第4話 番人の歪んだ正義と、世界を繋ぐハンバーグ
「消えなさい、貪欲な獣たちよ!」
天空の洞窟に、セラフィナの冷徹な声が響き渡った。
彼女が振るう白銀の槍から、無数の光の礫が放たれる。それは雨あられとなって私たちに襲いかかってきた。
「させんッ!」
レオンハルト様が前に出る。
黄金の闘気を纏った聖剣が一閃し、迫りくる光の礫を薙ぎ払う。
しかし、防ぐだけではジリ貧だ。相手は空を飛び、無限の魔力を供給されている天空の番人なのだから。
「ヴォルグさん、防御陣形を! イザベラさん、食材の展開を!」
「おう! 俺の背中には指一本触れさせねぇ!」
「了解ですわ! 全食材、保冷庫から出します!」
戦場のど真ん中で、私たちは前代未聞の「陣地」を構築した。
ヴォルグさんとレオンハルト様が前衛で敵の攻撃を受け止め、その後ろで私とイザベラさんが魔導コンロをフル稼働させる。
守るべきは、背後にいるユグ君と、これから生まれる料理だ。
「無駄なことを……。最期の晩餐を作るつもりですか?」
セラフィナが空中で停止し、冷ややかな視線を送ってくる。
「理解できませんね。なぜ、そうまでして『食』に執着するのです? それはただの排泄行為への入り口。穢れそのものでしょう」
彼女の言葉には、生理的な嫌悪感が滲んでいた。
私は中華鍋を予熱しながら、彼女を見上げた。
「どうしてそこまで、食べることを憎むんですか?」
「……見飽きたからです」
セラフィナは、足元――遥か下界の方角を指差した。
「私はこの天空から、ずっと地上を見てきました。人間も、魔族も、獣も。……生きとし生けるものは皆、食料を求めて争い、殺し合い、奪い合う」
彼女の表情が歪む。
「飢えが人を狂わせる。食欲が理性という皮を剥ぎ取り、醜い本性を暴き出す。……ならば、最初から『食べる』という行為自体をなくせばいい。そうすれば、世界は静寂と平和に満たされる」
「だから、世界樹を枯らそうとしたのね」
「ええ。この木が魔力を生まなければ、作物は育たない。地上の生物は一度死滅し……そして、食欲を持たない新たな生命体へと生まれ変わるのです」
極論だ。
あまりにも純粋すぎて、狂気じみた潔癖症。
彼女は争いを憎むあまり、命そのものを否定しようとしている。
「……間違っています」
私はきっぱりと言い返した。
「確かに、お腹が空けば人はイライラするし、争うこともあるかもしれません。でも……」
私は隣で剣を振るうレオンハルト様を見た。
フライパンを盾にするヴォルグさんを見た。
そして、私の背中を守ってくれているイザベラさんを見た。
「美味しいものを分け合うことで、私たちは手を取り合えたんです。人間も、魔族も、国境だって越えて」
私は熱したフライパンに油を引いた。
「食事は、争いの種じゃありません。……『仲直りの魔法』なんです!」
「戯言を!」
セラフィナが激昂し、槍を振り下ろす。
巨大な光の刃が迫る。
「エリスの言う通りだ!」
レオンハルト様が光の刃を受け止め、押し返す。
「私は彼女の料理で、騎士としての誇りだけでなく、愛を知った! 食卓には、貴様の知らない『温かい世界』があるんだ!」
「くっ……!」
拮抗する力。
その隙に、私は調理を開始した。
「イザベラさん、お肉をお願い!」
「はい! 最高級の合挽き肉、用意できていますわ!」
今回作る『究極のワンプレート』。
そのメインディッシュとなるのは、子供から大人まで、種族を問わず愛される料理の王様。
ハンバーグだ。
ただし、ただのハンバーグではない。
ボウルに入れたのは、王国が誇る最高級『ムームー牛』の赤身肉と、魔族領の極寒で脂を蓄えた『フロスト・ボア』のバラ肉。
人間界の牛と、魔界の豚。
かつては敵対していた二つの種族の食材を、黄金比率で混ぜ合わせる。
「これが、世界を繋ぐお肉です!」
私は肉に、炒めた『ハニー・オニオン』と、『ロイヤル・ウィート』のパン粉、そして『コカトリスの卵』を加え、手早く、粘りが出るまで練り上げる。
手の体温で脂が溶けないよう、素早く、力強く。
ペチッ、ペチッ、ペチッ!
空気を抜く音が、戦場にリズミカルに響く。
その音は、まるで心臓の鼓動のように力強い。
「……な、何をしているのです?」
セラフィナが不審げに眉をひそめる。
泥団子でも作っているように見えたのかもしれない。
「見ていなさい! これが地上の『ご馳走』よ!」
私は成形した巨大な肉の塊を、熱々の鉄板の上に叩きつけた。
ジュウウウウウウウウッ!!!!
爆音。
そして、爆発的な香り。
ムームー牛の芳醇な香りと、ボア肉の甘い脂の匂いが、混ざり合って昇華する。
それは、どんな高級な香水よりも本能を揺さぶる、生命の香りだ。
「うっ……!?」
セラフィナが空中でよろめいた。
風に乗って届いた匂いが、彼女の鉄壁の理性を直撃したのだ。
「な、なんです、この暴力的な匂いは……! 息が……苦しい……!」
「苦しいんじゃないわ。お腹が空いてるのよ!」
私はハンバーグをひっくり返した。
表面はカリッと香ばしい焦げ茶色。
その隙間から、透明な肉汁がふつふつと溢れ出し、鉄板の上で踊っている。
蓋をして、蒸し焼きにする。
『赤ワイン(帝国産)』を少々振りかけ、香りに深みを出す。
「ぐぅ……ッ!」
セラフィナがお腹を押さえた。
彼女の喉が、ゴクリと鳴る音が聞こえた気がした。
長年の断食で乾ききった彼女の体が、猛烈な勢いで「栄養」を求めて悲鳴を上げているのだ。
「惑わされるな……! これは悪魔の誘惑……!」
彼女は必死に首を振り、槍に魔力を込めた。
「消えなさい! その不浄な肉ごと!」
「させねぇよ!」
ヴォルグさんが動いた。
彼はハンバーグを守るように前に出ると、懐から小瓶を取り出した。
「こいつを食らえ! 『魔界直輸入・ヘルペッパーオイル』だ!」
彼が小瓶の中身を、熱々の鉄板の端に垂らした。
バチバチバチッ!!
瞬間、強烈な辛味成分を含んだ煙が巻き上がった。
カプサイシンの刺激臭が、セラフィナを直撃する。
「ケホッ! ゴホッ! な、目が、目がぁ!」
セラフィナが涙を流して咳き込む。
激辛の煙幕だ。
「ナイスです、ヴォルグさん! その隙にソースを仕上げます!」
私は肉汁が残ったフライパンに、『黒しずく(醤油)』『ケチャップ(王国産)』『赤ワイン』、そして隠し味の『バター』を投入した。
グツグツと煮詰めると、艶やかなデミグラスソースが出来上がる。
「焼き上がり!」
蓋を取ると、ふっくらと膨らんだハンバーグが姿を現した。
中心まで火が通り、パンパンに肉汁を湛えている。
そこへ、特製ソースをたっぷりと回しかける。
ジュワァァァァ……!
ソースが鉄板で焦げる匂いが、トドメの一撃となって洞窟内を満たす。
「『世界融合・極厚ジューシーハンバーグ』の完成よ!」
「……あ」
セラフィナの動きが止まった。
涙で滲んだ視界の先に、湯気を立てる肉の塊が見える。
茶色いソースを纏い、黄金色の脂を輝かせるその姿は、彼女が忌み嫌っていた「穢れ」のはずだった。
なのに。
どうしてこんなにも、愛おしく、美しいと思ってしまうのだろう。
「タベ……タイ……」
無意識に、彼女の口から言葉が漏れた。
「いけません、セラフィナ様! 騙されては!」
上空に残っていた部下の天翼族たちが叫ぶ。
しかし、彼らもまた、槍を持つ手が下がっていた。
彼らも同じく、断食を強いられていたのだ。
この暴力的なまでの「肉の匂い」に抗える生物など、この世に存在しない。
「ユグ君、お皿を持ってきて!」
「うん!」
ユグ君が大きな平皿を持ってきた。
私はその中央に、ドスンとハンバーグを乗せた。
でも、これだけじゃ終わらない。
これは『ワンプレート』。
ハンバーグは、主役の一人に過ぎないのだ。
「イザベラさん、次はご飯と魚よ!」
「お任せくださいまし! 帝国の『ドラゴン・サーモン』、最高の状態で捌いてありますわ!」
イザベラさんが、美しいサーモンの切り身を掲げる。
そしてホルンが、炊きたての『エリクサー・ライス』と『ブラック・ライス』の入ったお櫃を持ってきた。
「まだまだ行くわよ! フルコースをひと皿に乗せるんだから!」
私たちの調理は、まだ始まったばかり。
肉の次は魚、そして米。
波状攻撃のように繰り出される美食の連撃に、天空の番人が陥落するのは時間の問題だった。
「くっ……おのれ……! ならば、調理が終わる前に……!」
セラフィナが理性を総動員して、最大の魔法詠唱に入ろうとする。
しかし、その体は震え、視線はどうしてもハンバーグの方へと吸い寄せられてしまうのだった。
食欲対理性。
最終決戦は、もはや「我慢比べ」の様相を呈していた。




