忍びよる手⑤
「終わったかい?」
「ええ……」
「顔色が悪いけど、大丈夫?」
「はい……」
「とりあえず、あの部屋へ戻ろうか」
よろよろと歩くユリアスの腕を引きながら、イザベラは大理石の廊下を歩いていく。
ここで見つかっては元も子もない。
あたりを警戒しながら、あの小部屋へ向かう。
部屋の中では、着替えとメイクを手伝ってくれた侍女が待機していた。
そして、机の上には東宮で仕えている侍女の制服が……
そう、今度はユリアス自身の目的の為に東宮に忍び込まなければならないのだ。
しかし、当の本人は青白い顔をしている。
「ユリアス殿、本当に大丈夫か? 気分が優れないなら、作戦は中止に……」
「いえ、大丈夫です。この慣れない衣装に疲れただけで」
「カツラがやっぱり重いですよね? ショートカットのカツラが用意できなかったので……すみません」
「カツラの問題じゃないので大丈夫です」
「サキヨミ様に悪夢でも告げられたのかい?」
「……ええ。僕は自分自身が信じられなくなりました。自分が信じていた記憶が嘘なのかも……」
「記憶?」
「はい。どうやら僕は記憶の一部がないらしいです。でも今までそれを自覚したことなんてなくて。最近になってよく知り合いから言われるんです。記憶を失っているって」
机に寄りかかりながら、イザベラは両腕を組んだ。
そして、侍女に「時間がないから、着替えさえて」と指示をだす。
「いや、ちょっと、待っ−−−−−−」
「早くしないと、侵入できなくなります!」
「いや、それはそうかもなんですけど! いてっ!!」
イザベラは抵抗するユリアスの背中を思いっきり叩いた。
そして、ユリアスの顔を見据えて言い放す。
「記憶があるかないかなんて、今考えたところで答えは出ないだろ! 今すべきことをしないと後悔する。東宮でやることがあるんだろ!? それはもういいのか?!」
「よく……ないです」
「じゃあ、つべこべ言わずに、着替えて潜入するのみ! 記憶についてはそれが終わった後じっくり考えればいいさ」
ユリアスは我に返ったかのように、顔を上げ、イザベラを見つめる。
そうだ……自分がやるべきことはあの薬草を特定して、小麦泥棒の黒幕を捕まえること……
大きく深呼吸すると、頭がクリアになっていく。
「もう大丈夫そうだね」
「はい。ありがとうございます」
「急ごう、11時から予算会議らしいから、その時間が狙い目だ」
ユリアスは今度は東宮の侍女の制服に身を包み、回廊をイザベラと一緒に歩く。
一日に二着も女性物の服を着るなんて−−−
ため息をつきたいところだが、さっきとは違って知り合いが多い場所に潜入するのだ。
一層身を引き締める必要がある。
側についていくイザベラも東宮の騎士の制服に着替え、少しでも怪しまれないよう長い髪をしまい、茶色の男用のカツラをつけている。
「よく考えると、別に女装する必要はないんじゃ……イザベラ殿が見張っててくれるなら、普通の格好で潜入できる気も……」
「東宮にやってきた事を殿下に報告されたくないのだろう?」
「まあ、そうなんですけど……」
「いいじゃないか? 肌も白くて綺麗だし、メガネをかけている時は気づかなかったが、割と整った顔をしてるから様になってるよ。その辺の女の子より可愛いぞ?」
「……褒めてもらっても嬉しくないんですが……」
イザベラなりにユリアスの体調を気遣っているようで、ユリアスも彼女の好意がありがたかった。
そのおかげで、沈み込みそうな気持ちを抑えて前に進むことができる。
教会を通り過ぎ、東宮へ繋がる回廊を歩く。
その間、何人かの兵士に声をかけられたが、うまくイザベラがかわしてくれた。
(ここを抜ければ、執務室だ−−−)
と、気が緩んだ瞬間―――
「ちょっとあなた、ここで何をしているの?!」
後ろから、呼び止められ足を止める。
振り向くと、侍女長が目をつり上げ立っていた。
「えっと……」
「あなたですよ! この忙しい時に職務を放棄するとは何事ですか? 罰はあとで与えるとして、とりあえず来なさい!!」
「侍女長、この者は−−−」
「あなた、この者と一体どういう関係なのです? ま、まさか、あなた、良からぬ事を−−−?!」
「ち、違います」
「じゃあ、あなたもさっさと持ち場へ戻りなさい! 色々あなたもやることがおありでしょう? 」
そう言いながら侍女長はユリアスの袖を引っ張りながらイザベラと引き離し、どこかえ連れて行ってしまった。




