市場②
「それはそうと、聞きたいことがあるんです。ワトソン殿はその掛け帯からして、ここでひたすら帳簿のチェックをしているんですよね? なんか変わったことはありませんでしたか?」
「それはもしかして、小麦泥棒事件のことを言っておられますか? なんか武導家の農民たちが我々役人が不正をしているんじゃないかって、騒ぎ立ててるんですよ。こっちは二人体制でチェックを行っているというのに。彼らが地元で受けた計量の記帳と、実際にある小麦の量が違うんで、我々としては 『実際にある小麦の量』に帳簿を訂正します。でも、地元で受けたときの計量を元に納税率を決めてますから、たとえ道中で何かあって小麦がなくなったとしても、減税はできません。それをあいつらは、役人が不正を働いているなどと騒ぎ立てているのですよ」
ユリアスは、ふむふむと聞きながら、目安箱の儀のときの男の話と話しに矛盾がないか考えを巡らせる。
でも聞いている限り、おかしな点はなさそう。
小麦は領地の計量では存在していた小麦が、ここに来て計ったら消えていたということ以外は……
「王宮から調査隊は派遣されましたか?」
「調査隊というか、武導家当主、グレゴリオ卿の命で数名、軍から道中の警備をするための騎士が派遣されるそうですが、どうですかね……。とにかくいい迷惑ですよ」
「じゃあ、市場では不正は絶対にないと?」
「ありません。少なくとも私が担当している部署では考えられません! だれが大勢の役人の目の前で盗みを働きますか? そんなことをする奴は大馬鹿者ですよ」
うんうんと首を振りながら、ワトソンは言い切った。
彼が言うことは確かに一理ある。
この市場自体、かなりの役人が在中しているし、兵士だって巡回しているのだ。
ここであの重い小麦の入った麻袋を持ち出したとしたら、逆にその者は『魔術』という特別な力を使ったのだろう。
しかし、そんな芸当ができる者は魔導家の中でもいない。
いないからこそ、ユリアスがここにいるのだ。
「そっちへ逃げたぞ――!!」
どこからか、男たちの叫び声がこだまする。
そして、声の先へ砂埃を立てながら、兵士たちが勢いよく走っていった。
なんだろうと、ユリアスたちも叫び声がする方へ向かうと、人だかりの先に何やら動く黒い物体が見えた。
「またか……最近本当に多いな」
「なんです?」
ユリアスが首を傾げ尋ねると、「馬ですよ。最近市場に入るなり暴れて、ああやって脱走するんです」となんでもないかのようにワトソンが答えた。
あ~今回は大変そうだな……なんてぼんやりとワトソンが眺めている一方で、ユリアスは勢いよく駆けだした。
「坊ちゃん!? 危険ですって!!」
それにつられてワトソンも駆け出す。
「すみません、ちょっと……通してください……」
ユリアスは人混みをかき分け、暴れている馬の近くまで進む。
何人かの兵士が近づこうとしているが、馬は興奮していて前足を空中に浮かせて、ヒヒィンと声をあげていた。
暴れ馬は茶色い毛並みの黒いたてがみ、通常よりも少し体格の良い馬で、我を忘れて近くにある木箱やら台などを片っ端から蹴散らしている。
そんな馬に頭でも蹴られたら、間違いなく頭はかち割れるだろう。
どうにも近づけないと、手をこまねいている役人たちをかき分け、一人の兵士がサッと鞘から剣を抜き、馬に向けて構えた。
「ちょっと待ってください! まだ殺さないで!」
ユリアスは、勢いよく暴れ馬と兵士の間に割って入り、大声で叫んだ。
手のひらを兵士に向け、待ってください、僕が何とかしますから……と剣を向ける兵士に向かって言う。
ユリアスの背後では馬が蹄を地面にこすりつけ、鼻息荒く構えている。
「小僧、そこをどけ! お前に何ができる?! 我々はここの安全を守ることが仕事なのだ! 邪魔だ!」
「馬ですよ?! おびえてるだけです。いいから、少し黙って離れてって!!」
ユリアスは兵士に向かって睨みつけた。
そして、振り返り暴れ馬と対峙する。
頭を前足で蹴られて死ぬぞ、と兵士は吐き捨てるようにいいながら、剣を構えたまま少し下がる。
「どうせ、そんな剣ではこの子は殺せない」
ユリアスは、バタバタと駆け回る馬の後ろをついて歩く。
すると馬は、ユリアスを中心にぐるぐるとひたすら回り始めた。
「大丈夫、もう怖くない。お前の敵じゃないよ」
両手を広げ馬に見せる。
ふわっとどこからか風が吹き、ユリアスの髪を揺らしながら、埃っぽい空気をかき消していく。
それと同時に、馬も走る速度を緩め、ゆっくりと旋回し始めた。
馬の瞳はじっとユリアスを捉えたまま。
荒い馬の息と蹄の音が響く。
この状況に、なんだなんだと、さらに人が集まり出した。
ユリアスは周りに気にすることなく自分のペースで馬に語りかける。
「大丈夫、いい子だから、こっちへおいで。大丈夫」
ユリアスがそう言うと、暴れ馬は何かを払うように首を横になんどか振り、トコトコと、まるで子猫が甘えるように顔をユリアスの手に押し付けてきた。
それに応えるように、ユリアスは馬の鼻をなぜながら、首に掛かっている手綱を取った。
その瞬間、「おお―――――!!」と大歓声と拍手が沸き起こり、「よかった、よかった」と兵士は剣を鞘に戻す。
このすごい人だかりの中心にいることを知ったユリアスは、「しまった……」と思い、顔を隠すように俯くが、時すでに遅し。
「お前のおかげで、助かった! ありがとう!」
一目散に駆け寄ってきた50代ぐらいの男がユリアスに頭を下げた。
どうやら馬の持ち主のようで、「ジョゼフが殺されなくて本当によかった」と半べそをかいている。
「よかったです。普段からこんなに暴れるんですか?」
「いや、こいつは大人しい馬で有名だったのに、ここへ来たとたん目の色変えて暴れよって……」
「ここに来た途端ですか……」
「いや、道中も少しばかり暴れたんだが、これほどではなかった。いや……ほんと助かった。ジョゼフがいなくなったら俺らは食っていけねぇから」
ユリアスは、どういたしましてと言い残し、人混みに紛れるようにその場を去ろうとしたが、またもや後ろから首根っこを掴まれる。
「逃がさんぞ――?!」
「に、逃げてませんって……お頭……」
引きずられるままユリアスは馬小屋へ連れていかれた。




