第1話 空飛ぶ厨房、発進!
王都の広場は、かつてない熱気に包まれていた。
空を見上げる人々の視線の先には、巨大な影が鎮座している。
それは、ガレリア帝国から極秘裏に移送されてきた、最新鋭の魔導飛空艇だった。
ただし、通常の軍艦とは決定的に違う点が一つある。
甲板の上に、大砲ではなく、銀色に輝く巨大な煙突と換気扇が備え付けられているのだ。
「すげぇ……。本当に空を飛ぶのか?」
「厨房がそのまま空に浮いてるみたいだぞ」
見物人たちがどよめく中、私はその船――『天空遠征号』のタラップの下で、最終点検を行っていた。
「食材の積み込み、完了しました! 保冷庫の魔力充填も万全です!」
報告に来たのは、元宮廷料理人であり、私の弟子でもあるイザベラさんだ。
彼女はいつもの純白のコックコートに身を包み、気合十分といった表情で敬礼した。
「ありがとう、イザベラさん。お店の方は大丈夫?」
「ええ。常連の皆様には『ちょっと世界を救うご飯を作ってきます』と貼り紙をしておきましたから。……それに、今回は私もご一緒させていただきますわ。師匠の晴れ舞台、見逃すわけにはいきませんもの」
彼女の力強い言葉に、私は胸が熱くなった。
今回の旅は、私の店『騎士の休息』の総力戦だ。
私、レオンハルト様、ヴォルグさん、ホルン、そしてイザベラさん。
全員で、雲の上にある『天空の島』へ向かうのだ。
「エリス、魔導エンジンの調整が終わったぞ」
船から降りてきたのは、レオンハルト様だった。
彼は今日、騎士団の礼服ではなく、動きやすい特注の戦闘服(エプロン着用可)を身に着けている。
「帝国のヴァレリウス殿下から贈られたこの船、素晴らしい性能だ。魔界のゼストから届いた『高純度魔力結晶』を燃料にすれば、一気に成層圏まで到達できる」
「ヴァレリウス殿下と、ゼスト様……」
かつて料理を通じて競い合い、そして絆を結んだ各国の要人たち。
彼らが、私たちのために最高の翼と燃料を用意してくれたのだ。
「へっ、聖教国からも大量の『聖水』と『祈りの野菜』が届いてるぜ。ルミアの嬢ちゃんからの差し入れだ」
ヴォルグさんが木箱を抱えて現れた。
中には、瑞々しい野菜や果物がぎっしりと詰まっている。
王国、帝国、聖教国、そして魔族領。
世界中の食材と想いが、今、この船に集結している。
その目的はただ一つ。
枯れかけている『世界樹』にお腹いっぱいご飯を食べさせ、世界を救うこと。
「……エリス」
私の足元で、ホルンが服の裾を引いた。
彼の手には、以前よりも光が弱くなった『黒い種籾』が握られている。
「聞こえるよ。……世界樹のお母さんが、『早く来て』って言ってる。もう、限界かもしれない」
ホルンの表情は切迫していた。
世界各地でマナの減少による影響が出始めている。
空の色は薄く霞み、作物の育ちも悪くなっているという。
一刻の猶予もない。
「行きましょう。……最後のランチ営業の準備はいい?」
私が全員に問いかけると、頼もしい返事が返ってきた。
「おう!」
「はい!」
「任せてくれ!」
私たちはタラップを駆け上がり、空飛ぶレストランへと乗り込んだ。
◇
『天空遠征号』のメインデッキ。
そこは、私の店『騎士の休息』の厨房をそのまま拡大したような、広くて機能的な調理場になっていた。
最新式の魔導コンロが並び、壁にはあらゆる種類の調理器具が掛けられている。
「すげぇな。ここなら何百人前の料理だって作れるぞ」
ヴォルグさんが真新しい中華鍋を振って感触を確かめている。
ゴゴゴゴゴ……。
船体に微動が走った。
いよいよ離陸だ。
窓の外、見送りに来てくれた王都の人々が小さくなっていく。
「いってらっしゃーい!」
「美味しいもの作ってこいよー!」
「俺たちの分も頼んだぞー!」
ガンスさんや、騎士団の部下たち、街の人々の声援が風に乗って聞こえてくる。
私は窓から身を乗り出し、大きく手を振り返った。
「行ってきます! 必ず、美味しいお土産を持って帰りますから!」
船はふわりと浮き上がり、次の瞬間、爆発的な加速で空へと舞い上がった。
雲を突き抜け、青空へ。
そしてさらにその上、伝説の『天空の島』を目指して。
◇
高度が安定した頃。
私たちはデッキの中央にあるテーブルを囲んでいた。
これから始まる過酷な戦い(調理)の前に、腹ごしらえをしておくためだ。
「今回の旅の安全と、世界樹の復活を祈願して……」
私がテーブルに置いたのは、直径が三十センチはあろうかという巨大な円盤状のパンだった。
王国の名産『ロイヤル・ウィート』を使った特大のカンパーニュを横半分に切り、その間に世界中から集まった食材をぎっしりと挟み込んだ、超巨大サンドイッチだ。
「名付けて、『世界を結ぶ・大陸スペシャルサンド』です!」
「おおっ! こいつは豪快だな!」
ヴォルグさんがナイフを入れ、人数分に切り分ける。
断面は美しい層を描いていた。
一番下には、魔族領から持ち帰った『フロスト・ボア』のローストポーク。
低温でじっくり火を通し、肉汁を閉じ込めたピンク色の肉厚な層だ。
その上には、帝国特産の『ゴールデン・マスタード』をたっぷりと塗ったチーズ。
さらに、聖教国の『ブレッシング・レタス(祝福レタス)』と『サン・トマト』が鮮やかな緑と赤を添える。
そして一番上には、王国の『ハニー・オニオン』を飴色になるまで炒めたソース。
「さあ、召し上がれ!」
「いただきます!」
全員が大きなサンドイッチを両手で持ち、豪快にかぶりつく。
ガブリッ!
「……んんッ!」
最初に声を上げたのは、レオンハルト様だった。
「美味い……! このボア肉、以前よりも柔らかくなっているな。噛むたびに脂の甘みが溢れてくる」
「マスタードの酸味が絶妙ですわ! 脂っこさを中和して、次の一口を誘います!」
イザベラさんも目を輝かせている。
シャキシャキとしたレタスの食感と、トマトの酸味。
それらを包み込むパンの香ばしさ。
異なる国、異なる環境で育った食材たちが、口の中で手を取り合い、一つのハーモニーを奏でている。
「色んな味がするけど、喧嘩してないよ! みんな仲良しだ!」
ホルンが口の周りにソースをつけながら笑う。
その笑顔を見て、私は確信した。
「ええ。別々の場所で生まれた食材も、こうやってパンに挟めば一つになれるんです。……人間も、魔族も、神様だって、きっと同じはずです」
「違いないな」
ヴォルグさんがビール(ノンアルコール)を飲み干し、豪快に笑った。
「俺たちがこれから行く場所には、『食事は争いの種だ』なんて言う石頭の番人がいるらしいが……こいつを食わせてやれば一発で黙るだろ」
そう。
今回の敵は、天空の島で世界樹を管理する『天翼族』の長、セラフィナ。
彼女は地上の生物を見下し、世界樹への栄養(魔力)供給を止めてしまった張本人だ。
彼女を説得し、世界樹にご飯を届けるのが私たちのミッションだ。
「待っていろ、セラフィナ。……私の愛する人の料理がどれほど素晴らしいか、その身に刻んでやる」
レオンハルト様がサンドイッチを握りしめ、空の彼方を睨みつける。
その横顔は、完全に「戦闘モード」に入っていた。
「……見えてきたぞ!」
操舵席にいた操縦士(帝国の技術者)が声を上げた。
雲海の切れ間から、巨大な浮遊島が姿を現したのだ。
その島の中央には、天を衝くほどの巨木がそびえ立っていた。
しかし、その枝は白く干からび、葉は茶色く変色して落ちかけている。
遠目に見ても、その木が瀕死の状態であることは明らかだった。
「あれが……世界樹……」
ホルンが息を呑む。
種籾が激しく明滅し、悲鳴のような波動を放つ。
「着陸態勢に入る! 全員、衝撃に備えろ!」
船が高度を下げる。
枯れ果てた大地。灰色の岩肌。
かつては緑豊かだったであろう神の庭は、今や死の世界のように静まり返っていた。
ドォォォォン……!
船が着陸した瞬間。
周囲の岩陰から、無数の白い影が飛び出してきた。
「地上人め! 神域に何用だ!」
背中に純白の翼を生やした騎士たち――『天翼族』の戦士たちが、槍を構えて船を取り囲んだ。
彼らの目は冷たく、私たちを「汚物」を見るような目で見下ろしている。
「出迎えご苦労」
レオンハルト様がタラップを降り、先頭に立つ。
その後ろに、フライパンを構えたヴォルグさんと、魔導コンロを背負った私が続く。
「我々は料理人だ。……腹を空かせた木に、飯を届けに来た」
私の宣言に、天翼族たちがざわめく。
「飯だと? 下等生物の分際で!」
「不浄なものを持ち込むな! 排除せよ!」
一斉に襲いかかってくる空の戦士たち。
最終章の幕開けは、やはり問答無用のバトルから始まった。
「調理開始よ! みんな、準備はいい!?」
私はエプロンの紐をキリリと締め直した。
フライパンと剣が交差する、史上最大のランチタイムが、今始まる!




