忍びよる手⑦
一体どうして−−−あんな手紙が−−−?!
心臓音がさっきからうるさい。
深呼吸を何度しても収まらない。
この状況で動揺なんかしてる場合じゃないのに、頭も体も正常に動いてはくれない。
さっきからガンガンと打ち付ける頭痛は治るどころか、酷くなる一方で、立っているのも辛い。
冷や汗がひたいから滲む。
この状況を誰にも悟られまいと、ユリアスは平然を装い中庭へ向かった。
まだ草花は昨日の雨の雫に濡れたまま。
雫を蹴散らし、スカート姿のことなんて忘れて大股で歩いていく。
風はそんなユリアスに厳しく吹き付け、黒い髪をなびかせた。
ユリアスは誰もいないことを確認し、頭を抱えその場にしゃがみこむ。
そして、瞼を閉じ、できる限り情報を遮断した。
さっきから頭に浮かんでは消えていく不思議な映像。
思い出したいのに、思い出さなければいけないはずなのに、思い出せない。
何を?
一体を思い出さなければいけないのか?
何を思い出そうとしているのか?
ふと、サキヨミの巫女が言ったことを思い出した。
『あなたもそうでしょう? 大切なものを守るために『記憶』という代償を支払ったのでしょう?』
彼女の艶やかな声が頭の中で木霊する。
とても意味深だった。
彼女は自分の知らない何かを知っている。
先読ミという特殊な力が彼女に何かを伝えたのか?
なんで、みんな自分を巻き込もうとするのか?
「ただ静かに生きていきたいのに、どうして放って置いてくれないんだ?!サキヨミの巫女も、シュナイゼル殿下も、レイフォードさんも!」
名前を出した途端、今度はレイフォードとのやりとりがフラッシュバックする。
『さっき、本人から聞きました。自分のせいで死んだって……その理由も説明してはくれなかった』
『今のお前には言えないんだよ』
『なんで、殿下と同じ事をあなたも言うんですか!? 僕はずっとずっと事故だって聞かされてきた。なんであの時、本当の事を言ってくれなかったんだ!』
『じゃあ、幼いお前に本当の事を伝えたら何か変わったのか? お前は今のお前でいられたのか?』
『今は距離を置いて一人で考えたほうがいい。俺から詳しいことは言えない。でも一つだけ言えることがある。お前は−−−−−−−−−』
ハッと顔をあげ口元に右手を当てた。
その顔はまるでありえないものを見たときのような、見つけてはいけないものを見つけてしまったときのような……
はあはあと、肩を上下させ自分を落ち着かせるかのように呼吸をする。
「僕の記憶は不確かだ……父さんが死んだときの前の記憶が……変だ……なんで今まで気づかなかったんだろう……なんで……」
何かが掌からこぼれ落ちていく。
その感覚はあるのに、そのものの正体は掴めない。
後ろから突風が吹き荒れ、近くの木たちの少ない葉を落とし、舞い上がらせた。
ユリアスは、とっさにその場から立ち去ろうと駆け出したが、その瞬間、足元に気づかず鉢植えをいくつか倒してしまった。
「いたっつ!」
思いっきり足をぶつけた衝撃で鉢植えは転がり、中の土が溢れてしまっている。
ユリアスは足を抑えながら「こんな時に−−−」とため息をつき、鉢植えを元に戻そうと手を伸ばした。
例の甘い香りだと認識したら、ぐらっと視界が揺れ、頭痛が一層酷くなった。
「この匂い……と、相性悪いみたいだ……なんか、気持ち悪くなってきたし、頭痛も酷くなるし、最悪だな。でも確かめないと……」
自分に言い聞かせながらユリアスは、スズランカとユズリ草の両方の葉をそっと千切った。
そして、薄い半透明の円状のガラスのケースに入れて密閉するとポケットにしまう。
とりあえず、すべきことは完了した。
あとは気づかれずにここを立ち去るだけだ。
頭を抑えながらゆっくり立ち上がり、周りを警戒しながら、中庭を横切っていく。
早くこの場所から立ち去りたくて、気づけば小走りになり、そして走っていた。
侍女が宮廷内を全速力で走るなんて以ての外なのは頭ではわかっていたが、止められない。
あとは誰にも気づかれないことを願うだけだ。
(早く、ここから去らないと……おかしくなりそう……)
中庭の小道を抜けると、小さい扉があった。
そこには鍵が本来かかっているのだが、老朽化で簡単に外れる。
側仕えをやっていて仕事を早く終わらせる為に覚えた抜け道は、その時は全く役には立たなかったが、今ここで役に立った。
スカートを引っかけないよう気をつけながら扉を潜り抜けると、壁の外側に出る。
そこは見放された空間のようで、草木が荒れ放題だった。
どうしてこんな場所があるかはわからないが、ここを突っ切れば、城門の方へ出られるはず。
周囲を警戒しながら、ユリアスは草木をかき分け進んでいく。
足を絡め取られそうになりながらも、なんとか整備された小道へ出ることに成功したが、さすがにこの姿のまま歩き回るわけにはいかない。
この黒髪のカツラも長いスカートも馬に乗るには邪魔でしかない。
(着替えと荷物を取りに行かないと……はぁ……どうしたもんか……)
着替えも荷物も城内だから、今来た道を引き返さなければならない。
でも、今はそんな余裕はなかった。
まだガンガンと頭は痛いし、気持ちも悪い。
すぐにでも横になって休める場所が欲しいのだが……
ユリアスはよろよろとその場にしゃがみこんだ。
あの手紙のことや、この間のレイフォードの言葉がぐるぐると回って、ちっともこの状況の打開策を思いつかない。
ハアハアと肩で呼吸するのが精一杯だ。
「大丈夫か?」と、そのとき、背後から聞き覚えのある声がした。
「え? どうして−−−−−−?」
「どうしてって、ずっと見張っていたから」
「ずっとって……いつから?」
「『ずっと』だよ。にしても、その格好……」
「こ、これには色々事情があって−−−−−−!」
「それも知ってる。いや、思いのほか似合ってて驚いた」
「…………それをわざわざ言いに来たんですか? あなたに聞きたいことがあるんです。この間のこと、僕が−−−」
そうユリアスが言いかけたとき、レイフォードがパッとユリアスの口を塞いだ。
「続きは、本人に聞いたほうがいい」
そう言うと、レイフォードはユリアスをグッと担ぎ上げた。
「ちょっと、下ろしてください!!」
「ユリアス、早くあいつを助けてあげて欲しい」
「あいつ……? ラザフォード殿下のことですか? 僕に助けられるわけないでしょ!!」
「あの呪縛から解放できるのはお前だけなんだ」
「そんなこと言われたって知らない! 会うつもりなんかない! 会いたくなくてこんな格好してるのに!」
ジタバタと手足を動かし抵抗するが、ちっともレイフォードはユリアスを下ろす気はないようで、スタスタと担ぎ上げたまま大股で歩いて行く。




