第10話 世界樹の枯渇
魔族領からの長い帰路。
私たちは国境の『嘆きの壁』を越え、懐かしい王国の領土へと戻ってきた。
「……空気が、違うな」
手綱を握るレオンハルト様が、空を見上げて呟いた。
魔界の鉛色の空とは違い、王国の空は青い。
けれど、その青さはどこか頼りなく、薄い膜がかかったように霞んで見えた。
「ねえ、レオン。……あそこ」
私は遠くの空を指差した。
王国の遥か南、世界の中心にそびえ立つ巨木――『世界樹』。
雲を突き抜けるほどの高さを誇り、世界中に魔力を供給している生命の源だ。
いつもなら、その枝葉はエメラルドグリーンに輝き、生命力に溢れているはずなのに。
「……色が、茶色い?」
遠目にも分かるほど、世界樹の葉が変色していた。
時折、風に乗って巨大な枯れ葉が舞い散ってくるのが見える。
「ホルンの言っていた通りだわ。世界樹が弱ってる」
「ああ。……ただ事ではないな」
レオンハルト様の表情が引き締まる。
荷台で眠っていたホルンが、不安そうに身じろぎをした。
彼の手には、まだあの『黒い種籾』が握られている。
◇
数日後。
私たちは王都へと到着した。
久しぶりに見る『騎士の休息』の看板。
店の前には、開店を待つ行列ができていた。
「ただいまー!」
ホルンが馬車から飛び降り、店の扉を開ける。
「ああっ! 師匠! 皆様!」
エプロン姿のイザベラさんが、厨房から飛び出してきた。
彼女は少しやつれていたが、その瞳には強い光が宿っていた。
「おかえりなさいませ! ご無事で何よりですわ!」
「ただいま、イザベラさん。お店、大変だったでしょう?」
「ええ、もう! お客様がひっきりなしで……でも、ヴォルグ料理長のレシピと、師匠の教えを守って、なんとか回しましたわ!」
彼女は誇らしげに胸を張った。
店内を見渡すと、掃除が行き届き、客席には花が飾られている。
かつて「氷の料理姫」と呼ばれた彼女が、今ではこんなに温かい店を守ってくれている。
「ありがとう。……最高のお土産を持ってきたわよ」
私はヴォルグさんと共に、荷台から木箱を運び込んだ。
「魔界からの直輸入だ! 腰を抜かすなよ?」
木箱を開けると、そこには黒曜石のように輝く『ブラック・ライス』と、真っ赤な『ヘル・ペッパー』、そしてカチカチに凍った『フロスト・ボア』のブロック肉が詰まっていた。
「こ、これは……黒いお米? それにこのお肉、すごい冷気ですわね」
「魔界のスタミナ食材よ。これで、みんなを元気にする新メニューを作るわ」
◇
その日の夜。
『騎士の休息』は、帰還祝いと新メニューのお披露目会で貸切となっていた。
集まったのは、常連の騎士たちや、近所の人々。
「さあ、魔界の味をご賞味あれ!」
私が厨房から運んだのは、丼からはみ出るほど肉が乗った豪快な料理だ。
『フロスト・ボア』のバラ肉を厚切りにし、『ヘル・ペッパー』とニンニクを効かせた特製ダレで香ばしく焼き上げる。
それを、炊きたての『ブラック・ライス』の上に山盛りにし、仕上げに半熟卵と『ダンジョン・ネギ』をトッピング。
「『魔界直輸入! 激辛・厚切りボア焼肉丼』です!」
ドンッ、と置かれた丼から、食欲を刺激するスパイシーな香りが立ち上る。
黒いご飯と、テラテラと輝く肉のコントラストが強烈だ。
「黒い米だと……? 毒じゃねぇよな?」
「でも、匂いは最高に美味そうだぞ!」
騎士の一人が、恐る恐る肉と黒いご飯を口に運んだ。
ガブリ。
「……ッ!!」
彼の目がカッ!と見開かれた。
『ヘル・ペッパー』の突き抜けるような辛さが舌を走り、その直後にボア肉の甘い脂がジュワリと溢れ出す。
そして、『ブラック・ライス』だ。
モチモチとした食感と、噛むほどに広がる穀物の力強い甘みが、辛味と脂を受け止める。
「う、うめぇぇぇぇ!!」
彼は叫んだ。
「なんだこれ! 体が内側から燃えるようだ!」
「黒い米、白米より味が濃いぞ! 肉との相性が抜群だ!」
「おかわり! 大盛りで!」
店内は一瞬にして熱狂の渦に包まれた。
汗をかきながら丼を掻き込む人々。
その顔色は良く、目には活力が漲っている。
魔王ゼスト様を救った「命の味」は、王国の人々にも受け入れられたのだ。
「ふふ、大成功ですね」
私は厨房からその光景を眺め、ホッと息をついた。
隣で手伝ってくれていたイザベラさんも、つまみ食いをして目を輝かせている。
「師匠、この『ヘル・ペッパー』……中毒性がありますわね。ピリピリするのに、止まりませんわ」
「でしょう? 使いすぎには注意ですけどね」
幸せな喧騒。
しかし、その空気は、一人の来訪者によって破られた。
カランカラン……。
ドアが開く音が、どこか弱々しく響いた。
「……エリスさん。お久しぶりです」
入ってきたのは、フードを目深に被った女性だった。
彼女がフードを取ると、そこには見覚えのある金色の髪と、アメジストの瞳があった。
「ルミアさん!?」
聖教国の聖女、ルミアさんだ。
しかし、彼女の顔色は以前会った時よりも悪く、立っているのがやっとという様子だった。
「どうしたんですか、その顔色は! また断食を……?」
「いいえ、違うんです。……食べてはいるのですが、力が……」
彼女はフラリと倒れそうになり、レオンハルト様が慌てて支えた。
「ルミア様! しっかりしてください!」
「……ごめんなさい。魔力が、うまく回復しなくて……」
私は急いでルミアさんを椅子に座らせ、水を持ってきた。
彼女は水を一口飲むと、苦しげに息を吐いた。
「エリスさん、気づいていますか? ……空気が、薄くなっていることを」
「空気?」
「正確には、大気中の『マナ(魔素)』です。……世界樹が枯れ始めている影響で、世界中の魔力が減少しているんです」
ルミアさんは聖女として魔力に敏感だ。
だからこそ、真っ先に影響を受けてしまったのだろう。
「やはり、世界樹か……」
レオンハルト様が険しい顔で腕を組む。
その時、カウンターの隅で黒いご飯を食べていたホルンが、静かに口を開いた。
「……うん。世界樹のお母さんが、お腹を空かせて泣いてる」
ホルンは懐から『黒い種籾』を取り出した。
それは以前よりも弱々しく、しかし必死に明滅を繰り返している。
「この種もね、言ってるんだ。『根っこに帰りたい』って」
「根っこ?」
「うん。世界樹の根っこ。……そこに、全ての始まりがあるんだって」
ホルンの言葉に、店内の空気が凍りついた。
世界樹の根元。
それは、遥か上空――雲海の上に浮かぶ『天空の島』にあると言われている聖域だ。
神話の時代、神々が食事をした場所とも伝えられている。
「まさか……世界樹が枯れている原因は、栄養不足なのか?」
ヴォルグさんが顎を撫でる。
「植物なんだから、水と太陽がありゃ育つもんじゃねぇのか?」
「普通ならそうです。でも、世界樹はこの世界の魔力の源……。もしかしたら、私たちが想像もしない『特別な栄養』が必要なのかもしれません」
私はルミアさんの顔を見た。
彼女は聖女として、人々の祈りを魔力に変えて世界樹に送る役目を担っていた。
でも、今の彼女にはその力がない。
「……私が、行きます」
ルミアさんが決意を秘めた目で言った。
「天空の島へ行って、直接祈りを捧げます。そうすれば、あるいは……」
「ダメです! そんな体で!」
私が止めるより早く、ホルンが首を横に振った。
「祈りじゃダメだよ。……お腹が空いてる時は、ご飯を食べなきゃ」
ホルンは真っ直ぐに私を見た。
「エリス。……世界樹のお母さんに、美味しいご飯を作ってあげて」
「えっ? 私が、世界樹に?」
「うん。ボクの種が言ってる。エリスの料理なら、きっと元気になるって。……魔王様も、聖騎士のおじちゃんも、みんなエリスのご飯で元気になったもん」
突拍子もない提案だ。
相手は人間でも魔族でもない、巨大な植物だ。
口があるわけでも、胃袋があるわけでもない。
どうやって「食べさせる」というのか。
でも。
(お腹が空いているなら……)
私の料理人としての魂が、静かに、しかし熱く燃え上がった。
相手が誰であろうと、何であろうと。
空腹を訴える存在を放っておくなんて、私の流儀に反する。
「……分かったわ」
私はエプロンの紐を締め直した。
そして、レオンハルト様を見上げた。
「レオン。……連れて行ってくれますか? 空の上へ」
レオンハルト様は一瞬驚いた顔をしたが、すぐにニカッと笑った。
「愚問だな。……君が行くなら、地の果てでも、空の彼方でも護衛する。それが私の務めだ」
「俺も行くぜ! 天空の食材なんて、料理人冥利に尽きるじゃねぇか!」
ヴォルグさんが包丁を構える。
イザベラさんも、力強く頷いた。
「お店はまた私が守りますわ。……世界を救うお弁当、作ってきてください!」
こうして、私たちの最後の旅が決まった。
目的地は『天空の島』。
ターゲットは『世界樹』。
ミッションは『世界を救う究極の料理を作ること』。
「よし、みんな! 準備よ!」
私は店内に号令をかけた。
食材は、これまでの冒険で手に入れた全てを使う。
王国の『ムームー牛』や『太陽トマト』。
聖教国の『エリクサー・ライス』。
魔族領の『ヘル・ペッパー』や『ブラック・ライス』。
世界中の「美味しい」を詰め込んで、神様も唸るような最高のお弁当を作るんだ。
「待っててね、世界樹さん。……今、とびきりのご飯を届けに行くから!」
窓の外、夜空に浮かぶ月が、私たちを導くように輝いていた。
『下働き令嬢』のエリス。
最強の騎士団長レオンハルト。
豪快料理人ヴォルグ。
そして、世界樹の申し子ホルン。
私たちの冒険は、ついにクライマックスへ。
空飛ぶレストラン、開店準備完了!
(第4部 完)
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