切ない犬の記憶
毎朝、最寄り駅まで歩く道の途中に、一軒のペットショップがあった。そこには、何匹かの仔犬が値札の付いたケージの中に居り、つぶらな目でこちらを見ている。
通りすがりに眺めることが、単調な通勤路でのよい慰めになっていた。ときどき仔犬が入れ替わったりしたが、私はあまり気にも留めなかった。
そして何日かが過ぎる。ふと気づくことがあった。
いつもと同じ仔犬たちなのだが、ちょっとした違和感があったのだ。
ある犬の値札が書き換えられている。
その、少し日焼けした値札の数字に二重線が引かれ、いきなり半額の数字が上に書き加えられていた。
改めてその犬を見ると…… 。
通りすがりに見ているだけでは気が付かなかったが、既に仔犬とは言えないほどに成長している。その後間もなくして、その犬は一番隅っこの少し大きめなケージに異動させられていた。
気が付いたら、その犬と朝の挨拶を交わすことが私の日課となっている。
仔犬たちは気にならない程度に少しずつ入れ替わりがあったが、隅っこの犬だけは虚ろな目でいつもそこにいた。
この子は、その寂しげな目で毎日何を見ているのだろう。
未だ見たこともない主人の顔を探し続けているのか。
狭いケージの中で、この世の無常の風が吹きすさぶ音を聴きながら、淡々と自らの宿命に向き合っている。
さらに何日かが過ぎた。
隅っこの犬の値札が新しくなり、そこには子供のお年玉でも買えるほどの数字が書かれている。
数字が小さくなって行くのと反比例して、身体は成長している。その目は潤んでいるようにもみえた。
ある日、隅っこのケージを見たら……
そこは空っぽだった。