第3話 囚われのユグと、黄金のコーンポタージュ
「私の管理する世界樹に、下賤な餌を与えましたね?」
洞窟の入り口に降り立ったのは、背中に純白の翼を持つ美女――天空の番人、セラフィナだった。
彼女は透き通るような白銀の鎧を身に纏い、その手には氷のように冷たい光を放つ長槍が握られている。
美しくはあるが、その瞳には慈愛など欠片もなく、ただ冷徹な殺意だけが宿っていた。
「……セラフィナ!」
ユグ君が私の背中で怯えて縮こまる。
その震えは、寒さからではなく、彼女に対する根源的な恐怖からくるものだった。
「下がっていろ、エリス!」
レオンハルト様が瞬時に間合いを詰め、セラフィナと私たちの間に割って入る。
黄金の闘気を纏った聖剣と、セラフィナの光の槍が激突した。
ガギィィィンッ!!
衝撃波が洞窟内を駆け巡り、天井からパラパラと土砂が落ちてくる。
「ほう……。地上人にしては、少しはやるようですね」
セラフィナは表情一つ変えず、翼をはためかせて後方へ跳躍した。
彼女は宙に浮いたまま、蔑むような視線を私たちに向けた。
「なぜ、分からないのですか? 食事などという野蛮な行為が、世界を汚しているということを」
「汚している、だと?」
レオンハルト様が剣を構え直す。
「ああ、そうですとも。食料があるから、奪い合いが起きる。腹が減るから、他者を殺す。……ならば、最初から『食べない』という選択をすれば、世界から争いは消えるのです」
彼女は狂気じみた理論を、さも真理であるかのように語った。
「私はこの子に教えました。耐えなさい、と。お前が我慢すれば、世界は平和なのだと。……それなのに、貴様らは!」
彼女の視線が、ユグ君の口元に残る小籠包の油に向けられた瞬間、激情が爆発した。
「その口を汚したな! 神聖なる世界樹の化身に、脂と肉の味を覚えさせるとは! 万死に値する!」
「ふざけるなッ!」
私が叫ぶより早く、ヴォルグさんが巨大なフライパンを振り上げた。
「飯を食うのが野蛮だと? 笑わせるんじゃねぇ! 腹いっぱい食って笑い合う、それこそが平和だろうが!」
「下等生物の理屈など聞きません。……消えなさい」
セラフィナが槍を掲げると、先端に眩い光球が凝縮され始めた。
極大魔法だ。この狭い洞窟で放たれれば、私たちはひとたまりもない。
「させない!」
ホルンが飛び出した。
彼の手にある『黒い種籾』と、ユグ君の体が共鳴し、緑色の防壁が展開される。
「逃げて、エリス! 今のボクたちの力じゃ、あの人を止められない!」
「でも!」
「ユグ君を助けて! 元気にしてあげて! そうすれば、世界樹の力が戻って戦えるから!」
ホルンの必死の叫び。
レオンハルト様が私の方を振り返り、力強く頷いた。
「行け、エリス! ここは私とヴォルグで食い止める! 君はユグを連れて奥へ! そして……彼に『本物の食事』を与えてくれ!」
「……分かりました!」
私はユグ君の手を引き、イザベラさんと共に洞窟のさらに奥へと走った。
背後で、爆発音と金属音が響き渡る。
◇
洞窟の最奥部は、意外なほど静かだった。
ここは世界樹の根が複雑に絡み合い、小さなドーム状の空間を作っている。
地脈の魔力が微かに漏れ出しており、外よりも少しだけ暖かい。
「はぁ、はぁ……ここまで来れば、少しは時間が稼げるはずですわ」
イザベラさんがリュックを下ろし、周囲を警戒する。
ユグ君は地面にへたり込み、荒い息を吐いていた。
「ごめん、なさい……。ボクのせいで……」
「謝らないで、ユグ君。悪いのは君にご飯をあげなかったあの人よ」
私は彼の手を握った。
先ほど小籠包を一つ食べたとはいえ、長期間の飢餓状態にあった体は限界に近い。
顔色は青白く、指先は氷のように冷たい。
固形物を消化する体力すら、残っていないかもしれない。
「イザベラさん、準備をお願いします。……彼を救うには、消化に良くて、栄養が凝縮されていて、心まで温まるものが必要です」
「承知しましたわ。……スープですね?」
「ええ。とびきり甘くて、黄金色に輝くスープを」
私はリュックから食材を取り出した。
今回使うのは、王国の太陽をたっぷり浴びて育った『ゴールデン・コーン』だ。
聖教国での朝食にも使ったが、今回は粒の皮を取り除き、さらに滑らかに仕上げる。
まずは、鍋に『ムームー牛』のバターを溶かし、薄切りにしたタマネギを炒める。
焦がさないように、弱火でじっくりと。
タマネギの甘みを極限まで引き出すためだ。
「いい匂い……」
ユグ君が鼻をひくつかせた。
バターとタマネギの香りは、どんな種族にとっても「家庭の温もり」を連想させる魔法の香りだ。
タマネギが透き通ってきたら、コーンの実をたっぷりと投入する。
さらに炒め合わせ、全体に油が回ったら、聖教国の『聖水』で作ったブイヨンを注ぐ。
コトコト、コトコト。
煮込む間に、私は別のボウルで『エリクサー・ライス』を粉末状にしたものを用意した。
これを水で溶き、とろみ付けと栄養強化のために加える。
小麦粉よりも消化に良く、ダイレクトに生命力を補給できるからだ。
「イザベラさん、濾し器を!」
「はい!」
煮込んだスープを、丁寧に裏ごしする。
コーンの皮や繊維を取り除き、旨味の詰まったエキスだけを抽出する。
そこへ、『ムームー牛』の特濃ミルクと生クリームを加え、再び火にかける。
ゆっくりと混ぜながら温める。
鮮やかな黄色い液体が、とろりと重みを増していく。
仕上げに塩をひとつまみ。これでコーンの甘みが爆発的に引き立つ。
「完成よ。……『特製・黄金のコーンポタージュ』」
カップに注ぐと、湯気と共に甘く濃厚な香りが洞窟内に満ちた。
仕上げに、乾燥パセリとクルトンを浮かべる。
「さあ、ユグ君。飲んでみて」
私はカップを彼の両手に持たせた。
温かい。
その熱が、冷え切った彼の手のひらから全身へと伝わっていく。
「……きいろい。お日様みたい」
ユグ君は震える手でカップを口元へ運んだ。
ふう、ふう、と息を吹きかけ、一口啜る。
「……ん」
彼の動きが止まった。
口いっぱいに広がる、コーンの圧倒的な甘み。
砂糖なんて入れていないのに、果物のように甘い。
バターとミルクのコクが舌を包み込み、温かい液体が喉を滑り落ちていく。
エリクサー・ライスの粉末が、胃袋に届いた瞬間、温かな魔力となって全身に染み渡る。
「……おいしい……」
ユグ君の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
カップの中に涙が落ちて、波紋を作る。
「あったかい……。こんなに、あったかいんだ……」
「そうよ。これが、ご飯の温かさよ」
私は彼の背中をさすった。
彼は夢中でカップを傾け、最後の一滴まで飲み干した。
そして、名残惜しそうに唇を舐め、私を見上げた。
「……エリスさん。ボク、もっと生きたい。もっと……食べたい」
「ええ! もちろんですわ!」
イザベラさんが鍋に残っていたおかわりを差し出す。
ユグ君は二杯、三杯と飲み干した。
飲むたびに、彼の肌の蒼白さが消え、健康的な緑色の光が戻ってくる。
そして。
ゴゴゴゴゴ……。
洞窟全体が、いや、この浮遊島全体が震動し始めた。
天井から垂れ下がっていた枯れた根っこに、脈打つような光が走り、みるみるうちに瑞々しい緑色へと変わっていく。
「世界樹が……回復している!?」
イザベラさんが驚きの声を上げる。
ユグ君の回復が、そのまま世界樹の回復へと直結しているのだ。
「これなら……いけるわ!」
その時、洞窟の入り口から、二つの人影が転がり込んできた。
レオンハルト様とヴォルグさんだ。
二人とも肩で息をしており、鎧や服には焦げ跡がついている。
「はぁ、はぁ……。待たせたな、エリス!」
「しっかし強ぇな、あの鳥女! 空を飛ばれると手が出せねぇ!」
「二人とも! 無事ですか!?」
「ああ。なんとか足止めはできたが……長くは持たんぞ」
レオンハルト様が振り返る。
その視線の先、暗闇の中から、純白の翼を広げたセラフィナが、ゆらりと姿を現した。
彼女は無傷だった。
その表情は、先ほどまでの冷徹さに加え、焦燥と怒りが混じったものになっていた。
「……信じられない」
セラフィナは、緑色を取り戻しつつある世界樹の根を凝視していた。
「たかがスープ一杯で……これほどの魔力が戻ると言うのですか? 私の管理下では、百年かけても成し得なかった回復が……」
彼女はユグ君を睨みつけた。
ユグ君はビクリと震えたが、私の後ろに隠れることはしなかった。
彼はしっかりと自分の足で立ち、セラフィナを見返したのだ。
口元にコーンスープの黄色いヒゲをつけたままで。
「セラフィナ。……ボク、分かったよ」
ユグ君の幼い声が、洞窟に響く。
「ボクが欲しかったのは、『我慢』じゃなかった。『栄養』だったんだ。……エリスさんのご飯は、ボクに生きる力をくれたよ」
「黙りなさい!」
セラフィナが叫んだ。
その美しい顔が、嫉妬と否定で歪む。
「それは偽りの力です! 快楽に溺れ、堕落した証拠です! 世界樹がそのような不浄な力で満たされれば、世界は欲望にまみれて滅びます!」
彼女は槍を高く掲げた。
天井の岩盤をも貫くほどの、強大な魔力が収束していく。
「もういいでしょう。……病巣は、根元から断ち切るしかありません。この洞窟ごと、貴様らを消滅させます」
「やらせるかッ!」
レオンハルト様とヴォルグさんが構える。
しかし、相手は空中にいる上、魔力の桁が違う。
このままでは、全滅だ。
「……いいえ、勝負はこれからです」
私は一歩前に出た。
私の手には、まだ温かいスープの鍋が握られている。
「セラフィナさん。貴女、本当はお腹が空いているんでしょう?」
「……は?」
私の突拍子もない言葉に、セラフィナの動きが止まった。
「貴女のそのイライラ、その極端な潔癖症。……全部、カルシウムと糖分不足ですよ」
「な、何を……無礼な!」
「貴女も、ユグ君と一緒に断食していたんですね? 世界樹の管理者として、自分だけ食べるわけにはいかないと」
彼女の頬が少しこけていること、そして肌にツヤがないこと。
料理人の目は誤魔化せない。
彼女もまた、自らの信念に縛られた被害者なのだ。
「図星みたいですね」
私は鍋から、カップ一杯のスープをよそった。
「戦う前に、これを飲んでみなさい。……話はそれからです」
「毒が入っているかもしれませんのに?」
「毒なんて入れません。料理人のプライドにかけて」
私はカップを掲げた。
黄金色の液体から漂う、甘く優しい香り。
それがセラフィナの鼻腔に届いた瞬間、彼女の喉が、意思に反してゴクリと鳴った。
「……くっ」
彼女は槍を下ろさなかったが、攻撃を放つこともできなかった。
本能が、目の前の液体を求めて悲鳴を上げている。
「飲みません。……そのような誘惑には屈しません!」
彼女は強く首を振り、再び殺意を高めた。
「交渉決裂ですね。……なら、力ずくでも食べさせるしかありません」
私はレオンハルト様たちに目配せをした。
スープ一杯では、彼女の頑なな心は溶かせない。
もっと強烈な、もっと圧倒的な「食事の力」が必要だ。
「みんな、総力戦よ!」
私は宣言した。
「この島にある食材、そして私たちが持ってきた全ての食材を使って……『世界を救う究極のワンプレート』を作るわ!」
「おう! 望むところだ!」
「調理戦闘、開始ですね!」
ヴォルグさんが鍋を構え、イザベラさんがナイフを抜く。
レオンハルト様が剣に炎を纏わせる。
「セラフィナ! 我々の料理が完成するまで、そこで指をくわえて見ているがいい! ……それとも、匂いだけでお腹いっぱいにしてやろうか!」
「生意気な……! 後悔させてあげましょう!」
セラフィナが翼を羽ばたかせ、無数の光弾を放つ。
しかし、私たちはもう引かない。
ユグ君という守るべき希望と、コーンポタージュという確かな実績があるからだ。
最終決戦。
それは剣と魔法の戦いであると同時に、史上最大の調理バトルでもあった。
世界樹の根元で、フライパンの音が高らかに鳴り響く!




