海辺の猫
実際の経験です。
朝早く、満ちた海に揺蕩う雲。其の底には、ベラや、ギザミが泳いでいる。時折牡蠣を突いては、其の欠片を食べている。随分と気持ちの好い朝だ。天候さえ好ければ、何時でも見られる光景だが、飽きる事は無い。さて、何うしようか。其の侭海に落ちても浮く体では何とも仕様が無い。やはり、買い貯めて置いた酒を運ぶのが好いだろう。下見は十分にした。存分に遣れる。家路へ着く私に、一匹の白猫が纏わり付いて来た。此処に来てから、直ぐに仲良くなった友達だ。彼女は一声鳴くと、進路を塞ぐ様に立ち止まった。追い遣れば好いが、何となく、其れが出来なかった。鬱陶しいのではない。愛らしいのだ。まるで、「まだ其の時ではないよ」と、そう云っているかの様だ。私は苦笑した。確かに、其の通りなのかも知れないからだ。まだ、行っていない場所は沢山有る。此の島だけでも、一年は掛かるだろう。其れが世界となると、いやはや、気が遠くなる。再び、嘲笑を浮かべると、白猫は嬉しそうな瞳を投げ掛けた。私の笑みは立ちどころに意味を変えた。そうして、是非とも彼女に問いたかった事を白状した。「君は私の命を知っているね?」 彼女は一声鳴いた。其れで、充分だった。初めて出逢った時、仲良くして呉れた。然し、抱っこはさせて呉れなかった。きっと、そう云う意味なのだろう。天は、人ではなく、猫を遣わせたのだ。其処にも、意味が有る。人の云う事には反撥したくなるものだが、優しい動物の云う処には尤もだと思える節が有る。白い色と云うのも何だか考えさせられる。いや、感じるものが有る。白ならば、何色にでも成れる。私のどす黒い色を反映する事さえ容易い。然し、未だに彼女は白で居る。まんざらでも無いのかも知れない。私の人生も。命も。之からのシナリオも。只、帰郷する気は無い。此処に居るのが正しいのだと今は思う。釣りをすれば糧を得るが、命を奪う。然し、其の命で私は生き延びる。幸いな事に、後、二三年は持ちそうな位な蓄えが有る。無論、其れは都会での生活での事だ。だからして、此処ならば、其の倍は生きられるだろう。そう考えると、死に様が視えて来た。一人キリでも淋しくは無い。一所懸命に生きる事を全うするのだ。なれば、私は、私の人生に正しいピリオドを打つ事が出来る。其れは夢だ。夢が適うのだ。他を望む可くも無い。……
私は白猫に問い掛けた。一緒に来ないかと。白猫は応えた。魂の座は己の知る処と。彼女を得た私は、数日後に帰郷した。
抱っこはさせて呉れませんでした。