第2話 沈黙の天空島と、岩陰の焼き小籠包
「不浄な者たちよ! 神域から立ち去れ!」
頭上から降り注ぐ怒号と共に、鋭利な光の矢が雨のように襲いかかってきた。
私たち『天空遠征号』が着陸した浮遊島の大地は、一瞬にして戦場と化した。
「くっ、上空からの攻撃か! 分が悪いぞ!」
レオンハルト様が剣を抜き、飛来する矢を払い落とす。
彼の視線の先には、背中に純白の翼を持つ『天翼族』の騎士たちが、数十人も空を舞っていた。
彼らは地上に降りてこようとせず、安全圏から一方的に魔法や槍を投擲してくる。
「卑怯だぞ、鳥野郎ども! 降りてきて正々堂々とやり合え!」
ヴォルグさんが愛用のミスリル製巨大フライパンを盾にして叫ぶ。
カンッ! キンッ!
硬質な音が響き、魔法弾がフライパンに弾かれて四散する。さすがは元宮廷料理長の調理器具、防御力も一級品だ。
「ヴォルグさん、挑発しても無駄です! 彼らは私たちを『汚れ』だと思っているんですから!」
私はフライパンの影に隠れながら、状況を分析した。
敵は空を飛べる。こちらは地上戦のみ。
この開けた場所で戦い続けるのは不利だ。
「レオン! 一旦退きましょう! あそこの岩場なら、空からの射線を切れます!」
私が指差したのは、枯れ果てた世界樹の根が複雑に隆起し、天然のドーム状になっている岩場だった。
「良かろう! 総員、撤退だ! 船は防御結界を張って放置する! 私について来い!」
レオンハルト様の号令で、私たちは船を飛び出した。
イザベラさんが食材の入ったリュックを抱え、ホルンが私の手を引く。
「逃がすな! 串刺しにせよ!」
天翼族たちが追撃してくる。
しかし、レオンハルト様が殿を務め、剣を一閃させた。
「『空裂』!」
風の刃が上空へ巻き上がり、敵の編隊を崩す。
その隙に、私たちは岩場の裂け目へと滑り込んだ。
◇
「はぁ、はぁ……ここまで来れば、大丈夫でしょうか」
岩陰の洞窟。
外の喧騒が遠のき、静寂が戻ってきた。
薄暗い洞窟内はひんやりとしており、足元には枯れた植物の残骸が散らばっている。
「とりあえずはな。だが、包囲されていることに変わりはない」
レオンハルト様が入り口を見張りながら、険しい顔で言った。
「それにしても……酷い有様だ」
彼が見上げた先、岩の隙間から見える空は、灰色に濁っていた。
かつては緑豊かだったはずの『天空の島』。
しかし今、目の前に広がるのは、ひび割れた大地と、白骨のように干からびた世界樹の根だけだ。
生命の息吹が感じられない。
「……お母さんが、泣いてる」
ホルンが、洞窟の壁に露出した木の根に触れて呟いた。
彼の手にある『黒い種籾』は、弱々しく明滅している。
「お腹が空いて、力がなくて……もう、声を出す元気もないって」
「なんてこと……」
イザベラさんが口元を押さえる。
世界樹が枯れれば、地上の食材も育たなくなる。
私たちが普段当たり前のように料理している野菜も、肉も、すべてはこの木から分け与えられた魔力のおかげだったのだ。
「……腹が減ったな」
重苦しい空気を破ったのは、ヴォルグさんのお腹の音だった。
緊張の糸が少しだけ緩む。
「そうですね。戦うにも、逃げるにも、まずはエネルギー補給が必要です」
私はリュックを下ろし、携帯用の魔導コンロを取り出した。
こんな状況でも、料理人は火を絶やさない。
「匂いが漏れると敵に見つかるんじゃねぇか?」
「大丈夫です。この洞窟の奥へ気流が流れていますから。それに……」
私はニヤリと笑った。
「敵の将軍、セラフィナでしたっけ? 彼女は『食事は穢れ』だと言っていました。なら、美味しい匂いを嗅がせて動揺させるのも、立派な作戦です」
「ははっ、さすがはエリスだ。頼もしいな」
レオンハルト様が笑い、剣を鞘に納めた。
「よし、作戦名は『岩陰のランチタイム』だ。……メニューは何だ?」
「簡単に食べられて、肉汁たっぷりの元気が出るやつです」
私は食材を取り出した。
前回の旅で持ち帰った魔族領の特産品、『フロスト・ボア』の挽肉。
そして、王国の『ロイヤル・ウィート』の小麦粉。
「『特製・焼き小籠包』を作ります!」
◇
まずは皮作り。
小麦粉にぬるま湯と少量のラードを加え、滑らかになるまで練り上げる。
イザベラさんが手際よく生地をこね、棒状に伸ばして切り分けていく。
「具材はこちらです!」
ボウルに挽肉を入れ、刻んだ『ダンジョン・ネギ』と『ショウガ』、そして味の決め手となる『ゼラチンスープ』を混ぜる。
このゼラチンは、豚骨と鶏ガラをじっくり煮込んで冷やし固めた煮凝りだ。
熱を加えると溶け出し、溢れんばかりのスープになる。
「包みますよ!」
小さな皮に肉ダネを乗せ、親指と人差し指でヒダを作りながら包んでいく。
キュッ、キュッ。
可愛い巾着のような形が出来上がる。
フライパンに油を引き、小籠包を隙間なく並べる。
ジュウウウゥッ……。
底面に焼き色がついたら、水を回し入れて蓋をする。
蒸し焼きだ。
狭い洞窟の中に、小麦の焼ける香ばしい匂いと、肉の蒸される甘い香りが充満し始める。
それは、殺伐とした戦場の空気を、温かい食卓の色へと塗り替えていく。
「……いい匂いだ」
レオンハルト様が鼻をひくつかせた。
ホルンも、種籾を握りしめたまま、じっとフライパンを見つめている。
「仕上げです! 最後にごま油を垂らして……カリッとさせます!」
パチパチパチッ!
水気が飛び、軽快な音が響く。
蓋を開けると、ふっくらと膨らんだ白い小籠包たちが、湯気の中で輝いていた。
底はきつね色のカリカリ、上はモチモチの蒸し上がり。
最後に『青ネギ』と『白ごま』を散らして完成だ。
「熱いうちにどうぞ! 『肉汁飛び出し注意・焼き小籠包』です!」
「いただきまーす!」
ホルンが一番に手を伸ばした。
フーフーと息を吹きかけ、小さな口で端っこをかじる。
カリッ。
「あつっ! ……ん~~~~っ!」
ホルンが目を丸くした。
かじった瞬間、中から熱々の黄金色のスープが溢れ出し、口の中いっぱいに広がったのだ。
フロスト・ボアの濃厚な脂の甘みと、ショウガの爽やかな風味。
カリカリの皮の香ばしさと、モチモチ部分の食感のコントラスト。
「おいしい! スープがいっぱい入ってる!」
「どれ、俺も……」
ヴォルグさんが一口で放り込む。
「ハフッ! ホフッ! ……ぐぅぅ、たまらねぇ!」
口の中でスープ爆弾が破裂する。
肉の旨味が凝縮された汁が、喉を焼き、胃袋へと落ちていく。
冷え切った体が、内側からカッと熱くなる感覚。
「これは……戦闘糧食としては贅沢すぎるな」
レオンハルト様も、上品に、しかし熱さに顔をしかめながら食べている。
「皮が美味い。肉汁を吸った皮だけで、酒が飲めそうだ」
「レオン、お仕事中ですよ?」
「分かっている。……だが、君の料理を食べると、戦いの緊張が解けていくようだ」
彼は優しい目で私を見た。
その言葉が、何よりの褒め言葉だ。
「師匠、この『ヘル・ペッパーラー油』をつけると、さらに食欲が増しますわ!」
イザベラさんが、魔族領から持ち帰った激辛調味料をつけて食べている。
ピリッとした辛味が、肉の脂っこさを引き締め、何個でも食べられそうだ。
私たちはお腹いっぱい食べた。
不安も、恐怖も、美味しいものを食べている間だけは忘れられる。
それが「食事」の魔法だ。
◇
「ごちそうさまでした」
完食し、片付けを終えた頃。
ホルンが、洞窟のさらに奥――暗闇が続く方向を指差した。
「……ねえ、エリス。こっち」
「こっち?」
「うん。この奥から……誰かの声がするの」
ホルンは立ち上がり、吸い寄せられるように歩き出した。
種籾の光が、洞窟の奥を照らしている。
「待って、ホルン! 一人じゃ危ないわ!」
私たちは慌てて後を追った。
洞窟は奥へ行くほど狭く、そして奇妙なことに、少しずつ「温かく」なっていた。
まるで、生き物の体内に潜り込んでいくような感覚。
やがて、行き止まりかと思われた岩壁の隙間から、微かな緑色の光が漏れているのを見つけた。
「……ここだ」
ホルンが隙間をくぐり抜ける。
私たちも後に続いた。
そこは、小さな空洞だった。
天井からは世界樹の根が垂れ下がり、天然の檻のように何かを囲んでいる。
そして、その檻の中に――。
「……誰?」
一人の少年が、膝を抱えて座っていた。
緑色の髪に、透き通るような肌。
年齢はホルンと同じくらいだろうか。
しかし、その体は枯れ木のように痩せ細り、身に纏っている貫頭衣はボロボロだった。
少年は、私たちが侵入してきたことに気づき、怯えたように身を縮こまらせた。
「ひっ……だ、誰……?」
「ボクたちは怪しいものじゃないよ!」
ホルンが駆け寄る。
少年はホルンの手にある『黒い種籾』を見て、目を見開いた。
「それ……ボクの、かけら……?」
「かけら?」
私は少年の前に跪いた。
近くで見ると、彼の肌には葉脈のような緑色の血管が浮き出ており、微弱な魔力が放出されているのが分かった。
ただの子供じゃない。
「ねえ、君の名前は?」
私が優しく尋ねると、少年は震える唇で答えた。
「……ユグ」
「ユグ君ね。こんな所で何をしているの?」
「……閉じ込められてるの」
ユグ君は、天井の根を見上げた。
「セラフィナが……『お前は穢れているから、ここから出るな』って。……『世界のために、何も食べるな』って」
「食べるな?」
「うん……。ボクが食べると、世界が汚れちゃうんだって。だから……ボク、ずっと我慢してるの」
彼のお腹から、小さく、しかしはっきりとした「グゥ~」という音が聞こえた。
彼は恥ずかしそうにお腹を押さえた。
「でも……お腹すいたよぉ……。何か、食べたいよぉ……」
その涙ながらの訴えに、私は全てを悟った。
この子は、ただの子供じゃない。
『世界樹の化身』だ。
世界樹が枯れているのは、病気でも寿命でもない。
この子が、無理やり断食させられているからだ。
「……許せない」
レオンハルト様が低い声で唸った。
子供を閉じ込め、飢えさせ、それを「世界のため」だと言うなんて。
セラフィナという番人の正義は、あまりにも歪んでいる。
「ユグ君」
私はリュックから、先ほど作った『焼き小籠包』の残りを一つ取り出した。
まだほんのり温かい。
「これ、食べてみて」
「えっ……? でも、ボクが食べたら……」
「大丈夫。これは『穢れ』なんかじゃないわ。……世界で一番、元気が湧いてくる魔法の玉よ」
私は彼の手のひらに小籠包を乗せた。
ユグ君は、恐る恐るそれを持ち上げた。
香ばしい匂いが、彼の鼻腔をくすぐる。
本能が、理性を凌駕する。
彼は、小さな口でそれを齧った。
「……!」
肉汁が溢れる。
彼の痩せ細った体に、温かいスープが染み渡っていく。
「……おい、しい……」
ポロポロと涙を流しながら、彼は言った。
「おいしい……っ! あたたかい……っ!」
その瞬間。
洞窟を囲んでいた枯れた根っこが、脈打つように震え、ほんの少しだけ緑色を取り戻した。
世界樹が、喜んでいるのだ。
「やっぱり……!」
私は確信した。
世界を救う方法は、難しい儀式でも、敵を倒すことでもない。
この子に、お腹いっぱい美味しいご飯を食べさせることだ。
「見つけたわ。私たちのラストミッション」
私はレオンハルト様とヴォルグさん、イザベラさんを見回した。
「この子を守り抜いて、最高のフルコースを食べさせましょう!」
「ああ、合点承知だ!」
しかし、その決意をあざ笑うかのように。
洞窟の入り口から、冷徹な声が響いた。
「――見つけましたよ、不浄なネズミたち」
純白の翼を広げた女性――天空の番人、セラフィナが、氷のような眼差しで私たちを見下ろしていた。
「私の管理する世界樹に、下賤な餌を与えましたね? ……その罪、万死に値します」
最終決戦の幕が上がる。
食を否定する管理者と、食を愛する料理人たちの戦いが、今ここで始まる!




