第7話 神様も「おかわり」! 天空の大宴会
「……おいしい。本当においしいよ、エリスさん!」
世界樹の化身である少年、ユグ君の声が、澄み渡った空に響いた。
彼の目の前にある『世界樹復活・究極の大人様ランチプレート』は、猛烈な勢いで胃袋へと収まっていく。
彼はスプーンで、『金と黒のオムライス』をすくい上げた。
聖教国の『エリクサー・ライス』と、魔族領の『ブラック・ライス』。
光と闇、二つの極地で育った米が、とろとろの卵とバターの風味によって完璧に融合している。
パクッ。
「んんっ……!」
ユグ君が頬を緩める。
噛みしめるたびに、お米一粒一粒から弾ける生命力の粒。
それが彼の体内で光となり、背後の巨木へと還流していく。
ザワザワザワ……ッ!
枯れ木同然だった世界樹の枝が、急速に緑を取り戻していく。
茶色く変色していた葉は落ち、代わりに瑞々しいエメラルドグリーンの若葉が、見る間に芽吹き、広がり、天を覆い尽くすほどの樹冠を形成した。
「すごい……。枯れ木に花が咲くとは、このことか」
レオンハルト様が剣を収め、頭上を見上げて感嘆の声を漏らす。
枝の間からは、七色に輝く木の実がたわわに実り、そこから溢れ出した魔力の雫が、キラキラと地上へ降り注いでいく。
それは、世界の魔力不足が解消された瞬間だった。
「……信じられません」
その奇跡を、呆然と見つめる者がいた。
天空の番人、セラフィナだ。
彼女の手には、私が渡した小さな取り皿が握られている。
そこに乗った一口サイズのハンバーグと、プリン。
「私は……何百年もの間、この木を守るために全てを排除してきました。欲を捨て、食を断ち、清浄であることだけが正義だと……」
彼女の声が震える。
「それなのに……貴女たちが作った、この『俗世の塊』のような料理が、私などより遥かに強く、世界樹を癒やしたというのですか……」
「俗世だからこそ、ですよ」
私はエプロンで手を拭きながら、彼女に歩み寄った。
「清らかで綺麗すぎるところには、命は根付きません。泥があって、栄養があって、雑多なものが混じり合っているからこそ、木は大きく育つんです」
私は、彼女がまだ口をつけていないプリンを指差した。
「頭で考えるのはもう終わりです。……さあ、冷めないうちに続きをどうぞ。甘いものは、固くなった心を解きほぐしてくれますから」
セラフィナは、涙で濡れた瞳で私を見つめ、そして震える手でスプーンをプリンに入れた。
プルン、と揺れる黄色い宝石。
口に運ぶ。
「……ッ」
彼女の肩が、小さく跳ねた。
卵のコク。ミルクの優しさ。カラメルのほろ苦さ。
そして、トッピングされたフルーツの酸味が、口の中で花火のように弾ける。
甘い。
なんて甘くて、優しい味なのだろう。
何百年もの間、孤独に張り詰めていた彼女の心が、砂糖細工のように溶けていく。
「……負けました」
彼女は皿を抱きしめ、子供のように泣きじゃくった。
「地上は……こんなにも、温かかったのですね……」
その姿を見て、周囲を取り囲んでいた天翼族の騎士たちも、武器を下ろした。
彼らもまた、極限の空腹と戦いながら、主人の命令に従っていたのだ。
漂ってくるハンバーグやオムライスの香りに、彼らの喉が限界を告げるように鳴り響く。
「……食いてぇ」
「もう無理だ……俺も、あの茶色いのが食べたい……」
騎士の一人が膝をつく。
それを見たセラフィナは、涙を拭い、凛とした声で――しかし、以前よりもずっと柔らかい声で命じた。
「……食べなさい。天翼の騎士たちよ」
「セラフィナ様!?」
「これは『穢れ』ではありません。……私たちに必要な、『命の糧』です。剣を置き、感謝していただきなさい」
その許可が出た瞬間。
戦場は、一瞬にして大食堂へと変貌した。
「うおおおおおおっ!!」
「いただくぞおおおッ!!」
騎士たちが雪崩を打って『天空遠征号』の甲板や、岩場の調理場へと押し寄せた。
白い翼をバサバサとさせながら、彼らは我先にと皿を求めた。
「はいはい、並んで! 順番よ!」
「押すな! スープがこぼれるだろうが!」
イザベラさんとヴォルグさんが嬉しい悲鳴を上げながら、配膳に追われている。
「くっ、美味い! なんだこの肉汁は!」
「この黒い米、噛めば噛むほど力が湧いてくるぞ!」
「スープが……五臓六腑に染み渡る……!」
彼らは涙を流しながら、ハンバーグにかぶりつき、オムライスを掻き込んでいる。
その表情は、高潔な天空の住人というより、ただの腹ペコの若者たちだった。
「ふふ、いい食べっぷりですね」
私はその光景を眺め、ホッと息をついた。
これで、本当に解決だ。
「エリス、俺にもくれ! 俺だって腹減ってんだ!」
横からレオンハルト様が、拗ねた子供のように皿を突き出してきた。
彼は最後まで最前線で戦ってくれていたから、まだ一口も食べていないのだ。
「あはは、ごめんなさいレオン。はい、特大盛りですよ!」
私が一番大きなハンバーグを乗せて渡すと、彼は「愛を感じる重さだ」と真顔で頷き、豪快に食べ始めた。
「……んぐッ、うめぇ! やはり君のハンバーグは世界一だ。セラフィナの雷撃より衝撃的だぞ」
「もう、変な例えしないでください」
◇
ひと通りの配膳が終わり、落ち着いた頃。
満腹になったユグ君が、私の服の袖を引いた。
「エリスさん、あのね」
「なあに? ユグ君」
「ボク、もうお腹いっぱいだけど……もう一個だけ、お願いがあるの」
彼はモジモジしながら、頭上の世界樹を見上げた。
「お母さん(世界樹)もね、食べたがってるの」
「えっ、世界樹が?」
「うん。ボクが食べた味が伝わって、『私もパーティーに参加したい』って」
植物がご飯を食べる?
普通なら首をかしげるところだが、ここは神域。常識は通用しない。
それに、私には心当たりがあった。
「分かりました。……それなら、とっておきの『デザート』をあげましょう」
私はヴォルグさんとイザベラさんを呼んだ。
「みんな、ラストオーダーよ! 世界樹に捧げる、特大の『感謝の雨』を降らせるわ!」
「感謝の雨?」
「ええ。聖教国から頂いた『聖水』と、魔族領の『ヘル・ペッパー』、そして帝国の『高純度砂糖』……これらを使った、特製シロップを作るの!」
私たちは大鍋に、ありったけの水と砂糖、そして隠し味のスパイスを投入した。
魔力を込めて煮詰めると、七色に輝く魔法のシロップが完成した。
「レオン、お願い! これを上空へ!」
「風魔法で散布すればいいんだな? 任せろ!」
レオンハルト様が鍋を受け取り、空高く舞い上がった。
そして、世界樹の樹冠の上で、シロップを一気に放出した。
「『甘露の雨』!!」
キラキラと輝くシロップの霧が、世界樹全体に降り注ぐ。
葉の一枚一枚が、甘い露を受け止め、喜びで震えているように見えた。
ザワァァァァ……♪
風もないのに、葉が擦れ合い、まるで音楽のような心地よい音が響き渡る。
それは世界樹からの「ごちそうさま」の合図だった。
その音色に合わせて、天空の島の地面から、次々と新しい芽が吹き出し、花が咲き乱れ始めた。
荒涼としていた灰色の岩場が、瞬く間に美しい花畑へと変わっていく。
「き、奇跡だ……」
「世界樹様が、笑っておられる……」
セラフィナや騎士たちが、その光景に膝をついて祈りを捧げる。
でも、それは堅苦しい祈りではない。
美味しいものを食べて、美しい景色を見て、自然と溢れ出た感謝の祈りだった。
◇
「さて……これで本当に、任務完了ですね」
私は草原に腰を下ろし、大きく伸びをした。
心地よい風が吹き抜ける。
隣には、満腹で眠そうなホルンと、満足げに爪楊枝(枝)をくわえたヴォルグさん。
そして、片付けを終えて優雅にお茶を飲んでいるイザベラさん。
「ああ。最高の戦いだった」
レオンハルト様が隣に座り、私の肩を抱いた。
「君の料理は、剣よりも強く、魔法よりも速く世界を変えたな」
「レオンが守ってくれたからですよ。……一人じゃ、お鍋一つ振れませんでした」
私たちは見つめ合い、自然と微笑んだ。
激闘の後の、穏やかな時間。
「あの……エリス殿」
セラフィナが、恥ずかしそうに近づいてきた。
彼女の背後には、ユグ君も隠れている。
「改めて、お詫びと感謝を申し上げます。……私の独りよがりな正義で、貴女たちを、そして世界を傷つけるところでした」
彼女は深々と頭を下げた。
「でも、貴女の料理が教えてくれました。命は、清らかなだけでは育たない。熱気と、匂いと、そして『美味しい』という喜びがあってこそ、輝くのだと」
「分かっていただけて嬉しいです。……いつでも食べに来てくださいね。私の店は、地上にありますから」
「ええ。必ず。……その時は、またあの『プリン』を所望しても?」
「ふふ、もちろんですよ。今度はバケツ一杯作りましょうか?」
セラフィナが初めて、年相応の少女のように笑った。
その笑顔は、どんな宝石よりも輝いていた。
「エリスさん、ありがとう!」
ユグ君が飛びついてきた。
私は彼を抱きしめた。
温かい。最初に出会った時の、氷のような冷たさはもうない。
「元気でね、ユグ君。ちゃんとご飯を食べるのよ」
「うん! ボク、大きくなって、もっといっぱい実をつけるよ! そしたら、またエリスさんに料理してもらうんだ!」
約束だね、と私たちは指切りをした。
「さあ、そろそろお暇しましょうか」
ヴォルグさんが立ち上がる。
日没が近い。
地上へ戻る時間だ。
「名残惜しいが、店も待っているしな」
「そうですわね。……今頃、王都のお客様はお腹を空かせて暴動を起こしているかもしれませんわ」
イザベラさんが冗談めかして言う。
私たちは荷物をまとめ、『天空遠征号』へと乗り込んだ。
「さようならー!」
「ありがとうー!」
セラフィナや天翼族たちが、大きく手を振って見送ってくれる。
船が浮上し、雲海へと沈んでいく。
遠ざかる世界樹は、夕日を浴びて黄金色に輝き、まるで「またね」と言っているように揺れていた。
「……終わったな」
レオンハルト様が、船の手すりにもたれて呟く。
「ええ。長かったような、あっという間だったような」
第1部で厨房に追放された時から、ずいぶんと遠くへ来たものだ。
まさか、空の上でハンバーグを焼くことになるなんて。
「エリス」
レオンハルト様が、改まった口調で私を呼んだ。
「帰ったら、店は忙しくなるだろうな」
「ええ、きっと。世界中から食材の注文が殺到するでしょうし」
「だが……その前に、一つだけやり残したことがある」
彼は私の手を取り、その薬指に口づけを落とした。
「私たちの、結婚式だ」
「……!」
「世界も救った。魔王も黙らせた。神様も懐柔した。……もう、誰も文句は言わないだろう?」
彼は悪戯っぽく笑い、そして真剣な眼差しで言った。
「エリス・フォン・メラルド。……私と、家族になってくれないか。一生、君の隣で『いただきます』を言わせてほしい」
私の目から、涙が溢れた。
それは、どんな料理の感想よりも、私が一番欲しかった言葉。
「……はい。喜んで」
私は答えた。
「一生、貴方のために『ごちそうさま』が聞けるご飯を作ります」
夕日に染まる雲の上で、私たちは誓いのキスを交わした。
周りでヴォルグさんたちがヒューヒューと冷やかし、ホルンが「結婚式のご飯は何かな!?」と無邪気にはしゃいでいる。
世界を救う冒険は終わった。
でも、私たちの「美味しい日常」は、ここからが本番だ。
さあ、帰ろう。
私たちの愛する店、『騎士の休息』へ。




