第9話 祝福の鐘と、幸せを重ねるウェディングケーキ
ピザパーティーの熱狂から一夜明けた、結婚式当日の朝。
『騎士の休息』の厨房には、いつもの包丁の音ではなく、慌ただしい足音が響いていた。
「味見よし! ソースの艶よし! 前菜の盛り付け、あと五皿追加で!」
私が指示を飛ばすと、調理服を着たスタッフたちが「はい!」と元気よく答える。
今日の私は、花嫁だ。
本来なら控室で優雅に準備をしているはずなのだが……。
「ちょっと、師匠! まだエプロンをつけていらっしゃいますの!?」
控室から飛び出してきたイザベラさんが、呆れたように、そして少し怒ったように声を上げた。
彼女の手には、純白のドレスが抱えられている。
「あ、ごめんなさいイザベラさん。どうしてもメインディッシュの焼き加減が気になってしまって」
「もう! 料理は私とヴォルグ料理長、それに王宮から借りてきた助っ人たちに任せてくださいと言ったでしょう! 今日の主役は厨房じゃなくて、祭壇の前に立つのですよ!」
イザベラさんに背中を押され、私はしぶしぶお玉を置いた。
隣で巨大な肉塊と格闘していたヴォルグさんが、豪快に笑う。
「ガハハ! こんなに働く花嫁は前代未聞だな。安心しろエリス、お前のレシピは完璧に頭に入ってる。今日は座って美味いもん食ってりゃいいんだよ」
「ヴォルグさん……ありがとうございます。よろしくお願いしますね」
私は名残惜しく厨房を振り返りつつ、イザベラさんに連行されて控室へと向かった。
◇
数時間後。
店先には赤い絨毯が敷かれ、路地裏は色とりどりの花で埋め尽くされていた。
王国の貴族、騎士団の仲間たち、街の常連さん。
そして、はるばる海を越え、空を越えてやってきた各国の友人たちが、今か今かと新郎新婦の登場を待っている。
控室の鏡の前。
タキシードに身を包んだレオンハルト様が、珍しく緊張した面持ちで襟元を直していた。
いつもの黒い騎士団の軍服ではなく、今日は清潔感のある白銀の衣装だ。
腰の剣は外しているが、その立ち姿は凛々しい騎士そのものだった。
「……似合うだろうか」
「とても素敵ですよ、レオン」
私が声をかけると、彼は振り返り――そして、息を呑んで固まった。
「……エリス」
私が身に纏っているのは、イザベラさんと街の仕立て屋さんが協力して作ってくれた特注のウェディングドレスだ。
派手な装飾は控えめに、動きやすさを重視したシルエット。
でも、生地には『妖精の絹糸』が使われていて、光の加減で真珠のように輝く。
髪には、ルミアさんが贈ってくれた『聖域の白百合』を飾っている。
「どう……でしょうか? やっぱり、エプロンの方が似合いますか?」
恥ずかしくて俯くと、レオンハルト様が歩み寄り、そっと私の手を取った。
「いいや。……世界で一番、美しい」
彼の熱い眼差しに、私の頬が熱くなる。
厨房の熱気とは違う、甘くて優しい熱さ。
「行きましょう、エリス。みんなが待っている」
「はい、あなた」
私たちは腕を組み、光溢れる店先へと足を踏み出した。
◇
「新郎新婦の入場です!」
ワァァァァァァッ!!
扉を開けた瞬間、割れんばかりの拍手と歓声、そしてフラワーシャワーが降り注いだ。
「おめでとう、エリス!」
「幸せになれよ、団長!」
「ヒューヒュー! お熱いねぇ!」
ホルンが花びらを撒きながら走り回り、ガロードさんとヴァレリウス殿下がワイングラスを掲げている。
メルジーナ将軍は感動で眼鏡を曇らせ、魔王ゼスト様は「くっ、余の妃になる権利はまだ残っているぞ!」と野次を飛ばしてレオンハルト様に睨まれている。
なんて賑やかで、温かい結婚式だろう。
格式高い大聖堂の式も素敵だけれど、ソースと焼きたてのパンの匂いが漂うこの場所こそが、私たちにはお似合いだ。
式の司会進行は、なんとあの天空の番人、セラフィナさんが務めてくれていた。
彼女は背中の白い翼を広げ、神々しい声で宣言する。
「これより、神と世界樹の御名において、二人の誓いを立てます」
彼女の隣には、以前よりも少し背が伸びたような気がする世界樹の化身、ユグ君がニコニコと立っている。
「新郎レオンハルト。貴方は、健やかなる時も、病める時も、空腹なる時も、彼女を守り、愛することを誓いますか?」
「誓います。……彼女の料理を一生、一番近くで食べる権利と共に」
レオンハルト様が力強く答えると、会場から笑いと拍手が起きる。
「新婦エリス。貴女は、富める時も、貧しき時も、彼のために美味しいご飯を作り、愛することを誓いますか?」
「誓います。……彼が『お腹いっぱい』と言っても、デザートまで食べさせることを」
「ふふっ。……では、誓いの口づけを」
セラフィナさんが微笑む。
レオンハルト様が私のベールを上げ、優しく唇を重ねた。
世界樹から降り注ぐ光の粒子が、私たちを祝福するように舞う。
幸せだ。
下働きとして厨房に入ったあの日から、こんな未来が待っているなんて想像もしなかった。
「さあ! 堅苦しいのはここまでだ!」
誓いが終わると同時に、ヴォルグさんが厨房から鐘を鳴らした。
それは、宴の開始を告げる「オーダー」の合図だ。
「昨日のピザは前座だぞ! 今日はフルコースだ! 食って、飲んで、祝い尽くせ!」
◇
『騎士の休息』特設ビュッフェには、世界中の「美味しい」が並べられていた。
前菜には、イザベラさんが作った『ドラゴン・サーモンと彩り野菜のテリーヌ』。
断面がステンドグラスのように美しく、食べるのがもったいないほどだ。
「ほう、これは美しい。帝国の芸術品にも引けを取らん」
ヴァレリウス殿下がテリーヌを口にし、満足げに頷く。
メインディッシュには、ヴォルグさんが焼き上げた『フロスト・ボアの丸焼き』が鎮座している。
魔界のスパイス『ヘル・ペッパー』を効かせたタレが塗られ、食欲をそそる照りを放っている。
「辛い! だが美味い! エールが進むわ!」
ガロードさんが肉にかぶりつき、聖教国の騎士たちと杯を交わしている。
かつては「食事は罪」と言っていた彼らが、今は誰よりも楽しそうだ。
「お米料理もありますよ! 『エリクサー・ライス』の海鮮パエリアです!」
ルミアさんが大鍋から取り分けている。
黄金色のお米は、魚介のスープを吸ってふっくらと輝いている。
そして、デザートコーナーには、魔王ゼスト様が陣取っていた。
「うむ。この『特製プリン』と『フルーツタルト』……どちらから食べるべきか。それが問題だ」
「陛下、両方取れば解決です。カロリー計算は私がしておきますから」
メルジーナ将軍が、皿に山盛りのスイーツを乗せて渡している。
効率厨の彼女も、今日ばかりは「幸福係数」を優先しているようだ。
◇
宴もたけなわとなった頃。
会場の照明が少し落ち、スポットライトが厨房の出口に当たった。
「皆様! 本日のメインイベントですわ!」
イザベラさんの声と共に、巨大なワゴンが運ばれてきた。
乗っているのは、私の身長ほどもある巨大なタワー。
「うおおおっ! なんだあれは!」
「城か!? 甘い匂いのする城だ!」
それは、私たちが数日前から設計し、焼き上げた『スペシャル・ウェディングケーキ』だった。
スポンジには、王国の『ロイヤル・ウィート』と、魔界の『ブラック・ライス』の米粉を使用。
白と黒のスポンジが交互に重なり、美しいストライプ模様を描いている。
間にはさまれているのは、聖教国の『天空桃』と、帝国の『宝石イチゴ』。
そして全体を覆うのは、『ムームー牛』の特濃生クリームだ。
頂上には、マジパンで作られた私とレオンハルト様の人形が乗っている。
(レオンハルト様の人形は、なぜか右手に剣、左手にスプーンを持たされている)
「『世界を結ぶ、絆のミルフィーユ・ケーキ』です!」
私が紹介すると、会場からどよめきが上がった。
「さあ、お二人とも! ケーキ入刀です!」
ヴォルグさんが手渡してくれたのは、ナイフではなく――レオンハルト様の聖剣だった。
「えっ、これで切るんですか?」
「ああ。魔物も切れるが、ケーキも切れる。私の剣は万能だ」
レオンハルト様が真顔で言うので、私は吹き出してしまった。
二人で剣の柄を握る。
ずしりと重いけれど、彼の手が重なっているから安心だ。
「いきますよ、せーの!」
スッ。
聖剣が滑らかにケーキへと入っていく。
歓声と拍手。
カメラのフラッシュのように、魔法の光が明滅する。
「では、ファーストバイト(最初の一口)です!」
イザベラさんが巨大なスプーン(というか、お玉)を持ってきた。
「まずは新郎から新婦へ。『一生食べるものに困らせません』という意味ですわ」
レオンハルト様がケーキをすくい、私の口元へ。
甘いクリームと、ふわふわのスポンジ。
口いっぱいに幸せが広がる。
「……んッ、おいしい」
「次は新婦から新郎へ。『一生美味しいものを作ります』という意味です!」
私はお玉山盛りにケーキをすくった。
ちょっと多すぎるかな? と思ったけれど、レオンハルト様は「望むところだ」と大きく口を開けた。
あーん。
パクッ!
彼はお玉ごと飲み込む勢いで、巨大なケーキを頬張った。
口の端にクリームをつけながら、彼はモグモグと噛みしめ、そして最高に幸せそうな笑顔を見せた。
「……甘い。世界で一番、甘くて美味い」
その笑顔を見て、私は胸がいっぱいになった。
この人の、この顔を見るために、私は料理を作ってきたのだ。
「ごちそうさまでした、エリス」
「お粗末さまでした、レオン」
私たちが微笑み合うと、会場からは「おめでとう!」の嵐が巻き起こった。
ユグ君が魔法で花吹雪を降らせ、セラフィナさんが祝福の光を灯す。
種族も、国境も、立場も関係ない。
美味しいものを囲めば、みんなが笑顔になれる。
それが、私がこの世界で見つけた真実。
宴は夜遅くまで続いた。
飲んで、食べて、笑って。
誰もが幸福な満腹感に包まれていた。
やがて、夜が更けるにつれ、遠方からのゲストたちが一人、また一人と帰路につき始める。
「じゃあな、エリス。最高の式だったぞ」
「また来ますわ。次は新しいレシピを期待しています」
名残惜しそうに手を振る仲間たちを見送りながら、店内の賑わいは少しずつ、しかし確実に穏やかな静寂へと変わっていった。
「……さて。私たちもそろそろ、お暇しましょうか」
最後に残ったイザベラさんが、気を利かせてウィンクをした。
「あとはお二人で、ゆっくりとなさってくださいな。片付けは明日、私たちがやりますから」
「ありがとう、イザベラさん。ヴォルグさんも、ホルンも」
「おう、幸せになれよ!」
「エリス、レオンお兄ちゃん、おやすみなさい!」
彼らが店の奥へと消えていく。
カチャリ、と扉が閉まる音がして、店内には私とレオンハルト様、二人きりが残された。
祭りの後の静けさ。
散らばった紙吹雪や、空になったワインボトルが、今の今までここが世界の中心だったことを物語っている。
「……終わったな」
レオンハルト様が、ふぅーっと長く息を吐き、窮屈そうにタイを緩めた。
その顔には、心地よい疲労感と、安堵の色が浮かんでいる。
「お疲れ様でした、レオン」
私はドレスの裾を少し持ち上げ、彼の隣に立った。
窓の外には満月が輝き、王都の夜を優しく照らしている。
私たちの「特別な一日」は終わりを告げようとしていた。
けれど、本当の「家族」としての時間は、ここから始まるのだ。
二人の間にお腹の虫が鳴る音が響くまで、あと数秒。
私たちの物語は、最後の「まかない飯」へと続いていく。




