目安箱①
「本来ならクビにするところだが、今そんなお前が必要だ。ユリアス、お前は今すぐ、この帳簿をもって教会の百合の間へ行け」
「え? クビじゃないんですか?」
「聞こえなかったが? 早くこの帳簿を持って、百合の間へ行けと言ってるんだが」
ポイと放り投げられた帳簿を、ユリアスは両手でキャッチし、それをラザフォードの顔を交互に見やる。
一体何が、これから起ころうとしているのか、見当もつかない。
両手にあるのは帳簿というか、ちゃんと装丁された本のようで、紺色の無地に金の皇家紋章が入ってる。
ユリアスは、目の前に気だるそうに立っている主を、じっと見つめて――
「説明していただかないと、わかりません。百合の間へ行って、僕は一体何をしたらいいんですか?! ちゃんとやるべき仕事があるなら、前もって教えてくださいよ」
受け身ではだめだとこの二週間で悟ったユリアスは、何も説明しないラザフォードに言い放った。
説明なしに、色々変なことに巻き込まれるのだけは避けたい――午前中に巻き込まれ事故にあった直後なのだから、そう思うのも無理もなかった。
それに、「何も知らない」という自分の状態をこれ以上放置させたくない、とも思った。
「では、伝えよう。聞いたからには、必ず実行するように。今から私は急病のため、『目安箱の儀』には出席できない。お前が私の代理として出席し、ことの一部始終その帳簿に書き留めてくるように。いいか? 私は『急病』だからな」
「ちょっと待ってください! 『目安箱の儀』ってとても大事なものじゃないですか?! 一カ月に一度だけ、皇族に直接物申せる場で、それも選ばれた民衆しか立つことができないのでしょう? 殿下に会いたくて、はるばる遠くから来ている民衆の気持ちを無下になさるつもりなのですか!? 殿下それはあんまりです! それも仮病だなんて、それが君主になろうとしている人のやることですか」
業務内容が、あまりにも予想していたものとレベルが違う上に、嘘までついて民衆を欺こうとしている目の前の主に愕然とした。
そして、『昨日もその前もラザフォードは会議と名がつくものには出席していない』という事実が合わさった結果、主は会議嫌いで出ないのだ、としかユリアスの頭には浮かばなかった。
「ユリアス、まぁ、落ち着きなさい」
「落ち着いていられますか?! 昨日だって会議を欠席されたばかりですよ?! 周りを振り回さずに、ちゃんと出るべきものには出られてくださいよ。大人なんだから」
最後の一言は余計だ思ったが、ユリアスは両手に掴んだ帳簿をぎゅっと握りしめ、ラザフォードをキッと睨む。
いつも、どんな時でも冷静な自分が、どうして、今怒りを抑えられないのか自分は分かっていた。
我が儘で、周りを振り回し、遊び呆けているどうしようもない皇子だと思っていたが、側で仕えれば仕えるほど、そんなに悪い人ではないのでは?と考えさせられる。
少し彼に期待し始めていた自分が愚か者に思えて、怒りがこみ上げきていた。
でも、それを目の前の相手に言うつもりは、さんさらない。
ラザフォードは口をへの字に曲げたユリアスをじっと見つめる。
ユリアスがこんなに怒るなんて想定外だったようで、頭を掻きながら、困り顔で言った。
「今回は私ではだめなのだ。お前がいくことに意味がある。商導家と武道家の当主が参加するから、民衆は言いたいことを言えない。賢いお前なら意味がわかるだろう?」
「賢くないのでさっぱりわかりません、あなたが何を意図して僕を送り込もうとしているのか」
「それはね、行ったら分かるから、とりあえずここは大人しく、私の言うことを聞いてはくれないだろうか? これはカイルでも私でもできないことなんだ」
いつもずけずけと命令するラザフォードが、今回はめずらしく下手に出た。
目の前の主の目は、小さい子どもを諭すようなそんな眼差し。
その瞳には曇りはなく、だますとか、面倒だからという理由ではないことが、少し感じられた。
しかし、また裏切られかねないので、素直に応じるのも癪だ。
「…………納得できません」
「ユリアス、ここはひとまず殿下の言う通りにするんだ。ほら、深呼吸、深呼吸!!」
ムッと睨むユリアスに、落ち着けと言わんばかりにカイルがユリアスの両肩に手を置いた。
自分より身分の高い二人になだめられているこの状況は、よく考えると恐ろしい。
は〜っつと、深呼吸をしたら、だんだん頭に上った血が、いつもの冷静さと共に戻っていく。
とりあえず、自分は身を引き、自分の心を収めることに決めた。
「……わかりました。今回は行きます」
「よろしく頼む」
こうして、ユリアスは新たな事件に、巻き込まれていくのだった。




