この世界を生きた証
「先生、僕は怖いんです。」
「僕は何者にもなれず、何も残せず死んでしまうのでしょうか。」
「そう思うと僕の中にある漠然とした不安という黒い波が僕を飲み込んでしまうのです。」
「私は、君の言う黒い波を感じたことはありませんが、君の言わんとすることは理解できます。」
「私は、おそらく何者にもなれず、何も残せず死んでしまうでしょう。」
「先生はそれが怖くないのですか?」
「怖くないと言えば嘘になるような気もします。」
「この世の中には数えきれないほどの誰かの痕跡が残っています。
美術館に飾られている絵画であったり、あたりを見渡せば数多の建築物があって、図書館に行けば誰かが残した言葉が残っています。
ですが、私はその中の八割の方を知らないです。」
「何が言いたいかといえば、何かを残したとしても、何者かになれたとしても、たいていの人には知られないのです。」
「私は、君が何も残せず、何者にもなれず死んでしまうのが怖いのではなく、君がいなくなった世界に君が忘れられてしまうことに怖がっているように見えます。」
「そうなんでしょうか、」
「そういわれるとそんな気もしてきます。」
「先生は、この恐怖にどう向き合っているのですか。」
「私は、一生の中で自分の痕跡を残すことにあまり興味がありません。」
「私は、私がいなくなった後の世界のことはどうでもいいのです。薄情だと思われるかもしれません。」
「その代わり、私がいま生きているこの世界にはかなりの執着があります。」
「今を生きている誰かの人生を少しでもいい方向にかえてあげたい。私はそう思います。」
「作品を残す人の根底にはこの思いがあると思います、君もそうなのではないですか?」
「たった一人でもいいから誰かの人生を、生きやすい方に、よりよい方にかえてあげてください。」
「それが今を生きる君が、この世界を生きた証となるでしょう。」
「少し本題とは離れた答えになってしまいましたが、これが君に望むことです。」
「この話を聞いて君の人生をよりよい方にかえられていたら私は嬉しいです。」
これを読んだ誰かの人生がよりよい方向に向かってくれたらうれしいです。




