第10話(最終話) 騎士の休息、そして
祭りの後の静寂。
『騎士の休息』の店内には、私とレオンハルト様の二人だけが残されていた。
散らばった紙吹雪や、空になったワインボトル。
ついさっきまで世界中の英雄たちが笑い合っていたその場所は、今は心地よい疲労感と、祭りの余韻に包まれている。
「……終わったな」
レオンハルト様が、ふぅーっと長く息を吐き、窮屈そうにタイを緩めた。
彼はいつもの指定席であるカウンターにドカリと腰を下ろし、背もたれに体を預けた。
その顔には、大仕事を終えた安堵の色が浮かんでいる。
「お疲れ様でした、レオン。……ふふ、騎士団長様がそんなにだらしない格好をするなんて」
「勘弁してくれ。魔王と睨み合い、神と戦い、結婚式の主役まで張ったんだ。今日くらいは『黒狼』の鎧を脱がせてほしい」
彼は苦笑して、天井を見上げた。
その姿は、英雄でも騎士団長でもなく、ただの疲れた一人の男性だった。
グゥゥゥ~~~~。
その時、静まり返った店内に、間の抜けた音が二重奏で響いた。
私と、レオンハルト様のお腹の音だ。
私たちは顔を見合わせ、プッと吹き出してしまった。
「そういえば、私たち……一口も食べていませんでしたね」
「ああ。ケーキ入刀で一口食べたきりだ。……正直に言おう。腹が減って死にそうだ」
主役あるあるだ。
挨拶回りと、次々と運ばれてくる料理の説明、そして幸せな忙しなさに追われて、自分の食事なんて忘れていたのだ。
目の前には、空っぽの皿とグラスだけ。
「待っていてください。すぐに何か作りますから」
私はウェディングドレスの裾をたくし上げ、厨房に入ろうとした。
「その格好でか? 汚れるぞ」
「平気ですよ。上からエプロンをしますから」
私は純白のドレスの上に、使い古したいつものエプロンを締めた。
レースや真珠で飾られたドレスと、油染みのあるエプロン。
なんだかちぐはぐな格好だけれど、これが一番私らしい気がして、自然と笑みがこぼれた。
「さて、何を作りましょうか。豪華な料理はもうたくさんだし……」
冷蔵庫を開ける。
宴の残り物がたくさんある。
炊きすぎて余った『エリクサー・ライス』と『ブラック・ライス』の冷やご飯。
『フロスト・ボア』の肉の端切れ。
刻んだ『ダンジョン・ネギ』や、半端に残った野菜たち。
これらを使って、疲れた体に染み渡る、最高に優しくて簡単なもの。
「……よし」
私は中華鍋を火にかけた。
ごま油を熱し、細かく刻んだボア肉と野菜を炒める。
ジャアアアアッ……。
静かな店内に、食材が炒められる音だけが響く。
この音を聞くと、心が落ち着く。
世界を救う料理もいいけれど、やっぱり私は、こういう「日常の料理」が好きなんだ。
肉の色が変わったら、冷やご飯を投入。
黄金の米と黒い米が混ざり合い、油を吸って艶やかに輝きだす。
お玉で切るように混ぜ、パラパラにほぐしていく。
味付けはシンプルに。
『コカトリスの出汁』を少しと、塩コショウ。
そして、鍋肌から『黒しずく(醤油)』を焦がし入れる。
ジュワッ!!
香ばしい香りが立ち上る。
それは、どんな高級なソースよりも食欲をそそる、家庭の香りだ。
仕上げに、溶き卵を回し入れて、ふんわりと固める。
「お待たせしました。『宴のあとの、金黒チャーハン』です」
私は二つの皿にチャーハンを盛り、湯気の立つスープ(宴の残りのポタージュを温め直したもの)を添えて、カウンターへ運んだ。
「ありがとう」
レオンハルト様がスプーンを受け取る。
私たちはカウンターに並んで座り、手を合わせた。
「いただきます」
パクッ。
口に入れた瞬間、パラパラのご飯がほどけ、卵の優しさと醤油の香ばしさが広がる。
エリクサー・ライスの濃厚な甘みと、ブラック・ライスのモチモチとした食感が、疲れた脳に糖分を補給してくれる。
派手さはない。
でも、今まで食べたどの料理よりも、体に馴染む味がした。
「……美味い」
レオンハルト様が、しみじみと呟いた。
「世界中のご馳走が並んでいたはずなのに……なぜだろうな。この残り物で作ったチャーハンが、一番美味く感じる」
「ふふ、それはきっと……『安心』の味だからですよ」
私も一口食べる。
美味しい。
戦いが終わり、誰も傷つかず、みんなが笑顔で帰っていった。
その安堵感が、最高のスパイスになっているのだ。
カチャ、カチャ。
スプーンが皿に当たる音だけが、心地よく響く。
私たちは言葉を交わさずとも、同じ幸福を共有していた。
食後の温かいお茶を飲んでいる時、レオンハルト様が静かに口を開いた。
「……エリス」
「ん?」
「私はずっと、食事とは孤独なものだと思っていた」
彼は窓の外、王都の夜景を眺めながら語り始めた。
「戦場では生きるために泥にまみれて食らい、城では毒味をされた冷たい料理を一人で食う。……味など、二の次だった。空腹さえ満たせればいいと」
彼の横顔に、かつての孤独な「黒狼」の影が見える。
強さだけを求め、心を閉ざしていた頃の彼。
「だが、あの日。……厨房の裏口で、君の作った生姜焼きを食べた時から、世界が変わった」
彼は私の方を向き、その手をそっと握った。
大きくて、剣タコのある武骨な手。
でも、とても温かい手。
「温かい料理。そして、それを『美味しいですね』と言い合える相手がいること。……それが、これほど幸せなことだとは知らなかった」
「レオン……」
「ありがとう、エリス。私を見つけてくれて。……私の胃袋も、心も、君に救われたんだ」
彼の真っ直ぐな瞳に、吸い込まれそうになる。
私も同じだ。
婚約破棄され、下働きとして追放され、孤独だった私に、「君の料理が必要だ」と言ってくれたのは彼だった。
私の料理に価値を与え、居場所をくれたのは、紛れもなく彼なのだ。
「私もです。……貴方が『美味しい』って笑ってくれるから、私は料理を続けられました」
私は彼の手を両手で包み込んだ。
「これからも、ずっと作りますよ。おじいちゃんおばあちゃんになっても、貴方が『お腹が空いた』って言う限り」
「ああ。……頼む」
レオンハルト様が、愛おしそうに目を細める。
そして、ゆっくりと顔を近づけてきた。
チュッ。
唇が触れ合う。
チャーハンの油の味と、お茶の香りがする、生活感あふれるキス。
でもそれは、どんな誓いのキスよりも甘く、幸せな味がした。
「……ごちそうさまでした」
彼が囁く。
「お粗末さまでした」
私が微笑む。
月明かりが二人を照らしている。
ここは『騎士の休息』。
戦う者たちが羽を休め、明日への活力を養う場所。
そして、私たちが生きていく、大切な場所。
◇
翌朝。
王都の空は、雲ひとつない快晴だった。
世界樹から降り注ぐマナのおかげで、空気は澄み渡り、道端の花々も生き生きとしている。
『騎士の休息』の入り口に、新しい看板が掲げられた。
『本日のランチ:世界を救ったハンバーグ定食 ~花嫁修業の成果を添えて~』
カランカラン!
開店と同時に、ドアベルが勢いよく鳴り響く。
「いらっしゃいませ!」
私の声が店内に響く。
今日の私は、ドレスではなくいつもの調理服だ。
髪をキリッと結び、眼鏡をかけ、フライパンを握る。これが私の戦闘服。
「エリスー! ハンバーグ大盛りで!」
「こっちはオムライスだ! 昨日の結婚式で食えなかったからな!」
「あ、ホルン君! お水ちょうだい!」
お客様の注文が殺到する。
厨房にはヴォルグさんとイザベラさんが立ち、ホールではホルンが走り回っている。
そして、カウンターの指定席には、非番のレオンハルト様が新聞を読みながらコーヒーを待っている。
彼は時折、顔を上げて私を見て、満足そうに微笑むのだ。
忙しい。目が回るほど忙しい。
でも、この喧騒こそが、私の愛する日常だ。
「はい、ただいま!」
私はフライパンを握りしめ、高らかに振った。
ジュウウウッ!
肉が焼ける音が、新しい一日の始まりを告げる。
香ばしい匂いが、街へと広がっていく。
元悪役令嬢、今は街の定食屋の女将。
私の幸せな「まかない飯」ライフは、これからもずっと、美味しく、温かく続いていく。
(最終章、完結!)
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