切れのような布を身に纏っていた。
自慢の綺麗な黒髪もぼさぼさに乱れて……まるで、野生児か何かみたいだ。
しかし、そんな疑問は秒で棚上げにした。
「命依…いや、よし、待ってろよっ…!」
会話にもなってない会話を一方的に打ち切り、人食いの木から逃れようと再びもがく。
何であれ、命依とまた会えたんだ。
すぐにこんな世界からは抜け出して、元の世界に帰ってやる。
(げっ…!?)
どうにか脱出できないものかと足掻いていると、腕を失くして空いた右肩の穴に、数本の触手がウネウネと群がっているのに気がついた。
しかも、これは…身体が木と同化し始めてる?!
「おいっ…ふ、ふざけんなよっ、クソッ!!」
「ゔぁ」
「…うん?」
「ゔぁ」
ゔぁ。
……。
…『ゔぁ』?
苦しみもがく俺の下で、突っ立っていた命依が突如として変な擬音を発した。
「命依?」
「…………」
ザッ――
草を踏んで、命依が一歩踏み出した。
俺の言葉には一切答えず、太い幹の周囲をグルグルと周り始める。
どうやら、木に登って俺を助け出そうとしてくれてるらしい。
…だが、何か違和感があった。
さっきから、どうして命依は何も言わない?
兄貴とまた会えて嬉しくないのか?
命依が生きていてくれた。
なのに、全然感動の再会らしきムードがやってこない。
むしろ、なぜか今俺は少し不気味さとも言えるような気配すら感じて…
「なぁ、命依」
「…………」
「命依、だよな?」
「…………」
後ろの、幹の向こうで『ガサガサガサッ』という音がした。
木の葉が揺れる。
揺れて落ちる。
視界の外で姿は見えないが、登ってくる命依が物凄いスピードで枝から枝へと飛び移っているのは、音と気配だけで容易に感じ取れた。
どういうわけだ…?
命依は、木登りはあまり得意じゃなかった。
たしか、孤児院の中でも下から数えた方が早かったはずだ。
それなのに…。
ドンッ、と乱暴な音がして、顔面の近くにあった枝が微かに軋んだ。
斜め後ろに首を回すと、命依の細い両足がそこに立っていた。
俺よりも早い。
おかしい。何かが、おかしい…。
「命依」
決して気のせいとは思えない強い不審が、俺に口を開かせた。
「なぁ、顔を――よく見せてくれないか?」
「ゔぁ」
またしても謎の擬音を放ち、命依が枝の上でしゃがみこんで俺に体を寄せてきた。
すぐ肩の上、屈んだ命依が手を伸ばす。
不可抗力的に再生させられつつある、俺の緑色をした右腕に向かって。
「お、おい命依。お前、何か臭うぞ? 生っぽい、血の臭いみてぇな――」
伸ばされた命依の腕の先が、木と繋がった俺の右腕をギュッと掴んだ。
それとほぼ同時に、俺は傍らに来た命依の顔を覗き込んだ。
その顔は……とても、可愛かった。
あどけなく、可愛いままで――瞳の奥に赤い眼光を輝かせ、荒れた唇の端に少し涎を溜めていた。
命依が、大きくあんぐりと口を開いた。
まさか――と思ったその次の瞬間だった。
素早く振り抜かれた顎が、木と繋がっていた俺の右腕を思いっ切り喰い千切った。
「!?」
ブチブチブチッ、と嫌な音が鳴った。
見ると、右肩から生えた触手が、何本か根元から消え失せていた。
「いっ?!」
「んんぅ~!」
ぶったまげる俺をよそに、少女が満足そうな声を上げ、舌鼓を打ち鳴らす。
コ、コイツ…あろうことか、兄貴の腕を食いやがった!
「命依?! お前、何やって――!?」
「ん~~~!」
シャクシャクシャク。
ボリボリボリ。
俺の様子など一切気にも留めず、少女は暗い緑色をした触手を…即ち再生を始めた俺の腕を食っている。
「命依!」
「?」
少女…というか命依に似た“生物”が根から口を離し、顔を上げた。
不思議そうな顔をしている。かわいい。
だが、頬を緩めてる場合じゃない。
「なぁ、命依だよな?」
「?」
「変な冗談やめろって。本当は分かってんだろ? ほら、俺はお前の兄貴の――」
ガブッ。
言い終わらない内に、また腕に歯が食い込んでいた。
「おいコラァッ!」
今度は、反射的にややオラついた声が出た。
命依に似た少女が食いついたままの姿勢で、上目遣いに俺を見る。
不思議そうな顔だ。やはり、かわいい。
かわいいが、しかし――コイツ、本当に人間だろうな?!
「もぐ、もぐ、あぐ……」
「ッ、食うな!」
「…?」
「ぐっ…!」
だめだ、表情が変わんねぇ!
まさか「言葉が分からない」とかじゃねぇだろうな?
どうしたらいいのか分からず頭が真っ白になりかけた――と、急に縛られている体がガクンと上下した。
活発な気配を見せていなかった人食いの木が、いきなり光り始めていた。
「あぁっ?」
「あっ!」
幹全体に、光る血管のようなものが浮かび上がった。
その脈々とした線の束は全て繋がった俺の身体に向かっている…ように見えた。
やばい、『食事』が始まったのか?
危機を直感した瞬間、今度は命依らしき“生物”が動いた。
「ん、んーッ!」
よく分からないかけ声を上げると、命依と思しき“生物”は、俺の右腕をグイグイと凄い力で引っ張り始めた。
「お、おい待てっ! そんな、引っ張ったらっ!」
「んん~~、ん~~ッ!!」
「わ、分かった、助けてくれんだな! よしっ、なっ、優しくなっ、そっとやさしく…ぐわっ?!」
《ブチッ、ビチビチッ!》
あっという間もなく、木と同化していた俺の右腕は引き裂かれ、縛り付けられていた幹から体が離れた。
翼なんてないから、飛べやしない。
俺と命依っぽい“生物”は、そのまま折り重なるようにして落下、白い草花に覆われた地面に激突をかました。
「あだっ?! 痛ぅ…!」
「んやっ、と!」
ただし、命依(?)の方はちゃっかり四肢で受け身を取ってやがったが…。
ともかく、かくして俺は何やかんやで命からがら、恐ろしい食肉植物からの脱出に成功した。
ずっと災難続きだった状況を脱し、ここでようやくワケの分からない異世界に平和の時を見いだしたのだ。
……もっとも、着地の際背中を強打した俺が何とか話が出来るようになったのは、さらに10分近く経った後のことだった――