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夕騒  作者: 稲井 賢太郎
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冬の花

――朝があるって本当に素晴らしいことね。

この、さりげない言葉にモンゴメリはどんな思いを込めたのだろう。

モンゴメリ作、赤毛のアン。この作中では度々、朝に関する言葉が登場する。

――あたし、今朝は絶望のどん底にはいないの。朝は、そんなところにいられないわ。

アンは嬉しそうな顔でそう言った。

幼いころの私はその言葉を聞いて、ただなんとなく、アンは本当にポジティブな女の子だな、と思った。前日まで絶望で食べ物が喉を通らなかったはずなのに、朝になるとケロッと忘れてしまっているのだから。これから始まる一日を想像すると、昨日の悩み事なんてどこかへいってしまうの?それが、いつも気になっていた。

朝が好き。アンはどういうつもりであの言葉を口にしたのだろう。

アンにとって朝とは、一日のうちで一番元気になれる時間だった。

現実、素敵な一日はやってこないかもしれない。だけど、――なにか楽しい事が起こるかもしれないでしょ?そんな無邪気な想像が彼女の世界に色をつける。元気で、前向きで、おしゃべりな女の子。

朝が好き。その言葉がアンをすごく魅力的な女の子に見せた。人生で躓いた時や落ち込んだ時、私は何度も彼女の前向きな言葉に元気をもらった。だけど――。


私は朝が嫌いだ

――明日はどんな事がおこるんだろう?

私がそんな風に想像するのはいつも朝ではなく、夜の途中だった。その日一日の余韻にひたりながら、明日の出来事を思い描く。明日はどんな一日がやってくるんだろう?

想像は次から次へと膨らんでいき、充実感の中眠りに就く。だけど翌朝、目を覚まして気づく。

――あれ?昨日の私は?

素敵な一日を思い描いていたはずの自分がいなくなってしまっているのだ。世界は白紙に戻って、昨日までの出来事を置き去りにしてきてしまう。そして、私は重たい体を持ち上げて無気力にカーテンを開ける。

――やっぱり、曇り空だ。

フウっとため息をつく。


11月15日。その日も予想通り、香川県坂出市の空には分厚い雲がかかっていた。それはまるで遠方からの訪問者を拒絶するように、明け方の街にどんよりとした空気を充満させ、これからやってくる一日に小さな不安を抱かせた。右手で転がす大きなトランクケースが、駅からバス停へ歩いていくまでの道のりでガタガタガタという小刻みな騒音を響かせる。

えっと――、始発にはまだだいぶ時間があるな。そうだ、駅前でタクシーでも拾おう。

ちょうど、運よく通りかかった、タクシーを止める。

荷物をトランクに積み、車内に乗り込む。愛想のよさそうな運転手だ。滞在先のホテルの場所を指定し、しばらく他愛無い会話が続く。

「どちらからですか?」

「東京です」

「ああ、東京の方ですか。最近は一人旅をされる女性の方が増えましたな」

「えっと―。旅と言うか、仕事の関係でちょっと……」

「おっと、すみません。随分大きな荷物だったので、てっきり観光の方かと」

「ええ、三週間ほど滞在するので」

「お仕事は何を?」

「出版関係です」

「出版社、それは大したもので。出張かなにかですか?」

「ええ、新人なので地方研修に。高松市内の会社なんですが」

「では、坂出は初めてで?」

「いいえ。実家がこちらにあるので」

「あっ、地元の人?」

「はい」


「実家」という言葉に少しも疑問を感じなくなったのはいつからだろう。運転手と会話しながらそんな事を考える。私は生れてからずっと京都暮らしだった。両親も祖父母も、魚寺家の血筋は代々京都の真ん中で暮らしてきた。それなのに、ここ坂出の街を「実家」と呼ぶのに少しも違和感は無い。なぜならここは私にとって本当の実家のような場所だったから。

京都の魚寺家と坂出の甲斐家には祖父の代から続く深いつながりがあった。幼いころの私はよく京都から香川まで親に連れられて遊びに行ったものだ。

――ねえ香住ちゃん、お正月は香川に帰るの?

始めて違和感に気づいたのは°小学校3年生のときに同級生に言われたその一言がきっかけだった。

――うん。お正月は家族そろって、お家に帰るの。

私は自分で言いながら、その言葉の矛盾に気づいた。『お家』に帰るの。

祇園の家には両親がいるし、祖父母は嵐山に住んでいる。うちの家系は代々京都人なのに、元旦に私たちが香川に帰るのは不思議な事だったんだ。だって他のみんなは「実家」と言う所にかえっているのだから。香川の甲斐家は実家ではない。でも幼いころから、帰郷するかのように甲斐家を訪れていた私にとって、坂出の家は間違いなく『お家』だった。


「お客さん、山越うどん食べられた事ありますか?」

「ええ、もちろんですよ。地元の味ですから」

「ははは。やはり讃岐と言えば山越えですね。確か、関東の方ではうどんダシのことをツユと呼ぶんでしたか?」

「ええ、あちらではそばつゆのような味付けになりますよ」

「それで、感想の方は?」

「まあ――、こちらの方々とは相いれないというか……」

お決まりの地元トークをしながら私はここに来るまでの奇妙ないきさつを頭に浮かべていた。

そもそも香川に来る事になったのは会社からの命令だった。うちの会社では入社一年目の社員は、新人教育の一環として地方研修に送られる。その研修先となったのが香川県高松市、ここ坂出のすぐ隣の街だった。それはまるで私をこの地に呼び入れるかのような奇妙な偶然だった。


「最近は四国のお遍路巡りをしてる女性を乗せることも多いですな」

「年配の方ですか?」

「いいや。お客さんみたいな若い女性の間でブームになってるとか。お遍路ギャルとか、歴女って呼ばれてるようで」

「へえ、そうなんですね」

会話は続く。ちらっとタクシーの料金メータがどんどん上がっていくのが見えた。昔はこんな時に1メータの料金まで計算したものだが、仕事を始めてからは随分とお金に無頓着になった。

そもそも、始発までの時間バス停で時間をつぶすか、それともタクシーを使うのか。昔の私ならば、こんな時迷うことなく前者を選んだのだ。長いこと電車に揺られてたんだから仕方ないよ。初日からそんなに無理をしていたら体がもたないもの。そんな、言い訳を探そうとしたが、どうでもよくなってやめた。だって、別に誰に見られているわけでもないのだから。ただ――。

良くも悪くも東京に行ってから自分が変わったのだという事。その変化が、小さな後ろめたさを感じさせる。

東京に行って驚いたのは、その土地の高さだった。都心に一室を借りようと思えば月に10万円近くが必要だった。それでなくとも初めて親元を離れて、一人暮らしとはこういうものなのかと実感させられたというのに。家賃、食費、光熱費、服代に交通費。東京での一人暮らしには思っていた以上にお金が必要だった。そして、なによりも驚いたのはそれだけのお金を払っても、まだ、手元にはいくらかの余裕が残っているという事だった。

――働くというのはこういうことなんだ。

ポケットから手帳を取り出して勤務先の場所と、日程を確認する。××出版高松支店にて、11月15日から12月1日までの地方研修。一息つくのは物事の算段が整った後だ。常に一歩先の事を予測し、計画性を持って行動する。都会に馴染むと同時にそんな習慣がよく身に着いた。


「そう言えば、今度ここで自然文化フェスティバルが開催されるみたいですよ」

「へえ。沙弥島ですか?」

窓から外の景色を眺めると、瀬戸内海が広がっていた。見通しのいい道路と海、そしてずらっと並ぶ田園風景。向こうでは常に時間が駆け足で過ぎて行ったからすごく不思議な感覚だ。秒刻みで電車に乗り組んでいた日々が嘘のように、時間がゆったりと流れる。

ここは東京ではない。手帳をしまいこみ、もう一度自分が香川に帰ってきたこを確認する。

本当にここに帰ってくると気持ちが落ち着く。同じように、こんな景色を万里江さん達は、あれから何度となく眺めたのだろう。

――でも、どんな表情で?

私には想像もつかない。ただ、こんな風にゆったりと心地よい時間が流れていると良いのだけれど。


――今はこんな風に大変な状況だけど、甲斐家は絶対に立ち直って見せるわよ

三年前のあの日、万里江さんは、そう言ってにっこりと笑った。

不幸は重なると言われるが、あの時期の甲斐家は、そんな言葉を使うのさえ陳腐に思えるほどの逆境の中にいた。祖父の大輔さんが病死したのが4年前、そしてその後を追うように伯父の祐司さんが事故で亡くなられた。不幸は続くものね、と無責任に言った誰かも、まさかその先に待つ悲劇を予想する事は出来なかっただろう。そして、3年前の原因不明の火災。夜のうちに甲斐家の本家が全焼し、逃げそびれた祖母の恵子さんと、叔母の美知恵さんが亡くなられた。いとこ夫婦は逃げるように香川を離れ、坂出の甲斐家に残ったのは父、母、子の三人だけとなった。しかし、不幸の連鎖はそれだけでは止まらず、悲しみに更に追い打ちをかけるように、勤め先の情報会社が倒産し、父親は離職し、貯金の半分を持って行方をくらまし、放蕩。

「ただ、名家だけあって十分な貯えがあったのがせめてもの救いね」と周りの人たちが軽薄な励ましの声をかけても当人達の耳にはまったく届いていなかった。全焼した家屋、亡くなった身内、これからの生活――。胸中は計り知れない。

それ以来、魚寺家が甲斐家に顔を出すことは無くなった。当人達にとってみれば、それどころではなかったのだろう。なにしろ、一度にいろいろな事が起こり過ぎて、しばらくは収集のつかない状態だったのだから。「香住ちゃん。いろいろ落ち着いたらまた、顔を出してね」と、万里江さんは気丈にふるまって見せたけれど、それが実現するのには三年もの年月を隔ててしまった。


「お客さん、着きましたよ」

低音の声が回想を払拭する。

「ありがとうございました」

「いえいえ。良い滞在になるといいですね」

再び、大きな荷物をガタガタと引きずりながら、ホテルにチェックインする。非常口を確認して、買い出しを済ませて、日程表を確認して――。

 そこまで終えて、今日が休みである事を確認しようやくフーっと息を吐き出す。香川に来るのは三年ぶりよね。日程表が照明の光に透ける。

――良い滞在になるといいですね、か。本当にそうね。

雲の上には青空が広がっていること、そんなことさえ忘れさせてしまいそうな程の雲り空が窓越しに覗く。

――やっぱり私は朝が嫌いだ。


甲斐家と魚寺家にはある共通点があった。それは、両家ともに子供が一人しかいないという事だ。魚寺家には私が、そして甲斐家には男の子が一人。

甲斐家の一人息子、日向(ひなた)。私と日向は姉と弟のような関係だった。

また、お兄ちゃんと喧嘩した。この服、お姉ちゃんのおさがりなの。そんなごく当たり前のように飛び交う周囲の会話を聞くたび、私たちは憧れのような気持ちを抱かずにはいられなかった。

もし私に弟がいたら――、もし僕にお姉ちゃんができたら――、どんなに素敵だろう。そんな二人が仲良くなるのに時間はかからなかった。日向は私の事を「お姉ちゃん」と呼んで慕ってくれたし、私にとって日向は本当の弟のような存在だった。

高松ではなく坂出にホテルを取ったのは、甲斐家を訪れる事になるだろう、と思ったからだ。午後5時に、初日の仕事を終えて、坂出に向かう途中の道でそんな事を考えていた。

最後に会ったのが叔母さん達のお葬式の時で、その時日向は6歳。つまり今は、もう小学校3年生になっているのか。

火災の日から、日向に会う事は無かったが、年に数回程度の手紙のやり取りを続けていた。特に決まりも無く不定期にどちらともなく手紙を書いて、お互いの近況を報告し合う。それが、姉と弟をつなぐ唯一の手段だった。

ただ、久しぶりの再会に期待が膨らむ半面、私の心には小さな迷いがあった。研修先が高松に決まったという幸運なめぐり合わせに後押しされても、その迷いはぬぐう事ができなかった。

三年間顔を出せなかったという後ろめたさ。

万里江さんは言った。いろいろ落ち着いたら顔を出してね、と。それは私を牽制するのに十分な言葉だった。名家である甲斐家が、落ちぶれていく姿を私たち魚寺家に見られることが、万里江さんにとっては何よりの苦痛だっただろうから。

――いや。たぶん、顔を出せなかったわけではない。私はここに来ない理由を無理やり探していたんだ。親しかった人達が死んでしまった事、実家のような甲斐家が燃えてしまった事。そんな悲劇から目をそらして、自分だけは一線を引きたかったのかもしれない。

残された日向は、家を捨てた父親を見て、親しい人たちを亡くして、どんな気持ちでいるんだろうか?

そんな風に考えることができたなら、もっと早くにここを訪れていたはずなのに。


「京都に帰りたい」

最後に日向から送られてきた手紙の文末にはそんな言葉が綴られていた。

インターホンを押す。

再建された家は以前より随分小さくなっている。でも、家の庭に咲くこの花には見覚えがある。

――なんていう名前だったかな?

薄ピンクの大輪の花びら。万里江さんはこじんまりとしたガーデニングが趣味だった。この花は小さいころに甲斐家の庭で見たあの花だろう。確か、薄紫や赤みがかったものもあった。

ドアが開く。

「あら、香住ちゃんね? 待ってたわよ。来てくれてうれしいわ」

出迎えてくれた万里江さんはにっこりと笑った。

「お久しぶりです、万里江さん。相変わらずお元気そうでなによりです」

「香住ちゃんは、少し見ない間にすごく大人びたわね」

「はい、今年から一応社会人なので」

「そうそう。出版社勤めなのよね。昔から文学少女だった香住ちゃんにはすごくぴったりのお仕事じゃない。ところで、今日は仕事終わりなの?」

「ええ、こちらの部署は定時で終わらせてもらえるようなので。それにしても新居も素敵なところですね」

「ふふ、そう言ってもらえると嬉しいわ。どうぞ入って」

万里江さんはこんな時いつも、目一杯表情を緩ませる。人当たりが良い、というか。まるで、褒められた子供のように屈託なく笑って見せるのだ。以前より目じりに出来るしわが心なしか増えた気がするが、その滲み出る愛きょうは変わらない。


テーブルに着くと、万里江さんがコーヒを入れてくれた。

「本当に家に泊っていかなくていいの?」

「ええ、3週間もお世話になるわけにはいかないので。ここから歩いて20分ほどの場所にホテルを取ってあります」

「そう、遠慮しなくていいのに。じゃあ、あまり遅くまではいられないのね。でも、晩御飯はこっちで食べて行くといいわ」

そういうと、万里江さんは少し考えてから付け加えるように言った。

「今日は香住ちゃんと一緒に食べられて嬉しいわ。最近は一人での食事が多いから……」

「あの……、日向は、やっぱり食事の時も出てこないんですか?」

「ええ。食事は1日二回、朝と夜に部屋の前に運んでおくと、いつの間にか食べているのよ。もちろんトイレやお風呂も適当な時間に済ませているから、全く部屋から出てこないというわけじゃないんだけれど。あの子、私とすれ違っても会釈の一つもしないのよ。こっちから話しかけても言葉一つ返してくれないし」

万里江さんはどんな時であろうと明るく振舞って見せる人だ。ただ、この時ばかりは表情が曇った。

「でも、香澄ちゃんなら別かもしれないわね」

そう言うと、「ついてきて」と席を立った。

「日向の部屋は二階にあって、あの子はそこで一日の大半を過ごすのよ。中で何をしているのかはわからないけど……。ドアには中から鍵がかけられていてノックしても開けてくれないのよ」

階段を昇ってすぐ左手の一室。そこが日向の部屋だった。

「日向。今日は京都のお姉ちゃんが来てくれたわよ」

そう言うと万里江さんはトン、トン、と優しくノックをした。

しかし、中からは反応がなく、物音一つ聞こえてこない。

「いつもこの調子なのよ」

そう言うと、万里江さんは肩をすくめてこちらを見た。

「香澄ちゃんも話しかけて見て」

もう一度トン、トン、とノックする。

「ねえ日向。香澄よ。覚えてる?」

やはり反応はない。

しばらく部屋の前で四苦八苦していたが、部屋の中からはかすかな物音が聞こえてくる程度だった。日向は確かにこの中にいるんだ。それが、その日唯一の進展だった。

再びリビングに戻って、二人で食事を済ませる。

「ごめんね、香澄ちゃん。せっかく来てもらったのに」

万里江さんは、申し訳なさそうな表情で言った。

「いえいえ、まだしばらくはこちらにいるので、粘り強く話しかけて見ます」

「そうしてもらえると本当に助かるわ。私にはあの子が何を考えてるのかさっぱりわからなくて」

「ところで、あの――、日向はいつ頃からこの調子なんですか?」

「学校の新学期が始まってすぐの事だから、二ヶ月ほど前からよ。初めのうちは体調不良でたまに休む程度だったんだけど、だんだんその頻度が増えていって。家の中にいても部屋にこもりがちで出てこなくなってしまったのよ。いわゆる――引きこもりっていうやつね」

「何か、きっかけとなるような出来事はあったんですか?」

「それが、学校の先生とも何度か話し合いをしたんだけど、特に変わった様子もなかったのよ。クラスにも馴染んでいたし、いじめられている様子もなかったし……。でもそれは大人からの目線であって、あの子にとっては居心地が悪かったのかもしれないわね。事実こうやって部屋にこもりきりで、私に口も聞いてくれないんだから」

 そう言うと、万里江さんは私に言ったのか自分に言ったのか、もう一度ごめんね、と小さく呟いた。そして、しばらく考えた後、こちらを向いてにっこりと笑った。

「これは長丁場ね。世の中には全く部屋から出てこない引きこもりもいるようだし。強攻策にでても根本的な解決にはならないからね。ゆっくりやるわよ」

それは、すごく万里江さんらしい言葉だった。

「ところで、香澄ちゃん。久しぶりの再会よ。積もる話がたくさんあるでしょ」


近況報告を終え、たわい無い話に花を咲かせると、その日は甲斐家を後にした。



 日向の様子がおかしくなり始めたのは約二ヶ月前。それは、手紙が最後に送られてきた時期と一致する。日向から送られてきた手紙に書かれていた一文。

――京都に帰りたい。

あれは、今思うと、間違いなく何かの信号だったんだ。学校に馴染めないのか、それともどこか違うところに不安の種があるのか、いずれにせよ、その何かが日向にとって大きな問題として覆いかぶさっている。

――甲斐家は必ず立ち直ってみせるわよ。

もう一度、三年前の万里江さんの言葉が頭に浮かぶ。日向から届いた手紙の事を万里江さんに伝えるのは、はばかられる。特に、京都に帰りたいなどという言葉は安々と口に出して伝えられるものではない。


滞在から七日目の夜。私は、4度目の訪問をした。

家に入ると、まず二階に上がり日向に2、3声をかける。当然あちらから、返事は帰ってこない。過剰な対応は返って逆効果になるのではないか、という万里江さんのアドバイスの通り、話しかけるのは来た時と帰る前の二度だけにしている。しばらく様子を伺って反応がなければ、あとは万里江さんの料理を手伝ったり、リビングで仕事の確認をしたりして過ごす。

しかし、その日は町内会の集まりがあるため、会長を務める万里江さんはそっちに参加しなくてはいけないということだった。

「ごめんね、香澄ちゃん。日向の分まで作ってもらっちゃって」

「いえいえ、ところで町内会の会議っていうのはこんな時間からあるものなんですか?」

時間は、夜の9時近くだった。

「うん。いつもはもっと早い時間帯にやるんだけど、今回はみんなに急をお願いしているのよ。なんでも、ここ最近、空き巣、盗難の事件が増えているから。こういう田舎では防犯対策っていうのは地域全体で行うものなのよ。それにね、先月うちの町内で軽い小火騒ぎがあったのよ。」

「ボヤ、ですか?」

「ええ、幸い火は広がる前に消し止められたんだけど、防災対策は見直してもやりすぎなことはないでしょ。だって――」

彼女はその先を言いかけて、言葉を選んだ。

――あんな事はもう二度と起こって欲しくはないから。

「じゃあ、香澄ちゃん。くれぐれも火の元だけは注意してね」

冗談っぽくそう言うと、万里江さんは家を出た。きっと、気丈に振舞っているのだろう。それでも、あの事件のことをこうやって笑顔で語れるだけ落ち着いてきたということは何よりだ。

 さて、晩御飯の準備をしよう。

引きこもりの話はいろいろと聞いたことがあったけれど、実際に体験してみるとやはり難しい問題だと思い知らされる。無理に連れ出す事は逆効果だし、あっちが反応してくれない限り、こちら側には打つ手がない。それどころか、ただ、こっちが一方的に話しかけるだけでも負担になっているかもしれない。だから、今日は少し作戦を変える。

階段を上ると、二階には部屋が三つある。その一番手前が日向の部屋だ。

「日向、晩御飯持ってきたよ」

一声かけて、様子を伺うが、やはり反応はない。

「今日は、万里江さんが用事で出かけてるから、お姉ちゃんの手作りよ」

「ねえ、オムライス好きでしょ? 玉ねぎも入ってないやつだよ」

今日のメニューは日向の大好物、オムライス。こんな単純な作戦でうまくいくはずないか。

「じゃあ、ここに置いておくから、よかったら食べてね」

諦めて、下に降りようとすると、部屋の中から、カチ、カチっというかすかな物音が聞こえた。

なんの音だろう。何か反応しようとしているのかも。今日は、もうちょっと粘り強く話しかけてみよう。

「あっ、ケチャップはかけておいたほうがいい?それとも自分でかける?」

「ねえ、お姉ちゃんもここで一緒に食べていい?」

「そうだ、ついでに唐揚げも作ってあげよっか?」

でもやっぱり、反応はない。部屋の中からはかすかな物音が聞こえてくるだけだった。ひとまず一階に降りて唐揚げを作ろう。

やっぱりおせっかいにしかなっていないのかな?あんまりやりすぎても鬱陶しがられるだけかもしれない。そう思いながら二階に唐揚げを持っていくと、オムライスの皿がなくなっていた。そして、代わりに小さな紙切れが置かれている。

そこには「ありがとう」という文字が書かれていた。

ふう。これで、第一関門突破ね。

「どう、おいしい?」と聞くと、しばらく間を空けた後、「うん」と短い返事が返って来た。

それ以降の問いかけには、また反応がなかったが、その一言が大きな進展だった。

帰宅した万里江に報告して、喜び合った。今日は、これで十分だ。

そして、家を出るときにふと小さな違和感に気づく。

――あれ、フクロウがいる。

玄関で目に付いたのは、小さなフクロウの置物だった。靴箱の上に置かれたそれがこちらを眺めている。こんなところにフクロウの置物なんてあったんだ。ここに来るのは四回目だけど、今初めて気がついた。

「どうかしたの?香澄ちゃん」

「いえ」

木彫りのもので、10cmくらい? この大きさにしては随分と精巧に作られている。昔、北海道旅行で買った安物とは大違いだな。それにこの両目に埋め込まれた石。この特徴的な光り方には見覚えがある。

「この、両目の石はなにかの宝石なんですか?」

「ええ、それは金緑石っていうのよ」

「金緑石?私この石、見たことがあるような気がするんです」

「ふふ、有名な宝石だからね。これは金緑石のなかでも変種で猫睛石って呼ばれる類のものよ」

「ビョウセイ?」

「キャッツアイって言ったほうがわかりやすいかしら。この石は猫の目にそっくりなのよ」

「フクロウの目なのに猫目石なんですね」

そう言うと万里江さんはにっこりと笑った。

「ほら、フクロウは夜行性でしょ」



――フクロウは夜行性でしょ。

万里江さんは昔から、行間を読ませるような意味深な発言をすることが多かった。一体あれは、どういう意味なんだろう?


甲斐家に続く道は緩やかな上り坂になっている。平坦な道のりに見えてなかなか体力を使う。ホテルから歩いて二十分とはいっても、南中した太陽の日差しの強さも相まって、到着する頃にはうっすらと汗をかいてしまう。都会では、忙しく動き回っていたようでいて、案外こんなふうに汗をかくことは少なかったんだな。それは、普段感じることのない、このじっとりと湿った不快感からも伺える。

 14日目の昼下がり、私は8度目の訪問をした。その間、日向が顔を見せて出てきてくる事は一度もなかったが、始めの頃に比べると随分会話はできるようになった。会話とはいっても短い相槌を返すだけだけど、日向の気まぐれなのか、何かの拍子に話してくれることが度々あった。

太陽の日差しが強く、薄目の向こうでチカ、チカと光を散りばめる。眩しい。こんな日の甲斐家は直視することができない。一面が白の石壁で作られているから、所々に埋め込まれた白いタイルの側壁が太陽の光を思い思いに反射する。

 再建された建物は、以前ほどの大きさはなかったが、母と子の二人暮らしをするには十分すぎるほどの大きさだった。まるで、小さなお城みたい。眩しい光に目を細めながらもう一度、外観を確認してみる。門扉にインターホンが備え付けられていて、玄関扉の左側の庭にはこじんまりとしたガーデニングスペースがある。右側には駐車スペースとして使えそうな程の庭に雑草が茂っている。どこか不自然に見えるのは、全焼した家の土地にそのまま新しい家を再建したからだろう。全体的に土地の大きさよりも家が一回り小さく、必要のない空間ができてしまっている。まるで、間違ったパズルをはめ込んだようなぎこちなさ。

 かつては、三階建てだった。幼い頃に訪れた私にとって、それは本当にお城のような場所だった。しかし、今も二階建てにはなったが、余分な空間は持て余されているように思える。構造上の問題があったのだろうか。一階にはリビング、お風呂、トイレに客室と万里江さんの部屋。そして二階には日向の部屋を含めて合計三室。

 眩しい外観の中でも、とりわけ光を強く反射するものがある。それは、窓だ。一階には、お風呂の通気窓が一つと、リビングの横引きの大きな窓が一つ。南向きの家だからできるだけ、太陽の向きに窓が付けられている。二階の部屋も当然――。あれ?

二階にある窓は二つだった。左右に移動して確認してみても、やはり、窓は二つしかついていない。おかしいな。部屋は全部で三つあったはずなのに。


 インターホンを押すと、万里江さんが出てきた。

「あら、香澄ちゃん。せっかくのお休みなのにわざわざありがとうね」

「いえいえ、いつもちょっとしか滞在できないので今日はゆっくりと日向に話しかけてみますね」

毎週日曜日に、万里江さんは協会に通っている。昔から、甲斐家はプロテスタントの家系だった。今日は、万里江さんがミサのために家を空けるということで、ここは私が留守番する。

「じゃあ、これ、渡しておくから。4時頃には帰宅すると思うけど、何かあったら連絡を頂戴ね」

そう言うと、万里江さんはスペアの鍵を渡し、にっこりと笑った。

「あっ、ご飯は適当に食べてくれていいからね。それと、前に言ってた不審者。やっぱりこの付近をうろついているようだから、くれぐれも戸締りには気をつけてね」

「はい。分かりました」

「あれ、香澄ちゃん……」

「えっ?」

なんだろう?万里江さんは、私の顔をじっと見つめた。

「うん、やっぱり香澄ちゃんね。今更だけど……、随分と綺麗になったわね」

「えっ、私がですか?」

「ええ。ここ3年で随分成長したのね」

万里江さんは微笑みながら、「子供の成長は早いものね」と付け加えると家を出た。

 ――ここ3年で随分成長したのね、か。

成長と呼べるのかどうかはわからないけれど、確かに私が変わった事は間違いない。

 「他人の家のものを勝手にいじっちゃダメでしょ」

そう母に怒られたのは、8年前。火災が起きるより随分前のことだ。あれは、元旦だった。例年のように親戚一同が甲斐家に集まって、お正月恒例の餅つきをしていた日だ。大きな庭にビニールシートを敷いて、叔父さんたちが威勢良く餅つきをはじめる。初めの頃は毎年楽しみにしていたんだけれど、その時の私は興味を無くしていた。

子供の頃は、恒例行事というのがあまり好きではなかった。お正月にファーストフードを食べたいと言えば、お正月はおせち料理って決まっているのよ、と母は言った。人生ゲームをみんなでやろうと言ったら、叔父さんたちは羽子板と駒を持ってきた。子供は常に新奇に魅せられるものなのに、大人は「ほら、お正月だから」と言って笑った。

だから、その日も私は恒例の餅つきの横で、庭に咲く花を眺めていた。

そう――、なんて言う名前だったかな?あの薄い色をした大輪の花びら。紫とピンクと、オレンジと。いろんな色で咲いていたあの花。中でも私は薄ピンクの花が好きだった。

私は、あの可愛らしい花をなんとかして自分のものにしたいと思って、土を掘り返していた。罪悪感なんてまるでなかったと思う。ただ、頭の中にあったのは、「この花が私のものになったら素敵だな」なんていう想像だけだった。

 そこに、険しい表情をした母がやってくる。

「こら、何してるの!」

違うの。別に私はいたずらをしたかったわけじゃないの。そんな、泣き言に追い討ちをかけるようにさらに母は言葉を重ねた。

「いいかげんにしなさい。それは、あなたのお花じゃないでしょ!」

悪い子供を戒めるように、母は言った。


――カトレアって言うのよ。


そうだ。あの花の名前はカトレアっていうんだ。泣き喚く私に向かって、万里江さんは悲しそうな顔をしてこう言った。

「ねえ、香澄ちゃん、泣かないで。この花はどうしてもあげられないの。これは、私にとって大切なお花だから。カトレアって言うのよ。素敵な名前でしょ」


――いい、香澄ちゃん。カトレアは掘り出しちゃダメよ。その花はね――――。


あれ?でも私はあの時どうして泣いていたんだろう。私は、お母さんに怒られて泣いていたんじゃない。あの時何かが怖かったんだ。それに、万里江さんはあの時なんて言ったんだろう?


その花はね、×××××、なのよ。


過去の記憶は肝心なところが曖昧だ。その日の空模様や、気温や匂い。体験した出来事に色を付けることはできるけれど、その時どう感じたのか、どんな会話をしたのか。大切なことほど忘れてしまっている。

 これを「成長」というのか。少なくとも記憶は、重ねた時間の分だけ過去のものになっていた。

 二階に上がるとやっぱり3部屋あった。それに、全部南に面した部屋だからやっぱり窓が二つしかないのはおかしい。日向の部屋とそのとなりの部屋の位置には窓がついていた。つまり、あの一番奥の部屋。あそこには窓がないということ?

ドアノブに手を伸ばそうとしたが、好奇心はすぐに後退した。

――他人のものを勝手にいじってはいけない。私はもう世間知らずの子供ではないのだから。

 トン、トンと日向の部屋を二度ノックする。

「ねえ、日向。万里江さんはミサに出かけているから、今日は私が昼ごはん作ってあげるね」

 料理を作ってあげるね、というと、日向は会話してくれることが多かった。好物で釣る作戦は単純ながら、意外と実用的だった。ただ、メニューには気を使わなくてはいけない。今まで、日向が口を聞いてくれたのは「オムライス」と「八宝菜」と「ハンバーグ」だった。好物ならばいいとも限らないし、同じメニューで試してみてもダメだったりする時もある。つまり、気分によるところが大きいんだろう。

 今日は二度目のオムライスが幸を奏し、日向からの返事が返って来た。

「うん」

「ねえ、久しぶりにお姉ちゃんと二人で食べてみない?」

 返事は返ってこない。8度目の訪問にして、私は日向と一度も顔を合わせていない。トイレやお風呂は適当に済ませているということだったけど、やはり私がいると出て来づらいのだろうか?でも、今までの日向とのやり取りから、いくつかわかったことがある。

まず、日向は会話する時には案外ハキハキとしゃべるということ。普通、こういう引きこもりのイメージから言うと、もっと対人に臆する傾向があると思っていたが、そういうわけでもない。全く口を聞かないかと思ったら、突然饒舌とまではいかないにしても、あっけらかんとしゃべりだすことがある。

 そして、部屋の中から聞こえてくるカチっカチっという音はどうやら、鉛筆やペンを走らせている音だということ。

 これでも十分な進歩だけれど、少し焦る気持ちがある。強攻策はよくない。でも、滞在の期間はあと一週間しかないから、そうゆっくりもやってはいられない。

――京都に帰りたい。

あの、手紙に添えられていた一文。私にはどうしても日向に確かめておかなくてはいけないことがあるのだから。

「ねえ、いつも部屋で何をやってるの?」

「いろいろ」

「いろいろって、例えば?」

「映画」

「映画って?刑事コロンボ?」

「うん」

 火災後の三年間、手紙でのやりとりは近況報告以外には二人の趣味の話題がほとんどだった。日向は活字があまり好きではなかったから、私は刑事コロンボのDVDをおすすめした。もともと、アニメのシャーロックホームズだとかの推理ものが好きだった日向はすぐに、刑事コロンボにはまった。

「私は、別れのワインが好きだな。『死ぬ思いだったでしょうねえ』ってやつ知ってる?」

「うん」

「日向は、どれが好きなの?」

「ロンドンの傘」

「ふふ、なかなかいい趣味してるね。コロンボみたいな推理モノのことを倒叙ミステリっていうんだよ」

「とうじょ?」

「うん。普通は最後まで犯人がわからないものなんだけど、でも、コロンボは大体最初に犯人がわかってるでしょ。ああいうのを倒叙っていうのよ」

「ふーん」

「日向は、普通のと、倒叙ミステリーはどっちが好き?」

「とうじょ、のほう」

「そっか。じゃあ、きっと古畑任三郎とかも面白いよ。今度持ってきてあげるね」

「うん」

 ――カチ、カチ。またこの音だ。

「ねえ、日向。今は何をしてるの?」

「絵を書いてる」

「絵って?」

「いろいろ」

「鉛筆で?」

「ううん、色をぬってる」

「色?水彩画?」

「色鉛筆」

「へえ、どんな絵を描くの?」

「いろいろ」

「そっか。私も絵描くの好きだったな」

そう言うと、日向はしばらく黙ってから言った。

「お姉ちゃんは、なんの絵を描くの?」

お姉ちゃん?私、のことか。久しぶりの響きに一瞬戸惑ってしまった。それに、日向から質問するのなんて訪問してから初めての事だった。少しは打ち解けてくれたのかな?

「そうだな、私は風景画とか、かな。建物とか、自然とか描くのが好きだったな」

「絵上手いの?」

「全然だめ。日向は?」

「うーん。ふつう」

「今は何を描いてるの?」

「フクロウ」

――フクロウ?

玄関に置かれていたフクロウの置物。猫目石がはめ込まれた二つの目が頭に浮かんだ。

「へえ。フクロウが好きなんだ?」

カチ、カチ。

「ねえ、お姉ちゃんは将来の夢とかある?」

「えっ、夢?うーん、私はもう働いてるから――。でも、小さい頃から小説家には憧れてたな。今は、出版社っていって、小説家の人の手助けをする仕事をしてるの」

「ふーん」

「日向は?将来の夢とかあるの?」

「うん。絵かき」

「へえ、だから、絵を描いてるのね。いいじゃない。私も昔は小説とかいろいろ書いてたな」

「絵かきになれると思う?」

「さあ、それは日向次第よね。どんな絵描いてるのか一回見せてよ」

「やだ」

「どうして?」

「まだ、できてないから」

「じゃあ、完成したら見せてくれるの?」

「うーん、わからない」

「ふふ、期待してるよ」

カチ、カチ、カチ。

やっぱり、日向は出てきてくれる様子がない。でも、随分話してくれるようにはなってきたから、たぶんあとひと押しだろう。確信に迫るのは、もう少し先でもいい。

「じゃ、オムライスここに置いておくからね。お姉ちゃんはしばらく下でゆっくりしてるから、よかったら食べておいてね」

 

 なんでなんだろう?日向が部屋から出てこない理由がわからない。一言も口を聞いてくれない時もあるけれど、こんなふうに会話していると、いたって普通の男の子だ。学校でも問題なく過ごしていたとのことだけど――。一回、日向の学校に相談に行ってみようかな?

 リビングのソファーに腰掛けて考える。暖房の利いた家の中にいるせいか、頭がボーっとする。大きな横引きの窓からは、カーテンの隙間を掻い潜るように太陽の光が容赦なく差しこんでくる。今、何時だろう? 時計が――、キラキラと光っている。あれは、なんだ?フクロウ?

 小さなフクロウがいる。夜に訪れていた時には気づかなかったけど、時計に小さくフクロウの彫刻がある。そして、キラキラと輝いているのは――。やっぱりあの石だ。太陽の光を反射して縦に光の線ができている。

 そうか、だから猫目石なんだ。光があたると本物の猫の目のように見える。

なんだろう?玄関のフクロウも、あの時計の彫刻も。どっちも私の方を見ている。まるで、意思をもってこっちを観察しているかのようだ。

――ほら、フクロウは、夜行性でしょ。

夜行性のフクロウ。――キャッツアイ。そうか、猫の目をもつフクロウなら、昼間でもよく周囲を見渡せるんだ。でも、なんであのフクロウは私の方を見ているの?

眠い。頭がボーっとする。今になって仕事の疲れが出てきたのかな。今日は休日、か。少し、眠――ろう。


目を覚ましたのは、午後5時を過ぎだった。二階に行くと、オムライスがそのまま置かれていた。日向、食べなかったんだ。やっぱり、きまぐれだな。一階に持って行き、硬くなったそれを食べていると、万里江さんが慌てた様子で帰宅してきた。

「あら、香澄ちゃん。遅くなってごめんね。ちょっと、大変なことになって」

「どうしたんですか?」

「捕まったのよ。不審者が」

「えっ?不審者って例の?」

「そうよ。なんでも、空き巣に入ろうとしているところを現行犯逮捕されたらしいのよ」

「けが人とかは――」

「大丈夫よ。なんでも、地域巡回中の先生が発見したらしくて、上手く犯人にバレないように警察に連絡してくれたようなの」

「へえ、それはなによりですね」

「これで、一安心ね。でね、話に聞く限りでは犯人は20代の男らしいのよ。身なりも小奇麗な。これまでなかなか捕まらなかったわけよ。みんなてっきり人生にくたびれた浮浪者だとばかり思っていたから」

「人は見かけによらない、ということですね」

その日は、万里江さんが作った夕食を二人で食べ、甲斐家を後にした。


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